2 墓参り

 僕と夜島帳が正式な恋人関係を結んだのは、タロット館事件の後になる。つまり、高校三年生の八月上旬くらいから、ということだ。知り合ったのは小学校入りたてくらいの頃だから、そこから苦節十数年、ようやくの関係性ということである。

 じゃあ、しかし。

 だからといって、僕たちの付き合いがそれまで浅かったとのかと言えばそうではない。

 どういう事情があるのかは知らないし聞いてもいないが、僕の保護者であるところの木野悲哀と、帳の父である牙城さんは旧知の間柄なのだとか。そのつながりで、実はけっこう昔から家族ぐるみの付き合いをしている。

 それだけではなく、毎年正月になると夜島一族の集まりに僕も呼ばれたりしていた。だから帳の従姉妹衆たちとは馴染みの仲なのだった。

 ただ、そんな僕でもあまり知らないし、踏み込まなかったこともある。

 それが帳の母親のこと。

 夜島麻布まふさんのことなのだった。

「母は」

 タロット館から帰った後のこと。

 僕はいろいろな話の流れで、そのことを聞いた。

「わたしを産んですぐに亡くなったらしいの」

 僕が知っているのは、その程度。

 いわく、帳を産んですぐに亡くなったと。

 帳も小学生から中学生時分は病弱だったが、彼女の母は輪をかけて病弱であり、常に臥せっていたという。錦の例を取るまでもなく、品種改良の一族、身体の頑強さは常人以上の夜島家にしては珍しいことである。

 あるいは夜島一族の人間だから程度で済んでいて、常人ならとっくに死んでいるだけの大病だった可能性はあるが。

 彼女と牙城さんの間に帳という子どもを、病弱ながらも残せているのも、案外、夜島一族の持つ身体機能の恩恵なのかもしれない。

 まあ、そういうふうに考えてしまうと、僕としては夜島一族の、品種改良の一族としての血筋を一笑に付したりはできないわけである。

 夜島の血筋がなければ、僕は帳と会えていないわけだから。

「わたしは記憶力に自信がある方だけど、さすがに、物心つく前に亡くなった母の顔は覚えていないわ。写真で見たことはあるけれど」

「…………………………」

 牙城さんと悲哀が旧知ということは、麻布さんと悲哀も知り合いだったのだろうか。家庭人としては、娘二人を産んですぐに捨てるなど失格レベルの行為が目立つあいつだが、帳には「お母さん」と呼ばれて慕われるほどには面倒をちゃんと見ているのは、その辺も影響していそうだ。

「それで瓦礫くん。今年のお盆は母のお墓参りに付き合ってくれない?」

「え?」

 正月の集まりには顔を出していた僕だが、お盆には顔を出したことがなかった。正月と違って、亡くなった身内を悼む側面の強い日だ。僕のような部外者はあまりにも場違いだったから、今まで出たことはない。

「母に、紹介したいから」

「………………そうか」

 そういうわけで、今日。

 お盆当日に、墓参りと相成ったのである。

「しかし、まさか……」

 木桶に入れた水を運びながら、呟く。

「敷地的にもかなり広い豪邸だとは思っていたが、霊園まであるとはな……」

 そう。

 夜島家本宅。

 普段、帳が住んでいる邸宅とはまた別のところに、いわゆる実家という位置づけの豪邸があり、僕たちはそこへ向かった。

 驚くべきことに、夜島家はどこかの寺社霊園に墓を持っているのではなく、自宅の一区画に霊園を持っていたのである。

「品種改良の一族だから」

 こともなげに帳は言った。

「焼いたお骨も遺伝子情報の宝庫なのよ。だから適当なところに収めると盗まれかねなくて」

「ほんと、住む世界観が違う感じだよなあ」

 くるりと、帳は日傘を回した。

 今日の帳は、喪に服す意味もあってか、黒い恰好をしていた。普段から黒を好んではいるんだが。黒いマキシワンピースに、黒いサンダル。日傘も黒い。それでいて、地味というか、陰鬱な雰囲気にしないよう着こなしているのだからさすがだ。手に持った花束の、色とりどりの花たちがいい引き立て役になっている。

