2 初対面と再会
これまで二編にわたり僕の妹である木野悲哀の活躍を読んでもらったわけである。
まだ読んでいない?
ならば必要最小限の部分だけ摘まみだして話すが、当年十四歳の僕の妹である哀歌は、ことギャンブルに関してめっぽう強い。すべてのもめ事をギャンブルで解決する驚異の高校、私立鳥羽高校で行われたギャンブル、ルーレット・サドンデスでは、幸運体質を自称する少年、間島栄達を完封した。しかもこの間島少年、イカサマでも何でもなく幸運体質だったらしいというのが驚きだが、その幸運すら封じ込める力量を哀歌は有していた。
さらに鳥羽高校でのギャンブルの翌日、いくつかの野球部や野球チームの合同合宿の最中に行われていたギャンブルを摘発。その首謀者である草霧野球団のピッチャーズを、彼らが得意とする役満麻雀で逆に完膚なきまでに潰したわけである。
その際、彼女はルーレットのボールを特定の場所に投げ入れるとか、ツバメ返しに積み込みなどと多くのイカサマテクを披露したわけだが、これには当然、教えた人間がいる。
すなわち師匠。
『師匠、ねえ』
僕の耳元で帳が甘くため息を吐いた。
『あの哀歌ちゃんが師匠と呼ぶからには、よっぽどなんでしょうね』
いかにも恋人同士の睦言のごとき表現だが、どっこい、ただの電話である。スマートフォン越しの、何の温かみもない会話である。
『つまり、二年前の一件で彼女が身を寄せたのが、そのお師匠さんのところだったというわけね。彼女の技術は、そこで磨かれたものと』
「そういうことだな」
僕が帳の言葉に対し他人事のように言ったのは、実際僕もあまり多くを知らないからである。
師匠の一件は哀歌の専決事項、すなわち彼女のプライバシーに属することであり、必要がないのに僕が聞きただすことではない。
ゆえに本当、多くは知らないのである。
僕が知っているのは、事の始まりが二年前の、木野悲哀の失踪であるということと、その捜索の間、哀歌が師匠のところに宿っていたという事実くらいのものである。
「随分、哀歌はあの人に懐いていてな。まあ、そりゃあ、自分の母親が失踪してそれを一人で探そうという時の協力者だ。懐かないはずもないが」
『それもそうね。でもその時、瓦礫くんは一緒にお母さんを探さなかったのよね? どうして?』
「どうしてもこうしても……」
木野悲哀――哀歌の実の母を臆面もなくお母さんと呼ぶ帳ではいまいちピンとこない感覚かもしれない。
「ひとつは単に、行き違いを避けるためだ。僕が家にいれば悲哀が戻ってくる可能性もあったし、悲哀が代表をしていたNPOも維持しないといけなかったし」
ならば当時十二歳の哀歌ではなく、十六歳だった僕が動くべきなのだが、そうもいかなかった。
「第一、悲哀は哀歌の母親であって僕の母親ではないからな」
二年前、悲哀は僕たちを捨てた。
僕にとってはそれは、ある意味での予定調和だった。元より、半分冗談めかした調子で「一緒に暮らす?」と提案してきたあいつに対し、僕も半分冗談めかした調子で受け答えをしたのが始まりである。さすがに哀歌を捨てたその足で僕を拾っていたと知ったのは随分後だが、実の娘を二人捨てているという点は承知していた。だから捨てられるまでの間の一時的な関係と僕の方では決めてかかっていた。
だが哀歌にとって、二年前の出来事は二度目のことである。心に傷を負っただろうし、深く絶望しただろう。それでも彼女は母を探す道を選んだ。その決断に対し「僕が行くからお前は待っていろ」とはさすがに言えなかったわけである。
「結果だけ見れば上々だろう。哀歌は悲哀を連れ戻してきたし、ついでに愛珠も見つかった」
というより、悲哀の二度目の失踪は哀歌と厳密に親子関係を構築するためのケジメの旅だった。自分が捨てた一人目の娘を探し、その娘について回る一族の厄介ごとを清算することで初めて彼女は哀歌と親子関係を構築できると考えたのだろう。まあ、当の哀歌もその実情は把握していて、だから今なお親子で居続けるわけだが、一方で一時的にせよ「捨てられた」と傷ついた時間も事実なのだ。
哀歌が今、何を考えて悲哀と一緒に暮らしているかなど、兄といえども推測すらできないし、探偵といえども推理できない。
軽々に語るべきでもないだろう。
「ともかく、そういう大変な時期に世話になった人なんだよ、その師匠――
『あ、そうだったの?』
「元々、関東住みの人だしな、今はこっちの病院に入院中」
僕が電話をかけているのも、病院の玄関前であった。
