3 賭博日和

 その日の昼過ぎ。僕たちは連れ立って鳥羽高校へ赴いた。

 この手の乱痴気騒ぎと言えば夜と相場が決まっているが、告知文にもあるようにこの会は健全がウリだ。ゆえに開催は太陽が天高く上る昼となっている。

「こ、これが……」

 扇さんは、会場となっている鳥羽高校の体育館前で呆然としていた。それもそのはず。鳥羽高校の体育館は、ピカピカだったからだ。

 ピカピカ。

 体育館前のロータリーは車一台もなく広々としており、その中央には黄金の像が鎮座している。そしてその像の周囲は噴水になっていて、涼やかに水を吐いていた。

 入場ゲートから体育館入口まではチリひとつない赤絨毯が敷かれ、招待状を確認する鳥羽高校の生徒らしい人たちはみな、きっちりとしたタキシードを身に着けている。

「前来たときはこんなんじゃなかったはずだけど」

 さすがに僕も驚いた。

「遊びで体育館前をこんなにゴージャスにできるとは。鳥羽高校の懐具合が分かるな」

 同じ私立でも上等高校うちとは大違いだ。こっちは部室に空調設備すらないんだぞ。

「さ、扇さん。ここで驚いていたら身が持たない。行こうか」

「は、はあ…………」

 十中八九、だよなあ。以前に見たあの遊戯室の様相を考えれば、待っているのは……。

「やっぱり」

 僕たちが体育館に入ると、待っているのは巨大なカジノホールであった。

 まるでこの部屋だけ、日が暮れて夜が訪れたような清楚で静謐な薄暗がり。それでいてキラキラと、夜空に輝く星のように輝く空間。

 元が体育館だとはまったく悟らせない変貌ぶりだ。

 ルーレットがあり、バカラ台がありブラックジャックがありポーカーがあり、スロットがありビデオキムがあり……。その上、軽食を出すバーカウンターも用意されている。

 舞台の上ではオーケストラがバックミュージックを生演奏している。本物のカジノ、というものを僕は知らないが、そのエッセンスの一部くらいは、再現できているだろうなと思う。

「…………………………」

 扇さんはそわそわとあたりを見回した。あまりの豪華絢爛さに見とれている、というだけではないだろうな。

「………………」

 そういえば、雪垣とマスターはもう先に入っていたな。まったく、扇さんを待ってやればいいのに。扇さんも扇さんで、追いたいが名目上は僕のパートナーとして入っているので、即座に別れるという不義理もできなかったらしい。妙なところで律儀な子だ。

「じゃあ、僕は理事長に呼ばれているから、ここで別れよう」

「あ…………はい、分かりました」

 解散を告げると、案の定そそくさとその場を離れていく。その様子を見送ってから、僕はバーカウンターに移動した。

 実はここに来るまでに、理事長から電話をもらっていた。いや、そもそも僕の携帯番号をどこで知ったのかという疑問もあるが、それはさておき。どうやら僕が無理にでもこの会への出席を拒むのを防ぐため、釘を刺しに来たらしかった。

