3 朝山数多

 五年前の夏。

 額縁中学剣道部の面々は諸般の事情があり、三重県まで遠出をしていた。いわゆる練習試合の遠征というやつだが、その帰り、事件は起きた。

 拉致された。誘拐された。

 何のかんのとしている内に僕たちは、心眼会がアジトとしている奈落村へ連れていかれた。

 そしてそこで起きた連続殺人事件と、村人総勢百余名を焼き払った放火事件。

 拉致、殺人、放火。

 これらを総合して、奈落村事件と呼ぶ。

 まあ、そうは言っても、この事件の全容を知っている人間は多くない。ニュースがそう説明した通り、世間では新興宗教カルトの集団自殺ということになっていて、じゃあなぜ集団自殺したのかという点はさっぱり、というのが定説だ。どうせカルトだから意味の分からん動機で勝手に死んだんだろうと投げやりに扱われているというのもある。

 事件の全容を知る僕からすればまったく見当違いの推測とまとめだと言いたくもなるが、言ったところでどうしようもないので黙っている。

 さて、そんな奈落村事件は大勢の死者を出すことになったが、その中でも生き残った者が四人いた。

 ひとりは言うまでもなく僕、猫目石瓦礫。

 ひとりは上等高校で相談役なんてよく分からんことをしている男、紫崎雪垣。

 ひとりは僕たちと同じく上等高校に通うごく普通の女子生徒、渡利真冬。

 そしてもうひとりが、奈落村の住人だった、つまり心眼会の一員だった少年。

 すなわち朝山数多くんその人である。

 ちなみにここへ五人目の、ありうべからざる生存者として目童真名子を加えることができるのだが……。あの心眼会の巫女の生存を僕が知ったのは、夏休み最終週のことであり、お盆の今現在はそんなことを知る由もないという時間軸である。

「へえ、生還者」

 愛珠はそんなことを呟いた。

「そういえば奈落村事件については全然知らなかったなあ」

「渡利さんは話したがらないだろうからね」

 愛珠が出入りしている上等高校の実行委員会に渡利さんは所属している。つまり愛珠と渡利さんは顔見知りなのだが、どうやら奈落村事件については何も聞かされていないらしい。まあ、あの渡利さんが他ならぬ愛珠に喋るとも思えないが。

 そもそも、渡利さんの視点だと、僕が愛珠にもう喋っているものだと思っていただろうし。

「初めまして」

 初対面の愛珠に対し、数多くんは折り目正しく挨拶をした。

「朝山数多です。妹さん――哀歌さんにはいつもよくしてもらっています」

「哀歌が?」

 制服で分かるが、数多くんは青龍学園の所属だ。そして青龍学園はすぐ隣に同じ経営母体を持つ朱雀女学院を抱え、両校は深い関係にある。だから朱雀の所属である哀歌と彼は面識があるのだ。

 ちょうど同い年の、中等部二年生でもあるわけだし。

 つまり彼は、奈落村事件が起きたときはまだ九歳だったわけだ。

「しかしそれにしても、本当によく哀歌さんと似ていますね」

「そりゃあ姉妹だから」

 意味もなく胸を張る愛珠。悲哀と愛珠たちは似ているという印象があまりないが、どういうわけか愛珠と哀歌はよく似ている。十四歳の哀歌を十八歳にすれば愛珠になる、くらいには。父親は違うはずだがどういう理屈なのか。それだけ悲哀の血が濃いのかもしれない。

