未来のために
扇さんは警戒を解いて、一も二もなくついてきた。
食べ物につられやすい
普段の食生活が心配になる。彼女の面倒は雪垣が見ているはずだが、あいつ、ちゃんと食わせているんだろうな。
「いっただきまーす」
ヘリで飛ばしてものの十数分で、目的の焼き肉屋に辿り着く。名古屋の一角にひっそりとたたずむ店構えだった。駐車場にヘリで降りたが、店員は誰も驚かなかった。そして個室に案内されると、既に網には火が点いていて、幾分かの肉がちょうどいい塩梅で焼かれていた。
サービスが行き届いていると見るべきか、もうちょっと落ち着いてもいいだろうと思うかは人によるところだろう。僕は後者だが、扇さんは前者だと思ったようだ。
「……………………」
「どうした瓦礫。食べないのか」
「ああ、食べるよ」
しかし…………。この店、名前は……。
割り箸の袋を見る。『炭火焼肉千草』。千草……千草ねえ。まさかだろ。
こんな最終盤に新しい情報を出すな。
トングで肉を取る。箸で掴んでタレにつけると、油が輝く。口に運ぶと、とろりとして口の中に肉汁が溢れる。うん、美味いな。
まあ、花音の店選びを信頼していないわけではないがな。むしろ彼女が選ぶ店ならまず間違いない。仕事人間で寝ても覚めても仕事しかしていないようなやつだが、食事は三食きっちりとるのがモットーの、意外な美食家だ。
「夏はやれ素麵だ冷やし中華だ、あっさりしたものを求めがちになる。だが夏を乗り切るならそれこそ食わないとな。食事はすべての源だ。食わねば生きていけん。食っていればとりあえず生きられる。人間、ものが喉を通らなくなったら終わりだ」
「まったくだな」
タロット館を思い出す。宇津木さんが殺された後、作家先生たちは食事が喉を通っていなかった。そのせいで僕が犯人だとかありえないことを考え始めてしまうのだ。頭が混乱しようとも、心が動揺しようとも、ひとまず時間になったら食べる。これが大事だ。
「さあどんどん食え。ここは肉も美味いがサイドメニューも美味いぞ。ビビンバに冷麺。サイズも小さめで手ごろだ。焼き肉屋に来て肉以外で腹を一杯にするのは愚の骨頂だが、他のメニューも食べないともったいないからな」
「あ、じゃあ冷麺を」
扇さんがすかさず注文する。遠慮を知らんな……。まあ大企業の社長相手に遠慮しても意味ないんだが。
「そうだ。花音に調べてほしいことがあるんだった」
「なんだ?」
せっかくの食事だが、お互い会って話をする機会はそう多くない。必然、どうしてもこういう席では仕事の話が出てしまう。
僕はポケットから袋を取り出して花音に渡す。透明の袋の中には、薬包紙の包みがひとつだけ入っている。
「『
「そいつは……」
「ふぉふまほん?」
肉を頬張りながら、扇さんが疑問を口にする。そうか、そういえばあのとき、雪垣はいなかったから扇さんも知らないのか。渡利さんが自分から話すとも思えないし。
「ちょうどお盆のころだ。ほら、あの時期は奈落村事件の追悼式典があるだろ? そこで、被害者遺族の献花に混じって心眼会の誰かさんが渡してきたんだ」
「えっと、それって……」
口元を拭いて、扇さんが薬包紙を見つめる。
「薬……ですよね? 奈落村事件に薬が関係していたんですか?」
「ああ」
「でも……そんなの初耳ですよ? 雪垣先輩は何も……」
「あいつは何も覚えてないからな」
「だとしても……事件についてのルポを読んでた瑪瑙ちゃんも薬については何も……」
「あの事件に違法薬物が絡んでいたのを知っているのは、痴呆症にかかった雪垣を除く生存者の三人だけだ。なにせ村ごと全部燃えたからな。警察も知らない。当然、その辺のルポライターが調べられることでもない。心眼会はこの薬物の存在を知っていて、入手するために僕たち剣道部員を拉致したからな。その薬はおそらく心眼会の生き残りが、別ルートで手に入れたものだ。目的は分からないが」
「入手するために……?」
扇さんは僕の言葉に引っかかったが、こちらとしても丁寧に全部を教えるつもりは無いので無視した。
「届けられたのは四包。うちひとつは信頼できる調査員に渡した」
あの日、藍也さんにひとつ渡している。警察を介さないルートで科学調査をしてくれるそうだ。
「ひとつは調査能力を持つ研究機関に渡した」
同日、真名子にもひとつ渡している。セントラルアーチ……天才学研究所の最新機器で調べれば分かることもあるだろう。
「ひとつは念のため僕が持っておくとして、最後のひとつを渡しておく。こいつの出どころを探ってほしい」
「なるほどな。しかし、調べてどうする?」
「さあな。そこまではまだ考えていない」
調べないと気持ち悪いから調べる、程度の状態だ今は。調べるうちに、連中が僕たちにこれを渡した理由が分かるだろう。
