5 ルーレット・サドンデス
七人。
後で聞いた話によると、鳥羽始理事長にギャンブルを挑み勝利した人間は、これまでに七人だけだという。その六人目と七人目が、
過去五人の詳細は定かではなく、従って理事長の誇大広告の可能性を否定できない僕だが、㐂島さんが理事長に挑んだのは僅か二年前。石崎さんをはじめ、三年生はその勝負を直接見た者が多く、それを二年生や一年生に伝えているため実態を伴う伝説として鳥羽高校では有名なのだとか。
そして彼らの伝説とともに、鳥羽高校では有名となったひとつのゲーム、ギャンブルの方法がある。
それがルーレット・サドンデス。
「いや、それは本当にどうでもいい」
間島栄達と木野哀歌、二人の間で行われるそのゲームについて、説明を加えようとする石崎さんを押しのけて、僕は哀歌に詰め寄る。
僕たちが遊戯室を訪れてからほんの数分後、場所は変わっていない。精々、僕と哀歌が集団の傍から離れて、スロットマシンの陰に移動したくらいで。剣呑ならざる様子と感じたのか、石崎さんたちもついてきてしまったが。
「まったく、今日は用事があるとか言っていたが、まさかここに用事があるとはな。ギリギリでストップをかけられたのは幸運だった」
「わたしにとっては不幸でした」
そっぽを向いたまま、哀歌が応答する。
「まあ、兄さんが同日同所にいる時点で、最悪のケースとして想定はしていましたが」
「僕は想定すらしてなかったよこんなケースは!」
どうりで、僕が誘った時に妙な間があったわけである。
「そもそも、なんで哀歌なんだ? 間島くんの話はさっき石崎さんから聞いたけど…………」
「兄さんはわたしの学校での活動を忘れたわけではないでしょう?」
「それはそうだが……」
哀歌は在籍する朱雀女学院で風紀委員会に所属している。それが通常の風紀委員会ではなく、その名を統一風紀委員会と言うのだ。朱雀女学院はすぐ隣に同じ学校法人の運営する青龍学園があり、そのため共同で活動を行うことも少なくない。すると当然、ふたつの学校をまたがった問題も生じる。そこで青龍学園と朱雀女学院の有志が集ってそれらの問題の解決にあたる組織を作った。それが統一風紀委員会。略して統風。
朱雀女学院も青龍学園も中高一貫の学校で、帳や千里が中学時代そこに通っていたから内実は哀歌が通う前から知っていた。
「統風の出る幕でもないだろう」
「中等部の卒業生の何人かがこの学校に進学しているようでして。そのためにわたしたちの方へ相談があったのです。もちろん学外のこととなると統一風紀委員会は動けませんが、今回は事情が違います」
「事情、というと?」
「鳥羽高校で起きた問題の影響が、こちらに及びかねないと判断しました。そこで委員長の承認を得た上で、わたしがここにいるのです」
ちらりと理事長の方を見る。彼は困ったように笑うだけだった。
いや何笑ってんだ。
散々、人に周囲へ与える影響を考えろと言っておきながら自分はこの様か。
「でも哀歌ちゃん。影響って、いったい――――」
「黙れ笹原。黙れ、今は」
「ま、マジギレ………………?」
青龍学園や朱雀女学院へ及ぶ影響とやらは知ったことではない。そのために哀歌が出張って、さらにギャンブルに手を出さないといけない状況というのが問題だ。
「統風で解決するべきと決めた問題なら、お前が貞操を賭ける必要は無いだろう。ギャンブルでしか解決できないなら、せめて賭ける対価は統風か朱雀女学院があがなうべきじゃないのか?」
「学校が表立って出てきては角が立ちます。大人はそういうのを嫌いますから当然動きません。統一風紀委員会としては、ここまで膨らんだ間島栄達さんへの負債にあがなえるものなど何もありません。また統一風紀委員会と鳥羽高校野球部という組織同士の対決の色合いを鮮明にしては、結局学校同士の衝突になります」
「結果、お前と間島くんの個人的な勝負という体裁を取らないといけないと?」
「はい。幸い、間島さんは『デート一回』を『入学から現在まで自身がギャンブルで得たもの』に釣り合う対価として認めました。この破格の条件も、個人でなければ引き出せなかったでしょう」
「お前な………………」
引き出せなかったでしょう、ではなく引き出したんだろうこいつは。哀歌は自分の外見が他者、特に男に対しどういう影響を与えるかを把握しているタイプの人間だ。
