猫目石瓦礫
まずはマスターに頼み、いくつか準備してもらう。
必要なものは目の粗い小麦粉、綿、そして筆だ。
「この手のパスコード入力式の爆弾にも、いくつかタイプがある」
道具を準備しながら、自分の知識を整理する意味も込めて解説を挟んでいく。
「その中でも今回は時限式だ。タイマーがあり、残り時間をカウントしている。するといつ、どうやってタイマーを起動するのかというタイミングと方法が問題になる」
普通なら、電源を入れた時点でタイマーがスタートするのだろう。だが、藍也さんが着せられている爆弾ベストを一通り真名子に見てもらったが、電源のようなものは存在していない。
目に自信のある真名子の確認なのだから、これは間違いない。
「すると可能性があるのは、これだ」
テンキーを示す。
「テンキーで数字を打ち込むと、その数字がパスコードとして設定されるのと同時にタイマーが起動するという形式だ。おそらく今回はこれだ」
というか、そうでないと対処できないので、藍也さんを置いてすたこらせっせのプランBに切り替わる。
「そこでどうやってパスコードを特定するのかというと、こうする」
小麦粉を綿につけ、ポンポンとテンキーにまぶしていく。だいぶ白くなったテンキーを、筆でこすって余分な粉を落とす。
「……指紋か!」
雪垣が得心言ったように呟く。
「たまには探偵らしいことをしないとな」
小学生のころ、よくやった手だ。最近じゃめっきり使う機会もなかったが、覚えていて損はなかったな。
「さて、指紋を見るとテンキーの押された番号は三、四、五、そして零だ。この中から特定の順番と回数を押し、七ケタのパスコードを出現させる必要がある」
さて、ここからが一苦労だが……。
「しかし、七ケタの番号なんてな……」
「おいおい相談役。七ケタの番号と聞いて即座にピンと来ないようじゃこの業界はやってられないぞ?」
「どの業界だよ」
それはともかく。
「通常、パスコードとして指定されるのは四ケタだ。ウェブ上で受けられる各種サービスのアカウント管理に利用するパスワードは半角英数字で四から十六文字程度と決まっている。と、かように、パスコードに使う数字の数ってのは実はいくつかのバリエーションしかない」
こういう知識は、以前横浜へ行ったときに出会った『解読屋』からの受け売りだ。
「しかし七ケタというのは妙だな」
それがヒントだ。
「どういうことだ?」
「まだ分からないのか? この世に存在する数字は、実のところ数を数えてみるといろいろ特徴的なんだよ。例えば電話番号は、固定電話なら市外局番込みで十桁、携帯なら十一桁だ。この場合、七桁の数というのが特徴というわけだ」
さらに特徴的なのは、これだ。
『***-****』。
この、三つの数、横線で区切って四つの数という形式。
こんなもの、見たことしかないだろう。
「郵便番号、だね」
真名子が答えた。
「そう、つまりこのパスコードは何らかの郵便番号を示しているということになる」
問題は、その郵便番号が何か、ということだが。
「例えばこの『パラダイスの針』の住所の郵便番号は? 違うな。藍也さんがここに来るとは、犯人は読めなかったはずだ。そういうことを考えると、そもそもここら辺の住所を指定しているとは考えにくい。また藍也さんになじみのある郵便番号とも考えにくい。さっき雪垣が調べたように、爆弾騒ぎは各地で起きているんだ。仮に同種の爆弾が仕掛けられているとするなら爆弾の設置はやや無差別的だ。藍也さん個人を狙ったわけではないのなら、藍也さんになじみのある郵便番号を用意したとも考えにくい」
ならば、残る可能性は。
「犯人に関わる郵便番号」
「犯人…………?」
マスターが思案気に腕を組む。
「それは……さっき彼が言っていた、カジノ誘致派がどうのって話?」
「ええ。陰謀論がひょいと本当になったわけです」
そう考えると、今、店の外でデモ行進をしている連中も誘致派の自作自演なのだろう。
「じゃあ、パスコードは名古屋市令和区の?」
「いえ、名古屋市の郵便番号には六が入るので違います。むしろここで選ぶべきは、もっと大元」
「大元………………?」
「大阪都天京区」
さっき、指紋採取の道具を準備してもらっている最中に、調べはついている。
大阪は都構想の実現によって府から都へ移行したが、その内実に大きな変化があったわけではない。まあ、特に住所はわざわざ変える必然性も薄いからな。結果、都になっても住所も郵便番号も大きくは変わっていない。
特に郵便番号は、だ。住所は区の再編で多少変わったが、割り振られた郵便番号を変える意味はない。
そして問題の天京区。これは大阪湾に浮かぶ人工島である夢洲を元とし、ここは元此花区である。
ゆえに、その郵便番号は。
554-0043。
確かに、テンキーに残る指紋と合致する。
「で、でも……」
マスターが僕を止める。
「それはあくまで、そう推理できるという話でしょう? そう解釈できるという話であって、いくら傍証を重ねたところで、それが事実である確証は得られない」
「……………………」
やはりというか案外というか、鋭い人だ。
「そうだねえ」
真名子が頷く。
「確かに、これは推理だ。推理は一定の理に従って答えを導いたというだけのことであって、それが真実であることを担保しない。真実らしく見えるし、たぶんそれで正しいのだろうと思える、くらいのものだね」
「そもそも」
藍也さんが言う。
「探偵は真実に到達できないのではないか、という問いもあるくらいだ。探偵が物語の中の存在である限り、探偵の真実へ到達する能力には限界がある。でも、しかし、その能力の限界など実のところ、さして意味はない」
なぜなら。
「探偵とは、自分の推理を正しいと、妄信的に信じられる者を言うのだから」
名探偵、皆を集めてさてと言い。
みんなを集めるくらいなのだから、自分の推理が正しいという自信はある。
だが、自信だけでは駄目で。
そこには妄信すら必要だ。
僕の推理は間違っていない。間違っている筈がないという妄信があって、初めて。
探偵は探偵たりうる。
「まあ、大丈夫だろう」
僕は、テンキーに数字を入力していく。
「大丈夫だ」
なぜなら。
この物語は、まだ終わらないから。
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