4 命をかけるのではなく
ミライ様。
念のため言うならば、奈落村事件の生存者は四名であるが、そのカウントに彼女は入っていない。
奈落村事件の生存者とは、一人目は言うまでもなく僕。
二人目が現在上等高校に通っている渡利真冬。
三人目が二人目に同じく……どころかクラスも同じで「生徒会の相談役」という意味不明な称号を持つ紫崎雪垣。
四人目が現在十四歳――つまり哀歌と同い年のはずの少年、
目童真名子は、彼女は死んだはずだ。
奈落村はいろいろあって村全体が燃え上がり、そのために建物はおろか人すらも灰になってしまった。消防隊は救助活動に入ることができず、自然に鎮火したのを待って突入。彼らが持って帰ったのは人の骨なのか建物の残骸なのか分からないものがいくつかというお粗末な結果だった。
言い換えればそれは、誰の死亡も確認できていないということである。事件からまだ五年しか経過していないこともあって、奈落村事件の関係者はその多くが死亡ではなく行方不明という扱いになっている。
いかんせんもう死んでいるものとして扱っているし、公的にはともかく大抵はその扱いで正しい。僕としても死体をばっちり目撃した人間もいればそうでない人間もいる。焼けた村に是が非でも残ろうとして焼け死んだ人間となると、僕にも生死は判然としない。
真名子の生死は実はそのうちでも、判然としない部類に入る。ただ、僕は彼女が致命傷と考えていいだろう傷を負ったのは目撃していたので、生きているかもしれないという希望はまるで抱いていなかった。
まさかここで五人目の生存者とは。
奈落村事件自体戦後の犯罪史を塗り替えるような事件だったのに、今になって新事実の登場である。
「ほうほう、奈落村事件ねえ。それなら知っているよ」
ベッドに腰掛けてリラックスした様子の真名子は、こともなげに言った。
「自分の過去に興味がないのは事実だが、それはそれとして自分の過去に繋がりそうなものがあれば調べるくらいのことはするとも。心眼会が神通力と称して不思議な目の力を称揚していたと知ったので、わたしの目と何か繋がりがないか調べていたんだよ」
ほらこれと、床から一冊の本をすくいあげて僕たちに見せた。それは夏休みのある日、雪垣の後輩が僕に見せた本だ。最近出版された、奈落村事件に関する書籍なのだという。僕は自分自身が一番正確な生き証人なので興味はなかったが、こう繋がるか。
「しかしそれならば…………」
ソファに腰掛けた町井先生が落ち着いた様子で言葉を発する。
「なぜ警察はそうと気づかなかったのでしょうか。あなたの出自を調べるために、警察に届け出はしているとのことでしたが」
「ああ、それは簡単な話さ。奈落村は正確には三重県何楽地区と言って、割に県境の辺りなのさ。で、わたしはどうも県境を越えて三重県ではなく愛知県の方で倒れていたらしい。記憶がさっぱりないが、紆余曲折あってふらふらさまよっている間に超えていたんだろう。すると警察への届け出は愛知県警になる。警察は縦割りだからねえ。ただでさえ新興宗教の事件と失踪者じゃ管轄が違うのに県まで違うときたら行き違いも当然だろう。当時のわたしは身元のヒントになるような物を持っていなかったらしいし」
「じゃあローブも着てなかったんだな」
「ローブ? ああ、その本はそっちに…………そうそう分かってるじゃないか」
僕は子どもがおもちゃ箱をひっくり返したような部屋を掃除していた。あの本はこっち、あの書類はそっちという感じで。
「分かってるも何も、あんたの部屋の掃除は初めてじゃないからな」
「そうなのかい? ふむ、さっきからわたしの指示なしでもどんぴしゃで片付けるあたりマジっぽい。君のような年下をこき使うとは酷いやつだ。顔が見てみたい」
「まさにお前なんだよ」
今ですら片づけさせてるじゃねえか。
「ところでローブというのは?」
「心眼会の連中が着てたフード付きの白いローブだよ。あれの背中には心眼会のマークがついてたから、あれを着てればすぐに分かったはずだ」
「なるほど。しかし助かったよ。目童真名子か。五年間調べて出てこなかった過去がザクザク出てきている」
目童真名子。
