6 アフターケア

「たとえば、トランプの山がひとつあるとします」

 間島くんとの勝負の翌日、高校の補習も部活動もない夏休みの穏やかな一日が始まると思いきや、朝早くから哀歌に叩き起こされた。理由は「ケーキバイキングに行きます」とか言うもので、なんで道連れが僕なのかさっぱりだったが前日が前日だったので文句も言えず付き合う羽目になった。

 そこそこ有名な店らしく予約制だと知ったのはさらに後日で、哀歌はここまでの一連の流れを読んだ上で全部仕組んだんじゃないかと思いたくなるほどだった。駅から店までレンタルサイクルで二人乗り。えっちらおっちら漕がされたが、店のすぐ近くに駅から出ているバスの停車場があったのも見ている。完全に、僕に対する嫌がらせだ。

「その山札からスペードのエースを引き抜いてみろと間島さんに言っても、彼は造作もなく引き抜いてみせたでしょう。あるいは一度では不可能かもしれませんが、五回か十回以内なら十分やってみせるでしょう」

 しかしその嫌がらせと埋め合わせ、それから質のいい甘味に一応機嫌が直ったのか、昨日の勝負に関する僕の質問に彼女は饒舌に答えた。昨日はそれこそ、帰っても口ひとつ聞いてくれなかったのに。もともと、昔は精神状態が不安定だったこともあり、この夏休みにおける彼女の機嫌と気分の乱高下は少し心配になる。当人も分かっているから、こうして糖分で手っ取り早く幸福指数を上げにかかっているのかもしれない。

 じゃあどうして彼女の精神状態が不安定になっているのかと聞かれると、僕にはまるで分からないのだが。

「それほど彼の幸運体質は本物と思われました」

「本当にそうなのか? 普通にイカサマでもしているのだと思ったけど」

「わたしも最初はそれを疑いましたが、ギャンブルのいくつかを録画してもらいその映像を見たところ、特にそれらしい痕跡は見つかりませんでした。さらにいくつかのギャンブルでは、そもそもイカサマが困難なものも多く、結果として彼はイカサマなしで現在の勝利数を築いているという結論に行き着きます」

 理事長もその結論だったなと言ったらまた不機嫌になりそうなので黙っておく。だが哀歌もそれは把握していそうなものである。なにせ間島くんは鳥羽理事長の理論の実践者だったわけだから、理事長に直接突っ込んだ時に聞かされていてもおかしくない。

「しかしイカサマでないと分かれば、幸運体質を破るのはそう難しくありません」

 エクレアを頬張りつつ、こともなげに哀歌は言う。

 難易度的には超簡単カジュアルです、と。

「そんなに簡単か? まあ、幸運体質は文字通り運がいいというだけだから、運要素が絡まないゲームに持ち込めばいいんだろうけど……。その幸運体質こそ持ち味だと彼自身はいくら油断しても心得ているだろう? だからその手の勝負には簡単に持ち込めないはずだ」

「先ほどのトランプの話で例えるなら、スペードのエースを引き抜けと言っておいて、あらかじめ山からスペードのエースをこちらが抜いておけばいいんです」

 とんでもないことを言う妹である。

「山札には五十一枚。引き抜くべきカードはなし。これでスペードのエースを引き抜けたら、それはもう幸運体質などという生温いものではありません。ただのイカサマか、奇跡の体現者とでも言うべきでしょう」

「理屈は分かるんだが…………」

 要するに間島くんには表向き運要素のあるゲームと思わせて、実は彼の望む結果だけは得られないよう細工するということだ。だが、その細工が効くゲームとしてルーレット・サドンデスを選んだのは分からない。

