2 招待状
「…………と、まあ、そういうわけで、僕と哀歌、それからその場にいた人たちの手を借りて、野球部連合の違法賭博をとっちめたというわけです」
高校生最後の夏休み。その、最終日。
てっきりもう少し、感動的で劇的な何かがあるものだとばかり思っていたけれど、そんなことはない。
ただの、休日の一日に過ぎないのだ。
しいて言うなら、どういうわけか僕は今、喫茶店『パラダイスの針』にいるわけだが。
「あなたもいろいろ、変なことに巻き込まれるのね」
店内のボックス席に腰掛けて僕の話を聞いていたのは、京都府警の刑事、神園薫さんである。長身の彼女には、ボックス席はやや窮屈そうだ。
「探偵の性、というものでもあるのでしょうかね」
隣で相槌を打つのは、カウンセラーの町井涼香先生である。このふたりは、上等高校で起きた『殺人恋文』事件の後始末のため、派遣されてきた人たちである。
カウンセラーはともかく、どうして京都府警の刑事が? と思うかもしれないが、彼女は言わば付き添いである。本命は京都鹿鳴館大学の犯罪心理学者、紫木優という男なのだが……。
「そういえば僕は結局、その犯罪学者先生とほぼ会っていないんですけど」
元をただせば今日、彼に会えるという公算もあってここにいるのだが。
「彼なら」
神園さんがグラスを置く。どうもどうやら、神園さんと件の犯罪学者はただの刑事と捜査協力者以上の仲らしい。それは朴念仁と呼ばれがちな僕でも、だいたい想像がついた。
「別の事件の後始末でちょっとね」
「別の……」
僕たちはちらりと、カウンターを見る。カウンターの奥の厨房では、店の主である二人がせかせかと動いている。
すなわち、マスターの葡萄ヶ崎伊利亜さんと、その恋人であり上等高校の相談役を自称する男、紫崎雪垣である。
「えっと、何の事件だっけ?」
「『十六歳の母連続殺人事件』ですよ」
僕の隣に座った少女が、小声で指摘する。言わずもがな、自称相談役の
「ああ、確かマスター、死体を見たんだっけ?」
「そうですよ。だからあまり大声でその事件の話しないでください」
「へいへい」
気遣ってもらえていいなあ。僕なんていつも「またか」くらいのノリなのに。
「それにしても…………」
扇さんがため息を吐く。
「こう考えると猫目石先輩、夏休みだけでどれだけ事件に巻き込まれているんですか?」
「まあ、あらためて並べると数がおかしいよな」
「『ふさわしいレシピ』事件みたいに大したことないものや、『切槍愛珠襲撃事件』みたいに自分から仕掛けたものもありますけどね。でも量が多すぎます。これに加えて『ミステリアスラグーン』事件と『偽王子』事件もなんて……」
「あの事件、そう呼んでるんだ……」
僕はいちいち事件に名前なんて付けないからなあ。その辺、笹原のやつも適当というかなんというか……。だから事件の名前を凝りたがる扇さんの趣味趣向は物珍しくもある。
「その上、鳥羽高校の違法賭博事件ですか」
「そんなところだ」
今日、僕が神園さんたちに呼ばれたのは、特にその違法賭博周りの事情説明があったからだ。
問題の違法賭博は、鳥羽高校の野球部が中心となって行っていた。その辺りはSEASON2参照なのだが、連中、東京への合宿の際、他の野球部も巻き込んで大規模な違法賭博を仕掛けていた。それに青龍学園も巻き込まれたので、統一風紀委員会として哀歌が動いたというわけである。
その一連の中で、どうやら上等高校の野球部も違法賭博をしているのではないかという疑惑が浮上したのである。詳しい調査は学校に一任するとして、問題浮上の原因である鳥羽高校、そして東京の合宿所の一件について、僕は説明を要求されたのだった。
刑事の神園さんがいるのはそういう事情だ。まあ、この人は捜査一課だから管轄外だろうとも思うが。
「ところで先輩」
ストローでグラスの氷をかき回しながら、扇さんが聞いてくる。
「いつもの面子はどうしたんですか?」