色仕掛けの締め落とし。それは彼女が一番嫌う、実の母の得意としていたものでもあるのだが……。どういう線引きがこいつにあるのかはよく分からない。
少なくとも十四歳の考える手ではない。
「第一」
哀歌は冷たい目で理事長を睨む。
「この理事長という役職を全うしえない人間が、自身の支離滅裂な教育論を撤回していただければ話が早かったのですが。わたしとしても、相手の土俵に乗るような手段は取りたくなかったんです」
「いやあ、はは」
理事長はのらりくらりとやり過ごしだけである。
「と、いうわけなんだ。言っただろう、君の力が必要だと」
「何がというわけなんですか。自業自得でしょう」
あるいは因果応報。つまり哀歌を止めるのに探偵としての僕ではなく、兄としての僕が必要だったというわけだ。㐂島さんとの面会を今日この時間にしたのも、僕と哀歌をここでぶつけるためじゃないだろうな。
「とりあえず哀歌、お前がプランAにギャンブルを選んでいないらしいのだけはホッとしているよ。プランBっぽいのが気がかりだが」
「事実プランBですから。本来であればもう少しプランAとして鳥羽高校の、ギャンブルを認める制度自体をあらためる方向で攻めたかったのですが」
プランAが対処療法ではなく根治を目指す方向なのはそれはそれで十四歳の考える手ではない。誰の教育を受けたら十四歳がギャンブルでかっぱがれたという相談に対し「じゃあ賭場を潰しましょう」という発想になるのか。
解決を目指すならば最良ではあるのだが。
「野球部が合宿で出払っている今しか、プランBの実行タイミングがありませんから。わたしとしてもこの話が通じない大人子どもにいつまでも関わるのは不愉快でしたし」
哀歌が拙速になるくらいのストレスか。
「私は別に構わなかったが………………」
理事長が口を挟む。
「いきなり私のスケジュールを把握したうえで、暇な時間帯をアポなしで訪れてきたのにはびっくりしたよ。さすがは探偵の妹さんというところかな?」
「僕は何もしてないですね」
「ええ、兄さんは何もしてません」
夏休みに入ってから哀歌は機嫌が悪かったのだが、ひょっとして原因はこれだったのだろうか。いや、どうもそれだけではない気がするが、面倒だしそういうことにしておくか。
「話はまとまったんすか?」
と、ここで、しびれを切らしたように人だかりから声がかかる。
「まだだ。ちょっと待ってろ。待ってるついでに殺されてくれても僕は構わないぞ」
「おーこわ。さすが噂に聞く探偵っすね」
待っていろと言ったのを聞かず、声の主は人だかりから離れてこちらに向かってくる。軟派な長めの茶髪にカラフルなヘアピンをグサグサと刺した男子生徒である。日焼けしているところは野球部らしく思えたが、体に鍛えたところがないのは妙だった。というか頭、坊主じゃないのか。
「猫目石…………さん? 先輩? でしたっけ。オレが殺されたら先輩が解決してくれるんすか?」
「それは御免こうむる」
「オレは超幸運なんで、まず殺されないっすけどね」
そう、彼こそが問題の間島栄達その人である。硬派な感じの名前と野球部という情報から想像していたタイプとは違う人間が出てきたが、こっちはこっちで哀歌に『デート一回』を要求するキャラっぽくはある。
「……本当に野球部?」
僕の疑問は代わりに笹原が尋ねる。
「うす、一応ね。幽霊部員っすけど。この学校、どこか部活に入らないといけないって規則があるから。どこにするか悩んでたら野球部にスカウトされたって感じで」
正しく忠実な意味合いでの代打ちというわけだ。部活動自体に参加しなくとも、超幸運体質の生徒を入れておくメリットは、この学校では十分にある。㐂島さんの例もあるから、超幸運のおこぼれにあずかろうという意図もあるかもしれないが。
「とにかく、兄貴だか何だか知らないっすけど、こっちで決まった勝負を突然なしってのは勘弁ですから。というか本当に兄弟なんすか? 似てないし、苗字も違うじゃないっすか」
その質問には答えないでおいた。向こうが事情をペラペラしゃべるからと言って、こちらも話さなければならない法はない。
「僕としてもあまり小言を言いたくないが、こればかりはどうしようもない。妹が無茶をしようというのを黙って見ているほど僕は兄を止めたつもりはなくてね。勝負なら僕が受け――――痛たたたっ! 腕がっ!」
僕が言いたいことを言い終えるより早く、手が出た。
誰の?
