2 ケーキバイキングに行こう!

「起きてください、兄さん」

 部活も補習もない穏やかな夏休みの一日は、妹の甘いモーニングコールから始まった…………ならどんなによかったか。

 妹の哀歌の声に目を覚ましてみると、既に彼女は出発準備完了という出で立ちであった。赤いノースリーブのワンピースにシックな黒いボレロを合わせ、ハンドバッグを持ったどことなくフォーマルな格好。十四歳にしては背伸びのしすぎな気がするが、それは言わない方がいいだろう。

「ケーキバイキングに行きます」

「…………………………はい?」

「………………………………」

「…………………………はい」

 ケーキバイキングに行きたいでもなく、行こうでもなく、行きますか。

 決定事項なのか。

 じゃあ仕方がない。

 仕方ないのか?

 仕方ないか。

 今日の、というか昨日からの僕には妹に逆らう兄としての権力は一切なかった。つい昨日、兄失格の烙印を押されてしまったからだ。

 本当に昨日は酷かった。すべてのもめ事をギャンブルで解決する驚異の学園、鳥羽高校の理事長にして超幸運体質を自称する鳥羽始理事長に目を付けられ、そのせいで散々な目に遭った。夏休みに入ってから上等高校を騒がせた殺人事件、その発生原因の根本はお前にあると(その事件当時僕はタロット館にいたというのに)言われて責任を押し付けられ、さらに同時期に哀歌が理事長を困らせていたので兄として対処を求められたのだった。というか、昨日の鳥羽高校への招待は後者の理由が九割近かったと言っていい。

「さあ早く準備してください、行きますよ」

「分かった、分かったから」

 哀歌が理事長を困らせていたというか、理事長が僕たち兄妹を困らせていたのが実態に近いか。哀歌は自分が在籍する中高一貫の朱雀女学院、その中等部OGで現鳥羽高校生に相談を持ち掛けられていた。いわく、鳥羽高校で超幸運を自称する新入生が幅を利かせ、ギャンブルで利益を貪っていると。まあ、そう表現するとその超幸運児に対しあまりに辛辣すぎる(なにせ彼は少なくともイカサマはしていなかったのだから)が、その暴利を元通り返却させるため哀歌が行ったギャンブルで、彼女は貞操を賭ける羽目になったのだから。正確には「デート一回です」と哀歌に幾度も訂正されたが、本来であれば彼女が賭けなくてもいいものを賭けさせられたのは事実だ。勝ったからいいようなものの、あれは生きた心地がしなかった。

 その際、僕が柄にもなく矢面に立とうとしたら背後から腕は捻るわ足を掬うわの暴力を哀歌から受け、兄失格の烙印を押された次第だった。

 こうまとめると、結局どうして僕が兄失格だったのかが分からないが、僕も半分くらいは理解できていない。まあ、散々妹に貞操を語っておきながら自分は恋人と夏休みからいちゃつき放題だったのはさすがの反省しきりだが、本当にそれだけが兄失格の理由なのかは判然としない。

 ともかく、昨日一日は哀歌がろくに口もきいてくれなかった。それが今日になって一応喋ってはくれるようになったので、兄として再起を図るため奮起する他はない。ゆえに哀歌が「ケーキバイキングに行きます」と言ったらそれがどんなに唐突でも従うのだった。

 ちなみに哀歌が僕を起こしたのは朝五時である。彼女の実姉である愛珠も実母である悲哀も絶賛快眠中である。怠惰な悲哀はともかくアスリートで規則正しい生活をしている愛珠さえ起きてない時間ってどうよ。

「しかし早いな。こんな時間からなんて、よっぽど並ぶ店なのか?」

「いえ、並ぶ必要はありません」

「え?」

「その代わり、新幹線に乗る必要があります」

 ………………マジで?

