4 イカサマ祭り
合同合宿の舞台は、東京の外れにある運動公園だった。野球場はもちろんグラウンドも用意されていて、なおかつ大人数用の宿泊施設を備えた合宿のための空間、というやつだろう。
夏の長い日差しすらどっぷりと沈んだ頃、と言っても夕食にちょうどいい時間から少し後くらいの時刻だが、僕たちは比較的堂々と公園を歩いて目的の宿泊施設を訪れた。
手っ取り早く終わらせないと、帰りがどんどん遅くなるな。
哀歌と無花果くんは並んで歩きながら、最終突入前の確認なのか、何やら話し込んでいる。僕と鴨足さんはその少し前を並んで歩いていて、時折振り返りながら様子を見たりした。二人の姿を見る限り、公園を散歩する美男子美少女カップルで、これから学生の違法賭博場にカチコミをかけるメンバーにはどうしても見えない。
「…………はあ」
隣を歩いていた
「本当に大丈夫かな…………」
「まったく、不安だ」
「いえ猫目石さんは不安そうに見えないんですけど」
せっかく同調したのに酷い言われようだった。
「猫目石さんは妹さんが危ないことしようとしてるのに、不安じゃないんですか!?」
「いやだから不安だって言ったんだけど!?」
話が噛み合わない。
「鴨足さんこそ、無花果くんと違って不安そうだよね。具体的にはどういう事件なのか知らないけど、なんかすごい事件に巻き込まれたことがあるって話だったけど」
「それは…………そうなんですけど」
彼女は言いよどんだが、それは思い出したくない苦い記憶、というニュアンスではなかった。
「あの一年は、確かに怖かったし辛かったけど、楽しいこともたくさんあったし……。だから総合的に見たら、けっこういい一年だったんです」
「へえ」
なかなか、豪胆なことを言う。
「それにあたし、あの事件がなかったら学校に通ってなかったと思いますし。終わりよければすべてよし、じゃあないですけど、今生きていて、糧になる過去だと思えるから、あの一年はそんなに悪く思ってないんです」
「…………そうか」
それは、奈落村事件の生存者であるあの二人に聞かせたい言葉だ。
それに、案外、僕が事件に巻き込まれて平然としているふうであるという点に対する、答えになるかもしれない。
たとえ事件に巻き込まれても、糧になる過去だと思えるから、悪くない。
タロット館だって、そうだった。
「そういえば猫目石さんも何か、無花果くんと話してましたよね。何話してたんです?」
「いや、大したことじゃないよ」
ここへ来る前、腹ごしらえにファミレスに寄った時のことか。女子二人が離籍している間に、僕と無花果くんは少しだけ話をした。
探偵に必要なものとはなにか。
人に死に動じないとは、どういうことか。
「お互い、ろくでもない性質を持ってはいるけれど、それに救われもしているって話さ」
「ろくでもない?」
「見えてきましたよ」
鴨足さんの言葉を遮る形で、後ろから哀歌が声をかける。正面に、合宿施設が現れてくる。一見するとただのビジネスホテルに見えるビルだ。
「でもどうする? そういえば、こういう合宿には見回りの教師とかがつきものだろう。教師をやり過ごしながら、この施設のどこにいるのか分からない連中を探すのか……」
「それについては心配ありません」
無花果くんが僕の隣に並ぶ。
「あらかじめ仕入れた情報ですが、合宿の夜は大抵、教師やコーチといった監督するべき大人は飲みに出かけているらしいですから」
「それは…………」
仕事しろよ、大人。まあ、そういう状況でもないと大規模違法賭博なんて合宿中に起こりえないけど。
「彼らの居場所も、施設をうろついて一番騒がしい所を探れば自ずと分かるでしょう」
「じゃあ、時間も遅いのでさっさと行ってさっさと潰しましょう」
妙にやる気満々の哀歌を先頭に、無花果くんが後を追う。さらに僕と鴨足さんが後ろを着いて歩き、施設に侵入した。
なるほど無花果くんの言う通りで、施設には見回りの人間の気配がまるでない。せめて施設の人間くらいはいるんじゃないかと思ったが、そんなことさえないらしい。
「それで……」
僕の服の袖口を引っ張って、鴨足さんが話しかけてくる。
「本当に大丈夫ですか?」
「…………随分心配するね」
「だって、猫目石さん、ルール説明の時何度か口を挟もうとしてましたよね。それって、何か懸念があるってことじゃないですか?」
鋭い。だてに一年生きてはないか。
「まあ、ひとつだけ。たぶん、さしたる問題はないんだろうけど」
超幸運体質を破った哀歌のことだから、彼女の言う通り、イカサマ相手にイカサマで返せる今回の方が楽なのだろう。それでも引っかかることがある。
