3 生存者
「では、無花果さんは花園高校の?」
「そうなんだよ。うちの学校の野球部が何やら問題を起こしているらしいと噂に聞いて、それを僕の先輩たちが掘り起こしているとひょっこり出てきたのが草霧野球団ということでね」
無花果くんはそう言って肩をすくめた。
思わぬ闖入者に驚きはしたが、事情を聞いてみると彼らの目的もおおよそ僕らと同じところだったらしい。
「いやあたし、聞いてないんだけど」
無花果くんの隣でもう一人の少女、
「無花果くんが用事で東京に来るっていうから誘ったのに! 本当の目的がそんなところにあったとはね」
「その用事というのが草霧野球団だったんだよ。紅葉さん、僕が喋るより先にさっさとこのお店行くって決めちゃうから…………。僕としても
無花果くんも哀歌とあまり大差ないことを言っている。
現在、僕たちはテーブルを引っ付けて四人で座り、ケーキや軽食を堪能しながら親睦を深めつつ、本題を少しずつ進めているところだった。僕の右隣に哀歌が座り、僕の正面が無花果くん、僕の右斜め前が鴨足さんという感じになる。
「しかし無花果さん、本当にそれだけの理由で今回の件に噛むおつもりで?」
哀歌が尋ねる。
「自分の高校に被害が及んでいるということだけじゃ、理由としては弱いかな?」
「そういうわけでは………………」
微笑み返す無花果くんに、哀歌は視線を少し下げた。
「実際、それだけが理由ではないけどね」
無花果くんはサングラスを外して、シャツの胸ポケットに収めた。そこで初めて、彼の瞳が醒めるような青色をしているのに気づく。凪いだ大海のように深い青色。その瞳で哀歌を見据えるものだから、彼女は一層視線を逸らす。
「草霧野球団は、僕の友人がかつて所属していたチームでして。彼のためにも、今回の不祥事を看過できないんです」
「手縄くんのことだね」
うんうんと紅葉さんが頷く。二人の共通の知り合いか。
「かつて、ということは………………」
どうにも哀歌の調子がよろしくないので、僕が質問をする。
「その手縄くんというのは、今は所属していない?」
「そうですね。そもそも故人ですから」
故人?
死んだのか。
「詳しくは話しても信じてもらえないと思うので話しませんが、僕たちは一年前、少し厄介な事件に巻き込まれまして。その中で、大勢の仲間を亡くしました。その中の一人が彼なんです」
だから、と無花果くんは強く言った。
「彼の死を悼むためにも、草霧野球団の問題をそのままにはしておけないんです。草霧野球団が彼を追放していなければ、彼は死なずに済んだかもしれないというのに。人ひとりの人生を変えておいて、平然と不祥事を働くのは看過しがたいですから」
「……………………君も随分変なことに巻き込まれたらしいね」
「名探偵のあなたほどでは、ないかもしれませんけど」
知ってたか。まあ、隣の鴨足さんが知っている以上、情報は共有されているか。
「分かりました」
ようやく哀歌が口を開く。
「で、あれば協力していただきましょう。最も、既にこちらはほとんど手筈を整えていますから、さして助力が必要な状態でもないのですが…………」
「だったら」
無花果くんがポケットから何かを取り出して、それをテーブルに置く。それは封筒だった。ちらりとお札のような物が中から飛び出して見えるが………………。
「三十万あります」
「さ…………………………」
さすがの哀歌も絶句した。
「すみません。僕が声をかける前からの会話もおおよそ聞いていました。役満麻雀、でしたよね? その勝負に必要な金銭を、こちらが負担するというのはどうでしょう」
さらっと言うが、三十万だぞ?