 哀歌が差し出したチケットは、名古屋から東京間の特急券である。準備がいいなあ、とか感心している場合ではない。

 新幹線、乗るのか。

 ケーキバイキングのために。

 愛知県から東京都までの弾丸ツアー。まあ、夏休みの学生らしい無茶無体の強行軍と考えればそう不自然でもないのか。そう思っておいた方がよさそうだ。

 というわけで、準備を終えた僕は哀歌に引っ張られるまま電車を乗り継ぎ名古屋駅から新幹線で、東京駅に辿り着く。東京なんて中学時代の修学旅行以来だが、再訪がまさかこんな形になるとは考えてもいなかった。

 東京駅からさらに地下鉄でいくつかの駅を通過し、目的地に到着、はまだしない。いかんせん道行は哀歌任せなので、もう着いたかなと思うとまだ先だったという肩透かしを何度もくらってしまう。正確な場所を聞いてもよかったが、聞いたところで距離が変わるわけでもないし今更帰るわけにもいかないので、粛々と後ろを着いていくだけだった。

 でもさすがに東京。どんなところにも蜘蛛の巣のごとく鉄道網が敷かれていて、電車賃さえあれば電車だけでどこにでもいける。愛知の場合は私鉄とJRが大動脈で、そこからちょろちょろ別路線が伸びている程度だから、電車がここまで移動に便利な乗り物だという実感もわかなかった。

 なにせまず、自宅から最寄り駅まで五キロあるからな。山も軽く二つは超えないといけないし。まだ今日は朝が早かったから暑くはなかったのだが、どういうわけか哀歌と二人乗りだったためにいつも以上にペダルが重かった。

「さあ、ここからまだ距離があるので自転車ですよ」

「はい」

 そして東京に着いてからも二人乗りである。レンタルサイクルでせっせと目的地まで漕ぐ。哀歌は後ろに乗って僕をナビゲートするだけの役割だ。

「しかし…………東京は平坦だから楽だと思ったんだけどな」

 東京は歩道が狭い。人ひとりがやっと通れるくらいの幅しかないところが大半で、そんなところを慣れた人は自転車ですいすい進んでいく。しかもその動きは「世界は私を中心に回っている」と言わんばかりの強引さで見ているこちらがハラハラするほどだ。

 自転車ならば走るべきは車道なのだが、どっこい車道は車通りが多くてこっちも危ない。車の動きもまた「自転車なんて通ってませんよ」と言わんばかりの強引さで、軽自動車でさえ横を通るとひやひやするほど近い。

「あ、見えてきました」

「やっとか」

 本当にやっとである。朝五時から出て、今何時なのだろう。腕時計をちらっと見ようとして、着けてくるのを忘れたのに気づく。しまったなと思ったが、そこですぐに腕時計は壊れていることも思い出す。いつもは壊れていることさえ忘れて着けてきていたから、それに比べればマシなのか。

 ぐおんと、バスがまた危なっかしい近さで横を通り抜けた。そのバスは速度を緩めて停車する。僕たちは自転車から降りて歩道に入った。哀歌が言っていた店は…………と視線を遠くに向けると、狭く細い建物が群生する中に比較的大きめの、夏の日差しを受けて眩しいほどに輝く白い外観の店が一軒あった。いかにもそれらしく、黒い板に白く『パティスリーSHIKI』と書かれている。

 あれか、と思っていると、バスはその店のすぐ近くに止まって、少なくない乗客が降りている。

 確認すると、バスは僕たちがレンタルサイクルを借りた駅から出ているよう、だな…………。

「哀歌」

「さあ、近くに駐輪場があるので止めてきてください。わたしは先に店に入っています」

「おいこら」

 ここまで用意周到に準備しておいて、最寄り駅からバスが出ていることに気づいていないはずはないだろう。昨日の埋め合わせ……というより腹いせのつもりか、僕に負担を強いることに執着している。

 だがまあ、それもここで終わりの兆しである。哀歌に示された駐輪場はレンタルサイクル用のものである。つまりここで一度返却すれば、帰りに元の駅まで戻す必要は無い。帰りはバスで戻れるだろう。

「あのう…………」

 と、ここで、後ろから何者かに声を掛けられる。振り返って見ると、後ろに一人の少女が立っていた。年頃は十代半ばくらい。哀歌より少し年上で、僕よりは年下らしく思われた。華やかな花柄のワンピースを着て、目深にかぶっていた麦わら帽子を上げてこちらをじっと見ていた。帽子に潰れているが、くせ毛らしい茶色がかった髪がちらりと覗いている。