「鴨足さんは麻雀のルールをよく知らなかったみたいだけど、責任払いってのは聞いたことがあるかい? 役満に関するルールなんだけど」
「責任払い?」
責任払いとは、主として役満『大三元』に付随するルールだ。
「さっきも哀歌が説明したけれど、大三元っていうのは白、發、中の三色を揃える役満だ。でも、その三つはいわゆる特急券ってやつでね」
「特急券?」
「ああ。そっちは哀歌が説明を省いてしまったけど、麻雀ってのは上がるのに役が一つ以上必要だ。そして白、發、中の三つは、それぞれ三枚を揃えるだけで一つの役になる。そしてそれは、鳴きを入れてもいい」
つまり手元に白を二枚抱えていて、誰かが白を捨てたら「ポン」して拾えば役が一つ揃うわけだ。ゆえに特急券。
「え、じゃあ、上がりやすい役満ってことですか?」
どこまで理解したかは定かではないが、思いのほか外れていないことを鴨足さんが言う。哀歌が説明していた役満が、『鳴き』のルール説明を省いた関係から、面前で――鳴かないで手作りする役満ばかりだったからというのもあるだろうが。
「まあ、さすがにそこまで上がりやすくはないけれど、鳴けるっていうのは大きい」
一階、二階と探索を終えた僕たちは三階に足を向けた。二階までは共同スペースらしく食堂や大浴場などがあったが、三階から上は宿泊スペースらしい。階段で上っていくと、廊下の灯りがさっきまでと違い消えている。
「でも逆に、それは相手から妨害されやすい手でもあるってことだ」
「と、言いますと?」
「例えば自分が白と發を鳴いていたとしよう。鳴いた牌は三枚とも表にして晒すのがルールだ。だから自分が白と發を揃えているのが分かってしまう。すると自分が手元に二枚の中を持っていても、相手から零れることはない」
「そりゃあ、役満確定ですからね。既に二枚の中が捨てられていると分かっていないと、なかなか」
「そう。しかしそんなあからさまな状態で中を出し、相手にポンをさせてしまった場合、責任払いが発生する。この後、ツモで大三元が出ても、点棒を支払うのは最後に中をポンさせた人だけだ」
「文字通り役満の責任を取らされる、と。でもそれがどうかしたんですか?」
「役満麻雀に点棒はない。あくまで役満を上がったという結果だけが累積する勝ち点制だ。そして哀歌が言った通り、麻雀で相手を毟るなら三対一が普通になる」
「じゃあ…………」
そう。
この役満麻雀は、とどのつまり三対一でお互いに三元牌をトスしあい、一人を毟るためのルールだ。哀歌が言っていたイカサマというのはこのルールと、当然このルールを活かすためのものだ。
「ここですね」
哀歌が呟いて、立ち止まる。大部屋のひとつで、和室らしく障子で仕切られた部屋だった。確かに、扉は閉め切っているが、暗い廊下に灯りが漏れている。中から、ざわざわと興奮混じりの喧噪も聞こえてきている。
「ああ」
無花果くんは無造作に頷いて、扉を蹴っ飛ばし――――え?
どう蹴ったらそうなるのか、障子は破れることなく外れて宙を舞う。
「お邪魔します」
彼の折り目正しい挨拶は、完全に場違いだ。
恐る恐る部屋の中を見ると、総員が当然だがこちらに注目している。中には日焼けした丸坊主が二十人はいて、麻雀卓を囲む者あり、トランプに興じる者あり、将棋を指す者ありとなかなかに盛況な様子だった。
まあ、障子を蹴破った闖入者のせいでさっきまでの喧騒が嘘のように静まり返ってしまっているのだが。
「統一風紀委員会から来ました。違法賭博で被害者から巻き上げた金銭と、その帳簿を回収しに」
哀歌が一歩前に出る。統一風紀委員会なんて名前を出して伝わるのかと思ったが、麻雀卓を囲んでいた少年たちの顔色が変わる。あれが中心核か。
「統風!? じゃあてめえらが、青龍に茶々入れたやつらか」
「青龍学園の合宿参加取り止めの件を言っているのなら、まさしく」
「それだけじゃねえ!」
一人が立ち上がる。ジャージに『鳥羽学園』の文字。あれが立浪か? しかし…………本当に違法賭博してたんだな。そろそろ僕たち兄妹は理事長を一発ずつぶん殴っても許されそうだぞ。
「てめえらが変なことチクったせいで他の学校もいくつか参加を取り下げてやがる。中には先公からいろいろ調べられたやつもいるみてえだし、こちとら愛知の田舎連中の統風には頭きてたんだ。それをたった四人でカチコミとはな……」
正確には統風の面子は一人しかいないが。
「今どき先公なんて言う人いるんだ……」
鴨足さんが場違いなことを呟く。やっぱりただ者じゃないだろ彼女。
