6 生還者ゆえに

 なぜ、渡利さんが見逃すはずのない犯人を見逃したのか。

 仮に彼女が白い花束に着目し犯人を見分けようとしたとき、それは前述の通り失敗に終わる。花束を隠す手段はいくらでもあり、それは容易に実行可能だからだ。そうなると、彼女が犯人を見分けるのは、その人相によって、ということになる。

「実際、それは難しくないように思われる」

 場所は戻って、額縁中学運動場の片隅にある、追悼碑である。その現場にいるのは僕と渡利さん、そして数多くんだった。

 愛珠は暑いのを嫌ったのと、正直なところ真相にさして興味がなかったこともあって、家に残った。

 だからこの場にいるのは、あの馬鹿を除いた奈落村事件の生還者、三人だ。

「渡利さんは毎年、追悼式典に出ているからね。おおかた、参加者の顔は見ていて記憶していただろう。だが当然、そんな記憶はいい加減で、どうとでも誤魔化しの効く部分なんだ」

「……どういうこと?」

 追悼碑の方を見ながら、渡利さんは聞いてきた。

「至極簡単な話、式典の参加者は毎年同じわけじゃない。僕のようにふらりと出てくるやつもいれば、去年は参加しなかったけど今年は参加したやつもいる。それに渡利さんは被害者――剣道部員の両親くらいは記憶していても、その親戚とかになってくると怪しいんじゃないかな」

「それは……」

 彼女は口ごもった。まあ、そりゃそうだろう。

「つまり、いくら渡利さんが今年初めて見る顔を見たとしても、それだけでは怪しくないということだ。すると君は、いったい何を基準にして怪しい人間を見逃したと思っていたんだろうね」

 根本から、そんな基準は存在しない。

「見逃したというより、だから渡利さんは、最初からろくに監視なんてできていなかったんだ。心眼会の人間が、それっぽい普通の格好をして、花束を持って正門を潜っても、気づかなかっただろう」

 普通に考えて、そういう結論になる。

「でも、それは…………。あまりにも、拍子抜けというか……」

「探偵の日常が、探偵的とは限らないからな」

 僕という人間がいるからといって、僕が関わるすべての事象が探偵的な日常の謎に満ちているとは限らない。

「それでもしいて言うのなら、渡利さんは奈落村の生還者だ。ゆえに、見逃したとは言えるだろう」

「どういうこと?」

「心眼会に人生を狂わされ、心眼会に対し敵意を抱いている渡利さんにとって、心眼会の信者ってのはそれっぽい外見の人間として記憶されるんだよ。それこそ、奈落村で見たような白いローブ姿の、明らかに怪しい姿の人物像として」

 ゆえに、ごく普通の、一般的な感性と常識に基づけば辿り着く「自分が見逃したはずだ」という結論にたどり着けなかった。

 心眼会の信者が、それっぽい恰好を必ずしていると無意識に思い込んでいた彼女には。

「だとして」

 渡利さんは食い下がる。

「なんで犯人は、花束に薬を隠すなんて方法を取ったの? リスクがある上に不確実な方法なのは事実でしょ?」

「それは、簡単ですよ」

 数多くんが、口を開く。

「心眼会の人たちにとっても、奈落村の被害者を悼む場所はここしかなかったんです」

「……………………え?」

「奈落村は今も、警察に封鎖されています。そしてあの事件は心眼会の集団自殺だと、そう一方的に決めつけられている。それに新興宗教の集団が、どんな顔をして追悼なんてできるでしょうか」

「…………………………」

「もちろん、分かってます。この追悼碑は、あくまで剣道部の人たちを悼むものです。ここに、奈落村の村人たちはいない。あの人たちは、いない。でも、ここしか、彼らに追悼を捧げる場所がない。だから、花束が必要だったんです」

 あの人たち。

 スラックスのポケットの中の、薬毒ファルマコンを握る。

「ぼくを捨てたとはいえ、たしかに僕の家族だった両親。両親に代わって僕を育ててくれたおばあちゃん。そして、奈落村の事件を一緒に解き明かしたミライ様」

 数多くんは、両親に捨てられた。その後、彼を育てたのはスケープゴートである『逆さまの悪魔』を管理するために、村の外れに住まわされていた老婆だった。僕も、世話になった。

 あの人は、奈落村で死んだ。心眼会の信者とは言えない、ただの純粋な被害者だが、世間的には心眼会の一派と目され、誰からも悼まれることなく、あの村に置き去りにしている。

 それを言うなら、あの奈落村にいた全員が、強烈な心眼会の信者だったとは言えない。あそこはあくまで心眼会の修練場。村という体裁を取っていたために、家族単位で移り住んでいた人は大勢いたが……。それこそ数多くんのように、あの村で産まれ、心眼会以外の何物も知らずに生きる羽目になった子どもたちも大勢いた。

 そもそも、だ。

「馬鹿らしい話だ」

 口をついて、飛び出す。

「確かに、心眼会は僕たちを拉致した。だが、そもそもの原因は何だ? 瞳術の開眼に至るかもしれない薬。違法薬物の薬毒ファルマコン、それを心眼会の連中が目をつけたというところだった。つまり、根本的には違法薬物に手を出していた剣道部の自業自得だ」

