6 探偵宣言

 僕という人間はどこから始まったのか。

 幼少期、強盗に両親を殺されて、その死体と一週間ばかり一緒に暮らしたのがことのはじまりだったと言えなくもない。

 その後、保護者になる悲哀に誘われるがまま家族ごっこを始めたのが最初だったと言うこともできる。

 小学校に入った頃、夜島錦に引っ張られるまま探偵をしたのが端緒だったかもしれない。

 だが、どれも違うのだ。

 ことのはじまりは、あのとき。

 

 僕が小学校三年生のとき、クラスメイトが教室で死んだ。首をカッターナイフで貫かれて。教室の扉と窓は施錠され閉められていて、誰も入ることはできない。

 密室となった教室に、死体がひとつ。

 錦は……あいつはすぐにこれを他殺と睨んだ。当時すでに、天才小学生探偵という名をほしいままにするあいつの一言は、警察の捜査方針すら大きく変えるほどだった。他殺の線で警察は捜査を開始するが、数か月経っても、決定的な証拠は見つからない。

 あいつは捜査に行き詰った。それ自体は、別に珍しいことじゃない。あいつが捜査に詰まるのは、何度か見てきた。最後には、ちゃんと解決することも。ただ、今回に関しては違うと思った。どうしてか僕は、あいつは事件を解決できないんじゃないかと思った。

 そして錦は、いつも欠かさなかった帳へのお見舞いを、僕に任せるようになった。イライラした状態で帳に会うのはよろしくないと、小学生だてらに気を利かせたのだろう。ずっと病室にいる帳に、イライラした姿を見せても仕方のないことでもあるし。

 だが、そこが分岐点。

 僕は初めて、帳と二人きりで会うことになる。そこで、彼女に問われた。

「あなたは、どう思う?」

 それが、僕という人間の、猫目石瓦礫という探偵の始まりオリジンだった。

 錦という探偵をその椅子から引きずり落とし、僕が座る、そんなことの始まり。

 それからは、あっという間だった。多くの事件に巻き込まれ、多くの人と会って、多くの死を見て、多くの生を実感してきた。

 先進的体験型娯楽施設では、社長令嬢だった橘花音の命を狙うテロリストと丁々発止やりやったこともある。そこで妹になる哀歌とも出会い、家族ごっこは家族になった。

 新興宗教の総本山たる閉鎖された村に拉致されたこともある。そこで出会った数多くんたちと協力し、燃え盛る村を脱出し、僕は瞳術を得た。

 帳が通っていた女子校にその新興宗教の残党が迫ったとき、潜入して残った巫女と直接対決したこともある。千里と会ったのは、それが初めてだった。

 哀歌が悲哀を捜索する過程で救難信号を発し、吹雪で閉ざされてしまった洋館へ降り立ったこともある。そこで愛珠や藍也さんたちと出会い、悲哀がしてきたことの大きさを知った。

 台湾では帳が誘拐されたのをきっかけに、地元のマフィアと人身売買組織の抗争に巻き込まれたこともある。結局、組織ひとつを丸々潰すほどの大立ち回りを演じさせられるはめになった。

 そして。

 タロット館事件。

 探偵代理を自称していた僕は、探偵になった。

「わたしは愛してる、あなたを。他でもないあなたを。あなたはどうなの?」

 あのとき。タロット館で錦から言われたこと。想定外の、しかし、本来は想定してしかるべき告白。

 それを拒絶し、帳の傍にいることを選び、今がある。

 ここまでの、夏休みが。

 帳が部長を務めたグルメサイエンス部に持ち上がった跡継ぎ争い。

 突然やってきた笹原の持ち込んだ、ちょっとした謎。

 愛珠と上等高校の面々が仲良くなるために実施された、ドッジボールという名のリンチをかいくぐり。

 探偵たる僕にしても珍しい、不幸体質を持つ㐂島きじまさんと会って鳥羽高校の不可解さを知って。

 哀歌に振り回されるまま東京へ行き、そこで目的を同じくする無花果くんと会い。

 彼女の師匠である白刃さんを見舞ったその場所で、ありうべからざる真名子との再会を果たす。

 過去の事件を慰撫する中で、数多くんたちと再び浮き上がる心眼会の影を見て。

 夢の中で、確かに麻布まふさんと会って、話をする。

 そして今日にいたる。

 これが、これこそが僕。猫目石瓦礫という男の、驚くべき、しかし些細な日常なのである。

 そしてそんな日常は、終わりを告げようとしている。

 夏休みは終わり、明日から、新学期だ。

 その前に、宿題は終わらせないとな。

「さっきからあんさん、他人の話ばっかりや」

 真剣師の少女はくすりと笑う。

「自分語りと武勇伝は男の花や。ま、たいていの男いうんは、しょーもない、ちゃちなことしか語れへんのやけども。でも、あんさんは名探偵めーたんてー、やろ? だったらうちをこそばゆくさせるような、面白いお話のひとつでもあらへんの?」