「どうしてルーレットなんだ? それこそ運要素が絡む上に、イカサマも仕込みにくいだろう?」

「だからこそ相手にとってイカサマが考慮の外になります。勝った後でいろいろ言われるのは面倒でしたので」

「勝負の前から勝った後のことを考えていたわけか」

「それに、イカサマが難しいというほどのことはありませんし」

「と、いうと?」

「まさか」

 皿に山と積まれたケーキはもう消えている。彼女はアスリートの実姉より健啖家である。愛珠はボクサーだから体重をある程度気にしているのはあるが……。その小さい体のどこに収まるんだ。

「兄さんは鳥羽理事長の幸運体質が疑う余地のない本物と思っていますか?」

「それこそまさかだな。イカサマによる勝利、自己認識の破滅に都合のいい記憶改竄のトリプル役満としか思ってないよ」

「当然そうでしょう。ならばさらに、理事長の領土ハウスであり領域ホームの鳥羽高校、その遊戯室の設備に彼しか知らないイカサマが仕掛けられているのもまた当然でしょう。兄さんは気づいていませんでしたか?」

「可能性は考えなかったわけじゃないが、検分まではしてないからな」

「わたしは事前に調査し、把握していました」

 いつの間にと思ったが、そうか。彼女がプランAと称して理事長に直接攻撃を仕掛けたのは何も根治を目指しただけではなかったのか。プランAを隠れ蓑に、プランBをスムーズに進行させるための下調べを行っていたわけだ。外部の生徒が学校の設備を普通に調査しようとすると目立つ。しかしプランAの大胆さをカモフラージュにすれば、仮に間島くんに事前の来訪が知られても、まさか理事長とぶつかりながら同時に間島くんとの直接対決の企図を描いているとは思われないだろう。

 というかそれ、プランBこそやっぱり本命だったんじゃないか。

「あのルーレット台は回転部のつまみを特定の手順で押し込めば、一時的にポケットの数字を左に一マスずらす事ができるようになっているんです。他のゲーム台にもいくつかイカサマを見つけましたが、間島さんとの対決は基本的に個人の一対一の図式になりますから、今回はルーレットが一番都合が良かったんです。さらに都合よく、シンプルなルールのゲームが鳥羽高校では流行っていましたし」

 それがルーレット・サドンデスというわけだ。

「後は簡単です。間島さんが油断しているのに付け込んでハンデと称しボールをトスする権利――ルーレットを触る機会を得さえすれば、彼の賭けた数字に入れないことはできます。ルーレットに仕掛けられたイカサマもそうですが、さすがに何投も投げればだいたい、入れたくないポケットに入れない力加減は覚えますから」

 簡単に言ってくれるが、普通の人なら千回やってもそんな操作はできない。これは哀歌だからできる技である。それでもそれが可能になるまでに間島くんの賭けた数字に入ってしまう危険性は高く、ゆえに二段構えの安全策としてルーレットのイカサマが必要になったのだ。

 思えば、明らかに間島くんの賭けた数字の一、そのの二〇が入り過ぎだ。哀歌が回転中にボールの入った場所を早急に確認し、必要に応じてポケットの数字をイカサマでずらしていたのだ。実際には二〇に入ったニアミスは全部、間島くんの賭けた一に入っていたということ。彼の幸運体質は本物で、それをすんでのところで哀歌がイカサマで止めていたわけである。それも十六投目までで、そこから先は確実に間島くんの望む数字に入らない力加減で投げていた。だから何回やったところで、間島くんに勝ちはなかった。

 スペードのエースがないトランプの山札を彼は延々と引かされていたわけだ。

「しかし兄さんがこの程度のことにも気づかないはずはないのですが」

「買いかぶり過ぎだよ。賭け事は僕の身に余るからね」

 では、哀歌の解説を聞いてこの物語は幕なのかと思いきや、そうではない。それじゃあなんでタイトルに㐂島きじまさんの名前を入れてるんだという話になってしまう――というメタ的な話はさておいても、やはり物語を閉じるのは彼女の役目だったのである。

