第4話 カフェバー『*****』

 東京都S区の繁華街B駅周辺。

 雑誌の『ラーメン激戦区特集』などには頻繁に登場する街。


 若者が住むなら悪くないと思う。安くて雰囲気の良い呑み屋も多いし都心までのアクセスも申し分ない。ファミリー向けかと問われれば、もう少し静かな所が良いとも思うが。


 B駅周辺では時折知人とお酒を呑む。

 その際通る小道にいまだ営業を続けるカフェバー『*****』を見ると、不思議な気持ちになる。


 なんであんな男が店を続けられるのか。

 そして、よくも食中毒事件などが発生しないものだと。


 1年前、私は店内にいた。

 2.5ヶ月分の賃料延滞が発生している男──30代前半。オシャレ、といって差し支えない──と向かい合っていた。


 男が契約している部屋は店から1駅の場所にあるマンション。賃料9万円。1K。

 建物の外観も内装も一見綺麗だが、壁などペラペラの物件だ。


 男には全く連絡が取れなかった。何度訪問しても、電話をしても、連絡は取れない。勤務先もわからない。


 ある日ただ偶然に、男の氏名をGoogleで検索してみた。


 本人だとすぐにわかる。カフェバーの店主。イベントも時折開催される。店員は不定期にやってくるアルバイトの女の子一人。それくらいの規模の店。

 男──EはFacebookに笑顔で映っていた。


 ああ、ここか。


 緊急連絡先の母親から、何か店をしているらしいとは聞いていた。

 しかし、探す方法がなかった。嘘か本当か、母親もEとは連絡が取れないと言っていた。便利な世の中。SNSに万歳三唱。


 Eは不定期にしか帰宅しない男だった。3日に1度などの頻度なのだ。いっそ帰宅が一切ないのならば、理解できる。一体どこに行っているのか不思議だった。


 深夜まで営業するカフェバーなら、それも有りうると思った。

 店主なのだから店で寝泊りする事も可能だろう。


 もちろん、大して使わない部屋ならば、さっさと解約すれば良いとも思う。が、その辺が非常にルーズなのが彼らだ。


 カフェバー『*****』を私が見つけて訪問し、支払いがあった、また延滞した、支払いがあった、そしてまた延滞を繰り返して、1年前──店内で私がEと話をするのは3度目だった。


 延滞発生による部屋の契約解除通知は発送されていた。これまでに何度も。

 その度になんだかんだとある程度支払ってくるので結局住み続けていたのだ。しかし、今回は毛色が違う。帰宅する頻度が明らかに減っていたのだ。


 水道すら停止していた。加えて、店の営業も完全に不定期と化していた。開いてない日が多いのだ。


 電話は常に誰も出ない店だった。一体どんな営業なんだと夜訪問してみても、開いてない。深夜帯は私が仕事をできないので、その時間だけ営業している可能性もあったのは否定できないが。

 他にも対応しなければならないお客は沢山いるので、そんなに適時にEばかり追跡するわけにもいかない。

 ふとスマホを見ると、Eの店のFacebookアカウントに『今日の特別メニュー』などが登場する。──今日開いていたのか、と嘆息していた。


「部屋、帰ってないんですよね? どこ行ってるんですか?」

 カウンターに腰掛けてEに話しかける。

 幸運にも客はいなかった。私は客ではない。お茶を出されても一切口にするつもりはない。Eの店ではお茶も出てこなかったが。


「ネカフェに泊まったり、カプセルホテルに泊まったりです」


 部屋まで1駅だ。そんな無駄金使う余裕はあるのか?

 一々言いたくなるが、そこには触れない。退去させたい、というのが目的だ。

無駄話は有害なだけだ。


「1週間待ってください。払いますから」

「私がここに来るの、3度目ですよ」


 2度目に来店した時もこんな話をした。無理に退去の約束を取っても意味が無いから、時間を与えていた。なぜ意味がないか?

 一度は希望を受け入れてもらう──そしてそれを破ってしまう、だから望みは叶わない。そのプロセスを経ないと、人は中々、潔くなれない。


 だが時間を与えると、なんだかんだと払ってくるのも事実だった。


 例えば明渡訴訟を提起するにも条件がある。延滞が1ヶ月分程度では、賃貸借契約の解除はできても、明渡訴訟までは中々提起できないのだ。絶対不可能というわけではないが、会社が許可しない。


 しかし、一時的に延滞を解消しても翌月にはまた延滞発生。そうすると訪問して、電話して──の徒労。こんなものは終わりにしたかった。他に仕事があるのだ。

さっさと退去して欲しかった。


「使ってない部屋なら、別に出て行っても良いじゃないですか。お金も浮くし」


 たぶん儲かってはいないだろう──という店内を見る。

 平日とはいえ20時。10人も入れば一杯になるカフェバーだが、一人の客もいないのはマズいだろう。しかしそれでもB駅から徒歩5分の店舗の賃料を払えるのだから、最低限の収益はあるのか。


