SEASON END 兄三人

紫崎雪垣

 これまでの三編で、おおむね、僕の妹については分かってもらえたはずだ。

 木野哀歌。

 血はつながっていないし、戸籍上の関係すらないが、確かに妹だと言える彼女。

 どうしようもなく慇懃無礼で、我がままで、その割にしっかりした愛すべき妹。

 ところで、彼女にはもうひとり、兄がいるということを話していなかった。

 兄と言っても、義兄という立場。やはり僕と一緒で、血のつながりも、戸籍の関係もないのではあるが、確かに兄と呼ぶべき存在が。

 それは同時に、彼女の姉である切槍愛珠あいすの兄でもある。僕にとっては姉とも妹もつかないあの現役女子高生プロボクサーの愛珠が、かたくなに僕を弟と呼び、「兄はひとりいれば十分」と言っていたから、何となく想像はついていただろう。

 もうひとり、いるんだろうなくらいは分かっていたかもしれない。

 まあ、あるいは、実は哀歌にはさらに兄がいる可能性も、なきにしもあらずなのだが。なにせ彼女、悲哀という母親ははっきりしているが、父親が不明だ。彼女の父に関しては、悲哀も口を閉ざしている。あいつのことだから、隠しているというより忘れてしまっている可能性の方が高いのが何ともはやだ。ともかく、父親が別にいるということは、その父親が他の女と結婚し、子どもを設けていた場合(悲哀のことを考えればその可能性はかなり高い)、哀歌には僕たちの外に兄弟姉妹がいるということになる。

 その辺の調査については、実のところ哀歌は行っているらしいのだった。というのも二年前、悲哀が失踪したとき、あいつを追いかけるための手がかりとしていろいろ調査をし、その中に自分の腹違いの兄弟についても含まれていたという。哀歌としては悲哀の失踪の原因を自分の他の兄弟たちに帰着するのは当然の帰結だし、結果、愛珠という姉を見つけているのでその目の付け所はまったく正しかったわけだ。

 それについてだが、悲哀の過去はかなり込み入っており、調査は難航した。ぶっちゃけ、難航する中でいの一番に引き当てたのが愛珠だったところがあり、そう考えると、哀歌も鳥羽理事長に負けず劣らず豪運なところがある。

 そういう事情があり、哀歌の隠された兄弟姉妹の調査というのは、その目的を二年前既に果たしているが、現在を持っても継続中、なのである。

 哀歌は知らないことだが。

 これは僕と、前述した彼女のもうひとりの兄との共謀と独断による。まあ、さすがに悲哀がもう哀歌たちを捨てて失踪することはないにしても、隠された兄弟たちが原因でまたぞろ面倒事に巻き込まれるという可能性はないわけじゃない。そういう禍根は、哀歌がまだ子どものうちにしっかり断ち切っておくのが、兄としての務めだろうという結論を僕たちは得ていた。

 これも愛珠が既に言ったかもしれないが、哀歌のもうひとりの兄は探偵をやっている。探偵と言っても、僕がタロット館事件以降そう呼ばれるような、いかにも虚構的フィクショナルなそれではなく、いわゆる興信所の調査員なのだ。だからこの手の調査はお手の物で、彼は二年前から、哀歌の隠された兄弟たちについて調べている。

 そして夏休み最終週のある日、それらの途中経過の報告を兼ね、その人は普段暮らして活動している東京から、愛知県に来るという。

 あくまで僕たちの独断専行である調査の話なので、まさか家でゆっくり報告会というわけにもいかず、僕たちはどこか適当な場所で落ち合うことになった。

「で、どうしてそれにわたしがついていくことになったのかな?」

 と、僕の隣の席で聞いてきたのは、ひとりの女性。

「ま、久々の外出はいいんだけどね」

 その女性の名は、目童真名子。

 かつて新興宗教心眼会で巫女カリスマをしていた女性である。

「理由はふたつある」

 僕はつとめて小声で、真名子に答えた。

「ひとつはその人に、お前の調査を頼むためだ」

「調査?」

「目童家の調査だよ。お前の生家は岐阜県じゃけっこうな名家だって、お前自身が言っていたんだ」

「記憶ないなあ」

 そらそうだ。こいつは五年前の事件で記憶喪失になり、現在も回復していない。

「僕が聞いた話では、一族揃って奈落村に移住したという話だったけど、まさか文字通り一族全員というわけではないだろう。目童家には心眼会になびかなかった、いわゆる生き残りがいるはずだ。そこらを調査してもらっておこうと思ったんだ」