「すみません。『パティスリーSHIKI』ってお店を知りませんか? この辺だと思うんですけど…………」

 奇遇とはこのことだろう。

「ああ、それでしたらちょうど向こうの店ですよ」

「あ、本当だ。ありがとうございますっ!」

 すぐ近くの店を指し示すと、彼女はすぐに気づいて走り去っていく…………。

 と思いきや。

 駐輪場を出たところで急ブレーキをかけて、くるりと反転するとこちらに戻ってくる。なんか笹原を思い出す動きだな。

「あの、ひょっとして…………、猫目石瓦礫さんですか?」

「え、えっと…………」

 少し考える。目の前の少女はどう見ても初対面だ。まあ、周囲から「夜島帳以外に興味がない」という微妙な罵倒を賜る僕なので帳以外の他人をどこまで覚えているかという点には疑義が残るが、おそらく初対面だろう。

 それなのに目の前の少女が僕を知っているのはどういうことか。

「雑誌で見ました。タロット館事件を解決した名探偵って!」

「あー………………」

 そうだった。どこかの三流週刊誌に、僕は顔写真を公開されたのだったか。その雑誌は以前も未成年犯罪者を実名報道するなど問題の多い週刊誌だったので、僕の件も問題視してもらえてすぐに雑誌は回収されたのだが、ネット全盛期の昨今では紙媒体を回収したくらいでは拡散を防げない。

「これからも大変だと思いますけど頑張ってください!」

「…………どうも」

 幸いだったのは、その少女が僕を猫目石瓦礫と把握したところでさして何をするでもなく、ねぎらいの言葉一つでその場を離れたことだろう。ああさっぱりした人間ばかりに知れ渡っているといいが、そうもいかないのは昨日の出来事で了承済みだ。

 僕も行くか。

「遅かったですね。何かありましたか?」

「いや」

 店に入るなり、哀歌にそう言われた。店内を見渡してみるが、例の少女の姿は見えなかった。

「客がまばらだなと思ってな」

 東京の店はどうにも狭苦しいという印象を抱いていたが、『パティスリーSHIKI』は比較的ゆったりとした広さの店構えだった。店内に入ってすぐのところにケーキを並べたショーケースがあり、その奥に喫茶スペースらしいところが見える。しかし…………広いというのはあくまで僕のイメージの話で、ケーキバイキングをする店ということを考えて改めて検分すれば、少々手狭という印象になりそうでもある。

 もとより、この手の店はそうそう訪れない。僕ではイメージも何もない。

 既に会計やらなにやらは終わらせているのか、哀歌に引っ張られて席のひとつに連れていかれる。もうケーキバイキングは始まっているという感じか。

「早速ケーキを取りに行きます。兄さんは…………」

「ここで荷物番でもするさ」

「では何か欲しいものはありますか?」

「朝食すら食べていないからな。アイスコーヒーと、適当に摘まめるもの」

「分かりました」

 ハンドバッグを席において、早速哀歌はケーキの元に向かう。その様子は人並みの少女らしく上機嫌なのもで、昨日の不機嫌は完全に消えてなくなっているように見えた。その様子を見て、僕を少し肩の力を抜いた。

 しかしやっぱり、ケーキバイキングのために新幹線ってどうなんだ?

 今日はいつ帰れることやら。

 恋人とのデートの予約など入っていなくて良かった。さすがに昨日が昨日なので「恋人とデートがあるから付き合えません」と哀歌に言うわけにもいかなかったが、彼女の機嫌がよくなるまでは連絡も控えたいところだったのだ。

 今なら問題ないし、連絡でも取っておくか。デートの予約がないのは事実だが、今日突然誘われるという可能性もある。先んじて断っておこう。

 スマホでメールを送りながら思う。考えてみれば、恋人の帳には散々振り回されている。幼馴染といってもいい間柄だが、紆余曲折あって現在の関係になる前は完全に「我儘なお嬢様に振り回される一般市民」の図だったからな。その頃ならこうして先んじた断りなどできなかったし、そもそも僕にいかなる拒否権も無かっただろう。関係が深化するに及んで、帳も僕を振り回さなくなった(当社比)し、僕もきちんと断れるようになっている。