「…………ん?」

 そこでふと、愛珠が何かに気づく。

「朝山? 朝山って……」

 覚えていたか。こいつにしては珍しい。

「その辺の説明もあるが、早いところ移動しよう」

「そうですね、会場へ向かいましょう」

 玄関での立ち話を適当に畳む必要がある。僕たちの目的は奈落村事件の慰霊行事に参加することだ。そのために、数多くんとここで待ち合わせていた。

 僕と愛珠、そして数多くんの三人はそれぞれに荷物を持って、家を出る。

「ああ思い出した」

 愛珠が言う。

「朝山って、確かタロット館事件の」

「よく覚えていたな」

 僕は忘れていたが。

 タロット館事件。僕が名探偵と呼ばれるようになったきっかけの事件。その舞台である愛知県沖に浮かぶ架空島に建てられたタロット館は、朝山家所有の別荘である。

 僕は朝山家の名前をだから事件前に聞いてはいたが、そこでピンとは来ていなかった。なにぶん、館の主であるロッタちゃんは朝山姓を名乗らなかったし、宇津木博士をはじめとするそうそうたる面々との邂逅もあって、朝山云々の話は物語の後景へかなり追いやられていたからな。

 だいぶ後になって、そういえばと思い出した。

 朝山家。どこかで聞いたことがあると思っていたが、数多くんが引き取られた先が朝山家だったのだ。

「ぼくの家は朝山家といっても、分家もいいところですからね」

 数多くんが笑う。

「タロット館についても何も知りませんでしたよ。ニュースで聞いて始めて知ったくらいで」

「そんなものか。ロッタちゃんについても?」

「ええ。全然知らないです」

 ロッタちゃんは十四歳だから、ちょうど数多くんとも同い年なのだが……知らないか。つまるところ、僕が仮に朝山家の名前を聞いて数多くんのことを思い出しても、仕入れられる事前知識に大差はなかったということだ。タロット館事件の、物語の趨勢を変化させるほどには。

「でも気になって後で調べましたよ。彼女は朝山家でも本家に近い血筋で、何やら問題を起こしてタロット館に軟禁されている、というのは分かりましたが、それ以上はどうにも」

「まあ、隠そうという気が見え見えだもんなあ」

 名家って怖いなあ。

「朝山に夜島、ねえ」

 暑そうに太陽の光を避けて日陰を歩いていた愛珠が呟く。

「何か関係あるっぽい名前なんだけど、そこんとこどうなの?」

「今日の妹はいつにもまして勘が働くな」

 少し驚きだ。

「愛知県――というより中部地方にある四名家、そのうちのひとつが夜島家だ。雅王と呼ばれ、芸事にかけては一流の人間たちの集まり……」

「そして、その夜島家をしのぐ力を持つと言われているのが、不動産王の朝山家なんです」

 僕の言葉を数多くんが引き継ぐ。

「とはいえ、これは朝山家と夜島家で得意とするジャンルが、政治的にどの程度影響力を与えるかという差が大きく、単純な資産力だけなら同格だと思います。あくまで芸術関係に強い夜島家に対し、朝山家は不動産、土地関係とド直球に政治とつながるジャンルですし」

 要するにどちらのジャンルが金になりやすく、政治的な動きに直接絡みやすいかという話。夜島家、朝山家ともに名家だが、そのジャンル差からくる政治力の差があり、より名家として強い発言力を持つのは朝山家ということになる。むしろ芸事が軽んじられがちなこのご時世で、夜島家はよく名家としての勢力を保っている方だと言えるだろう。

「四名家? じゃあ他にもふたつあるの?」

「ええ。ただ昼日家と夕月家は、ほとんど一般家庭と言って差し支えないほど没落しているので、あまり話題に上ることはありませんね」

「ふうん」

 四名家、と呼ばれるのはあくまで語呂の良さがあるからだろう。別に二大巨頭とか、言いようはいくらでもあるはずだが、四名家と言った方がカッコいいからな。

「ぼくが朝山家に引き取られたのは、朝山家のイメージ戦略的な側面が強いでしょう。奈落村事件の生還者、しかも被害者的側面の強い剣道部部員ではなく、奈落村の住人。忌避されてもおかしくない人間を受け入れる度量の深さを印象付けたいとか」