「でしたら、話が早くて助かります。わたしたちとしては力ずくでも目的を達成するつもりですが、みなさんはアスリートですから、ケガをさせるのは本意ではありません」
まるで本気を出したらケガをさせられると言わんばかりに哀歌が言う。本当にどうしてボクサーの愛珠を連れてこなかったんだ。
「ああ?」
立浪はイラつきながらも、話の成り行きがイマイチ掴めないのか怪訝そうに眉を歪めた。
「役満麻雀、でしたっけ。ギャンブルで奪われたものを取り戻すのは、ギャンブルでするのが最も分かりがいいでしょう?」
「なんだ…………? わざわざ勝負挑みに来たってのか?」
「ええ。おそらくそちらに控えているのが草霧野球団の張本さんに松阪さんでしょう? 我々はあなたがた三人を首謀者と見ていますので、三人まとめて、蹴散らすのが早い」
「…………………………」
いささか性急に、哀歌はことを運んでいる印象がある。ギャンブルとは最終的に、相手がそれを承諾しなければ始まらない。前回のルーレット・サドンデスでは間島くんの驕りを利用したが、今回はその間島くんの手綱を握っていた野球部の首魁である。さすがに、じゃあやりましょうとはならない。
だが一方で、僕たちを力づくでどうにかできないのも事実だろう。哀歌の言い分が正しいなら合宿の主催者たちを立浪は買収しているが、暴力沙汰となると話は別だ。役満麻雀ですんなり事が運ぶなら、それがいいに決まっている。
だが、立浪たちは警戒する。当然だ。勝負内容が分かっていて突っ込んでくる哀歌が、ただの自信過剰な小娘か、自分たちのイカサマを見抜いている強者なのか、判断に迷う。
数瞬の硬直のうち、哀歌は溜息を吐いた。
「あのー、ひょっとしてですが」
「なんだ?」
「日本語、通じてます? みなさん人間未満の風貌ですので、一応今日に備えて猿語の勉強などしたのですが、成果があまり芳しくなく……。このままでは稚拙な猿語を披露しなければならないと思うと気が重いのですが」
「おいこら」
ド直球の罵倒であるが、いささかオーバーすぎて立浪たちは怒るでもなく、呆れるでもなくぼうっとこちらを見ていた。
「仕方ないよ」
哀歌のよく分からない罵倒に無花果くんが乗っかる。
「見なよあの、いかにも脳みそ半分くらい置いてきたみたいな顔。あ、いや日に焼けすぎてもう半分も駄目になってるのかな? とにかく、僕たちの言語と価値観の通じる相手じゃない」
「てめえ!!」
あ、今度はキレた。
そうか、哀歌があれでもお嬢様学校の朱雀女学院の人間だって立浪たちは知っているのか。統風を知っているくらいだからな。だから哀歌の態度が素のお嬢様ムーブである可能性を否定しきれなかったのか。
じゃあなんで無花果くんの罵倒にはキレたのかと言えば、単に回数の問題だろうけど。二回も罵倒されればさすがにわざとだと分かるか。
怒った立浪が一歩を踏み出そうとする。そこに、哀歌はハンドバッグから取り出した封筒を無造作に放り投げた。封筒は口をきっちり閉じていなかったので、ざらりと三十万が顔を覗かせて畳を滑る。立浪たちはぎょっとしてそれを睨んだ。
「既にわたしたちに違法賭博がばれているというプレッシャーに怯えながらせこせこ小銭を稼ぐのと、この金を毟って賭博から手を引くのと、どっちが賢いと思いますか?」
「……………………」
「どうせ遊ぶ金欲しさでしょう? ならば話は簡単。わたしたちは違法賭博を終わらせてほしい。ですからお金と、スリルを用意しましょう。勝っても負けても、二度とギャンブルをしたくないと思わせる様なスリルを」
こちらの三十万と、そちらの有り金全部を賭けて。
立浪たちは明らかに、哀歌に対する態度を警戒から敵対に変えた。その様子からして、どうやら彼らが稼いだ額は三十万に届かないらしい。まああくまで高校生を毟った違法賭博だから無理からぬ話だが。
「ルールは?」
立浪が聞く。張本と松阪と思われる二人は不安そうに立浪を見たが、止めはしなかった。
「あなたがたが普段やっている役満麻雀で。三対一なんでしょう?」
「そこまで知ってて、どうしてやろうって思うんだ?」
「わたし、とても運がいいもので」
間島くんのことを考えるとかなり際どい発言だが、それが逆に功を奏したらしい。彼のような幸運体質などそういてたまるかと思ったのか、そもそも間島くんの幸運体質すら彼はそこまで信じていなかったのか、勝負を承諾した。
役満麻雀、ここに開帳。
すぐに周囲はざわつき、興奮の喧騒が戻ってくる。各々のギャンブルに興じていた者たちが、麻雀卓に集ってくる。
「勝負は半荘一回! 勝ち点制だ! 文句ねえな!」
「ええ、まったく」
哀歌の