哀歌が上等高校に来た後、僕たちはただちに黒鵜白刃に会いに来たのだった。今は哀歌が主治医の先生を探しに院内をうろついているころで、僕は待機中である。
『しかし、哀歌ちゃんがアポも取らずにあなたへ会いに学校を訪れたとなると、相当のことね。そのお師匠さん、大丈夫なの?』
「大丈夫かは知らないな。哀歌も主治医から何か大変なことになっているらしいって聞いただけだし。でも僕が哀歌から聞いていた話じゃ、黒鵜さんは病気だったけどそうすぐ死ぬような状態じゃなかったはずなんだけどな」
『ようするに、その人の年齢なら患ってもおかしくない程度の病気だということ?』
「たぶんな」
いかんせん、僕が病気と聞いてイメージするのは今電話中の帳のことである。現在こそ健康そのものだが、彼女は以前は病弱で人生の大半は病院にいたようなやつだった。トータルタイムは今をもっても入院時間の方が在宅時間より長いかもしれない。だがそんな彼女は、医者が「十回死んでもまだ足りないくらい」と評した病気から回復して平然としているので、いまいち病死というものを想像しがたいのだ。
病気で人が死ぬという状況が想像しづらい。
密室で人が死んでいる場面の方が、僕には現実的なくらいだ。
『それにしても悠長ね』
帳はふと気になった、というふうでそんなことを口走る。
「悠長?」
『ええ。大切な人が危篤状態なのに瓦礫くんを電話でなしに直接呼びに来たというのも変だし、病院についてすぐに病室を訪ねないというのも気になるわね。哀歌ちゃんは何度かそこにお見舞いに行っているのでしょう?』
「まあな」
『危篤なら一刻も早くお師匠さんのところへむかいそうなものだけど』
「そうでもないんじゃないか? 僕のところに直接来たのは、それだけ哀歌も動転していたってことだろうし。病室へ向かわなかったのはたぶん、怖いからだろう」
『怖い………………』
「すぐに駆け付けたい。でも、大切な人が衰弱しているのは見たくない。そういうジレンマじゃないか? 僕たちには分からないけど」
なんて。
実はこれは、帳の父親である牙城さんの受け売りである。彼は自分の妻を病気で亡くしているし、下手すれば帳も……という状態だったわけだ。この辺の機微をあの人は万端心得ている。
『分からないと言いつつ分かっているふうなのは、それはそれで妙ね』
「かもな」
親の心子知らず、か。あるいは分かっていてすっとぼけているのかもしれない。
「ともかく悪い。今日のデートは無理だ。埋め合わせはまた今度する」
『気にしなくていいわ。元病人が他人への見舞いに嫉妬するのもおかしいでしょう。哀歌ちゃんとお師匠さんによろしくね』
「ああ」
さすがに元病人だけあって理解が早くて助かった。僕としても、夏休み以降帳とただれた日々を過ごしていることを散々哀歌に「兄失格」となじられているので、今この瞬間にデートでバックレるなど死んでもできない。
というか死ぬのと同義だ、それは。
探偵という肩書にはもう拘らなくなったが、兄という肩書には結構こだわっている。悲哀を親とした場合の子という肩書はどうでもいいと思うくせに。これはこれで妙なものだ。
「ああ、いたいた」
スマートフォンを仕舞ったところで、病院の玄関から白衣を着た女性が哀歌を伴って出てくる。あれが主治医だろうか。化粧っけのない顔と柔らかそうなくせ毛は若いというより幼い印象を与えるが、それでも全体的には神園さんよりは年上らしく見えた。
「ジブンが猫目石瓦礫くんかい?」
「ええ。じゃああなたが」
「黒鵜の旦那の主治医やらせてもらってます。犬塚紫いいます」
紫さんはどこかにこやかだった。ちらりと様子を窺うと、隣の哀歌も先ほどより顔色が良かった。元気になったのはいいことだが、どうも危篤の患者を抱えた人たちの態度ではないような気がした。
それとも哀歌の早とちりで大したことではなかったとか? それならそれでいいのだが。
「旦那はいつもの病室にいますから、案内しましょか。ああ、猫目石くんは旦那に会うのは初めてだったかいな?」
「ええ、はあ」
いろいろ疑問に思うことはあったが、ひとまず彼女たちのペースに任せることにした。僕は黒鵜某の見舞いに来たわけではなし、哀歌の付き添いに来たのである。最悪師匠が死のうが殺されようが哀歌が元気いっぱいなら僕は満足だ。
紫さんに案内されて病棟を移動する。僕はこの病院に来るのは初めてだったが、何となく違和感を覚えた。帳のいた病院とはなにか違う、という感覚だ。また言語化不能な感覚、霊感の話かと思ったが、その違和感の一端はすぐにピンと来た。
患者が少ない?