 冷徹に負けた相手を踏み倒す哀歌ではなく、勝つことで相手に損を与えるのを危惧するほど温厚な㐂島さんの領分だ。

「それでね、間島くんが大変らしいの」

 LINE電話越しに彼女はそう切り出した。

 遊戯室の勝負の後、どうやって哀歌が勝ったのか、そのタネを知りたいと散々㐂島さんに詰め寄られた。僕がその時点で推測しかできていなかったというのもあるが、哀歌の手段はイカサマなので賭けの清算が終わっていない時点で話せば勝負自体が無効になりかねない。その点を考慮して、せめて賭けの清算が終わるまでは待ってもらうよう説得したのだった。

 笹原と石崎さんにも詰め寄られ、力負けしたこともあって連絡手段は確保する羽目になった。鳥羽高校の関係者と交流を持つなんて事件に巻き込まれる要因をいたずらに増やすだけだが、こればかりはどうしようもない。

「賭けの清算は済んで、無事にみんなは間島くんから取られたものを取り返したんだけど…………。勝手に野球部のものを賭けたから問題になっちゃって」

 それは自業自得だろう。増長のツケは自分で払うしかない。

「野球部は退部クビになって、そこまでは私も仕方ないと思うんだけど、その後で間島くん、負け続けてるみたいで」

「はあ…………」

「今までの腹いせもあって、今度は間島くんが負債を抱えちゃって。間島くんも性格が性格だから、挑まれた勝負から逃げ出すようになったのもつい最近くらいからで、元気がないらしいの」

 別の問題が生じているわけだ。まあ、増長した態度で半年過ごした分は仕方ないにしても、それ以上は彼の責任ではないだろう。幸運体質だなんだと言っているが、結局彼は勝負でイカサマをしておらず、むしろ正々堂々今まで勝ちを積んでいるのだから。迂闊に勝負を挑んで負けた連中が腹いせをしていい道理がないのも事実だ。野球部が調子に乗っていた分も、彼の責任の範疇ではないし。

 というわけで、アフターケアの必要が生じた。それこそ個人的に哀歌がするべきことだが、相手は『デート一回』を要求したような人間なので、哀歌がケアを放り出してもそれは仕方ないことだろう。

「ふうん。じゃあここからはわたしたちの仕事だ」

 前回は乗り気ではなかった愛珠が、今度は乗り気だった。

「妹と弟の不始末を片付けるのも姉の仕事ってね」

 彼女の言う通り、兄失格の烙印を押された以上、ケーキバイキングに付き合う程度では帳尻は合わない。妹の残した仕事を終わらせてこそ兄である。

 ちなみに愛珠の言う弟とは僕のことである。僕からすれば同学年……とはいえ誕生日からして常に年下の愛珠に弟と呼ばれる義理はないが、彼女いわく「兄は一人で十分」なのだとか。

 かくして鳥羽高校再び。笹原は番組の撮影があるとかで同伴できなかったが、既に哀歌の仕掛けたイカサマなど話すべき点は話している。

「DJササハラの次はプロボクサーとは。さすが名探偵、顔が広いですね」

「それはいいから」

 大学で用事を済ませてからこちらに向かう㐂島さんを校門で待つ間、合流した石崎さんからも話を聞いた。

「この新聞が原因だろう?」

「そうですかねえ?」

「すっとぼけるとはいい度胸だ」

 校門を入ってすぐの掲示板に、号外と称して日に焼けていない真新しい学校新聞が一部掲載されていた。内容はもちろん、哀歌と間島くんの勝負についてである。理事長の哀歌に蹴られたくないという切実な希望により、勝負の場にいた部外者である僕たちを含め学外の人間についてはかなりぼかして書いてあるが、その代わり野球部のこれまでの悪行から間島くんのことまで微に入り細を穿つどころか重箱の隅をつつく勢いで書かれている。明らかにこれが間島くんへの腹いせがエスカレートしている原因の一端だろう。