奈落村にいた時点で十八歳と自称していた彼女は、だから当年二十三歳である。目童家はもともと岐阜県の旧家だったが、どういう事情か一族郎党心眼会に入れ込んで奈落村へ向かった。奈落村は心眼会の総本山であり瞳術の修行場だったが、信者だからといって全員は行かなければならない場所というわけではない。そこへ一族で移るくらいだから入れ込み具合も知れようというものだ。
「しかし君、わたしの名前と年齢はともかく、出身地やらなにやら知り過ぎじゃないかい? どんだけわたしのこと好きなんだよ。愛されているのかい?」
「……お前が五年前にペラペラ喋ったんだろうが」
こっちは情報提供をしているだけなのにやりづらいったらない。
「それにお前の出身地は僕の生まれ故郷だからな。印象にも残る」
「そうなのかい?」
「で、韓流ヒロインばりに記憶喪失してるあんたは何で僕を知ってたんだよ」
「それは無論、低俗三流雑誌の情報さ。タロット館事件で殉職した警視庁唯一の黙認探偵宇津木博士の代わりに名探偵の名乗りを上げた瓦礫くん。顔写真までばっちりだった。その週刊誌はすぐ回収されたみたいだけど、どっこい目ざとさが取り柄のわたしは一部持っているよ」
まあ、質問はしたが予想はついていた。どこかの三流雑誌が未成年かつ部外者の僕を顔写真付きですっぱ抜いたのだ。さすがに問題視されてすぐ回収騒ぎになったが。
「はあ…………」
「お疲れかい瓦礫くん。まだ片づけは始まったばかりだぞ?」
「お前の存在が疲れるんだよ」
なにせ死んだと思っていた人間が生きていたのだ。
死人が蘇るのは、僕の人生でも初めてだしな。
「とんだ偶然もあったものですね」
町井先生は溜息を吐く。
「骨折り損ですからね。先生が来なくとも、僕の存在で問題は解決していた」
「いえ、カウンセリングが不要ならそれはそれでいいのですが……」
ちらりと、先生は真名子を見る。
「自分の過去に興味がない、という割にはよく調べているようですね」
「まーね」
真名子は肩をすくめる。
「興味はなくとも、不安くらいはあるとも」
「不安……?」
「そう。例えばだ、わたしが過去に何かとんでもないことをやらかしていたとしよう」
例えになってないぞそれ。
ただの事実だ。
「この通りわたしは記憶喪失だ。五年前――つまり奈落村事件以前の記憶がない。わたしが失った過去において何かとんでもないことをやらかしていたとしたら、これは大変なことだろう?」
いつしっぺ返しが来るか分からない、と真名子は言った。
ぬけぬけと。
「わたしが仮に心機一転、何か新しいことに挑戦したとしよう。資格を取ろうとか、大学受験でもしようとかね」
すっ…………と。
真名子の目線が僕を捉えた。
「当然そこでわたしは努力をする。その結果、試験をパスするかもしれないし、パスできないかもしれない。それだけなら構わないさ。努力が必ず実を結ぶとは限らないことくらい分かっている。だがね、わたしが忘れている過去において、例えば殺人でもしていたとして、今更警察がわたしを犯人と見て捕まえに来たらどうなる? その結果、試験を落とされたり、そもそも受けられなかったら?」
それが怖い。
「つまりわたしの努力の多寡や質に関わらず、まるで関係ないどこかから茶々が入るのさ。恐れていたというより、そうなったらと思うと気力が充実しないというのが正しいのかな? どんなにわたしが努力しても、まったく無関係なところから邪魔されたらどうしよう。その疑惑は、わたしの気力を削ぐのに十分すぎるからね」
なるほど。だからその疑惑を解消するために、興味はなくとも自分の過去は調べていたわけだ。
まったく無関係なところから邪魔されたらどうしよう、か。
彼女のそれは厳密には無関係ではないのだが……。まあ、記憶喪失の彼女は心眼会の巫女だった真名子とは別の真名子なのか。忘れている過去において新興宗教のカリスマだったことを自覚しろと迫るのも無茶だろう。
「……………………」
ひょっとすると、僕が受験にいまいち精が出ないのも同じような理由なのかもしれないと思った。まったく無関係なところから邪魔されたらどうしよう。
センター試験会場に向かうバスがジャックされたら?