僕たちもそれに合わせて、打ち合わせ通り陣取る。哀歌の背後に鴨足さん、左手に僕、右手に無花果くんである。明らかにポーカーフェイスの苦手そうな鴨足さんが哀歌のすぐ後ろというのは不安だが、もし連中が暴力に訴えた場合、彼女を守るにはこうする他はない。僕だって戦闘能力は皆無なんだけどな。
哀歌はスカートが皺にならないよう捌いてから、たおやかに正座する。ボレロの袖をたくし上げようとして、面倒になったのかボレロごと脱いで腕をむき出しにする。ノースリーブだから、不必要なほど白い腕が露わになる。取り巻きの一人が息を呑むのが分かった。よし、もし暴力沙汰になったらそいつはぶっ飛ばそう。
その取り巻きたちだが、多くは三人の背後に陣取る形を取っていた。数名、僕たちの後ろ、というか無花果くんが吹っ飛ばした障子の辺りに立って退路を塞いでいるが、哀歌の手を覗くような位置にはいない。
音を立てて牌が混ぜられる。説明ではカードを使っていたから、物珍しいと見えて鴨足さんはじっとその様子を見ている。
間もなく、山が四つ積み上がり、賽を振る。一連の動作で親が決まり、牌が配られた。期せずして、親は哀歌からである。
「ところで聞いていませんでしたが」
と、牌を揃えながら哀歌が尋ねる。
「あなたがたが回収したお金はどこに?」
「ああ、それなら…………」
ちらりと、三人は一点を見た。僕たちも、つられてそちらを見る。取り巻きに隠れて見えないが、そっちに置いてあるということか。
「手提げの小型金庫だ。おい、持ってきてくれ」
取り巻きの一人が取りに行く。
「帳簿は?」
「その金庫の中だ」
「ではもう一点?」
「まだあんのか?」
「ええ。ダブル役満の取り決めを聞いていませんでした」
「勝ち点二って扱いだが」
「では…………」
哀歌が手配を倒す。あっと、鴨足さんが小さく声を上げた。
「トリプル役満は、勝ち点三ですかね」
天和、四暗刻、字一色。大四喜。
そして自分の手番、一番最初のツモの前に上がっている。
「失礼」
哀歌がくすりと笑った。
「数え間違えました。役満四つ分ですね」
「なっ………………」
立浪たちが動揺する。そりゃそうだろう。役満四つはやり過ぎだ。運がいいというレベルを超えていて、誰がどう見てもイカサマだ。
「な、なにしたんですか?」
麻雀に詳しくない鴨足さんはキョロキョロしているが、仮に麻雀に詳しくなくても聞いたことくらいはあるイカサマを、哀歌は行った。
イカサマ技の最高峰、ツバメ返し。自身の手牌十三枚と、山の下段にある十三枚を瞬時に入れ替わる大技だ。
当然、立浪たちもイカサマを使い役満麻雀で稼いでいる。自分がするなら相手もするの理屈で、哀歌のイカサマにはある程度警戒していたはずだが……。
まさかこんな衆人環視の中、ツバメ返しなんてやるとは思わないだろう。僕もその挙動は見ていないが、おそらくさっきの会話の最中、手提げ金庫の話を出して総員の視線が僅かにそちらへ移った隙をついたらしい。無花果くんから三十万貰って動揺していた人間の打っていい麻雀じゃない。
「今日は殊に、運がいいようで」
「ふ、ふざけんな……。こんなの……」
「イカサマと? 何の証拠もないのに?」
山が崩され、二回戦。親が上がった場合、続けて親番となる。これ、哀歌は自分の親を譲らないつもりだ。東一局で大差をつける気でいる。
「………………………………」
山が積み終わり、哀歌がサイコロを二つ、細い指でつまんで放る。今度は哀歌の山が丸々四人の手牌に入る形だが…………。
「本当に、運のいいことで」
またしても哀歌の手牌が倒れる。天和、四暗刻、字一色。大四喜。さっきとまったく同じ手だ。ここまでくると奇術の領域だな。
「え、ええ?」
またしても大仰に鴨足さんが驚く。結局、ポーカーフェイスの必要ないんじゃないのか、これ。
「ど、どういう………………」
周囲のやじ馬がどよめく。当然、取り巻きの中にはツバメ返しを知っている人間も多いはずで、一度目の哀歌の天和がツバメ返しによるものと見越していただろう。だから今度は、ちゃんと見ていたはずだ。僕も見ていたし、哀歌はツバメ返しをしなかった。
では積み込みか? しかし、僕の記憶が正しければ積み込みをしたところで天和を一人で上がることはできないはずだ。現在、配牌時点で山は哀歌のものがほとんどと、上家のものが半分ほど消えている。ここから分かる通り、配牌時の十三牌は二人の積んだ山から持ち出される。仮に哀歌が自分の手元に都合のいい牌が来るよう自分の山を積んだとしても、上家の山から引いた分は完全なランダムなはず。
ではなぜ上がっている?
