4 最悪のケース

 仮に、僕が自分を名探偵と名乗るにふさわしい人間だとするなら、その証明たる能力はひとつしかないと自負している。

 こればかりは自負する。さすがに。自他共に認めるというか、ダンゴムシの生息域並みにジメジメした自己評価を下しがちな僕でも、こればかりは例外というものだ。

 それが観察力。

 名は体を表すというのか、猫目石の名にある通りなのか、目に関してはいい方だ。これだけインドアでも、いまだに視力は左右ともに良好で矯正の必要がない。

 さらに観察力、プラス探偵に不可欠な推理力の合わせ技にして極致として、僕には使えるがある。

「じゃあ、㐂島きじまさんは何のトリックもなしで?」

「ああ、僕の目には少なくともそう映る」

「先輩の目にそう映るならそうなんでしょうけど…………。そもそも、わざと負けるイカサマというのも考えづらいですけど」

 それはどうだろう。今回の場合、㐂島さんは負ければ道案内ということにはなっていたが、僕たちの方は負けた場合の処遇を考えていなかった。㐂島さんにもそのことは指摘されなかった。つまり彼女の方は勝つメリットを考えておらず、負けるリスクもごくわずかということである。ならば僕が先日そうしたように、わざと負けること自体に抵抗はないはずだ。

「不幸体質。当初考えていたのは、わざと彼女が負けていたという可能性だ。ほら、要するに弱いフリだよ。自身が弱いと思い込ませて、相手を増長させて徐々に掛け金を吊り上げる。そして最後の大勝負でひっくり返す。不幸体質はいわばその布石で、その技に引っかかった粗忽者が理事長というのが僕の推測だったんだけど……」

「私、そんなに悪いこと考えないよ」

「粗忽者とは、探偵にかかれば私も形無しだねえ」

 そう、㐂島さんはそういう性格でもないのだろう。理事長の言葉は無視するとして。

「彼女は何のトリックも使わず、十回全部のコイントスを外した」

「本当にトリックなしなんですか?」

 笹原はしつこく食い下がる。気持ちは分かるが。

「本当に本当、だよ。そもそも、コインを投げたのはお前で、そのコインは僕が用意したものだ。コインどころか紙とペンも、な。これでトリックを仕込むというのは難しい」

 まあ実ははあって、それを実践したのが僕の七回なのだが。彼女がそれを利用した形跡はない。彼女が僕と同種の技術を使っているのなら、僕にはそれがすぐ分かる。

 そうでなければ、僕は今頃生きてここにいないのだから。

「不幸体質ですかあ。この朴念仁先輩が興味を持つわけです」

 しみじみと笹原が呟く。僕たちは理事長の襲撃、もとい出迎えによって、本来の目的地である理事長室へと歩いていた。

「まさか先輩にも分からない謎があるとは思いませんでしたよ」

「私の推測では」

 理事長は笑いながら言う。何が面白いんだ。

「彼女――㐂島君はギャンブルで勝つことに恐れがあったと考えている」

「恐れ?」

 会話をしているのは基本的に前を行く理事長と笹原である。僕と㐂島さんは二人並んで、後ろをてくてくついていく。

「彼女は自身がギャンブルで勝ち、その結果として相手に損を与えることを恐れた。それが強固な意志として、彼女の不幸につながったと私は考えている」

「ははあ、なるほど」

 納得するなよ笹原。抗え。

 しかし、理事長の持論とそう繋がるわけか。

 ギャンブルで負けることは、表層だけ見れば不幸である。しかし㐂島さんにとってより不幸なことは、自身が負けることではなく相手が負けること。ゆえに内実では自身の望む通りギャンブルで相手に損を与えていないわけだから、結果的には幸運とすら言える。

 禍福は糾える縄の如し、ではなく。

 幸不幸はコインの表と裏、か?