 断ってもいいという信頼関係が構築されている。以前の僕たちは、帳は帳で僕を振り回さないと関係性が維持できないと考えていた節があるからな。アクセルしかないドラッグレースマシンを乗り続けているのと大差なかったのだ。その頃に比べれば随分健康的な関係だ。

 その反動か会うたびにずぶずぶなのは、まあ、さすがに反省した方がいいかもしれないが。

「お待たせしました」

 哀歌がケーキを持って戻ってくる。

「さあ、食べましょう」

「……………………おう」

 ケーキが文字通りなんて場面、僕は初めて見た。



 哀歌はアスリートの姉を超える健啖家である。じゃあだからと言って、兄を超えるほどの味オンチというわけではなく、むしろ味にはうるさい方だった。家での家事を僕と哀歌、悲哀は分担しているが、唯一料理当番の時に炊事をするのは哀歌だけだ。僕は調理実習のある時期の家庭科で最低の成績を叩きだすレベルだし、悲哀は金で解決する。

 さて、その哀歌からして、この店の甘味は質が高かったものらしい。健啖家だからと彼女は質より量というタイプではなく、さして旨くなければたくさん食べはしない。その彼女がエクレア七つとシュークリーム八つ、ケーキが各種三つと食べ終えたところで僕は数えるのをやめたが、満足しているのは明らかだった。

 結果として、上機嫌となった彼女から僕は昨日の出来事について補足を受ける事ができた。つまり鳥羽高校で行われたギャンブルの際、彼女が使用したイカサマなどについてである。

 その辺については前話参照(いい加減メタ発言も板についてきた)として、僕が気になったのはそこではない。

 そもそもの問題として、哀歌がどうして鳥羽高校へ赴かなければならなかったのかというところだ。考えてみれば、その点は昨日の時点で微妙にぼかされていた気がする。いかんせん本筋に関わりがないから、僕としてもうっちゃってしまったが。

 哀歌は在籍する朱雀女学院にて、統一風紀委員会というものに所属している。これは朱雀女学院が、同じ学校法人によって経営される男子の中高一貫校、青龍学園の隣に位置することに関わる超越的な組織である。要するに青龍と朱雀は共同で活動することも少なくないが、何かしらの問題も二つの学校をまたにかけて発生しやすいということだ。そこで青龍と朱雀の有志生徒が集ってそれらの問題を解決する組織として統一風紀委員会がある。

 そんな組織に属するからこそ、哀歌は朱雀の中等部OGから相談を持ち掛けられたわけだが、鳥羽高校は朱雀とも青龍とも関係のない学校だ。いくら統一風紀委員会――統風が複数の学校を超越する組織といっても、鳥羽高校に出張るのは基本的に越境行為である。そもそも統風の管轄外である。それなのに哀歌は、わざわざ鳥羽理事長と関わり合うというストレスを抱えてまで問題の解決を図った。

 それはなぜか。

「『鳥羽高校で起きた問題の影響が、こちらに及びかねない』って言っていたな。あれはどういう意味だったんだ?」

「そのままの意味です」

 ケーキのどか食いは一時中断と決め込んだのか、哀歌は僕の話に付き合ってくれる。

「そのままの意味と言われてもな……。考えてみればあの超幸運児、間島くんが起こした問題は校内にその影響力を留めていただろう? そこまで注意することだったか?」

「間島さん個人は、そうですね。確かにさして問題はありません。鳥羽高校内でいろいろ面倒はあったようですが、それはわたしには関係ありませんでした」

「だったら…………」

「問題は」

 哀歌はホットコーヒーを一口飲んだ。

「ですから、間島さんではなく彼の所属していた組織です」

「所属……。ああ、野球部か」

 確か間島くんは、野球部に所属していたはずである。所属といっても、ギャンブルですべてが決まる鳥羽高校のことだ。彼は純粋な選手としてではなく、野球部が校内で暴利をむさぼるための戦闘要員、ギャンブルの代打ちとして抜擢されたのだった。

