5 見えない献花者

 見逃すはずのなかった犯人を見逃した。

 渡利さんの言い分はいろいろ、突っ込んで聞きただしたい部分ではあるけれど、しかし。

 既に言った通り、僕たちは本来追悼式典の後に控えた食事会をボイコットしてこの話をしている。

 要するに、お昼時である。

「お腹空いた」

 愛珠のその一言がきっかけになって、僕たちは場所を移すことにした。

 しかし今更、食事会に合流しても剣呑な話の続きができないし。

 田舎の中学校周辺に食事処などひとつもないので。

 必然、学校から最も近い僕の家が移動先に選ばれた。

「キッチンを貸してもらえれば、何か作りましょう」

 と、数多くんが言うので彼に任せることにした。食材は、適当に冷蔵庫の中身を使ってもらえればいいだろう。

「それで、話の続きだけど」

 料理を待つ間に、情報の整理といこう。

「見逃すはずのない犯人を見逃したってことだったな」

「ええ」

「そもそも、この花束を置いた犯人を突き止める必要も僕はないと思っているけど」

「何言ってんの」

 呆れたように渡利さんが言う。

「あんたが言ったんでしょ。わざわざこっそり心眼会のマークをつけた花束を用意してそれを置き、さらにその中に薬物を隠した。これは単なるイタズラじゃなくて、心眼会の誰かがわたしたち生還者に何らかのアプローチを仕掛けているってこと。その犯人を突き止めるのは大事な仕事でしょ、高校生探偵」

「とは言ってもなあ」

 思わずため息が漏れる。

「その肝心の犯人を渡利さんが見逃したって話だろう?」

「それは、そうなんだけど……」

 口ごもる渡利さんを置いて、愛珠が首をかしげる。

「一体全体、どういうこと? 犯人を見逃したって」

「それについてなんだけど」

 と、ここで渡利さんは状況を整理する。

「まず確認だけど、問題の追悼碑は運動場の隅にあるでしょ?」

「うんうん」

「そして、今日、式典の参加者が出入りできる入口は正門だけだった」

 ちょうど、僕たちが渡利さんと会ったところだな。

「そしてわたしは結構前から正門にいて、参加者の出入りを見てたの」

「なんでまたそんなことを、真冬ちゃんが?」

「いろいろね」

 渡利さんは愛珠の疑問をぼかした。まあ、警戒していたんだろう。今回はまさにイタズラどころじゃない事態が起きたが、この手の大きな事件に対し、イタズラで被害者遺族の神経を逆なでしようという連中はそれなりにいる。そういうやつらが出てこないか、彼女は自分の目で警戒しないことには気が済まなかったのだろう。

「だいたい三十分くらいかな。わたしが最初に額縁中学に着いて、追悼碑に向かったときは問題の花束はなかった。でも、三十分くらい正門にいて、人の出入りを見張って、もう一度追悼碑の前に来たとき、その花束があったってわけ」

「ふむ」

 少し、気がかりな点があるな。

「つまり渡利さんの言い分だと、その三十分の間に誰かが花束を置いたに違いない。しかし、誰も当該花束を持った人間は通らなかったと」

「そういうこと」

「単純に見落としたんじゃないか? 花束を持った人なんて、それこそ追悼式典の前なんだから大勢通っただろうし」

「あんな白一色の花束は目立つでしょ。わたしはさすがにそれを見落としてはいないけど」

 人間の記憶なんて案外いい加減なものだが、それを言ってもここは始まらないか。

「まあ、その気になれば花束なんていくらでも隠せるけどね」

「確かに問題の花束は細身だったけど、夏場の薄着の下には隠せないでしょ?」

「いや、花束を隠すなら花束の中に隠せばいいんだよ」

 簡単な話。問題の花束の外側から、別の花束を巻きつけて隠せばいい。そうすれば渡利さんの目には、大輪の花束を抱えた人間にしか見えなかったはずだ。そうやって渡利さんの目を誤魔化して追悼碑の前に移動した後、花束を解いて当該花束だけの状態にして置いた。残りは別の花束として作り直して置いてしまってもいいし、学校の焼却炉かゴミ箱か、その辺に捨ててもいい。