「ふむ…………」
花音はじっと薬を見る。
「確かお前が以前言っていたな。天才を作る薬だと。麻薬の一種としても珍しい効果を持っている。だがこの手の薬がそれ以降、どこかで流通したという話は聞かない。誰が何の目的で製造しているのか……」
そしてそもそも、どうして額縁中学の剣道部内で流通していたのか。その辺りも謎なんだよな。
「分かった。請け負うとしよう。うちの諜報チームを使えば何か分かるはずだ」
「助かる。お前のところのスパイ集団、下手な捜査機関より優秀だからな」
それこそミステリで出てきたら駄目だろってくらいだ。
話が終わったタイミングで、図ったようにスタッフが入ってくる。新しい肉を載せた皿や、扇さんの注文した冷麺が運ばれてくる。
「ところで、花音」
「なんだ?」
「本題に入らなくてもいいのか?」
「本題?」
僕は箸を置いて姿勢を正した。
「お前は仕事人間だからな。ただ友誼を深めるためだけに僕を食事に誘ったわけじゃないだろう?」
「そうやって本題をせっつくお前もずいぶん仕事人間だがな」
「探偵なんて公私の別のない仕事をしているとどうしてもな」
花音も箸を置く。僕は言葉を続けた。
「それに用があるのは僕だけじゃなくて扇さんにも、だろう」
「分かるか?」
「分かるよ。お前は『ラグーンの一件』の埋め合わせだと言ったが、埋め合わせと言うなら既にこれで足りている」
僕は自分の腕に巻かれた時計を指す。この時計はラグーンで行われたイベントの景品だ。そしてそのイベントは事件により中止になったが、花音が手を回して扇さんに渡してくれたのだ。埋め合わせ、というのならこの時計で既に済んでいると言えなくもない。にもかかわらず埋め合わせを理由に彼女を招いたのは、別の理由があるからだ。
「おおかた、彼女にたらくふ食わせて満腹で頭が回らなくなったところで切り出そうって腹だったんだろうが、そういうのを見逃すほど僕も先輩を止めていなくてね」
「ばれたら仕方ない」
花音は降参するように両手を挙げた。
「え、あの…………」
状況についていけない扇さんは、冷麺から一旦離れて箸を止めた。
「どういうことですか?」
「裏回し根回しが大人の流儀だが、それに高校生を付き合わせるのは不誠実だな。本題を語ろう」
姿勢を正し、花音は扇さんに向き直る。
「先に言っておくと、この食事がラグーンの一件に対する埋め合わせだというのは本当だ。だから遠慮はいらない。食事を食わせてその後に用件を切り出し、断りづらくしようという意図はなかった。もちろんこれから話す内容に対し君がどのような反応をしたとしても、よし食事代を返せなどとどこかのガキ大将みたいなことは言わない」
いや、少なくともある程度は断りづらくさせるつもりだったんだろうな。汚い大人が嫌いな花音だが、そういうこいつ自身も、社長という立場に身を浸した結果、汚い大人の流儀に染まっている節がある。
「はあ……」
「それで本題だが、扇しゃこ。君の生い立ちについては既に調べた」
「…………………………っ!」
扇さんの動きが硬直する。単に、経歴を洗われたことに対する警戒心だけがそうさせるのではない。
彼女は、探られたくない過去がある。
「生家である京都のこと、上等高校で相談役を名乗る男に入れ込むきっかけになった事件、などなどな。あの男……紫崎雪垣については言いたいこともあるが、しかし他人の恋路に横槍を入れるのは無粋だからな、何も言わんさ」
「それで…………わたしに何を?」
「君の生家についてだ。刺青職人の生まれだろう? わたしはその点を重視している」
「…………………………」
話が見えない。それを理解してか、花音は話題を大きく迂回させた。
「今、大阪都天京区では公営カジノを含む総合リゾートが運営されているのは知っているだろう? それに触発されて、各地でカジノの誘致活動が活発化していることも」
「タチバナグループも、それに名乗りを上げると?」
「いや。わたしは賭博を好まない。あれは商業形態としては極めて不浄だ。大勢を貧させ、一部を肥えさせる間違った商売のやり方だ。だがカジノを除いた総合リゾートというありかたは模索している」
無論、タチバナグループは大企業だ。花音が興味を抱かずとも、日本で大きな動きとなっている総合リゾート事業について無視はできない。そもそもタチバナグループはその前身が観光業でもあるし。そこで花音は総合リゾートから悪性であるカジノを取り除いた健全なリゾートを計画している、ということだろう。
そこに扇さんがどう絡むのか、まだ見えてこないが。