 一方の僕は学校の制服である。とりあえず着ておけば間違いないんだから学生は楽だ。

「しかしもう夕方か。八月なのに、日が傾くのが早くなった気がするな」

「そう?」

 時刻的には午後六時を回っている。なにせ、今日は朝から奈落村事件の追悼式典に出て、その流れでこっちに来ているからな。まあ、用事がなくてもこのクソ暑い八月のこと、帳をまさか長時間日光にさらすわけにもいかないし、ある程度日が傾いてから動くことにはなっただろうけど。

「お父さんたちは今頃何をしているのかしら」

「さてな。どうせ家で酒でも飲んでいるんだろうさ」

 牙城さんと悲哀は、帳の自宅の方にいるようだ。悲哀はついさっきごろ、出張から戻ってきて、そのまま牙城さんのところに直行した。「仕事終わりには酒を飲まないとやってられない」とか言いながら。普段法人の代表らしい仕事なんてほとんどしていないんだから、たまの出張くらいちゃんとやれよ。

 だからこちらの本宅への移動も、夜島家が雇っている運転手に頼んで連れてきてもらった形になる。朝山家もそうだが、日本でナチュラルに運転手とハイヤーを所持しているってどうよ。

 どんな金持ちだ。

「今日は哀歌もいないからな。口うるさいのいないから誰も止めない」

「哀歌ちゃんはどうしたの?」

「朱雀の……学校のなんか用事だとさ。統一風紀委員会がどうだとか言っていたけど……」

 そのあたり、判然としないんだよな。あいつが朱雀女学院で何をやっているのか。しかし、統一風紀委員会なら数多くんも所属しているはずだが、彼が今日、式典の方にいたのはなんでだ? 単に彼が式典を優先したのか、それとも哀歌の説明が不正確なのか。

 鳥羽高校の件もあるからなあ。またぞろ、変なことをしてないといいんだが。

「じゃあ愛珠あいすちゃんは?」

「あいつは放っておいてもいいだろう。最悪何があっても死なないし」

「適当ね」

「適当でいいんだよあいつは。運動能力と頑強さだけなら夜島一族とタメ張れるし」

 品種改良の一族と肩を並べるな。

「うーん」

 しかし帳は、何かを気にするような素振りをした。

「どうかしたか?」

「ううん。これは直感なんだけど」

「お前の直観ほど当たるものはないんだから止めてくれ」

 単純に知性があるだけでなく勘が鋭い。従姉妹衆もそうだが、彼女たちを相手にするとき厄介なのがこの直観力だったりする。

 下手したら幸運体質の鳥羽理事長を相手にするより厄介だ。僕も幾度となくゲームでそれにしてやられたんだからな。

「愛珠ちゃんも哀歌ちゃんも、わたしたちと同じ気配がするのよね」

「気配?」

「どことなく、人工的な気配」

 帳は唇に指を当てる。

「何者かに、そうあれかしと作られたような気配。瓦礫くんは感じなかった?」

「無理言うなよ」

 お嬢様が無体をおっしゃる。

「しいて言うなら、父親が違う割に愛珠と哀歌が似すぎているってことくらいか? 初めて会ったときは哀歌が急成長したのかと思ったからな。そのくせ、藍也さんと愛珠はそんな似てないんだよな」

 仕草とかは似ている部分もあるが、少なくとも外見上はあの兄妹は似ていない。

「外見が似ているってのはポイントだよな。お前らも、従姉妹って言う割には姉妹くらいには似ているし。特に帳と錦はかなり似ていた」

「あれは意地悪く錦がわたしに似せていたというのもあるけれど、そうね。外見上の相似は、それだけ血の濃さを意味しているから。愛珠ちゃんと哀歌ちゃんはお母さんの血が濃いのかも」

 帳は悲哀のことをお母さんと呼ぶ。それは親愛の証であり、悲哀が彼女にとっては母親代わりであることを意味する。麻布さんが距離感のある「母」呼びな分、どれだけ彼女にとって麻布さんが記憶に薄い存在なのかが分かる。