 なるほど、間島くんをまず潰したのは、野球部と戦うにあたり一番厄介な人間だったからだろう。野球部と戦おうとして向こうが間島くんを切るより先に、こちらが有利な状態でまず相手の切り札を無力化したかったと。

「野球部に何か問題があったのか?」

「はい。やはり正確には野球部自体というより個人かもしれませんが、ことが鳥羽高校の現野球部キャプテンの話とくれば、もはや個人の領域ではないでしょう」

 まあ、そんなものだろうか。僕は同じ部活動の部長としても、僕自身と笹原だけの部活だからな。個人の問題が組織に帰属されるという部分に関しては想像しづらい。だがことはスポーツだ。青少年の健全な育成を目指す運動系の部活動での話である。

 ……………………運動部とくれば不祥事のイメージしかないのは、僕が文科系だからか。中学時代に所属していた剣道部も、新興宗教の総本山に部員全員で拉致られた挙句ほぼ全滅して、半年経たずに廃部になったしなあ。

「鳥羽高校の現野球部キャプテンには、違法賭博の嫌疑があります」

「おいおい」

 思っていたよりことが大きかった。

「それ、間違いなく警察の案件だぞ。統風の出る幕じゃないし、ましてや哀歌個人がどうこうする問題じゃない」

「そうでしょうね。さすがのわたしも、これを個人でどうこうしようというつもりはありません。最終的には警察に引き渡すつもりですが……」

「ですが?」

「それで丸く収まるとも思えないんですよね」

 哀歌は顔をしかめ、それから「一から説明した方が早いでしょう」と呟く。

「先ほど、問題は鳥羽高校の野球部だと言いましたが、それはあまり正確ではありません。今回の違法賭博には複数人が関わっています。一人が鳥羽高校野球部の現キャプテン、立浪寛治。彼の腹心たる数名も違法賭博に関わっている面々ですが、鳥羽高校については彼一人にスポットを当てればひとまずは説明がつきます」

「他の面子は?」

「草霧野球団のバッテリー。張本雄二と松阪大吾」

「草霧野球団?」

 聞いたことのない名前だ。そもそもの語り口からして、高校の野球部ではないらしいが…………。

「アマチュアの野球チームですが、歴史が長くコンスタントにプロ選手を輩出することで有名だそうです。要するに、鳥羽高校で賭け事ギャンブルの味を占めた人間が、学外の人間とつるんで悪行三昧を働いているという構図になります」

「なるほど」

 マジで今度会ったらぶん殴ろうかな、理事長。

「解決の障害となるのは、この中で特に草霧の人間でしょう。張本と松阪は俗に言うところの『いいとこのボンボン』です。正確に言えば親が警視庁高官と検事。調べたところ、彼らは素行不良であり、過去にも問題を起こしもみ消してもらっているようですね」

「じゃあ、普通に尻尾を掴んでもまたもみ消されるだけか」

「別にわたしはそれで構いませんけどね。結果として彼らがどう育とうと関係ありませんし。しかし、それでは奪われたものが戻ってこない」

 奪われたもの……金銭だな。

「彼らはまず、小手調べとして草霧野球団と鳥羽高校野球部内部で違法賭博を敢行したようです。上下関係の厳しい体育会系の組織のことですから、被害者の多くは断るに断れず、また違法賭博の件を暴露すれば自分はダメージを負う一方で主犯は罪をもみ消してもらえる算段があるという状態で、告発は難しかったでしょう」

「それは、昨日より以前に鳥羽高校に行った時に?」

「はい、調べました」

 プランAと称して鳥羽理事長と接触しつつ、実は本命のプランBである間島くんとの対決のための下調べをして、さらに高校の人間から聴取もしていたのか。

「立浪も彼の腹心も現在合宿中で高校を離れていましたから、証言の聴取はスムーズでした。おかげで不鮮明だった違法賭博の実態もかなりはっきりしましたし」

「で、次に連中が違法賭博の手を広げるとしたら…………」

「まさにその合宿中、という可能性があります。聞いた話では、草霧野球団は張本、松阪両名の親から多額の寄付を受けており、彼らに逆らえる状態にないそうです。そして合宿は、鳥羽高校野球部と草霧野球団を含め大勢が集っています。さらに言えば、彼らのような不良連中は何も二つの組織に限った話ではないようで…………」