 そこで待ち合わせの場所を決めていたわけだ。

「いらっしゃいませー」

 バーカウンターではひとりの女性が接客をしていて、こちらに気づいて声をかけてきた。

「お食事ですか? お飲み物ですか?」

「えっと…………ん?」

 その女性、よく見ると。

「㐂島さん?」

「あ、ばれた?」

 言って、彼女は悪戯っぽく笑った。件の不幸体質、㐂島奈々その人である。タキシード姿なので判別に手間取った。

「何やってるんですか、こんなところで」

「バイトだよ。時給がよくって」

「……そうですか」

 てっきり例の八葉永人ハッチーと一緒に遊ぶ側で来るものだと思っていたが……。

「猫目石くんは理事長に呼ばれたの?」

「そんなところで……」

「さっき一緒にいた子は? 可愛かったね、彼女さん?」

 質問が下世話だなこの人も。

「いや、彼女はただの知り合いですよ。ちょっと訳ありで」

「えー、ほんとー?」

 なんで深掘りしようとしているんだ。

「それより、まだ昼を食べていないんです。何か食べさせてくださいよ」

「はーい。サンドイッチあるよ」

 軽食はシンプルでありがちなタマゴサンドとハムサンド、それから飲み物は、薄緑色のカクテルみたいなものが届いた。飲んでみると、カルピスメロンだ。

「…………なるほど」

 カウンターの奥にビールサーバーみたいなのがあるなとは思っていたが、ファミレスにあるようなドリンクバーだったか。まあ、健全な会らしいと言えるか。

「やあ、猫目石くん」

 㐂島さんは他の客の相手で忙しくなったので、適当にひとりでサンドイッチをつまんでいると、後ろから声をかけられる。振り返るとそこには、鳥羽理事長がいた。

「うわ出た」

「君、私相手だったら何言ってもいいと思ってないかい? 一応私も傷つくんだよ?」

 それはともかく。

「久しぶりだね。どうやら夏休みの間、さらに多くの事件に巻き込まれたようだ」

「よくご存じで。耳が早いですね」

「県内の、高校生が巻き込まれた事件は特にね。これでも教育者だから」

「教育者の自覚があるなら、こんな会は催さないですけどね」

 とはいえ、きれっぱしくらいは教育者としての矜持が残っているらしい。だからこそ、違法賭博で自分のところの生徒が逮捕されたことを、少しは気に病んでいるのだろう。

「それで、僕を呼んだ理由は何ですか? 僕の進路に今回の会は、何か関係でも?」

「相変わらず、すぐ本題に入りたがるね。もっとこう、少しは会話というものを楽しみたまえよ。………………㐂島くん」

 鳥羽理事長は㐂島さんを呼んで、ドリンクを給仕サーブしてもらう。そのままそそくさと去ろうとする㐂島さんだったが、あわれ、鳥羽理事長に捕まった。

「君たちは、日本で唯一のカジノがどこにあるのか知っているかね?」

「えっと、大阪、ですよね」

 おどおどと㐂島さんが答える。

「大阪都天京区、でしたっけ。大阪湾の人口埋め立て地だった夢洲が、都構想で独立した区になったとか……」

 その辺りは、以前、『パラダイスの針』に藍也さんが爆弾を抱えてやってきたときに調べたな。…………いや、あらためて考えるとあの人とんでもないことしてるな。

「そう。日本で唯一の総合リゾート、すなわち公営カジノがあるのが大阪だ。君たちがまだ小学生くらいのころから、大阪は万博とカジノの誘致に必死でね。万博の方はタイミングも悪くてうまくいかなかったが、都構想が実現したことでカジノの誘致に成功した。以来、あそこは日本におけるカジノ特区のモデルケースとして、研究者や企業人から注目されている」

「……………………」

 そんなに物珍しいのか? まあ、確かに僕が小学生くらいのころ、なんかそのあたりごたごたしていた印象はあるが……。政治について多少詳しくなるだろう中学生から高校生時分にはもうカジノはあったから、なんか、あって当然、くらいの感覚なんだよな。

「では今度は少し難しい。今、日本に唯一カジノがあるのは大阪だが、大阪のカジノを受けて、全国でカジノ誘致の機運が高まった。今、カジノを誘致しようと運動しているのはどこかな?」

「名古屋、ですよね」

 僕が答える。これも藍也さんの件で知った。あのとき、偶然(いやおそらく誘致派の自作自演だが)に反対派がデモ行進をしていたからな。

「令和区にカジノを誘致するとか」

 そこまで言って、思い出す。

「あ、そういえば横浜でも誘致運動と反対派のデモを見ましたね」

 以前、愛珠とある目的で横浜に行ったときに見たのだ。今の今まで興味もなかったから忘れていたが。

「あと、長崎のハウステンボスがやってるってこの前テレビで見たよ」

 㐂島さんも答えた。

「他には……。そうそう、和歌山のマリーナシティ。大阪のすぐ近くだけど、逆にそれが相乗効果を狙えるって大学の講義で紹介されてた」

「ふむ。君たちはちゃんと政治と経済にも目を向けているようだね」

 どうやら、理事長の満足するような答えだったらしい。

「愛知県は少し複雑で、県と名古屋市が互いに誘致をしているね。名古屋市は猫目石くんが言ったように令和区に『しゃちこほタウン』計画が持ち上がり、県は常滑市にある中部国際空港セントレアへの誘致を『カジノ・セントレア』計画として立てている。横浜は山下ふ頭の再開発にカジノ『横浜賭博街』計画を盛り込むかどうかで喧々諤々の議論中。あとは㐂島くんの言ったとおり、長崎はテーマパークのハウステンボス内にカジノを建てる計画を立案中、和歌山はマリーナシティに、という具合だ。北海道や東京は、少し前に辞退したが……カジノ誘致自体、首長が変われば潮目が変わるような代物だからどうなるか分からない」