「……………………」

 渡利さんは押し黙る。まあ、彼女は当時入部して半年で、こんな薬のことは知るはずもなかっただろうからな。

 彼女が悪いわけじゃない。

 それでも、言いたくなることはある。

「奈落村で連続殺人事件が起きた原因は何だ? 依存性のある薬の入手が困難になって、手元にあるだけの残りを剣道部の連中が奪い合ったからだろう。心眼会の連中は拉致こそしたが、それ以外の危害を僕たちに加えようとは、基本的にしなかった」

 そもそも、拉致した連中に、僕たちを殺す動機などないわけだしな。

「奈落村が炎上した原因は何だ? あの間抜け――雪垣がひとりで暴走して、村に火をつけて回ったからだろう。それが新興宗教の集団自殺? 笑わせる」

 それにも、関わらずだ。

「心眼会の連中は自殺扱いの、カルトらしい馬鹿をやったという扱いで適当に始末された。一方、問題を起こし、問題を大きくした剣道部の連中は被害者面でこんな記念碑まで建てられている。あまりにも、不条理だ」

「それは……」

「僕は別に、奈落村事件のことなんて何とも思ってはいない。多くの巻き込まれた事件のひとつだ、くらいにしか。それでも、僕が死ねば村から解放してやるとそそのかされて、剣道部の連中が『死んでくれ』と言ってきたことを忘れてしまえるほど、呑気な性格もしていなんだよ」

 僕は、その場を後にした。後ろを、数多くんがついてくる。

「僕にはもう、探偵を続ける動機はない」

 歩きながら、渡利さんに話しかける。別に聞いてなくてもいいや、くらいの気持ちで。

「探偵でなくとも、帳の傍にいられると気づいたからな。だが、それでも探偵を僕がやめないのだとするなら……。そこに惰性以外の理由を見出すなら……。まさに、これが理由だ」

 この世には、不条理がある。

 露悪的なやつらが被害者面をして。

 ただ少し間抜けで素直すぎただけのやつらが加害者として扱われる。

 そして、それが真実として扱われるという不条理が。

 それは、許されない。

 許さない。

 僕が探偵である限りは。

 加害者は加害者へ。

 被害者は被害者へ。

 ねじれた糸を解いて、元に戻す。

 奈落村で、唯一、僕を認めてくれた彼女――真名子のためにも。

 僕は探偵でありつづけるのだろう。

 奈落村事件とは、だから。

 僕にとってはただのひとつの事件でしかないけれど、そういう、ターニングポイントでもあるのだ。

「ところで」

 後ろから数多くんが声をかけてくる。

「タロット館事件の話を聞きましたけど、瓦礫お兄さんと帳お姉さんって正式に付き合っているんでしたっけ」

「ああ、そうだけど」

 そういえば。

 奈落村事件の後、朱雀女学院で心眼会が暗躍した件で、僕は数多くんと一緒に動いた。そのとき、帳や千里といった当時女学院の中等部にいた彼女たちと関わってもいる。だから数多くんは、僕と帳の関係も知っている。

「うーん」

 数多くんは、変な唸り声を出す。

「どうかした?」

「いえ、品種改良の話でちょっと気になったんですけど」

 品種改良。

「朝山、昼日、夕月、夜島って元は終日ひねもすというひとつの家だったのが分離したんですよね。そして終日家は、平安の世から

「…………ああ」

 一度だけ、帳から聞いたことがある。

 品種改良の一族。

 驚異的なことに、夜島家は平安の世から続く一族であり。

 まだ遺伝のことなど明らかになっていないだろうその頃から、優秀な人間同士を掛け合わせることでさらに優秀な人間を生み出すという、品種改良を続けてきた一族だ。

 だから、偶然じゃない。

 帳が際立った才媛であることも。

 常人なら十回は死んでもお釣りがくるほどの大病を患いながらも、現在では回復していることも。

 神が愛でるために造り上げたがごとき美貌を持つことも。

 偶然ではなく、必然なのだ。

 そして、錦も……。

 僕の前に探偵と呼ばれた彼女が、探偵としての能力を持っていたことも、そういう品種だったからだ。

 裏返せば、夜島と血を分けた分家である朝山家も、同様であり。

 数多くんを引き取った事情も、その辺りに関係するのだろう。

「奈落村事件という世紀の大事件の生還者。その特級とも言うべき生存能力の高さ。君はそのあたりに目をつけられたのかもしれないね」

「それを言うなら、瓦礫お兄さんの方が顕著ですけどね」

 まあ、そうなんだろうなと、思う。

 考えてみれば、おかしい話だ。

 名家である夜島家の令嬢。まあ、立場的に帳はそこまで高い地位にあるわけでもないし、一族としても重要重大なポジションにいるわけでもないようだが。とはいえ、名家のお嬢様である帳と、ただの平民である僕とでは明らかに釣り合いが取れないわけで。

 帳と僕の意志はともかく、普通なら夜島家の大元が文句のひとつでも言いそうなところ、まったく放任されているのは、その辺りの理由だ。

 僕の、探偵としての遺伝子。

 そんなものがあれば、だけど。

 それを、夜島家は欲しがっている。

 まあ、別に。

 ほしけりゃくれてやるが。

「でも少し気になりますよね」

 と、数多くんは無邪気に言った。

「青い血と言っても差し支えない血統の帳お姉さんと、探偵の遺伝子を持つ瓦礫お兄さんの間に子どもが生まれたら、それこそ生まれつき瞳術を持っているとか、そんなレベルじゃ済みそうにないですね」

「さて、そんな先のことは知らないね」

 少年漫画の最終回じゃあるまいに。

 僕と帳の子どもなんて、まだ、気が早いだろう。

 ああ、本当に。

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