二次試験のために前日入りしたところで殺人事件に巻き込まれたら?
「お前がいると他の学生が危険にさらされる」と落とされたら?
奈落村事件を経験した僕としては、これはまったくの杞憂だとも言い難かった。遠征の帰路で拉致されたらどうしようなんて最大級の杞憂がどんぴしゃりだったことを考えれば…………。
探偵だからという理由で入学を拒否されるくらいは現実に起こりそうである。
「結局、意味はないのかもしれないけどねえ」
今度は真名子がため息を吐く番だった。
「直接的な犯罪に手を染めているわけではないらしいのは安心だが……新興宗教のカリスマて。過去のわたし、はっちゃけすぎじゃないか?」
「本当に記憶は戻らないのか?」
思わず僕はそう尋ねた。
「らしいね。わたしが発見されたとき、頭に大怪我を負っていてね。さらに腹部を刺されていたというのだから生きているのが不思議なくらいだよ。ともかく、その頭部への怪我が原因だろうということだが、回復しない理由はさっぱりだ。五年経ってこれだし、瓦礫くんに会って話を聞いてもピンとこないとなるといよいよ諦めた方がいいかもしれないね」
「そうか」
「なに? 思い出してほしかったのかい。可愛いやつめ」
「………………」
疲れる。
「あ、ところで」
ころころと話題が変わる。というか、話していないと気が済まないというか。
これだけお喋りなカリスマもそういないだろう。
「瓦礫くんはどうしてここに? わたしが恋しくなった?」
「お前の中で僕はどういうキャラ付けなんだよ」
年上のお姉さんに欲情するのは雪垣の役目だろ。
そのせいであいつ、カコ様と一緒に奈落村事件を一層面倒にしたんだぞ。僕があの事件で真っ先に恨むべきは心眼会ではなく雪垣である。
「それに…………いや」
ついうっかり、恋人の帳のことを口走りそうになって抑えた。五年前でさえ、何となく嫌な予感がして話さなかったのだ。帳と真名子をつなげるわけにはいかない。
どうあがけども新興宗教のカリスマである。警戒は怠らないつもりだ。
「まさか生きているなんて考えてもいなかったやつに会いになんて来るか。別件だよ」
「ほーう。犬塚先生を伴っていたのと関係がありそうだね」
「本当に勘はいいんだな」
まあ、分かるか。
紫さんは僕と町井先生を残して仕事に戻った。僕と真名子が知り合いである以上、自分が顔を繋ぐ必要は無いと考えたのだろう。
「何か用事があるという話でしたね」
町井先生も僕を見る。
「用事はあるんですけど、カウンセリングをするなら町井先生が先で構いませんよ?」
「いえ、話を聞くに猫目石くんはヒトミさん――目童さんの失った記憶に関わる人間でしょう? あなたと会話を続ければ、何か刺激があるかもしれません」
「そういう刺激を与える前の確認って話だったのでは?」
「見る限り彼女に動揺の色はないようですし……」
それに、と付け足す。
「私としてはむしろあなたのメンタルを心配しています」
「僕の……?」
「あなたは動揺していませんか?」
「……それは」
動揺しているのか、僕は?