哀歌の。
「兄さんが兄をどの程度止めているかという話は結構」
哀歌は後ろから僕の腕を締め上げる。
「どうにも話が大きくなってますが、賭けているのはあくまで『デート一回』。貞操などという無茶なものではありませんし、勝てば問題ありません」
「いや、だからそれは――――痛ってええ!!」
足をすくわれて、同時に肩を後ろから引っ張られ僕はすっ転ぶ。床は絨毯なので受け身の取れない僕でも怪我はしないが、哀歌はご丁寧に腕を不必要に捻っていきやがった。下手したら折れるくらいの勢いで。
もしかすると折る気だったかもしれない。
「そもそも」
腕の痛みに耐えて体を起こした僕に哀歌は正面から向き直る。顔を近づけ、僕たちだけにしか聞こえない声で、しかしはっきりと話す。
「タロット館事件以降、帳さんとただれた日々を過ごす兄さんに貞操をどうのと言われる筋合いはありません」
「………………………………!」
何も言い返せなかった。
図星だから。
「兄貴面をするのであれば、まずは態度を改めてください。今は妹の無茶をよく見て反省する時です」
最後に哀歌はそう言い放ち、くるりと僕に背を向けた。そのついでに、反転する勢いで僕の頭部に蹴りを加えるのを忘れるほど彼女は菩薩ではない。
「ぐはっ!」
「せ、先輩っ!」
床にぶっ倒れた僕を笹原が助け起こす。他の人間は㐂島さんから理事長に至るまで、よほど兄妹喧嘩を見るのが初めてだったらしく、僕たちから距離を離してしまっていた。
ここまで手や足が出ることは珍しいが、兄妹喧嘩は別に珍しいことじゃないのに。
「大丈夫ですか?」
「心配してくれるのか、お前は」
「当然じゃないですか」
「逆ギレみたいな絡み方したのに…………」
「この笹原、地球上の全人類が先輩自身を含めて先輩の敵に回ろうとも、最後まで先輩の味方をすると入部当時から心に誓ってますから!」
「本当にごめんなさい」
神はここにいたか。奈落村にもいなかったのに。
ともかく、笹原の手助けを得てようやく立ち上がり、立ち直る。哀歌がやると決めてしまった以上はもう止められない。どうにか、少しでもフォローできるといいのだが。
哀歌は元の位置に戻って、間島くんとゲームの最終確認を行っているらしい。一度どうでもいいと言ってしまった手前あれだが、僕もこうなったらゲームの内容について理解した方がいいだろう。
「石崎さん、ルーレット・サドンデスというのは…………」
「はい。鳥羽高校では有名なゲームですね。なにせ㐂島先輩とハッチーが理事長に勝ったゲームですから。それ以来、けっこう流行してるんですよ」
「それはそれは」
ルーレットが必要な、下準備のあまり楽ではないゲームなのによくやる。まあ、ルーレットはそれこそ生物部で見たような玩具でもいいし、なんなら
「ルールも簡単です。お互いに数字をひとつ指定して、その数字のポケットにボールが入るまで繰り返しルーレットを回すというもので」
「名前の通りだな。一度指定したら変更は?」
「できません。でも、場合によってはひとつでなく複数の数字を指定することもあります。一か所だとなかなか当たりませんからね」
「……………………うーん」
聞く限り、明らかに哀歌が不利そうである。あくまで間島くんの幸運体質が本物ならという前提だが。