「わわ、ごめんごめん、遅れちゃて。ハッチーにも声をかけたんだけど、やっぱり忙しいらしくて」

 㐂島さんと合流し、間島くんの元へ向かう。結局、彼女を勝利に導いたというハッチーとやらは一度も顔すら見なかったな。まあ、僕の興味はあくまで㐂島さんの不幸体質だったからどうでもいい、のか。

 間島くんのいる場所はあらかじめ石崎さんが把握済みで、探すのに労はない。彼の所属する一年一組の教室で、彼自身の椅子に腰かけていた。外見から想像はつかなかったがそういう趣味もあったらしく、文庫本を開いて読んでいる。ただし、やはり集中はできていないらしく、ページをめくる手は止まりがちだった。

「やあ」

「え、うわあああ! 出た!」

 声をかけた石崎さんを無視して、間島くんが凝視したのは愛珠である。哀歌に似ているからな。見間違えたらしい。哀歌のことがトラウマになっているじゃないか。

「なんすか。この負け犬になんか用すか」

 ひとまず落ち着いた間島くんは、僕に向かってそう言った。

「用というほどのことでもないけどね。賭けの清算は済んだのかい?」

「ああ、それっすか。妹さんから聞いてないんすかね」

「あの場で見られてしまったように、僕は彼女に懐かれていないから」

「そっすか。賭けの清算は終わりましたよ。おかげですかんぴんどころか完全な赤字っすけど」

 さすがに金銭は賭けていないだろうからあくまで比喩だろう。あるいは返済ができないものを金銭であがなった可能性は否定できないが。まったく、金銭のやり取りは問題になりやすいから止めなさいとは小学生でも教師に散々言われることだが、この高校ではそれを推奨してしまっているからな。理事長はあくまでもめ事の解決に限るとでも言いそうだが、ギャンブルというのはどうあがいても金銭の問題に行きつくものだ。

「そうか。なら安心してすべてを打ち明けられる。君も気になってはいただろう? どうやってあのルーレット・サドンデスで哀歌が君に勝ったか」

「それは…………確かに」

「だが、ここは鳥羽高校だ。ただ教えるというのでは芸がない」

 妹に似て意地が悪いとは思うが、これは大事なことなので仕方がない。

「ギャンブルをしよう」

 勝負の方法は、㐂島さんと行ったものと同じコイントスである。ただし勝負は僕と間島くんの一対一ではなく、愛珠、㐂島さん、石崎さんを含めての全員で。ルーレット・サドンデスで哀歌が仕掛けたことを知りたがっているのは何も間島くんだけではないからな。

 すると僕はコイントスの係になるから、必然勝負の輪から外れる。愛珠が僕の代理として勝負のテーブルに着けばそれでことは済むのだが、一応その後の説明のため、僕は彼らがメモにコインの表裏を書いて宣言した後、手の甲に収めたコインを開示する前に表裏を口で宣言した。

 結果は?

「………………負けっすか」

 さもありなんというふうに、間島くんが呟く。彼は十回中六回当てた。

「いや、誰だって負けますよこれ」

 石崎さんは十回中三回。運がないな。しかし彼女の運が良くても今回は負けただろう。

「やったあ! 五回当った!」

 完全に自分との勝負になっている㐂島さんは、やはり不幸体質がなりを潜めているらしい。本当に、生物部の部室での勝負はなんだったのか。

「ま、こんなもんでしょ」

 と、当たり前のように言った愛珠は十回中十回的中である。ちなみに僕も同じく十回中十回的中である。

「なんかイカサマでもしたんすか?」

「いや、違うよ。勝負は愛珠の勝ちだが、まあいいさ。全部話すよ」

 そしてまずは哀歌の説明した通り、遊戯室の仕掛けから幸運体質の破り方まで全部を話した。

「なるほど…………そりゃオレも、運要素のない勝負は避けますけど、そんなことをやられちゃどうしようもないっすよ。まさかよりにもよって外部の人間が、遊戯室の仕掛けでイカサマするなんて思いませんって」

