4 ファルマコン

 問題である。

 なるほど、これはなかなか厄介な問題だ。

 奈落村事件の被害者を追悼するその場に、こっそりとではあるが、心眼会のマークが入った花束が置かれた。

 一般的な感性で考えるのなら、これは神経を逆なでする行為だろう。

 さらに加えて、渡利さんは何やら更なる問題を指摘しようとしていた、が。

 ひとまず、それは一度保留する必要があった。

 式典が始まるところだったからだ。

 まあ、確かに不審であり、また警戒するべきものではあるが、そうはいっても花束ひとつだ。式典に参加する人たちにこのことを話して不安がらせても仕方がない。そこで一度、この花束は僕たちが回収し、握り潰し、問題をなかったことにして、式典を何事もなく続行させることにした。

 ここで普通の高校生、普通の子どもであれば大人に相談する場面なのだが。

 生憎、こちとら高校生探偵と元殺人犯のプロボクサー、そして犯罪史上まれにみる事件の被害者二名という取り合わせだ。自然と、そういう常識的な判断は遠のく。

「で」

 式典が終わり、例年通り食事会という段取りになって参加者が移動するころ。僕たちはこっそりその場を離れ、額縁中学の教室のひとつに集まっていた。

 四人で額を詰めて、問題の花束を見ていた。

「渡利さん、何が問題なんだ?」

「問題も何も」

 彼女は呆れたようにため息をついた。

「これが追悼碑に供えられていたの。わたしが気づいて回収したからよかったけど、他の人が見つけてたらパニックになっていたかも」

「パニックかあ」

 愛珠は花束をつつく。

「そんなに?」

「そうですねえ」

 数多くんが腕を組んだ。

「ただの花束ですよね。これに爆弾でも仕掛けてあれば話は別ですけど、そういう様子もないですし。現に式典はつつがなく進行しましたし」

「あのねえ」

 渡利さんが眉間にしわを寄せる。

「この、花束を包んでいる紙。これに心眼会のマークが入っているでしょ。こんなもん置かれたら問題になるに決まってる。式典が何事もなく進んだのは結果論」

「そりゃあ、まあ……」

 僕もぶっちゃけ、そこまで深刻さを渡利さんと共有できているわけではないが、それでも事態の重さをここは理解しているようにふるまった方がいいだろう。

「言ってしまえば被害者を悼む記念碑の前に、加害者からの贈り物と思しきものが置かれているんだからね。常識的に考えれば、いたずらか、被害者遺族の神経を逆なでするためのものだと考えるべきだろうね。でも、一方でただの花束なのも事実だ」

 問題はそこだ。

「数多くんが言うとおり爆弾が仕掛けられているわけでもないし……。心眼会のマークなんてネットで調べれば出てくるだろうから、誰かがイタズラで置いたと考えるべきだろう」

「あんた、本気で言ってんの?」

 渡利さんが突っかかってくる。

「もしイタズラなら、マークが外側になるよう紙を巻くでしょ。でも、この花束はマークが内側になるよう紙を巻いている。そこに何らかの意図があると考えるのが普通じゃない?」

「だよねえ」

 さすがに渡利さんを、この理屈で説得できるとは思っていなかった。

 彼女の言うとおり、問題はマークが花束の外側ではなく内側に来るよう紙を巻かれているという点だ。もしこれが悪質なイタズラなら、一目見て心眼会からの贈り物だと分かるように、マークは花束の外側にくるよう紙を巻くはずだ。それなのに、今目の前にある花束は、マークが内側にくるよう紙を巻かれている。包まれた花をかき分け、中身を確認しないとマークの存在に気づけない。

 それがおかしい。ただのイタズラではないように思えるのだ。

「まるで特定の人間、それこそ渡利さんのように警戒心の強い相手だけに、心眼会からの贈り物だと気づいてほしいようだな」

「あるいは、あんたみたいに目ざとい探偵、とか?」

「だとすれば、これも納得できる」

 僕は花束を持ち上げた。

「これ?」

「そう。渡利さんは気づかなかった? 爆弾こそ仕掛けられてはいないけど、この花束にはあるものが仕掛けられている」

 彼女から花束を受け取ったとき、感触と重さで気づいた。どうやら渡利さんは気づかなかったようだが。

 花束を開く。そして花を紙から取り出すと、そこには小さいビニール袋が貼り付けられていた。

「これは…………」

「おそらく本題は、こっちだ」

 袋を開いて見ると、中には薬包紙が四つ。何か、薬を包んであるようだ。

 薬包紙を開く。青い、粉末状の物体が姿を見せる。

薬毒ファルマコン!」

 数多くんが思わず叫んだ。

「これ、奈落村でお兄さんたちが持っていたやつですよね?」

「ああ、そのようだな」

 薬毒ファルマコン

 奈落村事件で語られない、ある害悪。

「なにそれ?」

 事情を知らない愛珠が顔を近づける。

「簡単に言えば違法薬物だ」

「覚せい剤ってこと?」

「それに近いが……。覚せい剤の目的が快楽を得るためだとするなら、この薬は少し目的が違う。まあ、快楽を得る効果や中毒性もある程度確かにあるだろうが、この薬を服用する目的は違う」