「目線も先ほどから定まっていないようですが……」
「ああ、それは問題ないんです」
少しだけほっとして息をつく。
「こうしていないと、あいつの瞳術を防げないので」
「あ、やっぱり防がれてたのか」
あっけらかんとして真名子が笑う。
「さっきから瓦礫くんがどこまで本心で物を言っているか分からなかったんだよ。わたしの瞳術はオンオフが利くものではないはずなのに、君に対し『真偽眼』が機能していないように見えたのは気のせいじゃなかったか」
僕は先ほどから真名子に対し『瞳術封じ』を使用している。瞳術は視覚情報を超高速で処理する技術だが、裏返せば視覚頼りの技だ。そして人間の目は同時に複数のものを見る事ができない。ピントが合うのは一か所だけだ。ならば話は簡単で、僕は真名子の目を見て、彼女が何を観察しようとしているのか確認すればいい。そして真名子が観察しようとしたものを隠す。彼女が僕の目を見ようとすれば瞬きをする。右手の筋肉の緊張を見ようとしたなら右手を後ろに回す。呼吸による胸部の上下運動を確認しようとしていたら息を止める。そうすれば、彼女は瞳術の発動に必要な情報を集められなくなる。結果、相手の瞳術を封じられるのである。
特に彼女たち心眼会の巫女は無意識に瞳術を使う。つまり自分たちが何を観察しているのかさえ把握していないから、僕がこうして操作をしてしまえばそれに対抗できない。逆に僕は何を観察するか自分で意識して視線を動かすので、仮に誰かに同じ技を使われても対抗できる。
「うーん。理屈は何となく分かるんだけど癪だなあ。それってひょっとしてわたしじゃどうにも対抗できない技じゃない? ずっるーい」
「うるせえ」
僕からすれば瞳術なんてものを苦も無く使う真名子たちの方がよっぽどずるい。
「だからどうしてここに来たのか、目的を教えてよ。普通ならわたしの『千里眼』で君がここに来る前に何をしていたのかなんてお見通しなんだけど、それも封じられてるからなあ」
真名子は少しだけふてくされたようにベッドに倒れる。
「猫目石くん……その技術があったから、あなたは奈落村を?」
「ああ、いや。瞳術封じは奈落村の後に身に着けたんです。奈落村でこいつをどうにかした時は、もっと原始的で短絡的な方法を使いましたよ」
そもそもこの瞳術封じ、要するに相手の瞳術の観察スピードを超えないといけないわけで、それこそ『未来視』を前提とした技術である。瞳術の弱点はけっこうあって、それを駆使してあの時は突破したのだ。
ミライ様と呼ばれながらも三種の瞳術が使える真名子だが、やはり彼女が最も得意とするのは未来視である。僕も瞳術の中では一番得意にしているが、正直瞳術封じが真名子に通用する保証はなかった。僕がこの封じ技を使用したのはイマ様相手だけだし。未来視を未来視で防御、みたいなことはできないか。呼吸をするように瞳術を使う代わり、そういう繊細な調整が利かないのが巫女たちの弱点だ。
「ていうか真名子、僕には通用しなくても紫さんには通用するんだからそっちを見ればいいだろ」
「そりゃあねえ。でも瓦礫くんみたいに瞳術が通用しない相手なんて今までいなかったんだからついそっちを観察しちゃうでしょ」
本当に覚えてないんだな。
「でも紫さんが来たってことは、彼女の受け持ちの範囲で何かがあったってことかな? でもあの人首突っ込みたがるから確証がなあ」
「今回はその推測であっている。問題があったのは紫さんが担当している黒鵜さんだからな」
「白刃さんが? へえ、そりゃあ珍しい」
体を起こしてこちらを見た彼女の顔は、意外にも純粋に驚いている様子だった。
「それはちょっと予想外。白刃さんは問題を解決するタイプでも起こすタイプじゃないと思ってたけど」
「それは紫さんもそう思ってたんだろうさ。その黒鵜さんが問題を起こすからいつも以上に大騒ぎになってるって話で……。でも騒ぎは数日前からのはずだぞ。同じ病院にいて真名子は気づかなかったのか?」
「もともと出不精なんだよ。それにここ数日は引きこもってたしー」
その結果が資料の山か。
「まあいいさ。わたしとしても瓦礫くんに聞きたいことは山ほどあるが、今は置いておこう。こうして君と顔を繋げたのなら、後でいくらでも機会がある。今は白刃さんの問題を解決しようぜ」
「僕が今日以降、ここに来ない可能性は考えていないのか?」
「君がわたしと関わるのを避けるのなら、わたしがただのヒトミではなく目童真名子と知れた時点で回れ右しているさ」
そんなものだろうか。鳥羽理事長の一件を考えるに、僕は案外いやだいやだと言いつつ引っ張られるキャラな気もするが。
「ふっふー。そうやってわたしの気を引こうとするあたり、意外とご執心なのは君じゃないのかい?」
「それはない」
「最悪の場合上等高校に行くさ。その制服は上等高校のだろう? 瓦礫くんが自分のプライベートな空間にわたしを入れたくないというのなら、君はここに来るしかない。わたしが満足するその時までね」
さらっと脅してきやがる。ひょっとして帳そのものには気づかなくても、僕が真名子から特定の人物を遠ざけたがっているのはバレているのか?