「無花果さん、そ、そもそもこんなお金、どこから?」
「ポケットから」
「そういう意味ではなくっ!」
「ああ、えっと、持ってたんだ」
どうやら彼は金銭の出どころについて明かすつもりはなさそうだった。しかしそれでは実際に勝負をする哀歌が納得しない。彼女はほとんど乗り出すように、無花果くんをねめつけた。
「正直に答えてください。もしこの金銭をあなたが不当な方法で得ていた場合、それを利用したわたしも問題になるんです」
「そうか…………でもなあ」
「えっとね」
鴨足さんが助け舟を出す。
「さっきも言った例の事件で、諸々賠償金というか保証金みたいなのが出て、たぶん無花果くんはそこから出したんじゃないかと」
「保証金…………そんなお金を」
「大丈夫」
無花果くんは哀歌を席にやんわり戻した上で、彼女に札束を握らせた。
「勝てば失わないから」
「……………………っ」
結局哀歌は受け取ってしまった。が、まあ、僕としてはフォローはしないでおこうか。今回の勝負を
それに「勝てばいい」という発想は、昨日の哀歌まんまである。ちょっとは振り回されるこっちの気持ちを味わってもらおう。
しかし、それにしても……哀歌は少し無花果くんに対し押されすぎな気もするが、どうしたんだろう。昨日の僕を蹴り倒した彼女はどこへやら。
「と、ともかくっ」
仕方なく受け取った金銭をハンドバッグに収めて、哀歌は話題を切り替える。
「協力していただけるというのなら、こちらとしては願ったり叶ったりです。さすがに兄さんひとりでは限度があると思っていましたから」
「限度あるならどうして他の人を呼ばなかったかな」
せめて愛珠くらいは呼べよ。
「それではお二人にお願いしたいことが三つあります」
無視された…………。
「三つ?」
「はい。ひとつは…………いえ」
そこで説明のルートを変更することにしたのか、哀歌は一度カップに口をつける。
「まずもって、連中がギャンブルの方法として利用する役満麻雀について説明した方が早いでしょうか。お二人は、麻雀というゲームを知っていますか?」
麻雀か。
思えば麻雀ほど、知名度が高いわりにルールの知られていないゲームもないだろう。そのルールの複雑さたるや、将棋やチェスなどの比ではない。僕はあまり実際に打つことはないから、一通りルールを知っている程度だな。
「あたしは知らないなあ。はぴ子ちゃんがアプリでやっているのは見たことあるけど」
「僕も知らないな。そもそも、ギャンブルで相手を負かすつもりじゃなかったし」
まあ、普通は鴨足さんみたいな反応になるだろう。何気にさらっと恐ろしいことを無花果くんが言っている気がするが。
「基本的には四人で、正方形の卓を囲んで行うゲームです。自分を中心に、正面の相手を
と、言いつつ、哀歌はハンドバッグからカードを取り出して並べる。
「麻雀は牌と呼ばれる直方体の小さな石を手札としますが、こういうカードを使用する場合もあります。今はこれで説明しましょう」
麻雀で使用する牌にはいくつかの種類がある。
まずは数牌が三種。サイコロの目のような円形の個数がそのまま数を表す
「これらはすべて、中国でお金を表すものだったそうです」
「じゃあこれは?」
鴨足さんが示したのは、鳥の描かれたカードである。
「それが索子の一、すなわち
分かりづらいよなそれ。なんで統一しないのか。
「続いて、これが字牌。言葉通り、字を現した牌です」
字牌は二種。
「ドラの説明は、いいでしょう」
「いいのか?」
「はい。役満麻雀に数え役満はないので」
ドラとは、手牌に加えているだけで得点がもらえる牌なのだが、今はいいのだろう。ふむ、役満麻雀と聞いた時点でおおよそルールは読めていたが……。
「それで、これをどうしたら上がりになるの?」
「基本的には、十四枚を特定の組み合わせで揃えることで上がりになります」
上がりの基本形は三枚一組が四つと、二枚一組がひとつの計十四枚となる。前者は同じ牌を三枚揃えるか、同じ種類の数牌を階段状に並べることとなる。『一索、一索、一索』か『一索、二索、三索』という組み合わせがそれにあたる。後者の二枚一組を
「たとえば、こうなります」
哀歌が手早く並べて見せたのは『一索、二索、三索』『一筒、二筒、三筒』『一萬、二萬、三萬』『一萬、二萬、三萬』『北、北』の十四枚である。
「そしてここからが重要ですが、基本的に各プレイヤーは十三枚しか牌を持ちません」
「え?」
大仰に鴨足さんが驚く。そういえば、さっきから反応しているのは彼女だけだ。見ると、無花果くんは何やら考え込むように哀歌の手元を見ている。