というより、いかにも患者然とした人間が少ないような気がした。外来の患者の診察を受け持っていると思われる病棟を歩いている内はまだそうでもなかったが、患者の入院している病棟に一歩足を踏み入れると、途端に違和感は増幅した。いかにも弱っていますというか、病気ですと全身で素人目にも分かるような人間はまず見かけない。寝間着のようなラフな格好をしている人間がちらほら見えるので彼らが患者なのだろうと思ったが、それにしては壮健そうな人間ばかりである。
これは単に、僕の病院イメージが帳に引きずられているからだろうか。帳は比較的重症の患者がいる病棟に入院にしていたから、そのイメージが強い、とか?
しかしそんな経験則の違いだけが違和感の正体とはあまり思えなのだが…………。
とかなんとか考えている内に、目的の病室に着いた。表には『黒鵜白刃』と掲げられているだけなので、ひょっとしたら個室だろうか。
「失礼します!」
哀歌は元気よく――というよりは毅然とした声色でそう発すると、扉を開いた。
「おお、哀歌か! よく来たな!」
そこには……巨人がいた。
病室は八畳ほどの広さを備えており、ベッドは当然のこと、冷蔵庫、テレビ、テーブルとソファ、簡易的な給湯スペースまで備えている。僕の自室(四畳半)より広いのはいいとして、ビジネスホテルの一室だってもう少し粗末だろうという豪華さだ。あくまで病院なので豪華というよりは行き届いていると言うべきか。
その病室内で、一人の男がソファに悠然と腰掛けていたが、これまたでかい! 神園さんも随分高背だったが、彼女に負けず劣らずなのは座っている段階で分かった。壁のような大男である。ざっくりと着込んだ着流しに身を包んでいるが、肩幅も広くがっしりとしていて、一目には病人と思われないくらいだった。
しいて老いと衰弱を感じるのは頭髪だけである。しかもその頭髪だって見事に白いがあまり薄くなっている様子もない。
その老人は大きな手で、テーブルに置かれた将棋盤を何やら弄っているが、別にポータブルサイズでもないだろう将棋盤と駒が小さく見えて仕方がない。
これが黒鵜白刃か。
ていうか元気そうじゃねえか。
これはどうしたことかと思ったが、それ以上に気がかりだったのは床である。
床。
病室はなるほど個室だったが、それは現在、この部屋に黒鵜さん一人ということを意味しなかった。どういうわけか、床には何人もの人間が転がっている。いずれも若そうで、病人らしく見えないという点が共通しているが、それ以外の特徴はバラバラである。中には医者らしいのもいるが……。
いやどういう状態だよ。
「師匠、ご無事でしたか?」
「おお? いや、別に俺は変わりないが、どうした?」
ぐいぐいと、哀歌は室内に突撃し黒鵜さんに近づいた。その途中で倒れている人間はことごとく踏み潰していた。ひでえ。
「どうもこうも、犬塚先生が大変なことになったと…………」
「大変。いや、俺は…………」
そこで黒鵜さんは不自然に口ごもった。それは僕の目には何かを隠しているように見えた。
「なにやら行き違いで心配させたか? 俺はこの通りピンピンしてるぞ?」
「…………まあ、それならいいですが」
哀歌はそこで追及を止めた。が、僕は止めるつもりはなかった。
「まず説明すべきは自分の現状ではなく、床で転がっている人間についてでしょう」
「ああ、ははは…………」
ここでおためごかしに笑ったのは紫さんである。彼女もまた、僕の目には何かを誤魔化しているように見えた。
「うーん。実はちょいと面倒なことになってな。それで哀歌ちゃんの力を借りたかったんやけど、ウチの連絡がミスったみたいや」
「ミス?」
「せやせや」
うんうんと頷いて、紫さんは言葉を続ける。
「正確には大変なことになった、やのうて、大変なことを起こした、言うべきやったなあ」
「まったく!」
要するに早とちりである。確かに黒鵜白刃は今をもって病人だが、そうそう死の危険が差し迫ってはいなかったのだ。
「つまり、正確には大変なことになったのではなくて、大変なことを黒鵜さんが起こしたと。その調停のために哀歌を呼ぼうとして、