その点について同じ穴のムジナこと理事長はどう思っているのか。僕が彼の方を見ると、意図を察したのか説明してくれる。
「彼の幸運体質を疑うならば無駄だよ。少なくとも私が確認する限りでは本物だ。ゲームにおいてイカサマをしている気配すら微塵もない。木野君もその辺はきちんと調べているはずだ」
「きちんと調べているなら、むしろこんなルールで勝負はしないと思うんですけどね」
「どうだろう。さすがにこのままでは不利とみて、いくつか条件を出しているよ」
「条件?」
手を打っているのか?
「間島君が数字一か所の指定に対し、木野君が三か所。これが当初、間島君の想定していたハンデだった」
「理事長と同じことしてる…………」
㐂島さんが呟く。同じ体質の持ち主は発想も似るのか。
「私の場合、ルーレット・サドンデスに限らず多くのギャンブルで、生徒と対決する場合はハンデを設けている。もちろん私の幸運を引き寄せる意志が生徒のそれより強いというのもあるが、一番は圧倒的大差で勝つ必要があるからだ」
「圧倒的大差、ですか」
「私が生徒とギャンブルをするなら、賭けるものは必然的に学費の免除や停学・退学など、学校運営上でもそこそこ重要なものになるからね。忙しい身だし、そうそうギャンブルは出来ない。ゆえに『私には簡単に勝てない』と生徒たちによく思わせておく必要がある。そのためのハンデだ」
では間島くんがハンデをわざわざ負おうとしたのは、単に油断しているだけではないということか。
「間島君の場合は三つ理由があるだろう。ひとつは単純な油断だ。今の自分ならこの程度のハンデはものの数ではないと彼自身は思っている。二つ目は逆に、その油断に近い意識の動きこそ幸運を引き寄せると彼が考えているからだ。彼はあれで真面目に私の理論の実践者なのだよ。大きなハンデを負いつつも、それに自分の幸運は負けないと強固に思う意志こそ、幸運を引き寄せる」
わざと背水の陣を敷いて臍下丹田に力を籠めようというわけだ。まあ、彼と話す印象ではその二番目の理由は薄い気がするが。
「三つ目は、単にかっこいいところを見せたいという欲だろう。なにせ『デート一回』を賭けているからね。女の子にかっこいいところは見せたいだろう?」
「どうでしょうね」
それこそ分からない感情だ。ああ、分からないとも。しかし三つの理由の内二つがしょうもないとは。なるほど油断して緩み切っている。攻めるなら今しかないというのは正しいタイミング把握だろう。
「それで…………」
石崎さんがカメラを構えて何やら構図を探りながら、理事長に話しかける。
「猫目石さんの妹さん、その条件を飲んだんですか? 理事長の口ぶりだと、その条件は飲まなかったふうですけど」
「木野君は間島君の条件を却下した。その代わりに、別の条件を提示したのだよ」
「別の条件? さっきのハンデ以上に、このゲームって有利になる条件はなさそうですよ?」
「それが木野君は、ボールを自分でトスすることを認めるよう間島君に求めたのだよ」
「……………………へえ?」
石崎さんはカメラから顔を離して首を傾げた。疑問に思ったのは㐂島さんも同じである。
「ボール? それが何か、有利になるのかな? お兄ちゃんはどう思う?」