「じゃあどうするの?」
「自分の手番の際、まず一枚を手元に加えます。これで十四枚。この時の十四枚が先ほどのような組み合わせで揃っていれば上がりとなります。もし上がれないのであれば、十四枚の中から任意の牌を捨てます。そうやって手札を入れ替えて上がりに近づくゲームですね。一ゲームの長いポーカーのようなものでしょうか」
ラミーが一番近いんじゃないのか。
「こうして、自力で十四枚を揃えた場合は
哀歌は一度、十四枚から北を一枚抜いた。
「この、あと一枚が揃えば上がりという状態を
正確には、ツモ上がりと違いロン上がりは自分の手牌に役がなければならない。今回は三色同順と一盃口があるから問題ない。もし役がなくても、適当に十三枚を揃えた時点で千点を支払いリーチを宣言すれば準備は完了する。リーチ後は手牌を動かすことができなくなるが、その代わり役が一つ付くわけだ。
まあ、それも今回の役満麻雀には関係なさそうだ。哀歌も説明をすっ飛ばしているし。
「それで役満麻雀というのは…………」
ここで初めて、無花果くんが口を開く。
「どういうアレンジを?」
「…………文字通り、役満を上がることを目的とした麻雀になります。基本は同じですが、上がりに使用できる役は役満のみ」
役満。これもまた、ルールを知らない人間でもいくらか聞いたことがあるくらいにはポピュラーなものだ。
麻雀における役の究極系。
字牌全種一牌ずつと数牌のうち一、九の牌――すなわち
白・發・中の字牌すなわち三元牌を三枚ずつ集めて構成される大三元。
字牌のみで十四牌を埋める
などなどなど。
意外と種類が多く、またローカルルールの適応も多いのが役満である。その上がる確率たるや、九蓮宝燈など上がったら死ぬと言われる確率である。あれ、それって普段殺人事件に巻き込まれまくっている僕、役満上がり続けるのと同じくらいあり得ない確率を引いてるんじゃ…………。
他にもいろいろあるが、哀歌は代表的なものを適当に説明した。
「通常の麻雀では一人当たり二五〇〇〇点を有して
「勝ち点制…………?」
それは…………。
僕が何かを言おうとしたのを、哀歌は目線だけで制した。
「役満は上がれば三万以上を相手から得る役ですから、普通に得点を持ち寄っては誰かが一回役満を上がれば終わりになってしまいますからね」
まあ役満がツモ上がりなら三人で割るのでトぶ可能性もそう高くはないはずだが。そもそも役満なんて普通は出ないからな。
「ルールは分かった」
無花果くんは頷く。その、どこか凪いだ落ち着きが僕には不気味にすら思えた。
ぽんと三十万を出すのもそうだが、彼の感覚はどこか奇妙だ。
「それで、僕たちへの三つのお願いって?」
「ひとつは、兄さんと並んでわたしをガードすることです」
「ガード?」
ああ、覗き見防止か。
「はい。十中八九、賭場は立浪、張本、松阪を中心とする不良たちの溜まり場です。数ではわたしたちの方が少ないでしょう。そして彼らはわたしたちを逃がさないために、周囲を取り囲む可能性もあります」
「なんか怖いことになって来たんだけど……」
鴨足さんが震える。
「まんまギャンブル漫画の世界だよね!」
「デスゲーム漫画の世界を生きた後だとそんなに驚かないけど」
「そういう問題!?」
本当にどういう事件を生き抜いたんだ、彼らは。
「それで、周囲を敵に囲まれるとわたしの手牌が相手に見られてしまいます」
哀歌は二人の会話を無視して説明を続ける。いつもの調子だ。
「
じゃあなんでなおのこと、当初の援軍は僕ひとりだったのか。
「二つ目は、驚かないことです」
「驚かない?」
一番苦手そうな鴨足さんがオウム返しする。
「これも当然ですが、この役満麻雀で相手を搾取しようとすれば、相手は三対一の上でイカサマを使用します」
「不利じゃん」
「はい。ですからこちらもイカサマを使用します。もちろん、イカサマは現場を抑えられなければ問題ありませんが、こちらが何かを仕掛けたと気取られるのはマズいので、ポーカーフェイスを維持してもらいます」
簡単に言うなあ。無花果くんあたりは本当に簡単そうだが。
「最後のお願いは、主に無花果さんにお願いすることになりますが……」
「…………なにかな?」
ここで哀歌は、ちょっと頬の口角を上げて意地悪く笑った。
「無花果さん、荒事は得意ですか?」
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