第5話 お前もそのルートを選ぶのか?
タイ。バンコク。プロンポン駅より徒歩10分。
ビアバーが10数店舗蝟集するエリア。
全店舗含めても日本人客など私一人だし、店構えも路地裏に屋台が並んでるような感じだ。
日本人はまず来ないと、以前に常連客の得体の知れないオッサンに言われた事がある。
私の目当ての店は19時から営業を開始するが、それもかなり適当だ。
余裕を見て19時半に顔を出す。
──私を覚えていますか?
店主のお婆さんに声を掛ける。
かつて日本人の夫と日本で暮らしたお婆さん。日本語、英語、そしてもちろんタイ語ができる。自称「頭の良いお婆さん」。
3カ国語出来ればそう自称しても、少なくとも私には奇異には思えない。
私は訪泰の際には、偶然知ったこの店に立ち寄る事を常にしている。
お婆さんと前回会ったのは半年前。答えはわかりきっている。
「覚えているよ」
毎回繰り返す挨拶。客商売だから当然か。
20時を回るあたりから店員が顔を見せ始める。といっても、3人を越える事は無いが。
お婆さんと話していて、割って入った女性にドリンクを一杯ご馳走する。
それから、誘われるままビリヤードを楽しんだ。
23時を回る頃、お婆さんが「『お持ち帰り』もできるよ」と、ビリヤードで遊んでいた女の子を指差して告げてきた。
何度も来ているこの店でその経験は無い。提案された事すら無い。意外だった。そういう事もやっぱりやってる店なのか。いつもひたすら呑んでるだけだった。
ごめん、店主。私はそれをしにココに来ているわけではないから──そう伝えてお勘定を済ませる。相手をしてくれた女の子とお婆さんにチップを渡す。
先ほどまでビリヤードをプレイした女性はため息をついている。
OECD諸国でも所得格差の大きなタイ。
皆生きていくのに大変なのだ。
2016年11月。
本当に、それでいいのか。アンタは?
純粋に沸いた気持ちはそれだった。
運送会社の社員。30代後半。
延滞は2.5ヶ月。部屋の契約を解除する通知は既に送付してある。
東京都F市。コンタクトは時折取れる客だったが、延滞状況は悪化していた。
30代後半~50代男性にありがちといえばありがちな、いちいちプライドが高い男だった。私は「ああ、面倒くさい」という気持ちになっていた。
退去させたい。
次の給料日までに全額支払えれば良いですけど、そうでないなら、お部屋は諦めましょうよ──4日待って出てきた答えが「会社を辞めました。いま生活保護の申請をしています」
理由は、今の給料では延滞した家賃を払えないから、だそうだ。
私は別に古風な人間でもないつもりだ。
しかし、五体満足な独身男性がそんなに安易に選べる道なのか、生活保護って。
もちろん、誰のどんな仕事だってストレスはあるだろうし、お給料が満足という事は無いものだろう。私ももらえるものなら無限のお給料がもらいたい。
なまじ生活保護なんていう、国籍が日本でなくとも受けられるテを知っているから「あー生活保護受けて暮らそっかなー」と思うこともある。
しかし本気ではない。
「女の子がいる飲み会で、職業が生活保護だとモテないだろうなあ」と、そうでなくともモテない身の上を忘れて思い、仕事に赴くのだ。
いやいや、4日で、家賃が払えないからといって、いきまり会社辞めるかよ。
4日程度で即座に辞められる会社も相当だと思うが、それは良い事なのか?
転宅を福祉課に申し出るように説明。
自宅に福祉課職員が来る面談日がじきに決まるだろうから、7日後にまず状況だけでも連絡してくるように約束し電話を切る。
すぐにF市福祉課に電話する。本当に生活保護申請をしたのか?受給の可否は?
電話に出た福祉課職員の女性は明るく答えた──次回面談日ハ**日デスガ、仕事モ辞メテイマスシ受給ハデキルト思イマス。
ああ、そうか。アンタそういうルートを選択するのか。
それは私にとって悪い話でもない。その電話で部屋の契約が解除になっている説明をして、転宅をするよう福祉課職員に提案する。
福祉課職員も同意してくれた。
結果を言えば、3週間後には転宅したのだ。引越し費用も何もかも福祉課から支給されている。
全く。私にとっても悪い話ではない。円満な解決だ。
当社が立て替えている賃料等は、契約終了後の顧客を対応する部署が担当する。
そういう意味では解決ではないが、少なくとも家賃を払えもしない部屋に住み続けるよりはマシだろう。
誰にとっても悪い話でもない。
しかし、たぶん、食って寝て暮らして、そしてなぜか「お金を落としたり」して、破綻していく──五体満足、心身健康な状態で生活保護を受けた20-30代の男は大抵、良く無い事になる。明確な統計などないが、およそ変な人格になっていくように思う。
40代男性で生活保護を受けて延滞している人間は、大抵異常なプライドか攻撃性を持つ。これは私の完全な偏見。だが経験則。たぶん間違っているが、主観的には正しい。
私は社会のセーフティネットを否定しているわけではない。絶対に必要なものだと確信しているし、まだ不足しているとすら思う。
私だって受ける事になるかもしれないのだから。全く否定しない。
ただ、それでも、男に限って言えば、楽しくない道しか歩めない、と考えているだけだ。
これは何故だかわからない。セーフティネットを使う事は別に恥じることでも避ける事でもない筈だ。
このような公的な福祉があるからこそ私の仕事は成立している部分もあるし、社会も健全で存在し得るのだろう。
貸金業者で働いていた時「年金担保で信金からカネ借りました。生活保護で生活します」という離れワザで返済を受けた事もある。まったく、セーフティネットは絶対に必要だ。
だがなぜか、避けた方が良いように思えるのだ。
安易とも思える生活保護申請を知った時、私はタイのビアバーを思い起した。
ああ、日本はとても幸福な国だ。
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