「………………」

「とはいえ、ぼくの今の両親はいい人たちですし、ぼくも現状に満足しているのでそのあたりの事情や動機は、どうでもいいのですけどね」

 数多くんの言葉に、嘘はないように。もともと屈託がないというか、あまり嘘を吐くタイプでもないが。

「そう、そういえば事件の関係者なんだよね」

 愛珠が突っ込む。

「奈落村の住人としての生還者。そこんとこ、詳しく聞いたことなかったんだけど」

「別に話す機会もなかったしな。それに大した話じゃない」

「いや大した話でしょ。つまり元カルトの信者だったんでしょ? 当時九歳の子どもがどこまで真剣に信奉していたかは知らないけど」

「そのあたりも、いろいろ誤解なんだけどな」

 数多くんは奈落村の住人ではあったが、決して信者とは言えない立場にいた。

「ぼくの元の両親は心眼会の信者でして」

 詳しい説明を数多くんが始める。

「聞いた話では、奈落村で修業をしている最中に結婚し、ぼくを産んだそうです。ただ、ぼくはいわゆる逆子だったので、それで疎ましく思われてしまい……」

「……逆子? それがなんで?」

「あまり詳しい話は語られないんですが、奈落村にはいくつかの掟があったんです」

 掟というか、なんというか。

「その中のひとつに、『逆さまの悪魔』というものがありまして」

「逆さまの悪魔?」

「要するに、ある集団が団結するために必要な外敵づくりだな」

 そのあたりの事情は僕が補足する。

「まさしく、ナチスがユダヤ人を敵視したように。集団を団結させる最も手っ取り早い方法は外に敵を作り、集団の総員にそいつらを敵視させることだ。こうすれば、全員が簡単に同じ方向を向く」

 このあたりの話は、奈落村でミライ様――目童真名子が語ってくれた。

「しかし心眼会ってのは、新興宗教らしい諸問題こそ抱えるが、基本的に内向的な組織だ。なにせ目的が『神の目を開眼すること』だったからな。組織としての異常性や峻厳さはすべて、自分たちの修行の厳しさに還元されてそこで終わりだ」

 大抵のカルト集団は、そのカルトさゆえに一般社会とことごとく常識が乖離する。すると集団の中と外で強烈なギャップが生まれる。集団内にいる人間たちは、集団外の一般社会から隔絶される。すると自然と、一般社会つまり外集団を敵とみなすようになり、内側で固まる。

 いわゆる蛸壺化だ。

 だがこれは、まさに集団の中と外でのギャップが生じてはじめて起きる現象だ。地球平面論者フラットアーサーがいい例だろう。彼らは地球が平面だと信じる。そして地球は球体であると理解している一般社会と隔絶していく。そこには、「地球は平面なのに球体であると言って我々を騙そうとしているやつらがいる」という外集団への敵視を含んでいて、その敵視が内集団の団結を強固にしていく。

 しかし心眼会ではこのギャップが生じにくい。例えばカルト集団にありがちな終末論を掲げ、一般社会はその終末を覆い隠し我々を騙そうとしているのだ! とか考えていたのなら外集団への敵視も起きただろう。だが心眼会の連中は外の世界など知らんぷり。自分たちが神の目を開眼できればそれでいいと思っていた。だから外の世界への敵視も起きない。その分カルト集団にしては穏やかな組織だったとすら言えるが、それは裏返せばカルト集団として必須の団結力に欠ける側面を持っていたことを意味する。