 だろうな。だからこそ哀歌のイカサマは考慮の外として誰もあまり警戒しなかったのだ。普通、間島くんの賭けた数字にニアミスが、しかも右隣のポケットに対してのニアミスばかりが続けば違和感を抱きそうなものなのだが、そこが巧妙だ。そもそも理事長がギャンブルに強いことが自明の鳥羽高校において、哀歌のような発想で遊戯室を調べる人間はいないだろうし、部外者の哀歌がそこで遊戯室の仕掛けを看破しているなんて想定の遥か外のはずだ。

 そうすると哀歌が仕掛けそうなイカサマはボールか、トスにあると誰もが勘繰るが、長期戦のルーレット・サドンデスにおいてそこまで注意力を保つのは困難だし、普通はルーレットへのトスを加減して結果を自分好みに左右するなどフィクションの中だけの話だと思い込むだろう。

 第一、目の前の中学生がそういう技に習熟していると考える普通人はいない。そこへさらに『特定のポケットに入れる』のではなく『特定のポケットに入れない』という微妙な技だと、結果にばらつきが生まれて疑う隙もない。そして仮にそこまで疑う人間がいたとしたら、そいつは一般的な感覚ではただの疑心暗鬼だ。

 あるいは名探偵か、迷探偵。

 哀歌の仕掛けは大胆に見えて、案外に繊細な積み重ねでできている。あくまで鳥羽高校は彼女にとってアウェー。イカサマの証拠を掴まれなかったとしても、それっぽいという雰囲気だけで勝負を反故にされかねない空間だ。イカサマをしているという雰囲気すら相手に感じさせてはいけない。彼女が石崎さんの格好の被写体になるのも構わずコケティッシュな所作を披露してみせたのも、間島くんとギャラリーの思考をイカサマから遠ざけるためのものだ。

「じゃあ、なんで猫目石先輩とその……愛珠さんでしたっけ、その人はコイントスで十回も当てられたんすか? あんたたちも幸運体質とか? 理事長みたいに幸運を引き寄せる意志が強いとか?」

「へえ、鳥羽理事長ってそんなこと言ってたんだ。そりゃ哀歌と相性悪いわけだよ」

 などと呑気な態度で愛珠は答えた。

「運不運が意志の強さで決まるわけないじゃん」

 そして言い抜けた。哀歌も花音もついぞはっきりとは言わなかったのに。

「わたし、これでもプロボクサーだからね。動体視力には自信があるんだよ」

 つまりただひたすら、コインの行く末をじっと眺めていただけなのだ、こいつは。

「そ、そんな身も蓋もない…………。でも納得ですね」

 石崎さんはがっかりした様子だった。まあ、面白みのない手段ではあるが、これが一番確実なのだ。

「じゃあ猫目石くんも同じ手を? 手じゃなくて目か」

 㐂島さんが僕の目を覗き込む。距離が近い。

「でも猫目石くん、そんなに俊敏なタイプじゃないよね」

「地味に失礼なことを言われている気がします」

 僕だって基本は愛珠と同じだというのに。

「実は僕、少し先の未来が見えるんです」

「そうなの? すごいっ!」

 納得するな納得するな。これじゃあ二人まとめて精神科行きである。

「ほほう、未来が。名探偵ではなく占い師でしたか」

 石崎さんがカメラを構える。彼女の興味を引くのは嫌だが、話さなければ先に進まない。

「僕は五年前、奈落村というところで新興宗教の一味に拉致されたんだ。拉致されて奈落村に行ったというのが正しいけど。その連中が神の目だとか神通力だとか言ってあがめていたのが瞳術というやつで、連中の巫女は生まれつきそうした能力を備えていたという」