「ゆえに
「起こしたというか……出したと言うべきだな」
そうしてようやく本題、である。町井先生も含めて三人、黒鵜白刃の出した問題についての討議である。
大切な家族がいたとして、その家族を守るためにお前は命をかけるか?
「はは、こりゃお手上げだあ」
「おいこら」
問題を聞いた瞬間、真名子が言葉通りに両手を上げた。
諦めが早すぎる。
「だってさ、わたし家族いないんだよ? 想像でものを考えるほかないだろう? 似たような立場の君なら、わたしが難儀する理由も理解できるんじゃないかい?」
それはその通りなのだが。
「家族のために命を、ですか」
この場の三人の中で最も常識人の町井先生にすべてがかかっている。彼女は腕を組んで、少し悩んだ。
「私の場合はともかくとして、一般的には『命をかける』と答えるのが理想的でしょうね」
ただしあくまで、理想的でしかありません。
彼女は僕と真名子を順繰りに見た。
「あなた方ならばよくご存じの通り、家族であるということは直ちに理想的なコミュニティを形成できるということではありません。家族のために命をかけることができる人たちもいる一方で、守るために命をかけるどころか、殺すために命をかけてもおかしくない人たちもいます。それもまた、家族のあり方です」
例えば僕の妹、木野哀歌。二度も母に捨てられながらも、命をかけてそれを守ろうとした少女。黒鵜さんの問題に迷うことなく答えた通り、彼女は自分の家族のために命をかけるだろう。
その真逆…………ぱっと思い出すのは紫崎雪垣だった。生徒会の相談役様。哀歌とは似ても似つかぬ愚の骨頂のような男だが、考えてみればあいつの立場は哀歌と決して遠くはない。やつならば、家族を守るためではなく家族を殺すために命をかけるだろう。
家族……ああ、そうか。
「家族の定義から考えた方がいいかもしれないな」
思い出せば、黒鵜一家は一般的な家族のそれではない。血族による家族ではない。ここでいう一家とは、ギャングにおけるファミリーという意味だ。ならば黒鵜さんが問題で言及した家族もまた、同様の意味合いと考えるべきか?
「だとすると一層、『命をかける』が答えになりそうだね」
真名子はベッドに腰掛けたまま、足をぶらつかせる。
「ギャングと同一視するのは白刃さん的には忸怩たるものだろうけど、義家族的な繋がりはむしろ理想的な家族の姿を追い求めそうなものだ。そもそも、個人が家族を守り、家族が個人を守らなければファミリーとして組織が形成される意味は薄いし」
「しかしそれは、答えではなさそうでもある」
「そこだよね。もしそれが答えなら、大抵の人間は正答できるってものだ。採用試験における面接の模範解答のごとくね。本来は黒鵜一家へ入るための試験であるこの問題で、それはありえない。それに哀歌ちゃんの答えで全部解決になっちゃってるしなあ」
帳のことを隠した僕であるが、事情が事情で哀歌のことは隠せなかった。「えー君お兄ちゃんってタイプかよー」と真名子には散々笑われた。
「だが逆に『命をかけない』が答えとすると、その理由づけに難儀する。そもそも、家族のために命をかけないやつは血族としても義家族としても頭領たりえない気がするんだけどな」
「あるいは」
町井先生が口を挟む。
「さきほどの面接の話で思いつきましたが、この問題には答えがないのでは? 少なくとも、命をかけるか否かという点においては。重要なのはその理由で、いかに黒鵜白刃という人を納得させられるか、では?」
そこが落としどころな気がする。黒鵜さんが哀歌に言った「正解」はあながち外れではないのかもしれない。
だが、そうすると僕も真名子も結局最初に言ったようなことでつまづくわけだ。僕の家族は四歳の頃に死んでいるし、真名子も奈落村事件で家族は全滅、仮に生きていたとしても当の本人が記憶喪失である。
まあ、僕には哀歌と愛珠がいるし、真名子も家族と呼べる関係性を誰かと新しく構築していないとも限らないが……。
「家族、という視点で考えると分かりづらいのであれば、もう少し範囲を広げて見ましょう」
ここで活路を切り開くのはさすがのカウンセラーである。
「猫目石くんも目童さんも、守るべき対象が家族では想像しづらいのであれば、もっと別の対象をイメージしてはどうでしょう」
別の対象。
「猫目石くんが先ほど言ったように、家族の定義を操作しましょう。曖昧ならば、最大限広く取っても黒鵜さんは文句を言えない筈です」
ふむ。仮に僕が帳を「家族です」と強弁しても黒鵜さんには否定しようがないか。それなら少し考えやすいし、ここで考えた答えをそのまま回答にしても問題はない。
夜島帳が何らかの危機にあったとして、僕は命をかけて守るか?