「わたしの記憶を取り戻すために、かい?」

「いや、どうだろうな」

 一応、こいつの記憶は医者によれば回復する可能性があるという。しかし五年で回復しないとなるともう不可逆と言ってもいいくらいだが……。

「一緒に奈落村に来なかったくらいに疎遠な親戚と再会しても記憶が戻る可能性は低いんじゃないか? だとしても、きちんとそこいらを明確にしておかないとな。一応名家なんだから、遺産相続とかいろいろ面倒だろ」

 奈落村は五年前の事件で炎上し、何も残っていない。それは字義通り、何も、だ。死者の死体ひとつ残らなかった。ゆえに奈落村事件の死亡者百余名は、法律上は行方不明者という扱いになっているはずだ。行方不明者を死亡者として扱えるようになるには、確か七年かかる。すると目童家の生き残りたちは、遺産の相続や分配で苦慮している部分もあるだろう。真名子が生きていたということを、彼らのためにも明確にしておく方がいい。

 まあ、新興宗教に入れ込んでいたわけだから、相続するだけの遺産が残っているかは怪しいが。

「しかし君の妹――哀歌ちゃんの身元調査で忙しいんだろう? その上こっちの仕事も頼むのかい?」

「そうだな……。それに主な活動範囲が東京の人だからな。どちらかというと、信頼できる調査員を紹介してもらうって形になるだろう」

 僕はその辺、分からない。こういうのは蛇の道は蛇で、あの人に聞いた方がいいだろう。

「だとしても、わたしをその彼に引き合わせる理由はないだろう?」

「会っといた方が何かとスムーズだと思うが……。それに、理由はもうひとつある」

 どちらかというと、そっちが本題だ。

「お前の記憶を取り戻すために、引き合わせたい人間がいる。だからここに来たんだ」

 ここ。

 喫茶店『パラダイスの針』に。

「いやあしかし、雰囲気のいい店だね。君がこんな洒落た店を知っているのは意外だったな。コーヒーなんてカフェインが摂れればそれでいいってタイプだろう、君は」

「そうだな。コーヒー一杯に五百円払う人間とは価値観が合わん」

 帳いわく、僕は味音痴らしいし。インスタントとの区別もつかないだろう。

「とはいえここは、あいつの住処だからな」

 奈落村事件の生存者。その四名のうちのひとり。

 上等高校の相談役、紫崎雪垣の。

「で、その彼くんはどこに?」

「見当たらないな」

 僕が真名子をここに連れてきたのは、秘密裏に彼女とあいつを引き合わせるためだった。

 しかしいない。あの馬鹿、肝心なときにいつもいないな。

「ご注文は?」

 そうこうしていると、店のマスターがこちらにやってくる。

「ああ」

 ちらりと、真名子はマスターを見る。

 マスターは年のころ三十前半くらいに見える。艶っぽい長髪を紫色のバンダナをリボン代わりにして結っている。緑色のエプロンには、小さく葡萄の模様が染め抜かれていた。

「このホワイトオムライスっていうのにしよう。コーヒーはオリジナルのアイスを。瓦礫くんは?」

「僕は別に……」

「お金なら出すよ。セントラルアーチから貰っているから」

「別に金に困っていたわけじゃないんだが」

 単にお腹が空いていないだけだ。

「僕もオリジナルのアイスで」

「かしこまりました」

 言って、マスターは悪戯っぽく微笑む。

「ところで」

 真名子がじっと、マスターを見つめる。

「小さいながらもいい店だね。一人で切り盛りしているのかい?」

「……そんなところね。ひとり、手伝ってくれる人がいるけど」

「ふふん。その彼とはいい仲なのかい?」

「さあ?」

 二人は意味深に笑いあい、マスターが厨房へ消えた。

「雪垣とマスターの関係については事前に説明したはずだが?」

「確認さ。君を信用していないわけじゃないが、自分で確認できる情報は確認するのがいい」

 この店のマスター――葡萄ヶ崎伊利亜さんは雪垣と、いわゆるである。どうやら経緯としては、実家を家出したあの放蕩息子を、マスターが囲ったというところらしい。傍目には未成年を成人女性が性的にたぶらかすの図だが、どっこいあいつは警察に知り合いがいるので、マスターの手が後ろに回ることはない。

 持つべきものは警察の友達だ。僕なんて散々事件に巻き込まれているのに、そういうこういう関係は一切ないというのに。

「しかし彼女、なかなかしたたかというか、厄介なタイプの女だな」

「……と、いうと?」

「探りを入れられるのに慣れている。ま、わたしの真偽眼をかいくぐれるほどじゃないが。しかし普通、わたしの瞳術ってのはことさえ気づくやつは少ない。だけども、彼女は少なくともわたしの目が見抜いていることくらいは勘付いている」