とんだ骨折り損である。
「まあまあ、兄さん。いいじゃないですか」
黒鵜さんの隣で哀歌が僕を宥めた。
「師匠がこうして元気なんですから」
「それはそうだがな…………」
釈然としねえ。
「いい年した大人が子どもを振り回すものじゃないでしょう。鳥羽理事長といい、僕の周りにはそんな大人しかいないのか…………」
思い出したのは鳥羽高校の理事長、鳥羽始である。散々こちらを「周囲に与える影響力に自覚がない」とか「君は普通の人間だと思ってはいけない」などと言いながら、自分は持論である特異な教育論で簡単に他人を振り回していた粗忽者だ。
やっていることは大差ないというか、命の危険をほのめかしたあたりむしろ理事長より性質が悪い。
「お前さんが哀歌の兄貴か。会うのは初めてだったな」
一方、振り回した大人の黒鵜さんは呑気である。
「で、何があったんですか? 哀歌を呼びだそうってことですから、それなりのことがあったんでしょうね」
「ああ、それなんやけども」
一度病室から出ていた紫さんが戻ってくる。床に転がっていた人間を片付けていたのだ。
「いやほんと、困ってもうて。哀歌ちゃんにもきつーく言ってもらわなあかんやつやでこれ」
「師匠、なにを…………?」
哀歌は黒鵜さんの顔を覗き込む。当の本人は未だにすっとぼけた表情のままだった。
「何も、大仰なことはしておらんぞ。ちょっとここの若い衆をからかっただけで」
「黒鵜一家の家名と財産を全部渡すいう宣言のどこがからかいになるねん!」
家名と財産? どういうことだ?
「俺はちょっとした問題を出してやっただけだ」
黒鵜さんは白髪頭を掻く。
「その問題に答えられたやつに黒鵜一家の家名を譲ってやろうと思ってな。ま、ここに答えられるやつがいないのは把握してたから、本当にからかいだな」
要するに金持ち老人にありがちな(いやないだろうけど)軽挙妄動の類か。
「家名を? またどうしてそんな…………」
これにはさすがの哀歌も顔をしかめた。
「師匠は常々、黒鵜一家は自分の代で潰すとおっしゃってたじゃないですか」
「それはそうだがな。とはいえ、もし仮に一家の名を継ぐにふさわしい人間がいるなら目を付けないのも惜しいと思って…………」
「まあ、それなら仕方ないですね」
「仕方なくはねえだろ」
この弟子、師匠には甘々だった。その甘さを小さじ一杯分でも兄に分けてくれ。
「やっぱあかんか。そういや哀歌ちゃん、師匠には甘かったもんなあ。人選ミスったっぽいでこれ」
「今更ですね」
しかし奇妙ではあるな。
「紫さん。このボケ老人が面倒を起こしたのはいつですか?」
「ボケ老人て……否定はせんけども。三日前やね」
「さっき床には五、六人散らばっているように見えましたけど、コンスタントにそれくらいの人数が来てたんですか?」
「せやな。大抵は若い研修医とか大学生なんやけど、患者もちらほら」
「どうしてそれだけの人数がこの人の言うことを真に受けたのやら……」
気になるのはそこだ。無理難題を言ってそれに答えられた人間に家督を継ぐというのは
非現実的。もし仮に現実の場面でこういうことを言われても、まず信じない。それをどうして大勢が信じたのか。
「そういえば兄さんは、黒鵜一家についてご存じないのでしたか?」
僕の疑問には哀歌が答える。
「黒鵜一家というのは、通常の一族ではないのです。つまりここで師匠の言う家督や家名というのは、通常兄さんが想定するような血族内でのものではなく……そうですね、組織や集団のリーダーくらいの位置と考えてください」
「…………えっと、ああ、一家っていうのは、マフィア的なファミリーの意味か」
血族としての家族ではなく、組織の形態としての家族。
「はい。もっとも、黒鵜一家はヤクザではありませんが。真剣師、すなわちプロのギャンブラーの集団です」
「ギャンブラー…………」
ますます思い出すな、鳥羽理事長を。
「裏社会格付け、総合序列第十三位、賭博序列三位『黒鵜一家』。順位に拘泥する連中の言い分を借りればそういうことになるなあ」
黒鵜さんはそんなことを言った。裏社会格付け?