 違法賭博が合宿に参加した連中総出で行われる可能性もあり、か。

「幸い、うちの委員長が問題をかぎつけて青龍学園に進言したこともあり、青龍の野球部は合宿を取りやめましたが……。これを放置すればいずれ青龍学園も被害に遭いかねません」

 それが「鳥羽高校で起きた問題の影響が、こちらに及びかねない」と哀歌が言った真意か。

「もちろん青龍にも違法賭博に関わろうとした不埒者がいますが、それは向こうの統風メンバーが今ごろ〆ているでしょう。ゆえに今回に関してはわたしの個人的な活動というわけでもありません。あくまで役割分担。合宿中の野球部に乗り込んで一網打尽にするのが仕事です」

「一網打尽?」

「正確には金銭および、その出納記録の奪取ですね。帳簿とでも言いましょうか。連中に強要されたとはいえ、被害者も違法賭博に関わってしまった以上、その証拠たる帳簿が向こうの手にあるなかでの告発はリスキーです。悪平等の喧嘩両成敗がこの国の習わしですし。加害者も被害者も諸共罪を問われて、加害者だけ親の七光りでおとがめなしという最悪のケースは割に現実となる可能性が高いのです」

 だから、告発に先んじて帳簿だけ奪ってしまおうと。

 それに帳簿と金銭を同時に奪えば、被害者へ金銭を返却するのもスムーズだろう。警察に丸々押収されたら返却まで時間がかかるし、下手したらきちんと返されないという可能性もある。

「……………………いやちょっと待て」

 ここまでの哀歌の話しぶりに違和感があって、思わずストップをかけた。

「まるで今から乗り込みに行きますみたいな口ぶりなんだけど」

「今から乗り込みますから。ケーキバイキングのためにわざわざ東京というのも贅沢で素敵ですが、貧乏性なので、ついでに済ませられる用事は済ませます」

 いやそんな、ショッピングモールに映画を見に行ったからついでに夕飯の買い出しもしようみたいな口調で言われても。

 なんの反省もありはしなかった。

「またぞろ兄さんに邪魔されても面倒ですから、だったら乗り込む人員に兄さんを加えてしまおうという算段です。実際、今回も前回の鳥羽高校も一人で乗り込むのに委員長から難色を示されまして、兄と行くということにして説得したんです」

 事後承諾が過ぎる。ていうか昨日のも僕がいること前提だったのかよ。

「問題はありません。前回を難易度で超簡単カジュアルとするなら、今回は難易度すらつきません。チュートリアルのようなものです」

 チュートリアルで違法賭博ひとつ潰してたまるか。

「そうでもないですよ? なにせ昨日の間島さんはどうしようもない幸運体質だったのに対し、今回の相手はイカサマを使いますし。そこの隙を突けばわたしならどうとでも料理できます」

「イカサマ?」

 違法賭博、その首謀者と聞いていたからてっきり彼らは胴元側と思っていたが、違うのか?

「その辺の説明からしましょうか? 連中の行うギャンブルはといって――――」

「あの、すみません」

 と、ここで。

 哀歌の説明を遮って、誰かが話しかけてきた。

 驚いて僕たちが声のした方へ目を向けると、そこには一組の男女が立っていた。年齢は二人とも僕より年下だが、哀歌よりも少し高いくらい。というか、うち一人は店の外で話しかけてきた件の少女だった。奇遇もいいところだ。

 もう一人の黒髪の少年は、青みがかったサングラスを掛けていた。パリッとした白い半袖シャツとジーンズの取り合わせといい、両手でバランスを崩さないよう確実にホールドされたトレイといい、僕たちに話しかけてきた口調と合わせて清冽で健全な少年という印象を受ける。それなのにサングラスだけがどこか浮いている。シールみたいに、他人の特徴だけをぺたりと貼り付けたような組み合わせ。笹原の赤いヘッドフォンにも、同じような印象を受けたな。

「その話、僕にも聞かせてもらえませんか? 僕も、その草霧野球団にちょっとがあったものでして」

 それが、いちじく無花果との初邂逅だった。

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