「タロットの大アルカナを、山札にして一枚ずつめくっていくようなものだ」

 僕は、カードを引くようなジェスチャーをする。

「残ったアルカナが僕を示す」

 そして山札に残るアルカナは、『戦車』

 闘争と勝利、自己葛藤のアルカナ。

「僕の周りにいる誰かを語ることは、僕を語ることだ」

「ふうん。無骨しゃいなんやねえ。うちはそういう男の方が好みやね。でも……」

 そう言って。

 彼女は。

 僕を見た。

 睥睨する。

「うちはそうやって、周りの誰かにされるのは嫌や」

 黒真珠のごとき、大きくこちらを見据える輝かしい瞳からは、一切の感情が見えない。

「なあ、瓦礫くん」

 ばさりと。

 扇子を開いて口元を隠し、目だけでこちらを見つめてくる。

「これはゲームや。どちらかがどちらかをいうゲーム。女を口説くのに他の女の話を持ち出してきたときはさすがに驚いたわ。でもな、ゲームやからって、無下にされて笑ってられるほどうちもお人よしやないで?」

「生憎、僕に女を口説いた経験はなくてね。僕なりに精一杯、やっているつもりなんだ」

 いい感じに、焦れてきたな。

 たぶん、そうだろうと思った。彼女は、その美貌と才気ゆえに、他人から無下にされるという経験に乏しいのだろう。だからこそ、こうして僕が彼女をそっちのけで話せば、焦れてくると踏んでいた。

 自信満々の女がどういう反応をするか、何となくわかる。

 錦がそうだったから。

「ところで君は、天京の真剣師だというけれど、具体的にどこかの組織に属しているということか?」

「…………ふうん?」

 唐突に話が自分のことになって、やや彼女の反応が遅れる。

「どうしてそう思うん?」

「さっきも言っただろ。僕の知り合いに真剣師の一家がいるんだ」

「黒鵜一家、ねえ。とっくに廃れた思うとったけど、ひょんなところに弟子を作っとるもんやなあ」

 その点については、あまり突っ込んでほしくないがな。哀歌にこれ以上、真剣師としての道を歩ませたくない。

「ま、そんなところや。東の金烏くろうに西の玉兎うさぎ言うてな、一昔前は花盛り、やったらしいわ。うちはよう知らんけど」

 まあ、考えてみれば当然か。真剣師の一門が黒鵜一家だけのはずもなし。何かしらほかに、あるだろうとは思っていた。しかし裏稼業だったかつてはともかく、天京では賭博が合法になっている。むしろ今こそ最盛期でもおかしくないはずだが……。「一昔前は花盛り」とはどういうことだ……。

 あるいは……賭博が合法化されたからこそ真剣師が駆逐される、ということもあるのだろうか。

「なあ、瓦礫くん」

 そこで、彼女はある提案をした。

「あんさん、これからどうするつもりなん?」

「……これから?」

「探偵として、どうするつもりなん?」

「…………………………」

 扇子で隠した顔から、黒い瞳を覗かせて、彼女はこちらをじっと見る。

「まさか大学出て、普通に就職しますなんて道筋るーと辿るわけないわな。それが無理なことくらい、あんさんが一番よう分かっとる。せやったら、探偵としてどう立つかが、大事なんちゃうん?」

 言って、彼女は袂から一通の封筒を取り出した。

「天京……いうより大阪はな、探偵嫌いの土地や。探偵が嫌いいうより、えりーとのいんてりが嫌い、いうんが正確やなあ。元々そういう土地柄やったのが、ここ最近特に強うなってな、うちもやりづらいわ」

「やりづらい?」

「うち京都の出だもん。京都と大阪はただでさえ仲悪うくていかんのに、真剣師なんて一番いっとう嫌われるわ」

 そういうものだろうか。その辺は地元民じゃない僕には理解しがたい感覚だ。京都出の神園刑事なら分かっただろうか。

「せやけど、探偵が必要なんは分かるやろ? 大阪都天京区。町一面が賭博と歓楽の都になって、ほのぼの平和ですいうわけにはいかん」

 封筒が、ルーレット台の上を滑り、僕の手元にやってくる。

「…………これは?」

「招待状。うちから、瓦礫くんへ」

「……………………」

「瓦礫くんの独立独歩、うちで支援したってええ。天京に来いひん? あそこは事件の入れ食いや。警察の捜査に食い込むんが少々難儀やけど、それさえなんとかしたら後は好き勝手」

「それをして、君にメリットはあるのか?」

「あるよお? 真剣師としても、変に事件に巻き込まれて消耗すんのは嫌やし。後ろ盾がある方がええ」

 ふむ……。真剣師なんて仕事をしている以上、普通よりは厄介ごとに巻き込まれる可能性は上がる。その厄介ごとの中には、探偵に頼るべき事例も少なくない。だから探偵が欲しい、と。