 そんなことになっていたのか。全然知らなかったな。せめて県内のことくらいは知っておけという話だが……。

「ところで、猫目石くんはカジノというものをどう考えているかな?」

「それは……………………」

 少し考える。カジノどころか、賭け事と無縁の人生だったからな。

「正直、あまりいいものだとは思ってませんよ。僕はあまり、そういう人を見てはいないんですが、ギャンブルで身持ちを崩す人は後を絶たないわけでしょう。競馬、競輪、競艇、パチンコ……。今あるギャンブルだけで手いっぱいだろうに、どうしてカジノまで欲しがるのやら」

「ひとつには、外貨の獲得がある。外国人観光客をカジノに入れれば、稼げるというわけだ。もっとも、アジア圏にはマカオだのシンガポールだの既にあるからね、天京がどこまで稼げているかは怪しい話だ」

「………………」

 日本はここ最近の不景気で物価が安い。だから外国人観光客もそれなりに来るのだが……。

 観光立国、というほどの国もないからな、ここは。観光で金を稼ぐノウハウがあるわけじゃない。ましてやカジノとなると、身に余る玩具だ。

「だが本当の目的は、やっている感、なんだろうね」

「やっている感……」

「そう。本質的に、今の日本をよくするなら金持ちから税金をたんまり取って、貧乏人に分け与えればいい。金がすべてとは言わないが、金で解決できる問題というのは実のところかなり多い。だが国はそれをしたがらない。政治家は国家でも国民でもなく、金持ちの奉仕者だからだ」

 ゆえに、本質的に国をよくする行動を取れない。それは、主人たる金満家たちにとって常に不都合だから。

「いわばパンとサーカスだ。よく分からないけどきらびやかで、自分たちの閉塞感をなんか破ってくれそうなもの。それっぽい何か。それがカジノ」

「………………」

 なるほど、ギャンブルふくめ、花音が嫌がりそうなわけだ。あいつは、そういう表面だけのものを嫌うタイプだから。

「逆にカジノを作ることで生じるデメリットというのも、当然ある。誘致派はそういった問題をぼかすが、しかし、うまみだけしかないものというのは、ない話だ」

 さながら、健康にいい青汁がどうしてもまずく、逆に美味で中毒性のあるジャンクフードが健康に悪いように。良い点と悪い点は常に表裏一体だ。

「典型的なのは、治安の悪化だろう」

「観光客が増えるからですか?」

「そうだね。外国人だろうと日本人だろうと、一か所にそれまで以上の人間が多く集まれば、治安の悪化は避けられない。それだけでなく、カジノは常に後ろ暗いものと無縁ではいられない」

「ああ、ヤクザですか」

 台湾で散々、そういう話は履修済みだ。

「大きな利権の裏には必ず非合法の組織がいる。特に天京区は町全体がひとつの歓楽街だ。公営カジノだけでなく、大小さまざまなカジノやアミューズメント、風俗店が軒を連ねている。当然、そこにたかるヤクザもたくさんいる」

 そしてシノギを奪い合い、争いになる。

「そこで、だ」

 鳥羽理事長は、ジャケットから一通の封筒を取り出した。

「名古屋市警は『しゃちほこタウン』計画の主宰者たる石動いするぎ不動産と組んで、治安対策を計画に組み込んだ。それが警察組織への探偵のだ」

「探偵の…………?」

「宇津木博士。あの、国内唯一の探偵が公認ではなくだったのと大きく性質を異にする。警察は探偵と組んで、より多くの事件を解決する。令和区はカジノ特区であると同時に、日本で初の探偵活動公認特区となる。さらに、探偵の育成を主眼に置いたD計画も動く」

