5 師弟教導
「ほう、答えが分かったか」
僕は再び黒鵜白刃の元を訪れた。
「俺が問題を起こせば遠からずお前が動くと思ったが、まさか瓦礫と一緒とは驚いたぞ、ヒトミ」
「問題起こしたって自覚はあったんだ、白刃さん」
ヒトミ――目童真名子も僕に随伴していた。町井先生は仕事が終わったので帰り、入れ替わるように紫さんが再び僕たちと一緒にいる。
「それからヒトミって名前は今日限りだよ。瓦礫くんがばっちりわたしの名前を教えてくれたからね。目童真名子。それが今日からのわたしで、五年前までのわたしだ」
「目童真名子…………」
黒鵜さんの隣で哀歌が呟く。
「心眼会の目童真名子さんですか。事件の折は兄が散々お世話になったと聞きました」
僕、どんな説明を哀歌にしたんだ?
「しかし兄は目童さんを知っているとはいえ、目童さんは記憶喪失でしょう? 兄が嘘を吐くとも思えませんが、目童さんはそれを信じるのですか? 新興宗教のカリスマですよ?」
「かっこいいじゃん」
善悪の判断能力が死滅している。
「はは。さすがのわたしだって無為にそんなレッテルを受け取ったりはしないって。彼がわたしの名前を教えてくれた時、きっちり『真偽眼』は発動していたとも」
さすがにあの場面では、面食らってしまっていて瞳術封じは使えていなかったか。オンオフが利くということは、オンオフをしなければならないということだ。心眼会の三人の巫女と、僕の使う瞳術の違いはここにある。
「瞳術ですか」
「そうそう。つまりわたしは君のお兄ちゃん、瓦礫くんが使う瞳術の師匠に当たるんだよ。ゆえに今回の問題に首を突っ込んでもなんら出しゃばりではない」
「まるで普段はそう言われてるみたいな物言いだな」
「そうなんだよ。どうしてだろうね」
事実出しゃばりだからだろうとしか。
しかし、ふむ。師匠と来たか。
そういう
「師弟揃ってふがいない様を晒すなら、別の師弟がそれを諫めるという感じで」
「ジブンらがそれでいい言うなら止めはせんけど…………」
紫さんが僕たちから少し離れた位置でぼやく。
「まっさか心眼会の巫女とはなあ。これ、警察にどう説明するんや? 知らなかったこととはいえ、犯罪者を匿うのと五十歩百歩やで?」
どうやら紫さんが抜けていたのは心眼会、ひいては奈落村について調べるためだったらしく、合流してからはぼやきっぱなしである。今すぐにでもヒトミ=目童真名子をなかったことにしてほしいと言わんばかりだ。
あくまで雇われ医者の彼女がそこまでセントラルアーチの立場を気にする必要はないはずだが。
「その点については問題ないだろう」
黒鵜さんは鷹揚に答える。
「生存者の瓦礫とヒトミ――真名子が面倒な敵対関係にないのだから、お前さんが証言すればさして大事にはならないのではないかな?」
「まあ、そうかもしれないですけど」
適当に濁す。実は生存者の中で一番証言の信憑性が疑われていたのが僕だとは、さすがに言わない。
どうして半狂乱状態だった渡利さんや雪垣の証言ばかり採用されて、平静を保っていた僕と数多くんの証言は疑われたのか、これは実に奇怪だ。
「ともかく、さっさと事態を収束させましょう、黒鵜さん」
大切な家族がいたとして、その家族を守るためにお前は命をかけるか?