「いつもの?」
「夜島先輩達ですよ。そりゃあ、わたしとしては夜島先輩が嫌いなのでいない方がいいですが」
「恋人の前で彼女のことを嫌いってよくもまあ堂々と言えるよね、君」
別にいいけど。
「帳は昨日から検査入院だよ」
「どこか悪いのですか?」
町井先生が心配そうに尋ねた。
「ああ、いや。いつものことです。夏休みの終わりには、学校が始まる前に体の様子を確認しておく必要があるんですよ。あれで元々は病弱だったわけですから」
さすがに入院を挟んでの長時間の検査は疲れるらしく、毎回、戻ってくるとすぐに家に籠って翌日まで出てこない。会えるのは明日の学校だな。
「千里は文化祭の準備でグルメサイエンス部に詰めている」
「文化祭、結局やんの?」
神園さんが首をかしげる。一応、やった方がいいと提言したのはあなたが連れてきた犯罪学者なんだが……。
「その辺はイマイチ不透明なところもありますからね。ごたついているんで、引退した千里もまだ部活に関わらざるをえないという感じで」
「それで、笹原ちゃんは?」
「あいつは夏休みの宿題が終わってなくてひーひー言っているよ」
夏休み中僕にはりついていたツケが回ってきたな、あれは。
「宿題と言うなら、猫目石先輩はどうなんですか?」
じろりと、扇さんがこっちを見てくる。
「全然勉強している様子がないですけど」
「三年生は受験勉強があるから宿題はないよ。もっとも、進路を決めるという宿題をやり残してるんだが」
「最低ですね」
いや本当、どうしたもんかね。
「先輩だって特進クラスに所属できる程度には馬鹿じゃないんですから、適当に国公立でも目指したらどうなんですか?」
「入試中に事件が起きたらどうしよう」
「それ杞憂って言いません?」
いや実際、僕だと杞憂よりはもう少し現実的な不安である。
その辺りの、やる気が出ない事情については真名子が言語化してくれた。そのせいで、逆に「なんか、いいかな」と思って適当になり始めている感じがある。
「本当に探偵にでもなろうかな……」
「探偵になるにしても、大学くらいは出ておいた方がいいのでは?」
「高卒と大卒で収入が変わる仕事でもないからな」
実際のところ、探偵業に需要はあるのだ。なにせタロット館事件の折、日本の探偵業を一手に引き受けていた名探偵の宇津木さんが死んでいるのだから。
「愛知県警はどうだか知らないけど」
神園さんが言う。
「
たぶん、例の犯罪学者先生も捜査に入るのには苦労していたんだろう。そんな気配の漂う呟きだった。
「東京は問題なく入り込めそうなんですよ、宇津木さんの代役として。愛知は僕自身の活動実績があるのでねじ込めますし、三重県警とはこれから、真名子の件で関係を持つのでここからコネを作る感じですね」
そう考えると、僕が探偵になる道筋も結構準備されているわけだ。
割と本当に探偵を目指すのがありな気がしてきた。
などと、言っていると。
店の扉が開き、客が入ってくる。
「いらっしゃい。……あら」
マスターがその客を見て反応する。僕もそっちに目を向けると、そこにいたのは渡利さんだった。
渡利真冬。
奈落村事件の生存者であり、上等高校実行委員会のひとりでもある。つまり『殺人恋文』事件の関係者でもあるというわけだ。彼女もいろいろ厄介な人生を歩んでいる。
「珍しいな。何かあったのか?」
雪垣がカウンターから顔を覗かせる。
「……ちょっとね」
言って、渡利さんは手元にあるものを掲げた。それは黒い二通の封筒だった。
「……なんだそれ」
「さあ? わたしは渡せって頼まれただけ。はい」
渡利さんは雪垣に一通を渡す。じゃあもう一通は誰宛てなんだろうと思っていたが、渡利さんはこっちに近づくと、僕の前にその封筒を置いた。
……………………んん?
「え、僕宛てなの?」
「どうもそうみたい」
「いったい誰から?」
「
それは…………。
「永人が?」
雪垣が反応する。知っているのか?