 未来を見るだけでなく、相手の嘘を文字通り見抜いたりもできた。一応、そういう技も僕は習得しているが、あまり精度は高くないので普段は使っていない。

「そこで少し先の未来を覗く瞳術『未来視』を知って、僕は習得したんだよ。連中は奇跡の力とあがめていたが、要するに観察力と推理力を高めた先にあるひとつの技に過ぎない。訓練すれば誰でもできる」

 とは言いつつ、なかなかできない技なのは自覚している。だから連中は瞳術をあがめて、自分たちも開眼しようと躍起になっていたわけだし。

 僕を名探偵と呼ぶのなら、きっとその証はこの技術であると思う。

「奈落村っすか。どうりで」

 間島くんは納得したように頷く。

「噂には聞いてましたよ。村が焼かれて、生き残ったのは四人だけとか。その中の一人が先輩ってわけですか。そりゃ名探偵なわけだ」

「どうも。それで話を戻すと、ようはその応用なんだ」

 コツを掴むのに時間はかかったが、いい訓練ではあった。

 僕も愛珠と同じようにコインの動きを見てある程度は推測がつくが、それでは限界があった。そこでコイントスをする人間の筋肉の微細な動きなどを計算に加えて精度を上げる。

 さらに、コイントスをする人間のことをあらかじめ把握し、これも計算に加味する。コイントスは投げる人間の力加減、コインの回転数、手の甲で受ける高さなどが結果に反映される。コインの回転だけを見ても限界があるなら、他の要素から導けばいい。僕の未来を見る瞳術『未来視』も、相手の平均的な思考、目線の動き、姿勢から筋肉の動きまでを計算に加えて結果を算出する。勘案するべき事項が増えると計算が複雑そうに思えるが、実際は相手の次の動作を、様々な角度から検証するというだけのこと。検証する角度が多ければ多いほど、正確に未来は輪郭を伴って眼前に現れる。

 理事長の幸運体質をイカサマによるものと考えるなら、同じようなことを彼もしているはずだ。僕との『パラダイスの針』での対決では彼がコイントスをしていた。自分がコインを投げるのだから、力加減は前もって把握済み。どのくらいの力で投げてどのくらいの高さで受ければどんな結果が出るかなど、理事長は知り尽くしているはずだ。現に僕もそうやって、今回の十回を当てた。

 生物部部室における㐂島さんとの対決では、最初の三回で笹原がコイントスをする際の力加減などを測った。ゆえに後の七回は全部当てられたということだ。

 まあ、コインの表裏を当てる成否は五十パーセントの半々だ。こんな回りくどいことをする旨味は薄いのだが、薄いからこそこうしたイカサマが効果を発揮することもある。

「瞳術『表裏判眼』とでもしておこうか。僕の――というか奈落村の連中の瞳術は対人が基本だから、コイントスに応用するのは骨が折れたけどね」

 ひょっとしたらじゃんけんを必勝にする方が簡単なんじゃないかと試したら、たった数十分練習するだけで笹原に負けなくなった。瞳術は無生物相手にはとことん弱いのが欠点だな。

「じゃあ先輩も、妹さんと同じようにイカサマし放題のギャンブル勝ちたい放題っすか。よっぽどあんたたちの方がオレより、この学校に向いてるんじゃないっすかね」

「ところが、そうはいかない。今回僕が君に勝てたのは、君が負け続けた結果、幸運体質が考慮の外になったからだ」

 勝てたのはというより、勝負が成立したのはと言うべきだが。

「僕は他人から名探偵と呼ばれる人間だ。僕自身の認識も、さすがに名探偵とまではいかないけれど探偵役を自認する程度ではある。そして重要なのは、その役割に人は縛られるということだ」

 なぜ僕が――というより。その答えはきっと、意志の強さや弱さなんてカルトチックなものではない。

「探偵とは、謎を見つけ出し、そこに明快かつ論理的な解答を与える存在だ。裏返せば、探偵は謎を発見してしまうし、その謎を説明してしまう存在だと自己と他者によって規定されている」