その問題の答えを引っ提げてきたのだ。
「僕の答えは、哀歌とは逆だ」
すなわち、かけない。
僕は大切な家族――例えそれが哀歌だろうと帳だろうと、命をかけて守らない。
一緒に傭兵部隊とドンパチした親友だろうと、奈落村を一緒に駆け抜けた戦友だろうと、奇特ながらも僕を信頼してくれる後輩だろうとも。
僕より以前に帳の傍にいた、正真正銘の名探偵でも。
僕の師匠を気取る新興宗教の巫女だろうと。
僕は等しく、命をかけて守りはしない。
「そもそも、命をかけるとは? これは、それをどこまで把握しているかを試す問題です。命懸けならぬ命賭け。賭け事ならばあなたたちの範疇だ。この問題が本来、黒鵜一家へ入るための試験であるという証言とも一致する」
「もっとシンプルに言えば、賭け事というものの本質を理解しているかってことだね」
真名子が付け足す。
賭け事の本質。
「僕の友達の中で最も成功しているやついわく………………」
「え、瓦礫くん友達いたの?」
「兄さんに友達が?」
二人して驚愕してんじゃねえ。あと今は僕の交流関係のうちどこまでが友達かを議論する時じゃない。
ああ友達だとも。地獄へのペアチケットを手に入れたら真っ先に声をかけると言われるくらいには信頼できる友達だとも。
「………………そいついわく『賭けとはゲームによって資産を両者から、そのどちらかに偏重させるものだ。そこに一度、一時的という名目で資産を巻き上げる
これは短絡的に言い換えれば、奪い合いだ。
「
大切な家族――家族でなくともいいが――を守るため、自分の命をテーブルに置くという行為。
「命を賭けてなお、大切な誰かは確実に助かるわけではないという状態。黒鵜さんの設問が想定する状態は、整理すればそういうことになります。なにせ賭けです。確実に勝てるわけではない。実際、ほぼ確実に勝てると分かっている哀歌の勝負を見ていても、僕は気が気じゃなかったし」
ルーレット・サドンデスでは哀歌は貞操(「デート一回です」とまた訂正されそうだ)を賭けていたからハラハラ具合も並みではなかった。翻って役満麻雀は他人の金でやったギャンブルだが、その時も結局同じくらいハラハラした。掛け金どうの以前に、僕は哀歌がギャンブルをしている状態がもう耐えられないらしい。
ましてや…………。
「命を賭けて負ければ文字通り地獄行き。これほど分の悪い賭けはない」
これが例えば自分の腕や足一本ならば話は違っただろう。真名子が言った通り、それくらいなら賭ける人間は相応にいるだろう。
しかし命となると……。
自分の命で大切な誰かが助かるという保証でもないと、差し出せはしない。
「賭けるものと得るものが釣り合わない。相手の国士無双にリーのみで張り合うようなものです。命を賭けて得るのが、誰かを救う機会ではならない。自分の命という最大の資産は、誰かを救う機会なんてあやふやなものには賭けられない」
「そもそも、わたしたち『未来視』の瞳術使いは賭けなんてしない」
僕の言葉を引き継いで、真名子が自慢気に語る。
「だって未来が見えるんだからね。自分の命を賭けざるを得ないなんて、追い込まれた状況に立つことすらありえない」
自分が守りたいと思う者が守れる領域まで、視野を広げろ。
どんな危機も、それが訪れるより先に回避しろ。
「それが…………」
哀歌が口を開く。
「兄さんの、答えですか? 兄でも、探偵でもない」
「……どうだろうね」
真名子の語るそれは、瞳術使いの矜持ではある。しかしだからといって、兄や探偵としての僕と両立しえないということはないだろう。
なにせ奈落村は、僕が帳の傍に再び立つと決めた場所なのだから。
『未来視』とは、そのための決意なのだから。
「少なくとも、賭け事は兄としても探偵としても領分じゃない。だったら、瞳術使いとして、賭け事が成立するより先に問題を解決する」
領分じゃないと言っても、それで賭け事が向こうから諦めてくれるわけではない。ならば僕のすべてを駆使してそれを回避する。僕の全身全霊の中には、もちろん瞳術も含まれる。
それだけの話だ。
「しかしまさか…………夏休み最終週にサプライズとは」
僕はタブレットの電源を落として、思わず呟いていた。