「……………………まあ、少なくとも公平感は薄まりますけど」
兄失格の烙印を押された後に兄だのお前の妹だの言われるの、けっこうやるせない気持ちになるな。悲哀は哀歌から母失格と言われ続けて、なお普通に笑っていたのか。どういう面の皮の厚さなんだ。
「普通はディーラーがトスするものを投げさせろというのは実際無茶な要求ですから、間島くんが油断しきっている上に、くれてやると言ってきたハンデを撤回でもしないと飲ませるのは難しい条件ですね。それだけの価値があると哀歌は考えているわけですが、僕にはさっぱり」
と、言いつつも、ひょっとするとという可能性を考えている僕である。しかし…………それは実質不可能のはずだ。少なくとも、僕が知る最もイカサマの上手なギャンブラーはそう言っていた。
狙ったところに入れるのは無理だと。狙ったところに入れないのは頑張ればできるけどと。
だからあと一手必要なのだが…………。
「哀歌ちゃん、大丈夫かな? 心配だよね」
「…………哀歌は勝算のない勝負はしませんから、心配はしていないんですけどね」
心配はないが問題はある。
「では、宣言を」
最終調整と確認は終了なのか、人だかりがルーレットの周囲に移動する。僕たちも、少し離れたところに移動し、様子を見守る。
「宣言?」
哀歌と間島君は、互いにルーレットを挟んでにらみ合う格好になる。
「ギャンブルを受けるっていう、制約みたいなものかな。懐かしいなあ」
㐂島さんはOGらしくそんなことを言う。
「さっきから確認はしているから本当は必要ないと思うけどね。一応、みんなに分かるようにやるんだと思うよ」
「はあ…………」
随分仰々しいんだなと思っていると、早速、間島くんが大きな声で宣言する。
「オレは――間島栄達は今から木野哀歌にギャンブルを挑むことを宣言する」
「受けます」
哀歌は端的にそう返す。実際の構図は真逆だが、まあどうでもいいか。あくまで儀式だ。
「それでは時間も惜しいですから、始めましょうか」
かくして、物語は冒頭に回帰し、時間は進む。
十一投目。
「今度こそ!」
という間島くんの気合が、ゲームの進行を分かりやすく伝えていた。
「今、何投目?」
「十一投目です」
やることもないし、念のためを思いスマホに結果をメモしていると㐂島さんが覗いてくる。
「間島くんの選んだ数字は一。哀歌の選んだ数字は十。そして今のところ、見ての通りどちらの数字も出ていません」
意外と暇だな、このゲーム。
「あのルーレット台はヨーロピアンスタイルだから、数字はゼロから三十六の全三十七個だね」
理事長が解説してくれる。
「ちなみに間島君の選んだ一の右隣が二〇で左隣が三十三。木野君の場合はそれぞれ五と二十三だ」
「へえ」
僕はてっきりゼロから順番に数字が書かれているものと思っていたが、違うらしい。種類もいろいろあるのか。そういえば、ルーレットといえば数字に『00』があるものと考えていたが、理事長いわくヨーロピアンスタイルとかいうこの台には存在しないという。
「やはり間島君の幸運は本物らしいね。先ほどから二〇が四回も出ているよ」
「一が出ていないからどうでもいいでしょう」
僕がそう応じると、理事長は意味ありげにくすくすと笑った。なんだなんだ?