 僕が事件に巻き込まれるのは不幸なように見えて実は都合がいいように(とあくまで理事長の考えに合わせるなら)、彼女にとって不幸な状態はそれはそれで都合がいいというわけだ。そういう意味で僕たちは同種同類ということを理事長は言っている。

 だから僕と理事長こううん彼女ふこうと真逆。同類なのは僕と㐂島さんだけで、そこに理事長は入らない。

 僕たちは幸運と不幸とを引き寄せる意志がひねくれている。そう言いたいのだろう、この粗忽者は。

「さすがにギャンブルですべてを決めるこの学校を出て以来、彼女の不幸体質はなりを潜めていたと聞いていたがね。しかし一度癖になったものはなかなか抜けないらしい。私と先日ギャンブルをした時はただ順当に負けただけだったのだが、学校に来た途端にこれとは、私も少し驚いたくらいだ」

 理事長も驚くくらいか。これは相当だな。

「だが彼女の不幸を引き寄せる意志はある意味で強固でね。実際、彼女が在学中に行ったギャンブルは千を下らないが、そのほとんどすべてで負けている。加えて彼女は集団でギャンブルを行った場合、味方になった者にまでその不幸が伝播するほどでね」

 私の幸運もさすがにそこまでではないよと理事長はまた笑う。ベクトルが真逆だがその威力は理事長を超える、か。

「それが本当だとしたらとんだ生物兵器ですね。本当だとしたら、ですが」

「それだよ、猫目石君。君にはその感覚を持ってほしかった」

「はあ…………」

 我が意を得たり、とばかりに得意満面の表情で理事長がこちらを見る。

「君が彼女をそう考えるように、君の周囲の人間も、事件を誘引する名探偵の君をそう考えている。㐂島君は鳥羽高校という舞台でこそその猛威を振るったが、それも私に勝って以来は弱まり、現在では今のような限定的状況でもないと発動しない。しかし君は違うだろう」

 現在過去未来、古今東西、老若男女、時間と場所と相手を問わず事件を誘引する。そう表現すると恐ろしい生物兵器は僕の方だが、これもまた、本当ならば、だ。

 あくまで兵器のカタログスペックは理事長の頭にしか存在しない。

「名探偵? じゃあ、猫目石くんが上等高校の事件を解決したっていう『相談役』さん?」

 既に互いに自己紹介は済ませていたが、どうして僕たちが会うのかについてはあまり説明がなされていなかったらしい。㐂島さんは僕についてほとんど知らなかった。おまけに一番混同してほしくないやつと混ざる始末である。

「いえ、その件は僕は無関係ですよ。ええ、誰が何と言おうと」

 事件を誘引するとか言われてもねえ。結局、僕の感想はそこに戻るのだ。

「㐂島さんの不幸体質とやらについても、大げさに考え過ぎなんですよ。だいたい、そういうのは占いが当たるのと同じ理屈で説明できるんです」

「占い?」

 彼女のハテナマークには、笹原が後輩らしく補足で答える。

「占いを信じる人の心理ですね。当たった占いばかり覚えていて、当たっていない占いは覚えていない。それの応用ということでしょう?」

「そう。㐂島さんも、その周囲も、入学当初からしばらくのギャンブルの結果からあなたを『不幸体質』と決めつけてレッテルをはった。もめ事をギャンブルで解決しようという高校ですから、その三年間の学校生活を文字通り占う入学初期のギャンブルは重要視されるでしょうし、当人の印象にも残りやすいでしょう。そこで負けが込み、奇跡的な不幸を連続させ、さらに一回か二回ほど周囲を巻き込んで負けてみせれば『不幸体質』のレッテルがはられる。そうすればあなたも周囲も『㐂島奈々は不幸体質である』という先入観をもって臨むことになります。そうすれば今度は、あなたが不幸体質であることを裏付けるギャンブルの結果しか目に入らなくなる。実際の幸運、『不幸体質』を否定する材料は無視される。それだけの話です」

「うーん」

 当人は納得がいかない様子だった。まあ、具体的な彼女の戦歴をこちらは知らないからどうにも説得のしようがない。

「理事長にしてもそれは同じ。特に理事長はその奇妙奇天烈な理念を頭から信じてますから、自分の都合のいい結果しか見ないでしょう。自分の身に起こる不幸はすべて無視。結果としての『超幸運』。ただ、それが悠々とした態度に出れば相手を委縮させますから、実際の勝負において多少心理的なアドバンテージを得ることもあるでしょうが」

「だが、それはあくまで推測に過ぎないね。推測し、最も現実的な理屈を捻出したに過ぎない」

「…………………………」

 それは、そうだろう。そして本来はそれでいいのだ。幸運体質だの不幸体質だのという存在自体があやふやなものにつけられる最大限の説明として、これ以上はないし、これ以上を求める必要もない。

 同じ説明を、僕に対してしないのであれば。

 理事長はこちらを向いて、粛々と答える。

「君自身がよく分かっているはずだ。仮に私や㐂島君のことをそう説明したとして、同じ要領で君自身の事件誘引体質を説明しようとすれば、さっきの㐂島君のように君自身が釈然としないものを抱えるのではないかな?」

