7 次の冒険まで
猫目石瓦礫と、結局名前も名乗らなかった真剣師の少女との対決から、しばらく後。
鳥羽高校主催の
そんな喧騒を避けるようにして。
どっぷりと日の沈んだ頃、件の真剣師の少女は控室としてあてがわれていた教室から抜け出し、帰宅の途につこうとしていた。
正門からではなく、裏門からこっそりと。
「…………ふう」
今日も今日とて蒸す熱帯夜。薄着の浴衣姿とはいえ、汗ひとつかかないふりをするのは、少し骨だった。少女は、そんなことを思った。
(しかし…………)
胸中で、彼女は反芻する。
あの男との対決を。
(猫目石瓦礫……事前に聞いていた様子と少し違う)
扇子を手元で開いたり閉じたりしながら、考える。
(タロット館でのあの女の敗因は、あくまで夜島帳という女の手練手管を甘く見積もり過ぎていたことだと、本人は言っていた……。だが、この分だと、猫目石瓦礫の
裏門を出て、ふと足を止める。
(ま……うちは最初から、鵜呑みにはしていなかったけども。それでも長年相棒として連れ添い、長年恋煩った女の言葉。ある程度は信用できると思っていたが……。あの女の目が節穴なのか、それとも猫目石瓦礫の成長速度が驚異的なのか……)
再び、歩き出す。
(普通に考えれば後者か……。あの女に限って、目が節穴ということもないはず。恋は盲目と言うけれど、あの女は……探偵なのだから)
そのとき。
エンジン音が道路に響く。まるで彼女を呼び止めるように。
少女は立ち止まり、振り返る。
「よっ」
「…………これはこれは」
路肩に停まっていたのは、一台の赤いバイク。オフロードバイクをマッシブにしたような見た目だが、少女には正直、バイクの違いなど分からなかった。車種は、以前持ち主がドゥカティのハイパーモタードだと語っていたのを覚えていて、頭の片隅に記憶しているが、その程度だ。
そして、その持ち主。
少女に猫目石瓦礫の存在を教えたその女が、ヘルメットを脱ぐ。
「わざわざ大阪からご苦労なことやね、錦はん」
「ちょっと様子を見に、な」
バイクに乗った女は、夜島錦。
猫目石瓦礫にとって、越えがたく、拭い難い名探偵である。
「会場の隅でこっそり見てたよ。ありゃいいとこ引き分けって感じだったな」
「案外堕ちなくて苦労したわ」
「だから言ったろ? 瓦礫は他の女になびかない。堕とせるのはわたしか帳だけだ」
「よう言う。堕とせなくてタロット館から泣いて帰ってきたくせに」
錦はバイクから下りる。少女も向き直った。
「それで? 結局振られたみたいだな。ぶっちゃけ、あの瓦礫がどう探偵として独立するかってのはわたしも読めなかったんだが、しかしこうもはっきり振ってくるとはな」
「でもええんやろ? 今回の目的は瓦礫くんを探偵として独立すると宣言させることであって、その形式は問わないんやから」
「あれを独立宣言と取るべきかも、悩ましいんだけどな」
「うちは独立宣言やと思うよ? 要するに、どうあっても瓦礫くんは探偵であると宣言したわけや」
「そんなもんかね」
望む結果ではなかった。そう、少女は回顧する。
今回の『篭絡にらめくら』、その目的は猫目石瓦礫を探偵として独立させることだった。もっといえば、彼の進路を「探偵になる」ことであると決めさせる。そこさえ明確になればあとはどうでもいい。自分たちの側につき天京に来ようとも、鳥羽理事長の誘いに乗って『しゃちこほタウン』計画の一端になろうとも。そして、そのどれもから手を切り自分の足で立とうとも。
「じき、警視庁捜査零課から話が飛ぶだろう」
ヘルメットを撫でながら、錦は呟く。
「宇津木博士亡き後の探偵時代、その幕開けにふさわしい面子がそろう。東京の暗号専門探偵『解読屋睦月』。狂気の教育プログラムの生き残り九無花果。元心眼会の巫女で瞳術使いの目童真名子。奈落村事件の生き残り朝山数多。
「他にも探偵を名乗る連中は大勢おるみたいやねえ。そういや、あの紫崎雪垣ってのはどうなんや? 聞いた話じゃ、相談役いうらしいけど」
「さてね。わたしには雑魚にしか見えないんだが。お前はどう思う?」
「うちは少し、おもろいと思うよ」
雑魚、には違いない。ただ、それを言うなら九年前、瓦礫のことも錦は雑魚だと思っていたはずなのだ。いや……さすがに恋焦がれる相手をそんな露悪的な表現でとらえてはいなかっただろうが、しかしこと探偵としての能力は低いと、そう見積もってはいたはずだ。
(慢心は天才の弱点か……。慢心できるからこその天才、とも言えるけど)
しかし、あの紫崎という男は化ける。少女はそう考えた。
(本人を突っついても反応は鈍そうだけど……。後ろにいた女二人をいじめてやればちょっとはやるだろうな)
いつだって、男は愛する女のために全力以上を出せるのだから。
「新しい玩具でも見つけたって顔だな」
「ええよええよ。おもろなってきた。大阪から来た甲斐はあったわ」
「しっかし、瓦礫のやつ、お前がわたしの差し金だって気づかなかったな」
ヒントはあった。他の相手は「雪垣はん」という風に言っていたのに、瓦礫だけはくんとつけて呼んでいた。瓦礫のことをそう呼ぶのは、帳か、真名子くらいしかいないのだ。そこから、何かしらつながりを見出すことはできる。
「いーや、あれはたぶん気づいとるよ。気づいて、泳がされた感じがしとった」
「そうか? まあ、お前が言うならそうなんだろうな」
ヘルメットを被り、錦はハンドルを握る。
「じゃ、わたしも帰るかね。新幹線のお前と違って、こっちはバイクだから早く帰らないと明日が辛い」
「そ。ほなまた」
エンジン音をふかして走り出すバイクを見送ってから、再び少女は歩き出す。
(猫目石瓦礫……)
思い出すのは、あの高校生探偵の顔。朴訥として、そのくせ、どこか意志が強く強情そうな瞳の男。
(もっとからかったらよかったな)
スマホが着信を告げる。少女は懐からスマホを取り出した。
(もし……。わたしが妹だって教えていたらどんな顔をしただろうか)
スマホの画面には、着信先の名前が出る。
『紫崎石垣』
「ああはいはい。出る出る。うっさいわ」
こうして。
結局名前を名乗らなかった少女は、瓦礫たちのもとを去る。
彼女は何者なのか?
再び瓦礫たちと出会う日は来るのか?
それはまだ、分からない。
今はただ、新学期までの残り数時間。
夏休みを、続けるだけ。
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