 不思議なものなど何もない、とでもいうやつか。

 探偵にとって、すべての謎、不可能事、怪奇現象から奇跡の類は説明可能なものである。例外はない。というか、例外が存在することなど探偵にとってはあり得ないことだ。

「だから僕は君の、あるいは理事長の幸運体質について一定の説明を付与してしまう。㐂島さんの不幸体質にしても同じ。そして君を『自己認識の破綻と都合のいい記憶改竄のみによって自身を幸運体質と思い込んでいるだけ』と説明したとして、そこに僕は勝機を見いだせない」

 なにせ僕の説明の中では、間島くんはイカサマをしていないのだ。イカサマの現場を捉まえて泥を吐かせることもできないし、イカサマを逆用して勝ちにつなげることもできない。勝率は僕の中で半々のまま。その状態で、大きな賭けには出られない。

 僕が探偵であり、間島くんの幸運体質に説明を付けてしまう以上、勝負に出ることさえハイリスクだ。

「ところが哀歌は探偵じゃない。不思議なものを不思議なもの、謎を謎としてそのまま利用する事ができる。君の幸運体質に『そういうもの』以上の説明を与えず封殺することができる。もちろん僕も同じ手は考えたが、僕は君の幸運体質がイカサマによる意図的なものである可能性を最後まで捨てきれないから、哀歌のような勝負に出られない」

 出るとしたらそれこそ妹の無茶に振り回された場合くらいだろう。

「僕たちが今回の件から教訓とするべきは、愛珠の言うように運不運は意志の強さなどというもので変わりはしないということだ。僕の事件誘引体質も、君の幸運体質も、そうたらしめているのは意志ではなく役割だと、僕は考えている」

「役割…………?」

「僕に探偵という役割があり、ゆえに謎を見つけてしまう。事件を誘引しているのではなく発見しているというのが正しい。一方で君は超幸運児という役割が、鳥羽高校において与えられていた。ゆえに君自身も、そして周囲も君をそうとしか見ない」

 結論は、ぐるりと回って僕が㐂島さんに対して行ったのと同じようなところに落ち着く。だが、それでいい。理事長のこじつけよりは、明快に僕たちという人間を説明できている。

「人生万事塞翁が馬、と言うだろう。短所を長所に言い換えるがごとく、不幸を幸運と言い換えるのもそう難しくない。君は幸運を引き寄せているのではなく、すべての出来事が自身と周囲によって幸運であると解釈されていただけだ。そして君の今現在の不幸を仮に幸運に言い換えるなら、その役割から解放されるチャンスが訪れたとするべきだろう」

 超幸運があくまで解釈によるものとすると、どこかにしわ寄せが行っている危険性は高い。都合のいい解釈はやがて自分の首を絞める。今回の件で幸運体質などという幻覚から目が覚めるならちょうどいい。

「禍福は糾える縄の如し、と言いますからね!」

 カメラを構えた石崎さんが朗々と喋る。

「幸運ではなくなっても、不幸になったわけではないですから、逆にこれから、幸運体質を失ったと油断して勝負を挑んでくる相手を存分にカモれるかもしれませんよ」

「僕としては彼がこうなった一因に学校新聞があるんじゃないかと懸念しているんだけど」

 どうぜ幸運体質だのなんだの、あることないこと書き散らしたんだろう。

「間島くん」

 一歩前に出て、㐂島さんが彼の肩に手を置いた。

「大丈夫。きっとすぐに勝てるようになるよ。私だって最後には勝てたんだから!」

 不幸体質、薄幸少女のレッテルを剥がした実績のある人間の言葉はやはり、説得力が違う。

 何度か探偵を止めるチャンスがあっても探偵を続けて、今もこうしてさがとして自身と間島くんの体質に説明を付与している僕が何を言うよりも、きっと。

 ギャンブルで勝つのと同じくらい、誰かを励ますのも探偵の職分ではないし、な。

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