「この手の総合リゾートは外国人を多く動員し、外貨を獲得するのが最大の狙いだ。ゆえにいかにも日本らしい目玉を揃える。普通のカジノやリゾートなら東南アジアにもういくらでもあるからな。それで、わたしは我がグループの総合リゾート計画に、アーティスティックな一面を加えようと思っている」
「………………アート?」
「和彫りの刺青だよ。日本人はともかく、外国人は刺青に抵抗が少ない。本場日本で和彫りができる。これは大きな売りになる」
それで扇さんか。
「もちろん、実際にこれをやろうとすると法律をいくつか変えないといけない。だが最近はボディペイントもあるからな。むしろ手軽にできるボディペイントの方が幅広い層に受けるだろう。最近、立ち上がったばかりの新興の塗料会社に夕月化学というのがあって、そこがその手の顔料を開発しているんだ。さっそく資金援助をして、開発成功の暁には我が社が独占契約できるようにしている。なんでもお風呂に浸かっても落ちないんだとか。温泉は普通刺青禁止だが、このボディペイントがあれば刺青も温泉も気軽に楽しめる。外国人受けはいいだろう」
「だが話が見えないな」
話がわき道に逸れたので、僕が軌道に戻す。
「それでどうして扇さんなんだ? それこそ彼女の生家について調べたなら、そこの一門に話を通せばいいだろう?」
「通そうとしたんだ。しかし調べるとどうもきな臭い。ま、刺青なんてそれこそ今はヤクザでも入れないだろうからな。いろいろ、資金面をやりくりするのに臭い仕事もしているんだろう。だがそんな面倒な連中を引き込むのは御免だ。そこで、連中由来の技術を持ち、かつ後ろに臭いところのない彼女に白羽の矢を立てた、というわけだ」
「でも…………わたしは」
「分かっている。あくまで一門の生まれというだけで、厳密には技術を習得しているわけでもないだろう。だから我が社が支援する。投資する。もし君が我々の提案にうなずいてくれるのなら、美術系の大学への進学を補助しよう。もし総合リゾート計画自体が白紙になっても、芸術家として身を立てられるまでは援助する。それらを確約しよう」
「……………………」
どでかい話だ。ここまでの美味い話はそうない。だが、花音が本気で扇さんを口説きにかかっているのは、長い付き合いだから僕にも分かる。
「資源に恵まれているわけでもない上に使い方も下手なこの国で、もっとも投資するべき対象は人間なんだよ。人間に投資し、人間を使わないではこの国では生きられない。我々は十分な討議の結果、君ひとりにそれだけの投資をする価値を見出している。無論、先に言っておくとこれは投資だ。その結果、我々が損をしたとしてもそれは我々の責任。君には成果を期待するが、成果を強制したりはしない」
「………………………………」
さて、どう出るか。
扇さんの現状は、正直あまりよろしいとは言えない。過去の事件で天涯孤独の身になっている。経済面は今のところ問題ないが、それもいつまで大丈夫かは不透明だろう。花音の話には乗って損はない。
「いえ、わたしは………………」
しかし、扇さんは首を横に振った。
「わたしにはまだ、将来のことは……」
「そう言うと思った」
花音は特に予想外でもないのか、軽く肩をすくめるだけだった。
「言っただろう。君のことは調べたと。それは君が抱える現在の葛藤も含めて、だ。今の君がわたしの申し出に乗る可能性は低いと思っていた」
言って、ウーロン茶の入ったグラスで唇を湿らせる。
「今日のところは話ができただけよしとしよう。後で話した内容を書面に整理して送っておくから、その気になったらいつでも乗ってくれ」
「……………………はい」
「ただし」
とはいえ、釘を刺すのも忘れなかった。
「人間が無限の可能性を持っている時間は短い。時が経てば経つほどに、我々のできる支援は限られたものになってしまう。時間制限をつけるつもりはないが、その点は覚えておいてほしい」
「…………………………」
まあ、これは実質、大学の進路を決める段階ではっきりさせろということだろう。学生の扇さんを美術系の学校に入れて支援するのと、大人になった彼女を支援するのでは、難易度が桁違いだからな。決めるなら早い方がお互いのためだ。
「それで、お前にも本題だ、瓦礫」
「だろうね」
話は僕に飛ぶ。
「お前は悠長なことを言わせん。今決めろ」
「もっと優しくしてくれよ」
「高校三年生の八月まで進路を決めないやつに優しくする意味はないな」
「さいで」
それもそうだ。これは僕が悪い。
扇さんの本題と違い、僕に対してはあらたまる必要はないと思ったのだろう。花音はトングを掴んで肉を焼きながら、ざっくばらんな態度で口にする。
「瓦礫、お前、探偵にならないか?」
くしくもそれは、本日三度目のお誘いだった。
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