「なんだ、お前さん探偵なのに知らんのか?」
「初耳なんですが」
これ以上変な設定出すなよ。ゼロ年代のサブカル小説じゃないんだから。
「お前さんの知っているところで言えば、そうさな、確か心眼会が総合序列二十五位、涜神序列五位だったな。潰れる前の話だが」
「へえ………………」
心眼会。
僕が巻き込まれた事件のひとつにして、僕史上最大規模の事件である奈落村事件の黒幕である。中学時代、部活動の帰路で僕たちを拉致した連中である。いわゆる新興宗教だが、彼らとしてはヤクザや真剣師の組合と一緒くたにされるのは望まないだろう。実態はともかく名目上は宗教団体なのだから。
いやしかし、あの心眼会で総合二十五位か。どういう判断基準があるか知らないが、小さい村ひとつを丸々総本山にしてしまった心眼会が二十五位となると、黒鵜一家はそれ相応の組織ということだろうか。
「どのみち、黒鵜一家はもう大きな組織ではないよ。今をもって組織にいるのは俺一人だしな」
黒鵜さんは頬杖を突いた。
「別に俺は組織を維持しようとは思わん。ただ、黒鵜一家の名前が裏社会で一定程度通用するのも事実でな。もし必要とする人間がいて、その人間が黒鵜一家を名乗るにふさわしいのなら、くれてやろうくらいの気持ちだ」
そんな簡単でいいのか。
だが概ね分かった気もする。黒鵜一家が真剣師の集団であり通常の一族ではないならば、家名も家督も、それに付随する資産も法的に拘束されるものではないだろう。黒鵜さんの一存でどうとでもなる範囲なのだ。だから黒鵜さんが「俺の出す問題に答えられた黒鵜一家を継がせていい」と考えるならそれでいい。それで通用する。これはそういう世界の出来事なのだ。
それに対し大勢が集ったというのはまだいまいちピンとこないが。そんなに裏社会の名声は欲しいものだろうか。まあ、格付けが何だと空想的な話をするから、どうにも現実味がなくなっているのも原因のひとつか。黒鵜一家の家名が裏社会においてどれだけの重みがあるかはっきりしない。まあひとつ老人の繰り言を聞いてやろう、くらいの気持ちで大勢が挑んで撃沈していると考えていいだろう。
どうせ抜けるとは思っていない選定の剣を、でもせっかくだしと抜いてみようとする感覚。自分にその資格がないと分かっているからこその無謀な挑戦。
すると病室の床にぶっ倒れている説明がつかないが、まあどうでもいいか。
探偵の踏み込んでいい領域ではないだろう。ほら、ヴァン・ダインも二十則で言ってるしね。探偵が扱う事件の犯人は非合法組織の人間であってはならないって。
関わるべきではないのだ、探偵は。
とはいえ、それは探偵としての僕のスタンスであり、兄としての僕のスタンスではない。
「じゃあ、黒鵜さんが出したという問題はなんですか?」
「兄さん?」
哀歌が驚いたように僕を見た。
「まさか兄さんも黒鵜一家の名前を……?」
「いや要らないよ。ただ、哀歌をこれ以上振り回すのは遠慮願おうというだけだ。僕がその問題の答えを当てた上で家督を継ぐのは辞退し、答えだけ周りに言いふらせばさすがに黒鵜さんも引込まざるを得ないだろう?」
「ほう、そう来たか」
黒鵜さんはにこやかに笑った。鳥羽理事長といい、子どもを振り回す大人は自分勝手に良く笑う。
「そう気構えんでもいいさ。さすがの俺も、哀歌をここまで心配させてしまったとなっては問題を引っ込めるのもやぶさかではないさ。だがそうだな……ここはひとつ名探偵とやらの実力を見ておくのも面白いか」
「……………………」
…………むしろ藪蛇だったか?
「問題というのはな、黒鵜一家に入るための試験だな。俺も、俺以外の人間も、等しくこの問題を前に頭を悩ませ、答えを導いた末に黒鵜の名を名乗ることになったのだ。そういう意味では優しい問題と言える。本来は家督を継ぐための試験ではなく、家族になるための試験なのだからな」
「家族になるための、試験?」
「おうさ」
大切な家族がいたとして、その家族を守るためにお前は命をかけるか?
それが、問題なのだという。
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