第6話 『言い訳大全』

2015年7月初旬。


9:30。

電話を受ける。


40代前半。生活保護受給者。独身女性。家賃未納1ヶ月目。


延滞理由。別居の母親の医療費に使った。

希望。来月から支払いたい。


しかし、延滞を解消するため毎月の賃料以上の額の支払いが必要になるがそれはできない。

生活保護費が低すぎると、延々と主張する。


住宅扶助は家賃に使うよう支給されているのだから、母親の医療費に使った(どうせ嘘だが)といっても、それは道理が通らない。

しかし現在無いカネを払う事はできない。

ならば来月の支給から、例えば家賃1.2ヶ月分でも支払えば数ヶ月で延滞状態は解消できるのでは?と伝える。


女性からの回答。取立て屋取り立て屋取り立て屋取り立て屋!

呪詛のように繰り返す。生活保護費が低すぎるから1000円ですら家賃扶助以上には支払うことはできないとわめきだす。


生活保護費が低すぎるなら政治家にでも言ってくれ。そしてそんなに元気ならバイトでもしてくれ。胸中で呟いて、相手に聞こえないよう嘆息する。


「そうですか。しかし延滞は解消しませんね、私がお伝えした事を考えてください。また1週間後。状況聞かせてください」


単なる時間延ばし。さて、1週間後、どう着地させるか考えよう。



9:45。

電話を受ける。


50代前半。建築業。独身男性。家賃未納1ヶ月目。

毎月15日の給料日が月末に変わった。それまで支払いを待ってほしい。


例えば7月15日が給料日だとして、7月12日に社長から「今月からお給料日は月末になりました。従って次の給料日は7月末になります」など、普通あり得るか?

彼はそれまで何度もこのパターンを繰り返す。


「月末なら次の家賃も発生しますからね、なんとかもう少し早く払えませんか?」

「日雇いのバイトにもいっています」


ではまた1週間後に話しましょう。なんとか頑張ってください。

1週間後払える事はないだろうが、なんとか月末前に払えれば良いか。



9:50。

電話を受ける。

30代前半。日雇い派遣。独身男性。家賃未納1ヶ月目。


「インフルエンザにかかって仕事を休んでいた。家賃を支払うカネが貯まるのに後2週間はほしい」


一体1年で何度インフルエンザにかかるのだ。そんなに年に何度もかかる病気なのか?


「ああそうですか。お体お大事に。ただ、月末になるとまた次の家賃も発生します。そうなるとお部屋に住めなくなるかもしれませんからね──ではまた1週間後に話しましょう。なんとか頑張ってください」


9:55。

電話を受ける。

20代後半。会社員。独身女性。家賃未納1ヶ月目。

財布を落とした。来月の給料日まで家賃の支払いをまってほしい。


「大変ですね。しかし契約は事務的なものなので、延滞が2ヶ月も溜まってしまうとお部屋の契約が解除される可能性が……お仕事先は以前と変わらないんですか?」

「いえ、先月から職場を変わっていまして」

「でしたら、そもそもまだ先月も今月も給料は入らないものではないでしょうか?」

「そうですけど、でも財布を落として」


この女性は1年に何度財布を落とすのか。


「一応、状況は承りました。ただ、先程もお話したように契約は事務的なものですからね、なんとか家賃2ヶ月溜める事なんてないように──また1週間後にお話を聞かせてくださいね」