 この薬の、効果。

「いわく、天才になれる薬、なんだとさ」

「天才?」

 愛珠は不審そうに薬を見る。

「どういうこと?」

「頭がよくなる。体のキレが良くなる。そういう効果。だから覚せい剤っていうより、アスリートが使うドーピングのための薬に、位置づけは近いのかもしれない」

「へえ、じゃあ心眼会の連中がこれを作ってたの?」

「……………………」

 渡利さんは何かを言いたげな表情をしたが、そのまま口を閉ざした。

「ともかく、この薬が奈落村にあった。で、事件に関係したものなんだ。もっとも、薬は村ごと燃えてしまったから、警察の連中はまったく把握していないことだけど」

 なぜ、心眼会の連中が額縁中学の剣道部員を拉致したのか。その目的のひとつがこの薬にある。

「未来視、千里眼、真偽眼。心眼会が求めていた瞳術は言ってしまえば観察力と推理力を高い次元で組み合わせた技術だ。心眼会の三人の巫女はその技術を生まれつき使えたんだが……他の連中はその開眼に躍起になっていた。で、その開眼に使えるかもしれないと連中が目をつけたのが天才になれるこの薬だというわけだ」

「効果あるの?」

「さあ。他の連中はどうだか知らないが……。少なくとも僕には効果があったな」

 なにせ、僕が瞳術を習得できたのはこの薬のお陰だからだ。

「そういえば一度だけ、村でお兄さんはこの薬を使いましたよね」

「ああ。もっとも、僕には体質的に合わなかったのか依存せず、効果もひどく短かったが……。とはいえこの薬の効果で一時的に未来視が使えるようになったのは確かだ」

「体質的に合わないってのは逆じゃない?」

 渡利さんがくちばしを挟む。

「わたしはてっきり、あんたがあのとき薬毒ファルマコンを飲んだせいで体の構造が変わって、瞳術を使えるようになったものだと思っていたけど。あるいは隠し持っていて、今も必要に応じて飲んでいるものだと」

「いやいや、さすがにそんなことはないって」

 僕をなんだと思っているんだ。

「僕が服用したのは後にも先にも奈落村での一回だけだ。その後は薬の力に頼らなくても瞳術は使えている。ほら、現にこの前、愛珠とドッジボール――という名のリンチにあったときは、服用しなくても瞳術を使っていただろう?」

「そりゃあ……確かに。でも薬もなしに未来を見るなんてできるの?」

「できるんだよ。一度、薬の力で無理矢理に開眼したら、後はその時の感覚を頼りにするだけだ。自転車に乗れなかった子どもが、あるときを境に急に乗れるようになるのと同じで。要は薬で開眼したときにコツさえつかんじゃえば、それを再現するのは薬なしでも難しくないんだよ」

 僕は薬を薬包紙に包み直した。

「ともかく、これではっきりしたことがある。この花束は誰かがイタズラで置いたものではなく、心眼会の関係者が置いたものだということだ。しかも、嫌がらせではなく明確な意図をもって」

「意図、というと……」

 数多くんが呟く。

「薬が四包あるのが怪しいですね。ちょうど、生還者と数が同じです」

「そうだな……。何か意図があって、生存者である僕たちに薬を届けようとした、というところだろう。肝心のその意図はさっぱりなんだが……」

 それに関しては、考えても埒が明かない部分だろう。

「とはいえ、五年前は全部燃えてしまった薬を手に入れられたのは僥倖だ。こいつは僕が責任をもって然るべき機関に渡しておくよ」

「あんたが持ってて大丈夫なの?」

 渡利さんが心配そうに聞いてくる。

「あんた、五年前は全然警察に信用されてなかったでしょ」

「まあ、それはそうなんだが……」

 警察が奈落村事件の全容を把握できていない理由の、実は一番大きい要因はそこだ。事件の生還者であり、かつ事件についての記憶と証言能力が安定している僕と数多くんの証言は、なぜか警察に信用されなかった。逆に警察が重要視したのは、当時事件に巻き込まれ混乱していた渡利さんたちの証言の方だった。当然、彼女たちの証言は支離滅裂もいいところだったので、それを頼りにすれば事件は混迷化するばかり、というわけだ。

 今にして思えば、僕と数多くんが被害者にしては冷静すぎたのが問題だったのかもしれない。警察って連中は、大勢の被害者を見ている癖に型にはまった被害者像を抱きがちだ。あまりに冷静だった僕たちを見て、被害者らしくないと思って疑ってかかったのだろう。

「じゃあ渡利さん経由でひとつ、渡してもらった方がいいのかな?」

「…………いや、あんたに任せる」

 警察に届け出るとまた面倒を抱えると分かっている渡利さんは、そう言って辞退した。

「……そういえば、今まで話に出てませんでしたけど、雪垣お兄さんはどうしたんですか?」

 数多くんが思い出したように言う。

「……確かにいないな」

 僕もそれで思い出した。あいつ、確か警察に知り合いがいるから、あいつ経由で渡してもらうのが一番手っ取り早いはずなのだが。

「紫崎は毎年、来てないからね」

 渡利さんが言う。

「思い出したくないんでしょ。わたしも、毎年出てはいるけど正直乗り気じゃない部分はあるし」

「思い出したくないって言うか、あいつは何も覚えていないけどな」

 四人の生存者の中で、一番記憶が行方不明なのがあの馬鹿だからな。じゃあ、あいつに渡しても仕方ないか。

「結局僕が渡すのが一番確実なのか……。僕だって警察と関わり合いになりたいわけじゃないんだがな」

「それで……」

 愛珠が口を割る。

「その花束についてだけど、なんか真冬ちゃんは別の問題があるっぽいことを言ってたけど、何なの?」

「…………ああ」

 そういえば。

 渡利さんは花束について、心眼会のマークが入っていること以外の問題があるような素振りをしていた。結局、すぐに式典が始まったし、花束自体には特に仕掛けも(薬毒ファルマコン以外は)なかったのでうっちゃっていたが、ここで話を戻してもいいだろう。

「それなんだけど……」

 渡利さんは開いていた花束を元の状態に戻しながら、語る。

「この花束、どうやって置かれていたのかが分からないの」

「どうやって………………?」

「そう。この花束を置いた犯人を、わたしはのに、見逃している」

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