「……………………」

 理事長のその質問には、答えないでおいた。

 図星だからではなく、どうでもいいからだ。

 事実、僕の理屈を僕自身に当てはめれば、不審な点が出てくる。僕の事件誘引体質を彼らと同様の説明で説明しようとしても、明らかな無理が生じる。㐂島さんがうーんとうなったように、僕自身もどこかモヤモヤを抱える。

 なるほど理屈だ。四歳の時、両親が強盗に殺害された。その死体とのがことのはじまり。そんな人間が、土地を変えても何度か事件に巻き込まれれば事件誘引性体質のレッテルは簡単にはられるだろう。そして次はそのレッテルが、僕をそういう人間以外の何者としても扱わない。事件に巻き込まれない平穏な日常の方が総日数は多いにもかかわらず、事件に巻き込まれてばかりという印象になる。

 しかし、じゃあ、そういう説明をつけたとして、僕の事件に巻き込まれた回数がそれで少ないという――多くはないという印象に変わるわけではない。㐂島さんが釈然としないのも同じ理由だろう。どれだけ理屈をつけても、多くの不幸の元ギャンブルに負け続けたという彼女の記憶と記録も、決して少なくない数の事件に巻き込まれたという僕の記憶と記録も薄らぐわけではない。

 だからこそ、どうでもいい。

 理事長の言う通り、㐂島さんの不幸体質が高校時代に際立っていたのと違い、僕の事件誘引体質は波がない。常にフラットで襲い掛かる。だからこそ、体質それを説明する言葉を持つ意味すらない。

 結局平行線なのだ、この話題は。影響力の責任云々という理事長の話に僕は載らない。だからその先の理屈もいらない。影響力の自覚もいらない。

 土台から無茶だろう、僕が事件を誘引しているので、その責任を何らかの形で取りますなんて。

「そういえば」

 僕はポケットからコインを取り出して、理事長に見せる。

「これ、理事長の忘れ物ですよね。お返しします」

「いや、それはいいよ」

 先ほどとは違い、理事長は正面を向いて歩きながら僕に答えた。

「私には必要のないものだ。君にあげよう」

「はあ…………」

 別に僕にも必要ないんだけどな。

「でもこれ、どうにも普通のコインには見えないんですけど」

「変哲もないコインだよ、ただのね」

 彼のその物言いは、誰の耳にも真逆の意味に聞こえるものだった。

 絶対何かいわくがあるな、これ。変なもの握らされたとかじゃないよな。

「…………じゃあ、もらっておきますよ」

 ここで無理に突き返せないから事件に巻き込まれやすくなるんだろうななどと思いつつ、僕はまたコインを仕舞う。適当に処分しておきたいところだが、もしこのコインを欲しがっている人間に襲撃されたとき「捨てました」では済まないだろうしな。仮に処分するにしても、もう少し由来は調べる必要がありそうだった。まったく、受験生なのに勉強以外の仕事が増えていく。

「いやあ、それにしてもこうして有名な鳥羽高校の理事長にお会いできるとは思いませんでしたよ!」

 僕と理事長の会話は済んだとふんで、笹原が積極的に口を開く。

「奇抜な教育論なのは確かですがそれはそれ。わたしの番組はお堅い教育番組ではありませんから、ぜひ理事長にも番組に出ていただきたいと」

「私も、君の番組は把握しているよ。君ほどエネルギッシュな若者がいるというのも、教育者の端くれとして嬉しい限りだしね。私は忙しい身だが、前向きに検討しよう」

「ありがとうございますっ!」

 ………………なんか、商談じみてきたな。笹原こいつといるとたまにこういう場面に出くわす。前は愛珠を出演させようと目論んでいたしな。

「猫目石くん」

 どういうわけか、小声で隣の㐂島さんが話しかけてくる。こっちは密談か。

「さっきのお話だけど、上等高校で起きた事件を解決したわけじゃないんだよね」

「ええ、はい」

「理事長からは『名探偵だ』としか聞かされてなかったんだけど、上等高校ってひょっとして名探偵がたくさんいるの? 鳥羽高校うちがギャンブルで全部決めちゃうみたいに、事件が起きたら自分たちで推理して解決するとか?」