 ゆえに心眼会、特に奈落村という集団をひとまとめにするために、敵役となる何かが必要だった。

 それが『逆さまの悪魔』。

「なんでもいいんです」

 歩きながら、数多くんが言う。

「人と違う、逆の性質を持っていれば何でもいいんです。ぼくの場合、逆子だったから適用されただけのこと。ぼくは悪魔と呼ばれ、村の隅で秘かに暮らすことになりました」

 殺されなかったのは情け、ではない。敵はそこにいてこそ意味がある。数多くんは村人がヘイトを向けるために生かされていた。

 あるいは。

 村で何か重大な問題が起きたとき、スケープゴートにするために。

「僕は剣道部員の中で唯一、左利きだったからなあ」

 あのときのことを思い出す。

「僕もその悪魔が適用されて、数多くんたちの住む場所に追いやられた。で、そこで会ったというわけだ」

 数多くんと、彼の世話をしていた老婆と。

「ぼくにしては幸運でしたね。瓦礫お兄さんと一緒に行動できたお陰で、こうして生き残ることができたんですから」

「……………………」

 幸運と不運はコインの表と裏だ。数多くんが助かった裏で、僕と敵対したために死んだやつも大勢いる。

 ま、そんなの僕の知ったことじゃないけどな。

「ふうん。いろいろあったんだねえ」

 と、愛珠は当たり障りのない感想を述べた。

「それにしても生還者四人かあ。わたしは犯罪史に詳しいわけじゃないけど、普通にやばい事件だよね。全然語られないけど」

「とどのつまり新興宗教の集団自殺という扱いだからな。それに時期もお盆だ。テレビは奈落村なんて取り上げなくても、広島に長崎の戦争体験を語るだけで尺が稼げる。わざわざ真相の分からない事件を持ち出す必要性も薄いしな」

 そういう時期的な幸運が重なって、奈落村事件はあまり大きく報じられていない。当時はさすがにいろいろニュースも流れたようだが、五年で十分、皆の記憶から忘れ去られている方だろう。

 まあ、忘れられないやつらもいて。

 そういう連中が、毎年追悼なんてやっているわけだが。

「着いたな」

 そういうしている間に、僕たちは目的地にたどり着いた。

 追悼式典の会場、額縁中学に。

「ここに来るのも久しぶりだ」

「中学でやるんだね」

「ああ。追悼碑がここに建てられているからな」

 奈落村は警察が今も封鎖している関係上、そこに追悼碑を建てるわけにもいかなかった。それに三重県は遠いからな。結局、剣道部のあった中学に建てるのが一番穏当なところだったのだろう。

「…………おや?」

 見ると、正門の前に誰かが立っている。それは見覚えのある女子生徒で。

「真冬ちゃんじゃん。おーい」

 愛珠が声をかけて近づく。

「…………………………」

 そこにいたのは、まさに話題に上がった生還者のひとり、渡利真冬さんである。日焼けと熱中症防止のためか、上等高校の制服の上に薄いクリーム色のカーディガンを羽織って、日傘を差している。

 そして手には、花束を。

「お久しぶりです、真冬お姉さん」

 数多くんが屈託なく近づく。まるで邪気のない愛珠と数多くんの様子を見て渡利さんは溜息をつき、そして次に僕を見た。

「ようやく来た」

「………………?」

 そう言った渡利さんの声は、どことなく安堵しているようでもあった。

 はて、安堵?

 渡利さんが僕を見て安堵することなどあるだろうか。

「何か問題でもあったのか?」

 単刀直入に、聞いてみることにした。

「問題、しかないかもね、これは」

 言って、渡利さんは僕に花束を押し付ける。

 花束。

 種類は分からないが、白い花だ。お供え用の花束としてはつつましやかな量で、花束全体のシルエットは全体的に細身である。

 この花束が、何か?

「………………あ」

 花束は白い紙で包んであったのだが、その紙をあらためて、気づく。何か模様が透けて見える。

 花を探り、紙の内側を見る。

 そこには、大きな瞳のマーク。

「これは…………!」

 覗き込んだ数多くんが、驚きの声を上げる。

「心眼会の、マークだ」

 心眼会の事件、それに巻き込まれた被害者の追悼の場に。

 心眼会のマークの付いた花束。

 なるほど、なるほど。

 これは問題だ。

 しかし問題は、実はそれだけではなかったのだ。

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