 面談できた時期も良かった。あと数日で月末。次の賃料も発生する。現時点でいえば2.5ヶ月分だ。しかしすぐに3.5ヶ月になる。


「私はいままで2回、同じ話しましたよね。確かにEさん、払ったけど、2度と延滞しないとも言ってましたよ。もうやめませんか」


 払うならあと2日で来月分の家賃まで払ってくれ、でなければ明渡訴訟が提起されるだろうと付け加える。


 もちろん、そんなにスピーディにはできないし、会社の許可が出るかもわからない。仮に1ヵ月分でも払ってくれば延滞は結局2.5ヶ月分。明渡訴訟の提起は許可されない。間違いなく。だがそんな事情を正直に話す必要はない。


「どうします?」


『出て行け』とは言わない。


 私は保証会社の社員だ、賃貸人でも弁護士でもない。仮に言ったとしても非弁行為かどうかは争う余地も多少あるが、保証会社は賃借人側の立場に立つべきという建前は確かにあるからだ。だって連帯保証人代わりなんだもの。


 だから「出て行ってください」と明確には口にはしない。『このお部屋は諦めましょう』と諭す。


 ここで不思議に思う人もいるかもしれない。

 明渡訴訟は誰が提起するのか? 保証会社か、賃貸人(部屋を貸している人、法人)なのか?


 答えは貸主である。ただしその費用は保証会社が負担する。そして訴訟するかしないかも保証会社が決定する。


 訴訟を担当する弁護士も何もかも保証会社が用意する。明渡訴訟の提起において賃貸人がやる事など書類数枚を書いてハンコを押すだけだ。裁判所に行かねばならないわけでもない。サービス業ですから、家賃保証会社は。

 一方のお客様でもある貸主にそんな手間はかけさせない。


 なぜ保証会社は直接訴訟を提起できないのか?

 賃貸人でもない保証会社が明渡訴訟の提起などできないからだ。部屋を貸しているのは保証会社ではないのだから。


 しかし前述のように保証会社は連帯保証人代わりであり、賃借人側の立場に立つべきという論理も存在する。それは『これ以上無駄な債務の拡大を防止するため』というロジックで粉砕される。無駄に債務を拡大させても賃借人=契約者のためにもならないよ、という事だ。



 だから私は『明渡訴訟が提起されるかもしれませんよ』と他人事のように口にしていても、それが可能かどうかを考えていた。

 払わないなら、できる。しかし中途半端に払ってくれば、できない。


 全部払うなら、私の数字にはなる。ただし退去するなら、今月の数字にはマイナスだが、来月からは楽になる。


 出て行くか、払うか、どちらかを選べ。


 とはいえ、この状況で『退去します、〇〇日までに』──の即答を引き出すのは困難でもある。


 結局、明日まで待つことにした。ただし、明日連絡がなければ訴訟が提起される事は間違いないし、それはEにとってデメリットしかない点も付け加える。


 正直にいえば、訴訟が提起されたからといってEに大したデメリットはない。仮に判決が出て強制執行されたとしても、それはただそれだけの話だからだ。

 しかし、そんな事正直に言う必要はない。


 翌日、Eは退去を選んだ。


 必要な荷物は持ち出すように伝えた4日後。Eの部屋を訪問する。

 残った荷物は全て当社が処分しておく事の同意を受け、部屋の中を確認する。


 申告すれば動物も飼えるマンションだが、Eは勝手に猫を飼っていた。

 部屋中が猫の糞と尿だらけ。そしてトイレには当然のように流されていない人糞もある。水道が停まっているのだから当然か。


 よくもこんな部屋に住み続けたいと考えたものだ。

 カギを受け取り、出て行ってもらう。


 あとは殆ど事務作業。室内を撮影し、業者と撤去の日取りを決める。不動産の管理会社へ撤去の日を連絡する。


 それでおしまい。


 B駅周辺が私は好きだ。安くて旨い呑み屋も多く、良いホルモン焼き屋もある。

 知人と呑む時にB駅を希望する事もある。


 私は東京出身ではないので何年住んでも多少観光気分が抜けない。駅の周辺を歩くのが好きなのだ。だから待ち合わせには大抵少し早く着いて、駅周辺の散策をする。

B駅も例外ではない。


 あの糞尿だらけの部屋で過ごしていた人間がカフェバー。『今日の特別メニュー』?

 よくも食中毒など発生しないものだ。


 いまでも営業する『*****』の在る小道を通る度に思う。

 いまだ店はある。プライベートで深夜に通る事もあるが、営業しているようだ。


 もちろん店に入る事はないが、店内が少し見える事がある。若い客が多い様子。


 あの糞尿だらけの部屋を見ても、彼ら彼女らは『*****』で呑んで食べようという気になるのだろうか?

 なるのかもしれないし、ならないのかもしれない。


 私の好きなB駅周辺の、私にはもう関係のないお店の話。

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