「どんな探偵学園ですかそれは」

 でも、そうか。傍から見れば殺人事件を自力で解決できる高校生探偵が、普通の高校に二人もいるとは考えないか。タロット館事件と『殺人恋文』事件の探偵役が同じ人物だと考えるのがいわゆる普通の思考というやつなのかもしれない。その推測が違うとなると、彼女は次いで「じゃあ探偵がたくさんいる環境なんだろう」と鳥羽高校の例から類推したわけだ。

「僕が解決したのは別の事件です。同時並行で上等高校でも事件が起きまして、それを別の人が解決したんですよ。それより…………」

 僕にも聞きたいことはある。どうにも彼女を見ていると忘れそうになるが、㐂島さんは超幸運体質を自称する理事長にギャンブルで勝っているのだ。しかも聞くところによると高校生の頃――つまり自身の不幸体質が最大限に発揮されている頃に。

 いったい何がどうなって理事長に勝ったのやら。さすがの僕も興味を抱くぞ。

「㐂島さんが理事長に勝ったと聞いているんですが、それは――――」

「あーっ!!」

 と、ようやく僕にとっての本題に入ろうかという時に邪魔が入る。

「㐂島先輩! どうしてここに!」

 声は後ろの方から聞こえた。唐突な叫びに僕たちは四人とも足を止めて後ろを振り返る。そこには半袖のブラウスとプリーツスカート――おそらく鳥羽高校の女子制服――を着た女子生徒が立っていた。両手には重そうな一眼レフカメラを持っており、それを胸元まで持ち上げている姿勢である。

一香いちかちゃん?」

 㐂島さんが答える。知り合いか。

「久しぶりです㐂島先輩! え、でもどうしたんですか? うわ、理事長もいる。そこの二人は?」

 これはまた、笹原とも㐂島さんともベクトルの違う陽気な人間が現れたものだ。

「石崎君」

 理事長が呼び掛ける。石崎一香。それが彼女の名前らしい。

「夏休みにわざわざ出ていたとはね。今日は新聞部の活動はお休みじゃなかったかな?」

「こんにちは、理事長。いやそれが! ああこんなところで油を売ってる場合じゃないんです! ちょっと大変で」

 新聞部? いやそれより、何かあったのだろうか。

「でもそのお二人は誰なんです?」

「彼らは上等高校の生徒だよ」

「ああ、あの事件のあった! よく見ると…………この人は猫目石瓦礫! 週刊誌で見た! しかも隣はDJササハラ!? どういう取り合わせですか!?」

「…………………………ああ」

 面倒なことになった。上等高校の事件どころか僕と笹原のことまで抑えていたのか。新聞部というのも伊達じゃないらしいが、こちらからすればとにかく厄介だ。

「大変大変。取材しないと! あ、でもあっちでも大変なことが…………!」

 石崎さんは軽いパニック状態で、こちらにカメラを向けて見たり、どこか、おそらく彼女の目的地があるだろう方向に目を向けたりと忙しい。情報量がパンクすることを承知で理事長は僕たちのことを喋ったな。

「何かあったのかい?」

 新聞部が駆り出される何かが校内で起きているということで、さすがの理事長もまるっと無視はできなかったらしい。適当にパニックを宥めて、石崎さんへ促す。

「ええ、ええ! 大事件ですよ!」

 もう嫌な予感しかしないが。

「あの間島くんにギャンブルを挑もうって生徒が現れたと後輩から聞きまして! しかも勝つ気満々自信満々。今遊戯室で風紀委員会といろいろ最終調整中とのことで、これは見逃せないと廊下を爆走してます」

「廊下を走ると危ないよ」

 さっきから理事長がまともなことしか言えていない。しかしギャンブルか、なら彼女の騒ぎすぎだろう。

 なにせこの鳥羽高校、ギャンブルなど日常茶飯事のはずである。

「…………間島君が、すると相手は、ふむ」

 ところが鳥羽理事長の様子はさっきからおかしい。まともなことばかりを言ったと思うと、今度は思案気に腕を組んだ。まるで学内の問題に頭を抱える理事長みたいじゃないか。まあ理事長なんだが。忙しいだのなんだの言っても、たぶんその手の仕事は他人に投げているだろうとこっちは勝手に思っていたのだが、意外とちゃんと仕事しているのかこの人は。

「これは風紀委員の裁量を超えるかもしれないね。仕方ない、私が行こう」

「理事長が?」

 㐂島さんが驚いて聞き返す。

「ああ、できれば君たちも…………特に猫目石君は来てほしい。君の力が必要な場面だ」

「ギャンブルに探偵の力は及びませんよ」

「必要なのは探偵としての君ではない」

 それはどういう?