「……………………」

 差し出された封筒を、受け取る。

「君はその最初の名探偵であり、先兵として選ばれた。猫目石瓦礫くん」

「すごいっ!」

 カウンターの向こうで、㐂島さんが自分のことのようにきゃっきゃと飛び跳ねる。

「探偵としての就職先が決まったね!」

「…………ええ、まあ」

 進路に関する話とは、つまりこれか。……なんで鳥羽理事長がその『しゃちほこタウン』計画とそれに付随する探偵実装計画に噛んでいるのかは、聞いても仕方ないな。この人なら、何に絡んでいてもおかしくないし。

「今すぐに結論を出す必要はない。『しゃちほこタウン』計画もまだ途上だからね」

「そもそも、誘致が失敗に終わる可能性もありますよね」

「その点は、心配ないだろう。名古屋は今の首長が安定して長期政権を取っているし、仮にカジノ誘致が失敗しても、探偵実装計画自体は別に動く予定だ」

 つまり、カジノ誘致による治安対策という名目を失っても、別の名目を利用し探偵実装自体は続けるということだ。なら、梯子を外される心配はしなくてもいいのだろうか。

 僕は封筒を、スラックスの尻ポケットに突っ込んだ。

 そのとき、理事長は腕時計で時間を確認する。

「そろそろ、スペシャルプログラムだな」

「スペシャル……?」

「件の、真剣師が到着するころだ」

 そういえば、告知文にそんな話も書いてあったな。

「真剣師って?」

 㐂島さんが僕に聞いてくる。ギャンブルをする学校の出身でも知らないのか。

「真剣師って言うのは、プロのギャンブラーですよ。まあその中でも、賭け将棋なんかをする人たちがそう呼ばれる場合が多いですが」

 真剣師、と言えば思い出すのが黒鵜一家。哀歌の師匠にあたる、東京出身のあの好々爺、黒鵜白刃さんだ。ふむ……そりゃあ、日本に真剣師の集団が黒鵜一家だけしかないとは思っていなかったが……。大阪の真剣師ということは、黒鵜一家とは別の……。

「これより、スペシャルイベント、開催ですっ!」

 ステージではいつの間にか演奏が終わり、オーケストラは撤退していた。その代わり、立っているのはひとりの女子生徒。上等高校の制服であるポロシャツとスラックスに、赤いヘッドフォンを首にかけたあいつは……。

「あれ? 笹原?」

 僕の後輩で、今は宿題にひーひー言っているはずの笹原である。なぜここに?

「司会はこのわたし、DJササハラがお送りしまーす。みなさん、急遽開催の賭博日和ギャンブルデイズ楽しんでいただけていますか? ここで事前の告知にもあったように、天京区のカジノで活躍する本物のプロギャンブラー、すなわち真剣師の方にご登場していただきましょう!」

「……………………そもそも」

 笹原の前口上を聞きながら、僕はごちる。

「なんで真剣師なんて呼んだんですか?」

「真に賭博を生業とするものと、所詮もめごとの解決程度しかしない自分たちとの間に大きな差があると、知ってほしかったからだ」

 鳥羽理事長はそう言った。

「中途半端な悪人は、真の悪に食い尽くされる。本物を見れば、おろかにも賭けで金を稼ごうと思う生徒もいなくなるだろう」

「荒療治が過ぎませんか?」

 それに…………。その真剣師に憧れたりしたらどうするつもりだ? ……いや、理事長のどこか含みのある笑いは、そうなったらそれはそれでいい、と思っているように見えた。

 本物を見て、くじけ、折れるなら悪さはしなくなるからそれでよし。

 本物を見て、憧れ、目指すようになるなら教育者として望ましいからそれでよし。

 ろくでもない二道の掛け方をする。

 というより、方か。

「それでは登場していただきましょう、どうぞ!」

 ステージの奥から、黒い人影が姿を現す。

 その人影は、強烈なスポットライトを浴び、輪郭を伴うひとりの女の姿を示した。

 現れたのは、浴衣姿の少女だった。

 そして彼女が現われたそのとき、世界が変わった。

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