10:05。

電話を受ける。

40代後半。会社員。既婚男性。子供1人。家賃未納1ヶ月目。

出張で帰宅するのが25日になる。それまで支払えない。


「奥さんに頼むなり、出張先から振り込んでは?」

「できない。カネはいま手元にないし、キャッシュカードは自宅にあり自分しか引き出せない」


意味がわからない。どんな家庭だよ。

給料日が25日で、それまで支払えないだけ。彼はこの1年ずっと同じだ。


「ああそうですか。では25日に入金お願いしますね」


繰り返しだから、たぶん払ってくる。そしてまた延滞が発生する。

延々、延々、延々、延々と際限なく。明日も太陽が東から昇るように。



10:15

電話を受ける。

50代後半。日雇い派遣。独身男性。家賃未納1ヶ月目。

雨が多くて収入が少なかった。あと2週間くらいで家賃が払えると思うから、それまで待ってくれ。


晴れなら晴れで「風邪で寝込んでいた」

雪ならもちろん「仕事に行けなかった」

彼はこのループを3年続けている。


実際には、2、3日雨が続いただけで、そんなに雨ばかりでもなかったが。

まあ今日雨が降ったから思いついた「言い訳」か。


当社と契約して──今の部屋に居住してから3年なので、それ以前にはたぶん、払えなくなって退去させられたのだろう。



「2週間といきなりいわれても、また雨が降るかも知れないでしょう?1週間後、また状況を連絡ください」



かように、延滞は発生し続ける。

延滞理由や、支払うまでの時間延ばしの口実は「インフルエンザにかかった」「財布を落とした」「出張中」「雨が多かった」など、大抵10パターンくらいで収まる。



「言い訳辞典」を作れば、A4用紙5枚くらいで終わるかもしれない。

まさにルーティンワーク。



この日は17時くらいまでこの作業を繰り返す。まさしく「作業」だ。

なんの感慨もない。驚きもない。消費者金融の頃も同じ「言い訳」を聞いていた。

同じ作業を日々繰り返していた。10年も。文字通り十年一日。 


いまもそれは変わらない。しかし、家賃保証会社で働き出して変わったのはここから先だ。


18時。東京都I区。

30代前半。独身男性 Y。延滞3か月。無職。

今日で部屋を明け渡すという。


室内はゴミだらけ。ゴミや荷物を処分するカネもない。

だから当社が撤去・処分する。


締め切ったカーテンと陽も落ちているので、撤去のための撮影には不向きだが電気が停まってないのがありがたかった。


天井から吊り下げられた照明には、光が漏れないよう新聞紙でカバーがされている。

よほど借金があるのだろう。

外から在宅中なのを悟られないように工夫しているのだ。


改めて照明を見る。戦時中みたいだ。


苦笑いを隠して撮影する。


カギを受け取り、退去してもらう。

どこに行くのかは知らない。たぶん実家にでも帰るのだろう。知らないが。


これはとてもスムーズに進んだ仕事。とても楽で、むしろYには、私と関わらない所で上手く生きてほしいとすら思う。


次の仕事だ。


19時。同じく東京都I区。


30代前半。独身男性 T。延滞4ヶ月。

場所は彼の自宅の近所の公園。


玄関から一瞥しただけでゴミ屋敷なのはわかっている。

そんな部屋で話すような趣味は私にはない。


Tの主張をまとめるなら「払えないが住みたい。うつ病で働けない」だ。

それもヘラヘラ笑いながら主張する。


2ヶ月前にも会っていた。

「3ヶ月延滞しないと強制執行はされないと聞いていますよ」

ネットで調べたとかいう中途半端な知識を、同じヘラヘラした笑顔で言われた。


いろいろ間違いを指摘したかったがやめた。

その時点では居直られたら手が無い事は事実だったからだ。


だが、この男は必ず退去させる。その時、そう決めた。

私のような弱気な人間でもそう決める事はある。あんまり世の中を舐めない方が良い。



そして4ヶ月目の延滞。待っていたよ。

このために2ヶ月間、督促に手を抜いたのだ。

即、明渡訴訟を提起する状況は整えた。合理的な判断と、明確な敵意をもって。


ネットで調べた情報は有益だろうが、何の努力もなくそれだけで対抗できる程、世界は甘くないんだよ。


T相手にまともに話を聞くだけ無駄だと思っている。もちろん、まともに話を聞いた風には見せるが。

大事なのは、生活改善へのルートを示す事だと思っている。


そして絶対にこちらの譲れない一線も示す──「この部屋はもう住めない」という一点。


だから、生活保護を申請し、シェルターに一時的にせよ入るべきだ。


家がなくなった人は、福祉課にいえばシェルターを案内してもらえる。

もちろん、満室の場合は入れないし、個室でないシェルターもある。

それでも少なくとも東京に限っていえば、本人が望まない限り「あらゆる手を尽くしてもホームレスになりました」は、絶対に無い。

どこか屋根のある場所で寝られる。


ヘラヘラ笑うTに正直、頭にきていた。


真偽不明だが「うつ病」を武器として使う事に、多少の憤りを感じていたのだ。


うつ病なんでしょう?なかなか言いたいこともいえないでしょう?当社が福祉課まで付き添いますよ。明日行きましょう。



不退転の決意をもってTの目を見る。

世も人もバカにしきって何もせず、カネを貸し続けた姉にも見放され、ただひたすらに生きている澱んだ目が私を見返していた。


こういう人物は自宅、というより自分のフィールドでは強い。特に夜は。


翌日。


朝日の下で、更には公的な場所──フィールド外に連れて行くと、本当に弱い。


なんとなく、そう思う。



福祉課のある建物ではTは落ち着かない様子で、ただただ、福祉課職員の質問に答えていた。


相談に出てきた福祉課職員はまだ若い女性だった。

20代も後半だろう。


OK。私はツイていると思った。20代の福祉課職員は「払わなきゃいけないものは払わなきゃいけないですね」という現実的な思考をする人が多いからだ。