「勝ち点八ですか……。今から役満の重複なしというルールに変えてこちらの勝ち点を二点にしてもらっても構いませんが、無駄に勝負を長引かせるのはお互い面倒でしょう?」
「お前…………!」
立浪が睨んだのは哀歌、ではなく上家である。そうか。二の二の天和という、二人で積み込んで天和を出すわざもあったな。しかし、
本当に何やったんだ?
取り巻きは沈黙した。まあそうだろう。普通なら役満なんて生涯麻雀を打って一回出ればいい方だ。お互いに役満を目指す役満麻雀で、三人で三元牌をトスするイカサマに特化している(今では「はず」としか言えない。彼らのイカサマすら僕は見ていない)彼らですら、そう多くは役満を出さないはずだ。役満麻雀とは、つまるところ一回役満を出せば勝利確定みたいなゲームだからな。勝ち点が八だろうと二だろうと、ここから盛り返すのは難しい。
いや、無理だ。哀歌が親番で、ツバメ返しなしでも天和できるのなら、延々と勝ち点は積み重なり続ける。
「野球とソフトボールでよくルールが混同してしまうのですが…………」
山を崩しながら、哀歌が言う。
「投球数を抑えるために、敬遠をする場合はそれを宣言すれば、フォアボールをわざわざ取る必要がないのでしたっけ?」
「…………何が言いたい?」
「負けを認めて頂ければ、わたしたちは今日中に帰れるのです」
「………………クソがっ!」
すわ、負けを認めるのかと思いきや、立浪は強引な手に打って出た。あっという間の出来事で、上家と下家の張本と松阪(だよな? もうどっちがどっちなんだか)は勿論、取り巻きたちも動けなかった。
立浪は腰を浮かすと、麻雀卓へ乗り上げる様にして体を前に出し、そのまま哀歌に向かって拳を突き出す。
「やれやれ」
その動きを一番に察知したのは無花果くんだった。左足で麻雀卓を引っかけると、ひょいと軽く持ち上げる。それで立浪の視線を一度遮ると、天板ごと持ち上げた左足を前に突き出して蹴り抜いた。
立浪は自身の前に出ようという勢いと、無花果くんの蹴りの勢いが合わさった強烈な一撃を受けて昏倒する。牌がばらばらと周囲に散って、天板とマットがばさりと落ちる。緑色のマットには血がついていて、見ると立浪は鼻から血を流している。
「あと十秒は持つと思ったんだけどな」
「いや君、荒事慣れ過ぎだろう」
「そうですか?」
大人しそうな顔して何しているんだか。
鼻を抑えた立浪が立ち上がる。こちらにまだ向かってくる気だろうか。それならば無花果くんにばかり任せていられないし僕も打って出る必要があるのだが……。
幸い、そうはならなかった。立浪の傍に、彼と同じ鳥羽高校のジャージを着た少年が一人近づく。何やらスマホを差し出して、それから哀歌を指さした。何かを説明しているらしいが…………。
「間島が……? こいつに?」
なるほど、今知ったか。
「ようやくお話が伝わったようで」
哀歌が立ち上がり、手提げ金庫と封筒を回収する。ボレロも拾い上げて羽織った。
「そちらの切り札である間島栄達さんは、既に昨日封殺しました。再戦の希望もありません。では後ほど、あるいは警察署でお会いすることになるでしょう。この中で何人、野球を続けられる人間が残るか賭けでもしましょうか?」
口元に微笑を浮かべた哀歌は、赤いスカートの裾を翻して部屋を後にした。
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