などと言う僕自身も知っている。名前だけは。
「ハッチーか」
「ハッチー?」
扇さんが鸚鵡返しに聞いた。
「ほら、さっき説明しただろう。不幸体質の
「俺は事件で知り合ったんだ」
事件……ああ、十六歳の母連続殺人事件で。世間は狭いな。
「でもだとして、なんで渡利は永人を知っているんだ?」
雪垣が渡利さんに尋ねる。
「ちょっと、ね」
少し濁すように彼女は言う。
「最近、アニメを見たのよ」
「アニメ?」
「ええ。動かない漫画家がいろいろな事件に巻き込まれるやつ。それに懺悔室ってのが出てきたから、ちょっと見たいと思って近くの教会を調べて行ってみたら、偶然」
嘘っぽいというか、何か誤魔化しているなと思った。渡利さんがアニメなんてキャラじゃない、とは言わないけど。
「そしたら八葉って人に会って、話したらあんたの知り合いだって分かったの。で、本当なら渡しに行く予定だったものを、ついでに渡してくれないかって頼まれて」
「なるほどな」
渡利さんは制服姿だ。上等高校の生徒と知って八葉とやらは話しかけたんだろう。
「きっと渡利先輩、事件を気にしているんですよ」
「ん?」
扇さんが僕に小声で耳打ちする。
「事件の現場の近くに、その八葉って人のいる教会があるんです」
「………………」
わざわざそれで、見に行ったのか。気を回す人だな彼女も。
「それで、雪垣のやつはいいとして僕の分はどうして持ってきたんだ? 僕は八葉って人を知らないし、普通に渡しそびれる可能性の方が高いと思うけど」
「先輩の㐂島って人に連絡を取ってもらうつもりだったって聞いたけど」
「あ、そっか」
㐂島さんの連絡先は知っているんだったな。
「それにしても……これはなんだ?」
「開けてみてくださいよ」
扇さんに言われて、僕と雪垣は封筒を開いた。
その中身は……。
「
『鳥羽高校生徒、OBOG、そのほか関係者のみなさまへ。
わが鳥羽高校はギャンブルによってさまざまな物事決するという特異な教育方針をとってまいりました。しかし先日、わが校の生徒が違法賭博を行い警察に検挙されるという事態が起きてしまいました。この件を我々理事会は深く受け止め、再発防止に取り組んでまいる所存です。
さて、その再発防止策のひとつとして、来る8月31日に急遽ではありますが、鳥羽高校主催の大遊行会、その名も
この会は普段、秘密裏に行っている鳥羽高校のギャンブルを全面に押し出し、我々のギャンブルがあくまで健全なものであることをアピールすることを目的としています。
また、当日は大阪都天京区に位置する日本唯一のカジノで活躍する、歴戦の真剣師をゲストとして招待し、その実力を間近で見ることで金銭を賭けた賭博の難しさと恐ろしさを生徒たちに学習させる機会としています。
当日は是非振るってご参加ください』
「…………鳥羽高校理事長、鳥羽始」
あの人、またなんかやり出したな。
「…………はあ」
さすがに町井先生が頭を抱えた。
「何を考えているんでしょうね、あの理事長さんは」
「さあ、脳髄までギャンブルで頭の詰まった人の考えることは分からないですね」
しかし問題の
「この招待状で俺と、もうひとり連れていけるようだな」
雪垣が中身をあらためる。確かに、招待状にはそう書いてあるな。
「じゃあ、わたしが行こうかしら」
マスターが冗談めかしてそんなことを言う。
「永人くんには、あらためてお礼もしたいし」
「そうですね」
隣で分かりやすく扇さんが膨れた。雪垣のパートナーに選ばれなくてお冠らしい。
………………仕方ないな。正直、僕は鳥羽理事長主催の会なんて行きたくもないんだが。
「連れていくだけなら僕の招待状で行けるよ」
「……………………」
「帳は休んでいるし、笹原は宿題がある。千里はこういうの趣味じゃないからな。僕一人でもいいんだが、もったいないし」
「……………………………………じゃあ、連れてってください」
ものすごい葛藤があったな、今。
「あ、でも渡利さんはいいのかい?」
この封筒を持ってきたのは渡利さんだ。彼女に配達人まがいのことをさせて何もなしなのはどうだろう。
「わたしはパス」
渡利さんは首を横に振る。
「それに招待状なら、一般枠を貰ってるから気が向いたらそれで入る」
「そうか」
ならいいんだが。八葉って人は気が利くようだな。真っ先にマスターを連れて行こうとした馬鹿とは違って。
「あれ、先輩? その封筒、まだ中身がありますよ?」
扇さんが封筒を指さす。言われて気づいた。雪垣のやつには告知文と招待状しか入っていなかったが、僕の封筒にはさらにもう一枚、手紙が入っていたのだ。
「これは……」
『猫目石瓦礫くんへ。君の進路について大事な話がある。必ず来てほしい。鳥羽始』
………………どうやら、季節外れのインフルエンザは使えないらしい。
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