もう少し追求しようと思っていると、ルーレットの傍からどよめきが起こった。
「おしい!」
いつの間にかルーレットの傍に寄って、集団の中で一番ゲームを楽しんでいる笹原の声である。僕がルーレット台、もとい哀歌に近づけないのを慮って近場から様子を見てくれているのだ。
「二十三が出ましたよ先輩」
「分かった」
笹原の言葉を受けて、メモに新しく書き足す。まあ、二十三が出ても決着しないからこれもどうでもいいのだが。
「いやー、しかしカメラの構えがいがあるといいますか!」
一方、笹原とは別の興奮を隠しきれないのは石崎さんである。
「哀歌ちゃんでしたっけ。猫目石さんの妹さん、被写体として最高ですよもう!」
「……………………そうか」
哀歌は現在、ルーレット台にはしたなく足を組んで座っていた。ルーレットの回転部分にほど近いところで、そこから右手で無造作にボールをトスし、また無造作にルーレットを止めるという所作である。本来は回転が止まるまで触らない方がいいはずだが、この場の総員は四投目あたりから飽きと焦れを感じていて、誰も哀歌の動作に文句は言わない。仮にあったとしても、哀歌の一挙手一投足は怠惰さと洗練さを綱渡りのような繊細さで調和させており、堂に入っていて誰も文句など言えないだろう。
どれだけ周囲のギャラリーが騒がしくとも、哀歌がボールをトスする瞬間とルーレットを止める瞬間は、誰もがその動作を見逃すまいと息を呑んでいた。きっと当初はイカサマを警戒した視線だっただろうそれは、今ではただ阿呆のように哀歌の所作を眺めている。
「石崎君、写真を撮るのは結構だが、木野君はあくまで部外者だ。学校新聞に載せるのはあくまで間島君だけのものにしておきなさい」
「ええーっ!?」
がっくりと石崎さんは肩を落とす。本当に最前からまともな大人みたいなことしか言わないな理事長は。
「私は猫目石君のように足蹴にされたくない。あれは老体に応えるほど痛そうだった」
「さいで」
我が身可愛さか。やっぱりまともな大人じゃないな。理事長こそちょっと蹴られた方がいいんじゃないだろうか。
「さて、勝負はすぐ決するだろう。すまないが私は忙しくてね。これで失礼するよ」
「え? 最後まで見ていかないんですか?」
石崎さんは驚いたように顔を上げるが、僕と㐂島さんはお互いに顔を見合わせて安堵する。なんだかんだあったが、最悪の三者面談は回避できたのだからよしとするべきだ。
たとえ妹に兄失格と言われて足蹴にされようと、よかったと思っておくべきだ。不幸を不幸で打ち消すという爆弾消火みたいなことをしているが、僕の人生なんてそんなものだ。
「……………………では、十二投目を」
何かを思ったらしい哀歌は、しかし何も言わずに粛々とゲームを進行させる。
そして、三十投目あたりで、少しだけ僕も違和感を覚える。
「なんでだ…………なぜ」
さすがに三十投目となるとギャラリーは飽きるかと思いきや、むしろ二十投目あたりよりもみんなの意識は覚醒していた。
明らかに、間島くんの余裕がなくなっているからだった。
「これは…………………………」
理事長の思わせぶりが気になって記録を続けていた僕は、気づいた。
十六投目から、一度も間島くんのニアミスがない。最後に二〇が出たのが十三投目。三十三が十六投目。そこから彼は惜しいとも言えなくなっている。
一方、哀歌のニアミスは僅かだが増えた。三十一投目を合わせて三回、二十三が出ている。いや、だがこれは…………。
「いつもなら、とっくの昔に終わってるはずだろ!」
幸運体質を自称する彼が、あくまでも普通の確率に左右されている。そのこと自体が彼自身を焦らせ、ギャラリーを注目させる。
「では三十二投目を」
一方の哀歌は態度をまるで変えない。こうしてみると、あの怠惰さを含んだ所作は長期戦を想定した省エネだったわけだ。
三十二投目、トス。やがてルーレットの回転は遅くなり、哀歌の手によって止められる。
「あっ!」
笹原が叫ぶ。
ひらりと、哀歌はルーレット台を舞うように飛び降りた。そのことが既に、ひとつの結果を物語っている。
「ではこれにて。間島さん、くれぐれもお約束、お忘れなきよう」
数字を確認するために群がるギャラリーを躱し、ついでとばかりに僕を存在ごと躱して、哀歌は遊戯室から出ていった。
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