何がなんでも弱者保護。法を逸脱しても弱者保護、なんて浮世離れした事を言う職員は少ない。


しかしさすがに私には、途中までしか同席を許されなかった。

それは良い。状況は十分に説明した。

契約が解除されている書面もコピーを渡しておく。


この相談だけで受給が決定するわけでもないが、ほぼ決まる。

あと1回、自宅に福祉課職員が訪問し決定するが、それは傍から見ていると殆どセレモニーにしか思えない。


方向性は先に決められる。


Tとの面談終了後、福祉課職員に話しかけシェルターに一時的に入れる事を提案する。


それしかないですよね。もう退去しなければならないんですものね──素直な女性で助かった。


聞けばその時点では空いている施設もあるという。


次の面談日──福祉課職員がTの部屋を訪問し受給決定を知らせる日は1週間程度先だ。


その日の翌日に福祉課へ連絡する。


当然、Tの生活保護受給は決定していた。


ただしシェルターへ入る事を拒否しているという。


なぜ?──犬を飼っているからシェルターには行けないとの事です。無理やり連れて行く事はできませんから。


福祉課職員は困ったような声を出した。


家賃5万円の1Kの部屋。

動物を飼う事は禁じられている。盲点だった。犬なんか飼ってたのかよ。


すぐにTに電話をかける。生活保護受給が決定したから余裕が出たのか、すぐに電話に出た。

退去させる説得が必要になった。

電話での話はするだけ無駄だ。その夜に訪問する事を告げる。

Tは、良いですよと余裕に満ちた声で返答してきた。


こういうのが頭にくる。


ちなみに、誰しもカネが払えない時はあるかもしれない。

そんな時は、喧嘩腰やあまり強気の姿勢はやめた方が良いと私は思う。

督促する側も人間なのだ。特に会社員──自分のカネを貸しているわけではないのなら結局の所、他人事。

下手には出ずとも、普通に話してくれたなら、何とか最低限は希望に答えてみせようか、と思うものだ。


「犬がいるからシェルターには行けませんよ。捨てろって言うんですか!」


Tは夜の公園で大声で叫んだ。

傍らには1Kの部屋で飼うには大きすぎとも思える犬。痩せて、薄汚れている。元気があるようにはとても見えない。


言葉だけを聞けば愛犬家。

だが、犬を言い訳に退去を拒否しているのは、見て取れる。


犬を飼える身分かよ。ぐっと言葉を飲み込む。


ところで、ペットの犬を置いて夜逃げするケースはそれなりにある。

その場合、保健所に連絡するのが筋だ。

が、それでは犬があまりに哀れだ。

(もちろん、100%殺処分というわけではないと思うが)


取り立て屋と罵声を受ける事はあっても、我々も普通の日本人。


当社が委託する撤去業者は、置き去りにされた犬を広い敷地で飼っている。

私はその景色を見たとき、ゴミ屋敷で暮らすよりも、彼らが幸せそうに思えた。


ただそれはあくまで「善意のルール違反」。

だから、代わりに業者の敷地で飼いますよ、なんて事は言えない。


犬を預ける所を探せ、探せないならアンタが以前言っていた強制執行を行うために、訴訟が提起されると伝える。


「Tさん、笑いながら強制執行は3ヶ月以上延滞がないとできないと、以前私に言いましたよね? いま4ヶ月延滞ありますよ。もうここまできてるんで、率直に申し上げますが私はあなたの擁護を貸主に対してしたいなんて思ってないです。事務的に進みます」


もちろん、訴訟をするもしないも決めるのは保証会社。貸主の意向はあまり関係がない。

事務的に進めるのも保証会社。

この場合は私だ。

だがそれは明かさない。


そして、訴訟→判決、或いは和解の不履行を経ないと強制執行などできない。強制執行される頃には明日提訴されても10ヶ月分くらい延滞は溜まっているだろう。が、それもイチイチ言う気にはならない。

明かすメリットが私にはゼロだから。


「どうします?」


「1週間待ってください」


「何で1週間?」


「犬を預かってくれる所を探します」


「お金あるんですか?」


「姉に借ります」


カネの無心を繰り返したT。姉はとっくに見放している。夫への申し訳なさから、Tへ連絡するのも控えている姉の名前を出した。

まだ、姉を頼るか。


しかしここは引き時。不退転の決意は変わらないが、押し続けて終わる話ではない。


「こういう言い方もあれですけど、ネックは犬だけなんですよね?」


念を押す。犬さえ片付ければいいのだろうと。


3日待つと伝える。


3日後の7月〇日。犬を**牧場とかいう施設に預ける手はずがついたといってきた。10万はかかったと。

そんなカネがあったのか知らない。実際預けてないように思えたが、そこは知らない。

少なくともどこかに犬を埋めましたなんて事はないだろう。


野良犬になったのか、本当にその施設に預けたのか。後者である事を願う。


Tが犬を預けた翌日、部屋を訪問する。

明朝、福祉課に行けば、シェルターを案内してもらえる。

そこで生活しながら、引越し先を探す。ずっとシェルターに居続けられるわけではない。

もちろん費用は福祉課から支給される。


悪い話ではないだろう?


カギを受け取って見送る。


今晩は、ネットカフェにでも泊まるのだろう。


これからどこに行くのかはあえて聞かない。

「行く所がないので明日までこの部屋に居させてください」なんて話になると面倒だからだ。



半年後、Tの記録を見た。たまった延滞は少しづつ支払っているようだ。


本当に少しづつ。


Tに興味はない。だが名前も知らない、一度だけ見たあの薄汚れた犬が、いまは綺麗に洗ってもらって、マトモな食事を取っている事を祈った。



直後、また電話だ。

老若男女の違いはあれど、また次のいつもと大差の無い言い訳を聞こうか。

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