これももうSEASON1から話しているし、SEASON2でも触れているからいい加減語るのもあれなのだが、僕がタロット館事件でひいこらしているのと同時期に、上等高校でも殺人事件があった。学校の行事一切を取り仕切る実行委員会のメンバーが、同じメンバーを殺害するというありきたりな事件だ。ともかく、かたや一生徒が巻き込まれ、かたや学校そのものが舞台になる事件が同時に起こり、上等高校は対策を余儀なくされた。
そのひとつが事件の傷を負った生徒のフォローであり、そのために町井先生は派遣されたのだ。
もうひとつの対策は、事件で中心的な活躍をしたと目された僕と雪垣に、それぞれ刑事をつけるというものだ。柳の下の泥鰌狙い。もしまた事件が起きるなら、それに僕か雪垣が関わるだろうという憶測である。
そんな馬鹿なと笑いたいところだが、現に僕たちは夏休み中にも事件に巻き込まれているから笑えた義理ではない。
雪垣の担当刑事はどうやらやつの昔からの知り合いらしく、監視業務は完全におざなりである。一方の僕はやつと違い懇意にする刑事などいないので、初対面の人間がついた。
「では、レポートでも書いてもらいましょう」
という提案がその刑事からなされた。有無を言わさずだ。僕が受験生であることを理解してほしい。
そういうわけで、僕は今までに巻き込まれた事件、および夏休み中に新しく巻き込まれた事件についてとにかく書くことを求められた。探偵小説家たちの集まりだったタロット館に招待された一人だが、まさか僕に小説が書けるはずもない。また、大抵の事件は警察でも把握しているので、正確さも求められていない。
これはあれか。僕がどれだけの事件に巻き込まれてきたか自分自身に認識させる的なあれか。なんかこういう手法、カウンセリングになかったっけ?
「ははっ、大変だねえ」
「うるせえ」
現在、僕がこのレポートを書いていたのは自室でもなく、上等高校にある僕が部長を務める弁論部の部室でもない。セントラルアーチの病棟の一室である。
もっといえば真名子の部屋。
時間にして、黒鵜さんの起こした騒ぎを宥めた翌日である。
自分の師匠想いっぷりに泣けてくる。
「それにしても多いなあ。君、奈落村事件に巻き込まれる前ですらこんなに事件に巻き込まれているのかい? そりゃあ『瓦礫くんが事件を発生させている』なんて言われるさ」
「そんな非科学的なことをどうして信じろっていうんだか」
「わたしは科学ならざる淫祀邪教の巫女だったからねえ。非科学的でも構わないとも」
探偵にはおよそあり得ない
「面白そうな事件もちらほらあるじゃないか。ふんふん。タロット館、朝山家ねえ」
その中でも彼女はタロット館事件に興味を持ったらしい。どういう基準かは、考えても意味がないだろう。
「それにしても味気ない名前ばかりだねえ。だいたいは事件の現場になった場所の名前をそのままあてがっているだけじゃないか。これなら――君が言っていた上等高校の『殺人恋文』事件の方がセンスがあるぜ?」
「事件の名前にセンスも何もないだろう」
「わたしが付けてあげようか?」
「いいよ別に」
「えー」
ぐってりと真名子はベッドに倒れ込んだ。僕と違って基本的に暇人だ。
「それで、お前の方はどうなんだ? 結局、警察に連絡はつけたんだろう?」
「まーね。三重県警はもうてんやわんやらしいよ。でも奈落村事件自体、新興宗教の集団自殺って体で片付いてるからなあ。今更わたしを見つけたところで何がどう進行するでもないし」
「そういえばそうだったな」
瞳術の開眼を目的とする心眼会は、そのカルト的な信仰心が比較的内側に向いた組織だった。ゆえに新興宗教らしい諸問題はあるにせよ、基本的には勝手に何かいかがわしいことをやっている組織、くらいの認識しか持たれていなかった。外部への活動は布教活動以外では、さして行っていない。世界の破滅を予言してそのための武装を蓄えていたというか、そういうこともない。彼らが行った最も大きな犯罪は額縁中学剣道部――すなわち当時の僕たちの拉致、および奈落村での集団自殺が精々である。三重県警としても、未解決のため捜査本部は完全には解散になっていないようだが、かなり規模は縮小しているはずだ。