「だから花束を目印に犯人を見つけるのは得策じゃない」

「それは、そうだけど……」

 納得がいかないかのように、渡利さんは口を尖らせた。

「思ったんですけれど」

 キッチンから話を聞いていた数多くんが声を上げる。

「学校って、出入り口だけならいたるところにありますよね。正門が駄目なら、裏門とか、別の場所を通ったのでは?」

「あ、そっか」

 愛珠も頷く。

「額縁中学って公立学校でしょ? だったら上等高校とか青龍学園みたいな私立と違って、そこまで警備や監視が厳しいわけでもないだろうし」

「そうだな……」

 青龍学園や朱雀女学院がどの程度厳しい警備を敷いているかはあまり詳しくない。とはいえ、青龍はもとより女子校の朱雀はそれなりに警備には気を使っているはずだ。

 上等高校に関しては、私立とか云々以前に、例の『殺人恋文』事件があったからな。そのせいで警備が厳しくなっている。

 そうした私立学校に比べれば、額縁中学の警備は緩い方だろう。

「あのね」

 しかしそんな僕たちの考えは渡利さんに一蹴される。

「忘れてない? 奈落村事件で被害に遭っているのはその額縁中学の剣道部なの。普通、そんな得体の知れない事件に巻き込まれたら、警備のレベルを引き上げるでしょ」

「ああ」

「つまり、額縁中学の警備レベルは公立中学でもかなり高いの。事件の後、わたしたちが在学してたころにもうセキュリティが厳重になってる。締まっている門に手でもかければすぐに警報が鳴って警備員が駆けつけるシステムができてるの」

 ふうん。そんなことになっていたのか。

「じゃあ、やはり出入り口は真冬お姉さんの見張っていた正門しかないわけですか」

 数多くんが料理を運んでダイニングに現れる。手早く作ったにしてはなかなか豪勢なおオム焼きそばだ。

「わ、美味しそうじゃん。いっただきまーす」

 箸を手にして、愛珠が食らいついた。

「いただきます」

 僕も一口手を付ける。おお、この上に乗っているオムレツ、割るととろりと半熟の部分が姿を現す。こんなのよく作れるな。帳といい千里といい哀歌といい数多くんといい、僕の周りには料理上手が多い。

 僕の料理下手はその反動なのかもしれないな。

「それで」

「ん?」

「とぼけてないで。あんたはもう、事の真相に気づいてるんじゃないの?」

 さすがに帳や千里ほどではないにしても、中学からの付き合いだ。バレるか。

「まあね。古今東西、監視者の目をかいくぐって特定の場所から出入りする推理小説は枚挙にいとまがない。珍しくとも何ともなく、また劇的でもなんでもない」

 だいたい、見当はつく。問題は、だから話し方だ。

 世の中、ただ淡々と事実を並べてそれで受け入れられるほど甘くはない。まあ、僕はその辺恵まれていて、あまり意識したことはないんだけど……。

 世の中の人間は大抵、自分の信じたいことしか信じない。

 そこに明確な事実があっても、それを受け入れてくれるとは限らない。

 今回もそうだ。事実を渡利さんに明かしたとして、じゃあ彼女がそれを信じられるかは別だ。とはいえ、何か策を弄して彼女が信じられるよう土台を整えられるかというと、そうでもないのがな……。

 結局、彼女の良識と良心を信じて、素朴に話す以外にないのかもしれないが。

「それより僕が気になっているのは」

 だから僕は、話を逸らした。

「やっぱり動機だ。なぜ犯人は、こんな迂遠な方法で僕たちにアプローチをかけてきたんだろう」

「動機……」

「僕が言った花束の偽装方法で犯人が渡利さんの目を誤魔化したとして、そんなことをするってことは、自分たちは警戒されているときちんと自覚できているということだ。なのに、なぜか追悼式典というタイミングを狙っている」

 それがどうしても、妙だ。

薬毒ファルマコンが四包ある。これはつまり、僕たち四人の生還者にこの薬をひとつずつ渡そうとしていた、と考えるべきなんだろうか。裏返せば、僕たちにこの薬が必要になるときが来ると、そういう警告なのかもしれない」

「確かに」

 数多くんが頷く。

「もし何らかの理由で薬毒を調べてほしい、というだけならば、瓦礫お兄さんに渡せば済む話です。そして瓦礫お兄さんの家は額縁中学からそう遠くないんですから、この家のポストにでも手紙と一緒に投函しておけばそれで終わる。見咎められるリスクを犯す必要はどこにもないですよね」