「お母さんは上手く隠しているって雰囲気なのだけどね」

「悲哀が人工的……。さすがにそんなことを思ったことはないな」

「でも、愛珠ちゃんと哀歌ちゃんの気配は、確実にお母さんの血ね」

「そうは言っても……。まさか夜島家以外に、品種改良している一族があるわけでもないだろ」

 そんな一族、そうほいほいいてたまるか。

「そうでもないわ」

 しかし帳の言葉は無情である。

「今はどうだか分からないけど、朝山家も品種改良の一族だから。ほら、元はわたしたち、終日ひねもすというひとつの一族だったでしょ」

「そうだったな」

「それに天才を研究する組織の存在も、それなりにあることだし」

「天才の、研究?」

「ええ。探偵の瓦礫くんは、もしかすると関わることになるかもしれないわね」

 天才の研究。

 まさしく、虹橋学院付属天才学研究所。

 あの真名子がいた、通称セントラルアーチがそれである。

 ただ、既に語った通り。

 真名子と再会したのは夏休み最終週の出来事であり、このときの僕はそんなことなど露知らず、なのだが。

「着いたわ」

 そうこうしている内に。

 目的の墓前である。

 帳の母、夜島麻布の墓は、霊園の片隅にぽつりと、しかし確かにあった。

「既に花が活けてあるな」

「お父さんが昼の間に来たみたいね」

 なるほど、墓は既に綺麗に掃除されているようで、ピカピカである。僕たちのすることはそう多くない。もとより帳にそこまで外働きをさせるつもりもなかったが。

 帳は日傘を畳み、花束を開く。花を二つに分けて、既に活けてある花と合わせて活け直す。一度、水を捨てて入れ替える。

 こういうときの、墓参りの作法はよく分からない。僕には両親がいない。四歳くらいのころ、死んだからだ。僕の生家は岐阜にあって、そこからここまで引っ越してきたのだが、それ以来故郷には帰っていないし、墓参りもしたことはない。

 帳にとって母は墓参りをするだけの存在だが、僕にとって両親はそれほどの存在ではない。

 薄情、なのだろうか。

 たまには、行くべきなのかな。

「帳の母親は、どんな人だったんだ?」

「お父さんが言うには、あまり性格はよくなかったらしいわ」

「…………………………」

「人を人とも思わなかったみたい。お父さんはよく、なんで自分が結婚したのか分からないって言っていた」

 要するに帳と、性格的には似ているのか。言わぬが花だけど。

 しかし帳は、逆のことを思ったらしい。

「実は瓦礫くんと似ているのかも」

「僕と?」

「ええ。人に興味がなくて、何を考えているか分からない人。でも、愛している人の前ではちゃんと愛を呟ける人。お父さんは不思議に思っていたけど、わたしは何となく分かる」

 活け直した花を整えながら、帳は楽しそうに言った。

「写真を見るとね、あの人はいつも憮然としているの。でも、お父さんと一緒に写っている写真は、少し楽しそうに見える。なんだかんだ言って、ちゃんとお父さんを愛していたんだと思う」

「………………そうか」

 恋人の母親とはいえ、見ず知らずの人と似ていると言われても反応に困るな。

「頭もよく回った人みたいで、まるで探偵みたいだってお父さんは言っていた。そういうところも似ているのかも」

「探偵…………」

 それはどっちかというと、錦に似ていると言うべきだろう。あの、子どもだてらに天才探偵と呼ばれた夜島錦と。

 考えてみれば、夜島一族の血統が持つ知性や知力を駆使すれば、探偵の真似事など容易なのだ。錦はそれをよく証明していると言える。本当、どうして僕があいつの代わりに探偵なんてできているんだろうな。

 愛珠に品種改良の一族と肩を並べるなと突っ込んだが、僕も同じようなことをしているのか。

「お前がそこまで言う人か……。会えるもんなら会ってみたかったな」

 冗談めかして、そんなことを言ってみる。

 すると帳は振り返って、笑った。

「じゃあ、会ってみる?」

「いや無理だろ。もう亡くなっているんだから」

「それが、会えると言ったら?」

「………………え?」

 どういう、ことだ?

「母の昔住んでいた部屋」

 帳は、言葉を紡ぐ。

「そこにお盆の日に泊まると、母の夢を見るらしいの」

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