 まさか彼女一人の一存ではあるまい。さっきちらりと出た、彼女の属するだろう真剣師の一門全体が、探偵を欲しているというわけだ。

 封筒に手を伸ばす。

 しかし、僕の手は彼女の言葉に制される。

「ただし」

「……ん?」

「それを手に取るんやったら、あんさんの負けや」

「負け?」

「女の恋文受け取ったら、それは惚れた言うことやろ」

 その理屈はどうなんだと思わなくもないが……。ここで重要なのは、ゲームの主導権全体を彼女が握っているという事実だ。そもそもがこの『篭絡にらめくら』自体、彼女の提案によるもの。言ってしまえばルールも何も、彼女の采配次第である。だからこれはギャンブルでもゲームでもなく遊び、と表現するのが適切な何かだ。

 永人には単純明快な色仕掛け。雪垣には嫌がらせの引きずり落とし。そして僕には商談ビジネスか……。たったひとつの遊びで、こうもやりようがあるとはな。

 この切れる手札の多さこそ、彼女が真剣師であることの証。プロのギャンブラーとしての実力の表れか。

 さて…………。

 ここで封筒を受け取ってしまうのは簡単だ。僕の将来的な展望を考えても、それが最良ベストかどうかはさておき、優良ベターなのには違いない。彼女は僕を後ろ盾と称したが、実態としては彼女と彼女の所属する、大阪都天京区を領土なわばりとする真剣師一門を僕が後ろ盾にするようなものだ。その真剣師一門の存在すらあやふやだが、まだ僕と同年代の彼女の実力を考えれば、強大なのは間違いない。

 だが、ここで封筒を受け取るということは、力関係が確定するということでもある。なぜならこれは商談でありながら『篭絡にらめくら』の最中なのだから。この封筒を受け取るということは僕が彼女に「惚れた」と宣言するということであり、恋は惚れた方が負けなのだ。さらに言えば、ここには大勢の見物人がいる。無関係の大勢から、後輩の笹原に扇さんまで。これすなわち、高校生探偵猫目石瓦礫が相手の軍門に下ることを、明確に示すということだ。

 受け取れば将来が決まるが、同時に僕は常に相手に頭を下げなければならなくなる。言うなれば格付けが決まるということ。一度ついた格付けは、簡単に覆せない。

 僕が今をもって、探偵の代理を返上しながらも錦より優れた探偵だとは思えていないように。

「……僕は朴念仁だし、鈍感だ。それでも、自分の上に立たせてはいけない相手くらいは分かる」

「男として?」

「探偵として、だ」

 僕はスラックスのポケットから封筒を取り出す。さっき、理事長にもらったやつだ。

「それは……」

 真剣師の少女は目を細めた。

「あかんなあ。一手違いか。先に誰かさんにツバつけられとったわけか」

「いや」

 封筒を、重ねる。そして二通の封筒を取り上げ、両手で持った。

「こうだ」

 そして、僕は封筒を二通とも、破り捨てた。

「ぼやけているんだよ、誰も彼も」

 結論は、出ている。

「誰も彼も、僕が探偵をしている理由を勘違いしている。僕は事件を解決して悦に浸りたいから探偵をしているわけでもないし、あの宇津木博士の代わりになって注目を浴びたいから探偵をしているわけでもない。当然、名古屋のカジノ誘致を後押ししたいわけでもないし、天京の事件を解決しまくって稼ぎまくりたいわけでもない」

 みんながみんな、勘違いをしている。

「僕が探偵をしているのは、僕がそういう生き物だからなんだよ。理由なんてものはない。かつてはあった。夜島帳の傍にいるという理由が。でもそれは理由になってなかったんだ。帳の傍には、探偵でなくてもいられたんだから。今でもあると言える。不条理を知ってしまったから、それを解いて元に戻したいとは思う」

 だが、それは本質な部分じゃないとも思う。

「僕はなぜ探偵をしている? その問いがまず間違いなんだ。理由を考えるのがまず違うんだ。僕はただ、僕として生きているだけでもはや探偵なんだよ」

 考えてみれば、当然のこと。帳の傍にいたいと思い、錦を蹴落としてからの九年間、探偵であり続けた。子ども時代の九年間は、その後の一生を決めてしまう。今となっては、僕には探偵以外の生き方はできない。

 いや、それも正確じゃない。僕は探偵以外の生き方も知った。夜島帳の恋人として、笹原色の先輩として、木野哀歌の兄として。だが、それは探偵としての僕と不可分なのだ。

 恋人であることは、先輩であることは、兄であること探偵であることを否定しない。そのどれもが、僕という男の一面でしかない。

「探偵は僕にとっての一面でしかない。すべてじゃない。だけど、その一面を僕として前面にすると決めた。だから僕は僕として生きているだけで、探偵なんだ。探偵とは職業ではなく生きざまだ。だから、探偵としてどこかで働くだの誰かの下につくだの独立するだの、そんなのは筋違いなんだよ」

 そしてもう一度、宣言する。

「僕は探偵だ。探偵、猫目石瓦礫だ」

 とはいえ、だ。

「勝負は僕の負けだな」

「………………え?」

 ここで初めて、彼女は呆けたような、驚いたような表情をした。

「ほら、封筒を破るときにしまったからな。だから僕の負けだよ」

「………………あは」

 今度の笑みは、邪悪さはなく、ただ愉快そうなものだった。

「おかしい人や。……………………惚れてまいそう」

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