「警告って言うならさ」

 箸を動かしながら愛珠が言う。

「この犯人は、別にわたしたちの敵ってわけでもないの? むしろ逆で、真冬ちゃんたちに助け舟を出そうとしているようにも見えるよね」

「……………………でも」

 渡利さんは腕を組んで憮然と構えた。

「だとしても、花束に隠すのが迂遠なのは間違いないでしょ。仮にそういう目的があって、わたしたちに薬を届けたいのなら、やっぱり猫目石の家に手紙と一緒に投函でもした方がいいんじゃない?」

「単に家が分からなかったんじゃない?」

 愛珠が身もふたもないことを言う。

「いや……さすがに心眼会がそれはないと思うが」

 僕は少し考える。

「なにせ僕の顔は、タロット館事件を報道した週刊誌に載せられたからな。すぐに回収されたけど、それでも僕という存在にアンテナを立てるだろう心眼会が見逃すはずもない。上等高校の生徒だと分かれば、あとは学校から跡をつけるなりなんなり、家の特定方法はあるわけだし」

 まあ、とはいいつつ。

 なぜ心眼会の連中が、花束を使ったのか、その辺は憶測くらいならできるがな。

「しかし……なぜ、心眼会が薬毒ファルマコンを持っていたんだ…………?」

「え?」

 愛珠が首をひねる。

「そりゃ、心眼会がその薬を作っていたからじゃないの? そういう話だったでしょ?」

「ああ、いや」

 つい、疑問が口をついて出ていた。適当に誤魔化すことにする。

「奈落村事件のころから思っていたんだけど、心眼会の連中、神の目を――瞳術を開眼するのに躍起になっている癖に、けっこう遠回りな方法を取っているなと思ってさ」

「遠回り?」

「だってそうだろ。確かに僕はこの薬の効果で瞳術を習得した。だが、それは僕が瞳術を使えるだけのポテンシャルを最初から持っていたからだ。この薬を飲んだからといって、すべての人間が天才になれるわけでも、瞳術使いになれるわけでもない。だから瞳術を開眼するという目的ならもっと、都合のいい方法はいくらでもあったはずなのに」

「…………たとえば?」

 そして話は、今朝につながるわけだ。

 なにも僕は唐突に、今朝、あの話をしたわけじゃない。心眼会に絡む奈落村事件、その最中にふと思っていたことがつい、頭に浮かんできてあの話になったのだ。

「おあつらえ向きに、あの村には三人の巫女がいた。未来視使いの真名子――ミライ様、千里眼使いのカコ様、真偽眼使いのイマ様。その三人の巫女に、そこそこ有望な男をあてがって子どもを産ませれば、それなりの確率で、生まれついての瞳術使いを産むことはできたかもしれない」

 あの三人は、いわばトンビが生んだ鷹だった。聞いた話じゃ、彼女たちの両親は、というより親族の中に瞳術を生まれつき使えた人間はいないという。もっとも、出自がはっきりしていたのは一族郎党心眼会に入れ込んだ真名子だけで、他の二人は孤児だったからその辺、はっきりはしないようだが。

 ともかく、そんな三人を抱えておきながら、なぜか心眼会は彼女たちに子どもを産ませる、という発想はなかった。まあ、当時二十歳を超えていたのはカコ様だけで、二人は未成年だったからという側面はあるだろうけど。

「それは単に」

 数多くんが言う。

「彼らの目的はあくまで瞳術を開眼することだったからではないですか? 確かに、その方法なら瞳術使いを生み出すことは可能かもしれませんけど、それじゃあ自分たちは開眼しないわけですから」

「……かもしれないな」

「……………………」

 渡利さんは何かを言いたげな表情をしたが、黙って、食事を終えた。

「それで」

 そして話が本題に戻る。

「結局、わたしが犯人を見逃したという話についての結論は出ているの?」

「………………ああ」

 引き延ばしも無理があるか。

「正直に言おう。僕はやっぱり、渡利さんの見落とし、見逃しだと考えている」

「だから、それは……」

「渡利さん。念のため言っておくけれど」

 僕は、宣言する。

「心眼会の人間は、それと分かる格好をしていたりはしない。奈落村では心眼会のマークの入っていた白いローブを着てはいたけれど、そんなもん、普通は着やしない」

「…………………………」

 黙ったということは、図星ということで。

 つまり事の真相は、そういうことなのだった。

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