守る、と断言しようとして、何かが引っかかる。
いいはずだ。命をかけて帳を守る。そこに一点の疑念の余地もないはずだ。僕にとって帳はそれほどの人間だ。
それなのに、なぜ、そこに引っかかりがある?
「うーん、やっぱりわたしは誰かを命がけで守ろうって気は起らないなあ」
真名子は呟く。
「わたしはわたし自身以上に大切な何かなんて思いつかないかな。金のために命を張る馬鹿はそうそういないのと同じでさ」
「金?」
どこまで想像力の触手を伸ばしていたんだこいつは。
「例えば、二十面ダイスで二十以外の目を出したら三億を進呈しよう。その代わり、二十を出したら死んでもらうと言われて、そのギャンブルに手を出す馬鹿はそういない」
「そんなものか?」
「そんなものさ。命以外なら張っただろうけど、命を張るのは勇気以上の蛮勇だ。一方で宝くじなんて当たりっこないのに毎年買う連中もいる。確率からすればサイコロゲームの方が三億当たる確率は高いが、たぶん宝くじを買う連中はサイコロゲームはしないぜ」
「……………………」
「理屈じゃないのさ、命をかけるって行為は。三億円という純利益を前に、非常に高い確率の賭けさえ成立はしない。いわんや、自分に利益をもたらしてくれると限らない他人だ。わたしなら絶対にそんな馬鹿をしてまで守りはしない」
滔々と語る彼女は、おそらく自分でも無意識なのだろうが、右手を脇腹にあてていた。真名子が言っていた、腹部の刺し傷、その跡をかばうように。
なんとなく疑惑を抱えていた真名子の記憶喪失は、僕の中ではこの瞬間に確信に至った。なるほど、こいつは確実に記憶を失っている。
笑えてくる。
「どうしたんだい瓦礫くん。随分愉快そうじゃないか」
「いや」
いかんいかん。話を逸らそう。
「随分変な想像をすると思ってな。命をかける話がどうしてギャンブルになるんだか……」
「だってギャンブルだろう?」
真名子はとぼける。
「え?」
「黒鵜一家は真剣師の組合だぜ? だったらこの設問は、要するに命賭けのギャンブルのことを指しているんだろう? あれ、違った?」
命懸けならぬ命賭け。
「命がけというのは…………」
見かねたように町井先生が指摘する。
「一生懸命の『懸』を使って『命懸け』ですよ。命で賭けるという意味ではなく。動作ではなく状態と言うべきでしょうか」
「町井先生、この場合、ひょっとすると真名子の言い分の方が正しいのかもしれません」
黒鵜さんの問題は、本来黒鵜一家へ入るための試験である。
ならば真剣師の組合であるという性質を考えるべきであり、正しい設問は…………。
大切な家族がいたとして、その家族を守るためにお前は命を賭けるか?
そしてそれならば、答えは明白だ。
探偵も兄も、ギャンブルは手の届く領域ではないのだから。
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