第9話 話の欠片
日本中から注目される選挙にある男が出馬した。
彼は、仮に当選すれば確かに風雲児として名を残せたかもしれない。
少なくともマスコミは革命家として扱っただろう。
ロクでもないものしか、成せそうには思えなかったが。
彼はそれなりに知名度があったし、また政治家としてではないが実績があった。
周囲にも著名な人間が集まっていたし、泡沫とは呼べない立場ではあった。
もし当選すれば十分に政治家としては若手で、事実として当時まだ青年とギリギリ呼べる年齢だったと思う。
結局彼は落選した。
しかしそれによって彼が失ったものは、無さそうに見えた。少なくとも世間に大いに名を売った。彼の事を知らなかった人間はそう思った筈だ。
実際、彼は既にしてそれなりに成功した人間で、選挙資金くらい捨てても惜しくはなさそうに思えたからだ。
私はTVで彼を観るにつけ「すげえな。やっぱ政治家やろうなんてヤツはこうでなきゃ」と思った記憶がある。
選挙演説を聞いた記憶はない。が、彼の声を知ってはいた。
彼は家賃を滞納していたからだ。
彼には妻子がいたが別居中。愛人とマンションで暮らしていた。
そのマンションの家賃を、払えないのか払いたくないのか知らないがともかく延滞しているので督促を受けていた。
選挙期間中にもだ。
若者の未来を憂い、家族や仲間との絆の大切さを訴える。
妻子ある身で愛人と暮らしている男がだ。
私は、政治家が聖人君子であらねばならないとは思っていない。
それでも──「すげえな。やっぱ政治家やろうなんてヤツはこうでなきゃ」
私は会社でも呟いた。ここまで図太くなきゃ、政治家なんてやれないんだろう。
当選すれば100%スキャンダルだ。なんせ私でも知っているのだ。百戦錬磨のマスコミが調べられない筈がない。
大体家まで尾行したら愛人がいるんである。ジャーナリストからすればこんなイージーなゲームもないだろう。
どういう神経してるんだ。
とはいえそれは、グラビアアイドルが飲食店経営者の契約しているマンションに住んでいるようなもので、ただそれだけのよくある話。
サラ金出身者のよくある話。
「俺の若い時なんか、部屋から出てこない債務者の部屋のベランダにさ、皆でマンションの屋上から侵入して、ハンマーで窓ぶち破って入ったよ」
お前が所属してた組織はSWATやネイビーシールズか?
「俺の若い時なんかさ、払えないて言ったらソイツ、池に突き落としたよ」
お前は風雲たけし城にでも参加してたのか?
サラ金出身のオッサンは、かようなホラ話の武勇伝を語りたがる。
私は過酷な取り立てが社会問題化した頃は社会人ではなかった。
業界の黄昏が始まる頃に消費者金融会社へ入社した。
その頃には回収に対しての規制もそれなりにあった。社会の目も厳しかった。
それでもわかる。ありえない話なのだ、こんなの。
サラ金って、普通の会社なのである。働いているのはサラリーマンなのだ。
月収200万くらいもらえるなら、前科がついてもまあいいか、と思えるかもしれないが、そんなお給料は夢のまた夢なのである。
第一、そんなアウトローな根性は無いから会社員なのである。
サラ金出身者が多い家賃保証業界。今日もオッサンがホラ話を若者に語っている。
ああはなるまい。なってはいけない。
仲の良い同僚に──もしも私がいつかホラ話の武勇伝を語りだしたら、前歯がなくなるまで鉄拳制裁をしてくれるよう頼んでいる。
そんなホラ話をする無駄口に前歯など必要ないのだ。
外国人のよくある話。
グエンさん、といえばベトナム人だ。
赤いナポレオン、軍事的天才ヴォー・グエン・ザップだってグエンさんだ。
ホー・チ・ミンだって本名グエンさんであるし、革命の同志グエン・チ・ミンカイもグエンさんだ。
グエンさんというのは苗字らしい。山田さんとか、渡邊さんとかというような。
最近は本当に増えた。
グエンさんが6人延滞しているマンションなんてのもある。部屋が12室しかないのに。
かようにベトナム人はグエンさんばかりである。
家賃保証会社の売上のある程度のパーセンテージを占めるのは在日外国人である。
何せ保証人を付けようがない。保証会社を使うしかないのである。
賃貸借契約には日本独特の因習がある。敷金はともかく礼金なんて大抵の外国人には意味不明だろう。実際、日本人の私ですら礼金の意味がいまいちよくわからないのだ。(外国でも礼金がある国もあるらしいけど)
それでも、部屋を貸していただきありがとうございます、という終戦直後ならともかく、21世紀に必要なものだとはとても思えない。
ホテルだってウェルカムドリンクくらいはたいてい用意する。
ユーザーがお礼をするものって、何だ?ホテルのチップくらいしか思い浮かばない。
それだって100円とか200円くらいだ。
それはともかく、グエンさんである。
東京でコンビニに行けばたいてい店員は外国人だ。
知人が経営する飲食店も店員12人中8人がネパール人との事だった。
ベトナム人はたぶんネパール人より多い。
スリランカ人も多い気がするが、今回はベトナム人の話だ。
これはヘイトとかではない、断じて。気の良い連中だと思う。私は基本的に東南アジアが大好きだ。ヘタすりゃ日本より好きである。
ただ私の仕事上では、東南アジアの、彼らの、特徴は、「いつのまにか部屋に住んでいる人がどんどん増える。または入れ替わる」「良かれと思って部屋に家具を置いて消え去る」「携帯電話が仲間中で使われて、一体誰の電話かさっぱりこちらにはわからない」だ。
聞けば外国は家具付きの物件が多いという。
だからなのか外国人はやたらと、「良かれと思って」家具を置いて出ていく人間が多い。
次の人が使えば良いじゃないかと真顔で言われた事もある。
ただもちろん、荷物を片付ける手間暇をかけたくないだけかもしれないが。
ただ、外国の家具付きの部屋って、まさか前の住人が置いていったものを使えという事なのか?貸主が設置しているものではないのか?
私は家具付きの物件はOKだが、さすがに前の住人の洗濯機とかは、使いたくないなあと思うのだ。
これは私が清潔で潔癖な日本に住んでいるからなのだろうか。
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