CASE:The JUSTICE 九無花果と役満麻雀

1 プロローグ

 探偵に必要なものとはなにか。

 小学三年生の時、僕の通う小学校でひとつの事件が起きた。密室となった教室で、一人のクラスメイトが首にカッターナイフを突き刺して死んでいたのだ。僕の友人であり、天才的な小学生探偵と呼ばれたはその事件を他殺と断定した。ところが実際は自殺で、僕がその真相を看破したことによって、その小学生探偵を引きずり下ろす結果となった。以来、僕がその探偵に変わって新たな探偵となったわけだが、僕自身の心持としてはそいつが帰ってくるまでの代理、くらいの感覚だった。しかし世間からすれば探偵も探偵代理も意味合いにさしたる違いはなく、ゆえに僕は探偵ということになった。

 そこから現在に至るまで、九年近く僕は探偵人生を続けている。ゆえに、探偵に必要なものとはなにか、という問いに答えを用意している、わけではない。

 探偵に必要なものとはなにか。

 現場を一目見て大勢が見逃した証拠を見つける観察力か。

 煙草の灰や跳ねた泥すらも推理の材料にする分析力か。

 死亡推定時刻から死因まで、科捜研の助けを借りずとも把握する深い学識か。

 事実を集積し犯人の行動を再現する超然とした推理力か。

 そのどれもが探偵に欠かせない能力であることは言うまでもない。そして大抵、面と向かって僕が探偵であるということを否定し嘲笑する人間が、僕に足りないと宣言する能力だ。

 探偵に必要なものとはなにか。いずれにせよ、お前には足りない。

 あのプライドの高い、ために一度の失敗で九年近く失踪してみせた小学生探偵なら怒髪天を突く侮辱だが、どっこい僕は別段気にしない。最初はさすがに気にすることもあったが、三人目くらいに言われ始めてから気にならなくなった。

 僕にそういうことを言う人はみんな殺されたので。

 四人目からは「死ぬのかなこの人」という心配が先立つようになった。

 しかしそんな僕であっても、唯一、探偵に必要なものとして有していると周囲から評価されている能力がある。

 それは誰かの死に動じないこと。

 いや動じてはいるはずだが。

 僕が他人の死に動じる人間かどうかというのは一旦置くとして、この能力が探偵に不可欠であることは論をまたないだろう。技術や知識ではなく精神性として探偵が備えておくべきもの。一流のアスリートがそうであるように、探偵にも有するべき精神性が存在する。どんなに能力が優れていても、いちいち死体にビビっていてはパフォーマンスを十分に発揮できないし、そもそも当人がストレスフルだろう。

 もし君が探偵を目指すなら、まずはこの精神性を身に着けることからおススメする。…………いや、おススメはしないのか、僕の経験的に。

 なにせこの精神性、持っていれば「探偵らしい、すごい!」となるものではない。むしろ逆で人非人扱い一直線である。散々僕を見て「探偵らしくないなあ」と宣った人たちが、死体に動じていない僕を見て「おお、探偵らしい」と納得してくれたことはまずない。

 だいたいは「ひっ、こいつ普通に死体触ってる」と気味悪がられるのがオチだ。

 事件に巻き込まれても平然としているふう――と周囲には見える――なので、事件に巻き込まれた関係者に対する同情や共感が一切得られない。「またお前か」と呆れられるのはまだいい方で、つい最近は「お前が存在するから事件が発生しているんじゃないのか?」と複数人に言われる始末である。

 冗談とかでなく割と本気で。

 そんなわけあるかという話だが。

「ははっ。それならば、僕も探偵としての資質があるのかもしれませんね」

 探偵に必要なものとはなにか。

 夏休みのある日、それを尋ねてきたのは見知らぬ少年であった。いつもならば肩をすくめてやりすごすべき話題だが、そのある日というのが事件のない平穏な一日で、相手も僕を貶めようとか嘲笑しようという意図をもって尋ねてきているわけではないため、僕は答えることにした。