それもいい加減頃合いだし、死んでいたと思ったミライ様を発見したことで、いい区切りとなって解散する可能性もあるが。
「一応三重県警から、また今度警察が来るみたいだよ。合わせて瓦礫くんたち生存者もまた新しく聴取されるかもね」
「面倒この上ないな。ところで………………」
ちらと、窓から外を見る。夏休みも終わりに近づいて、気温はまだまだ夏真っ盛りだが、日は徐々に短くなっていた。太陽の傾きが、いつもより早い気がする。
「黒鵜さんに言ったこと、あれはどこまで本心だったんだ?」
「ふーむ」
真名子は少し考え込む。どう返答するか迷っているというより、僕の質問の意図が読めないというふうだ。
「白刃さんに言ったことって、追い込まれるのがあり得ないって話?」
「それだ」
「そりゃあ本気さ。ま、でも瓦礫くんが言いたいことは何となくわかる」
記憶は失っているとはいえ、彼女の体には刻まれているはずだ。
未来を見通す瞳術を使う自分が、確実に死の一歩手前まで追い込まれたというその傷跡が。死の一歩手前どころか、実質死んでいたに等しい傷を負いながら、なおギリギリで生き延びたという事実は、忘れていても分かるはずだ。
「現に、瓦礫くんのようにわたしの瞳術が通用しない人間がいる。つまり、わたしは油断すると命の危機まで追い込まれるというわけだ。弟子らしく師匠に忠告というわけかい?」
「どうでもいいさ。結局、忘れているんじゃ警戒のしようもない」
それもまた、巫女たちの弱点だったのだろう。この辺の感覚は間島くんや、草霧野球団ピッチャーズのそれに一番近い。彼が自分の幸運体質を信じて疑わず、事実それがかなり妥当なものであったために哀歌に足元をすくわれたように。彼らが役満麻雀において絶対的に有利だと信じて疑わず、やはりそれが妥当な判断であるために哀歌に敗北したように。
目童真名子もまた、自分の瞳術を疑わない。疑わないからこそ瞳術なんてものが行使できるのだし、事実その能力が驚異的なのは間違いがない。
だからといって。
その驚異的な力を僕や哀歌が超えられないわけじゃない。
絶対有利を崩す誰かが現れない保証はない。
間島くんがそうだったように、真名子もまた、それに気づいていればいいのだが。
「心配は無用さ。第一、命のやり取りが必要になる状況など、君じゃないんだからわたしにはそう訪れないよ。心眼会の巫女ミライ様だった当時はともかく、今のわたしはただの目童真名子なんだからね」
またしても、彼女は腹部の傷跡を撫でていた。やっぱり、無意識なのだろう。
利益をもたらしてくれると限らない他人を、自分は守りはしない。
命を賭けるところまで追い込まれもしない。
そう言い切った彼女の過去に何があったのか。その当時を知るのは僕だけだ。
平然と言い切った彼女が奈落村でギリギリの状況まで追い込まれたこと。そして利益になるどころか敵対していた僕を庇ったことを知っているのは、僕だけだ。
「思えば…………」
「うん? どうしたの?」
「いや」
言われるがままレポートを書いて、気づいた。
僕はけっこうな数の事件に巻き込まれてきた。その中で、決して少なくない回数、命のやり取りをする羽目になったこともある。でも………………。
真名子だけだったのだ。
僕を、守ってくれたのは。
傭兵部隊に銃を突き付けられた時も、ギャングのアジトに乗り込むことになった時も、孤島の別荘で殺人の容疑をかけられて軟禁された時も。結局は自分の力でどうにかした。そうする以外の手はなかった。
真名子だけが僕を守ろうとしてくれて。そして一度は命を落としかけた。
黒鵜さんの出した問題は終始一貫として『命をかける』側の視点で答えた僕だったけれど、仮に逆の立場になったらもっと答えはさっさと出ていただろう。
大切な誰かに、命をかけられてまで守られたら?
その答えは、僕の目の前に現れている。
奈落村での短い日々を忘れた彼女という姿で。
「きっと、記憶をなくしたのはよかったんだろうなと思ってさ」
「うーん。確かに、記憶がないから心眼会時代の罪を問われずにいるってこともあるよねえ」
そう、だからそれでいい。
僕のことを忘れていたとしても、それで。
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