「僕の瞳術と違って、完全に無意識下で発動する自然な観察眼である真名子の瞳術に気づく? さすがにそこまで察しのいい人には見えなかったが」

「だからさ。女の勘ってやつかねえ。瞳術使いのわたしはその手の直観や霊感には無縁なんだが、その辺が鋭いタイプだよ」

「ふーむ」

 そういえば、以前にマスターを見たという哀歌が言っていたな。彼女は悲哀とよく似ていると。男と関わり、男の間を動き回る女。愛欲をふりまわし、またふりまわされる女。いや、哀歌の場合、もっとはっきり「あの人は水商売の経験があるようです」と語っていたが。

 まあ別に、マスターの経緯がなんであれどうでもいい……とも言い難いか。あのマスターは、言ってしまえば雪垣の急所でありアキレス腱だ。万が一に備えて、押さえておくのが吉かもしれない。

 万が一……その万が一のとき、あのマスターが無事生きているという気がしないのがあれだな。それこそ直観的な話だが。なんというか、雪垣のやつが僕と敵対する状態に陥る場合、それはマスターの死が遠因になりそうな気がする。

 逆にそれ以外の雪垣の関係者……扇さんにしろ六角さんにしろ渡利さんにしろ、彼女たちがどうなっても、あいつは動かない気もするのだ。なんだかんだ言って、あいつも僕と同じ、事件によって感覚がマヒした人間だ。

「お、噂をすれば、だ」

 真名子が店の出入り口に目を向ける。

 からんからん、と。

 扉につけられたベルが鳴って、人が入ってくる。

 紫崎雪垣。

「ただいま、伊利亜さん」

「おかえりなさい」

「……………………」

 雪垣はすぐに、こちらを見た。客なら他にも何人かいるはずだが、どうしてか僕たちの存在に即座に気づいた。いや、それこそのか。

「なんでお前がいるんだ」

「僕がどこにいようと僕の自由だ」

「……その人は?」

 雪垣は僕の隣に座る真名子を見た。さすが年上のお姉さん好き。気を回すのが早い。

「瓦礫くんの師匠みたいなものさ。気軽に真名子お姉さんと呼んでくれたまえ」

「……………………」

 刹那、真名子と雪垣は目線を合わせた。

「…………そうですか」

 しかし、すぐに雪垣は視線を外し、厨房の方へ向かっていく。

 これは…………。

「うむ、駄目だね」

 真名子が小さくうなずく。

「わたしは彼を見ても何も思い出せないし、向こうもわたしを覚えていないと」

「そのようだな」

 まあ、この場合そっちの方がいいのかもしれない。真名子はともかく、雪垣は奈落村事件のことを思い出すとパニックを起こすからな。面倒は御免だ。

 僕が真名子を連れてきたんだけどもさ。この分なら渡利さんにも引き合わせておくべきだったか? いや……雪垣の馬鹿はどれだけ追い込んでも構わないが、渡利さんはあくまで一般人だし普通の被害者だから、負担になることをあまりさせるわけにもいかないんだよな。

「お待たせしました」

 注文した料理が運ばれてくる。ホワイトオムライス、というのはよく分からなかったし、運ばれてきたものを見てもよく分からないんだが。

「美味しそうだね。じゃあ、いただき――――」

 と。

 真名子がスプーンを手に取ったそのときだった。

 突如。

 轟音と振動が鳴り響く。

「なんだ?」

 慌てて雪垣が飛び出してくる。

「爆発かな?」

 真名子は一度、スプーンを置いた。

「近いね」

「みたいだな」

 衝撃で喫茶店の窓がガタガタと揺れている。

 などと言っていると。

 店の扉が開き、ひとりの男が入ってきた。

 その途端、店は騒然とした。

 なぜならその男の腹部には、誰がどう見ても爆弾と分かる機械類が括りつけられているからだった。

「やれやれ、参った」

 さらに困ったのは。

「探偵業は危険がつきものとはいえ、さすがに爆弾を括りつけられたのは人生でも初めてだ。おまけに乗ってきた車にも爆弾が搭載されていたとは。一定速度以下になると爆発する仕様か……。まるで特撮もののワンエピソードみたいだね。そういう話、たまにあるよあな」

 饒舌に店内へ入ってきたその男は、僕たちの待ち人であり。

「……面倒だな」

 すなわち、哀歌の兄である、切槍藍也さんなのだった。

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