 あるいは。

 そのある日というのが、妹の哀歌から兄失格の烙印を押された翌日だったために、年長者としてそれらしく振舞おうと気構えたからかもしれなかった。

「しかし安心しました。猫目石さん、あなたほど事件に巻き込まれた人がであるのなら、僕もまたであることはさほど不自然ではないでしょう」

 質問者の少年はいちじく無花果という奇妙な名前だった。まあ、猫目石瓦礫なんて名前の僕に言われたくはないだろうが。

「下には下がいるのを見て安心するごとくだけど、まあ、君の精神がそれで安定するなら構わないさ」

「すみません、そういうつもりじゃ……」

「いや、本当に気にしてはないよ。安心のために言うならば、誰かの死に動じない人間は、僕の周りじゃそう少なくないからね」

 たとえば、僕が世間的に名探偵と呼ばれるようになったきっかけの事件。名探偵と名高いミステリ作家宇津木博士の死から始まる連続殺人事件の舞台となったタロット館の女主人ロッタちゃんも、動じている様子はまるでなかった。そのために事件が起きても奔放に動き回り、警察嫌いだから警察を呼ばないという我儘を言い出して事件を混迷化させたわけだが。

 本当に、誰かの死に動じないというのはろくなことじゃないなと自分を棚に上げながら思う。

「ええ、まったく、それは同感です」

 誰かの死に動じないなんて、ろくでもない。

 無花果くんはそう、ため息交じりに言った。

 だからこそ彼は、夏休みを使って旅を続けていたのだったか。

 北花加護中学、三十三名にプラス一人の転校生の、そのわずか六名の生き残りとして。

 クラスメイトの眠る墓所を、様々に巡っているのだったか。

「正確には、僕が他人の死を悲しまなくなったのはそれよりも以前なんですけれどね」

 言い訳めいた口調で彼は呟く。

「でも一年間、一緒に過ごしたクラスメイトが死んで、周りがそれを悲しむ中で僕だけが悲しまないという状況に嫌気がさしたんです。たとえ僕のその精神性が、結果的に生き残る術を与えてくれたとしても」

 彼は多くを語らなかった。ただ、一年間、ある目的のために招集されたクラス内で、のような状態が発生したとしか。

 話してもおとぎ話みたいですからと当人は語る。僕を名探偵と――多くの事件に巻き込まれた人間だと知りながらなお信用されないだろうと推測するあたり、よっぽどの事件なのだろうと想像をめぐらすしかない。

 一年間に及んでクラスメイトで殺し合い化かし合い騙し合うという状況。三十余名の内生存者六名という生存率の少なさにも目を見張るものがある。

 僕は関係者百余名のうち生存者四名という事態に遭遇したこともあったが、あれは数日の話に過ぎない。したがって嵐のような事件は多くの傷を(僕以外の)生存者に与えたが、嵐のごとくであるために勢いよく、事態を認識し傷を負うより先に過ぎ去っていった節もあった。

一年間じわじわと味わう地獄などと比べれば、あれは極楽に等しい。

「でもたまに、思うんですよ」

 彼はじっと、僕を見た。

 容姿は整っている方だが、特段日本人離れしているわけではない彼の身体にあって、唯一珍しい特徴である青い瞳がこちらを射抜いた。

 その目は涙で染まっているようだった。

「こんなことをして意味があるのだろうかって。結局、僕のやっていることは悲しむふりですから」

 独白だった。

 なぜなら彼はそう言いつつ、既に一つの答えを得ているからだ。

 少年はポケットから封筒を取り出して、どんと僕の目の前に置いた。封筒の口から中身が僅かに飛び出している。

 それは、札束だ。

 彼の物言いが正しければ、三十万円。

「それでもきっと、やらなければならないんです」

「…………………………」

「僕が誰かの死を悲しめないのなら、別の方法で弔うしかない」

 そのために、かつてのクラスメイトを追い出し、殺し合いに追い込んだを潰すと、彼は冷めた声で宣言した。

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