 聞き返そうとしたが、すたすたと理事長は向かってしまう。そういえば遊戯室とか言っていたな。この高校、そんな場所もあるのか。

 ………………………………よし。

「理事長は忙しそうだし帰るか。アーザンネンダナア」

「あ、じゃあ私も! ホントウニザンネンダナア」

 理事長と会う時間は一秒でも短い方がいい。その一点においては確実に共通する僕と㐂島さんは踵を返す。

「そうは問屋が卸しませんよ先輩!」

「㐂島先輩が帰ったらのハッチーは誰が呼ぶんですか!」

 すんでのところで僕たちの思惑はお互いの後輩たちに阻止される。ちっ。

「ええ、でも私は必要ないって。必要なのは猫目石くんの力なんでしょ?」

「そちらこそ、よくは知りませんがハッチーとやらの呼び出しのために状況を把握するべきでしょう。探偵じゃない僕に何ができるって言うんですか?」

 理事長との面会避けるためなら他人を踏み台にしてもいい。その一点においても確実に共通する僕と㐂島さんの醜くも悲しい争いであった。

 相手に損を与えるくらいなら自分が負ける優しさはどこ行ったんだこの人。そんなに理事長に会いたくないのか。気持ちは分かるけど。

「よく考えたら今日はハッチー、たぶん用事あるんですよね。もし用事がなかったら㐂島先輩を一人で学校に放り出すはずないですから」

「観念してくださいよ猫目石先輩! あとそれ謙遜どころかすごい驕りになってますから」

 そして仲良く、面倒ごとに先輩を巻き込んで構わないと考える後輩によって捕まる僕らである。二人で割と本気の抵抗を試みたが、お互い馬力が無い上に協力する気もないからあえなくお縄だ。

 一旦落ち着いて。

「状況を整理しよう」

「この上なく状況が混迷しているのは誰のせいなんですか?」

 今日は本当に後輩が辛辣だなあ。

「本当はとても急いでいるんですが、ここで焦っては取れるスクープも取れないというもの。まずは自己紹介を」

 石崎さんはカメラをこちらに向ける。

「私は鳥羽高校三年生、新聞部部長の石崎一香といいます。そしてお二人があの有名なタロット館事件の名探偵、猫目石瓦礫さんと現役女子高生パーソナリティのDJササハラさんですか」

「わたしは顔出しもしてますから分かりますが、まさか先輩の顔も把握しているとは驚きですね。そういえば週刊誌にちらっと載ったんでしたっけ」

「ええ! スクープを狙うなら、まず他人の取ったスクープに敏感になることからです。理事長が最近妙に忙しそうにしているので、上等高校について調べました。と、思い出しましたが、ササハラさんの番組に猫目石さんのお母さんが出演してましたね。じゃあそのご縁で?」

 そこまで把握しているのか、話が早いんだか面倒な人にまた目をつけられたのだか。

「どうして今日はこちらに? てっきり間島くんの件で呼ばれたのかと。しかしそうするとあの㐂島先輩が一緒に呼ばれている理由が分かりません。お二人とも全然事情を知らないようですし」

「うん、それで間島君って…………」

 㐂島さんが尋ねる。

「ハッチーからちらっと聞いたけど、あの間島くん?」

「はい、あの間島くんです」

 どの間島くんだ。当然僕たちは知らないので、石崎さんが説明してくれる。

「ハッチーも入学してすぐ、不幸体質で有名な㐂島先輩と組んでギャンブルに勝って有名になりました。そういうふうに、注目の新人とはいつの時代も現れるものです。間島くん――間島栄達くんもその一人で、なんと彼は理事長に匹敵するほどの幸運体質なんです!」

 ほう、それは。

 今すぐ逃げ出すというわけにもいかないか。

 それと、ちろっとハッチーについても出たな。なるほど、どうやってこの㐂島さんが理事長に勝ったのか疑問だったが、そのハッチーとやらがキーパーソンか。他人を巻き込むほどの不幸体質だった彼女と組んでギャンブルに勝ち、『最終手段』と呼ばれるくらいだからよっぽど腕が立つのだろう。今までペットの犬のことでも喋っているのかという具合の人物だったが、ようやく輪郭がつかめてきた。

「とにかく遊戯室に行きましょう。道すがらお話しします」

 僕の乗り気が見抜かれたのか、石崎さんはそう提案する。何をどうちらっと聞いたのかは定かではないが、㐂島さんもすぐに逃げるような状況ではなくなったらしい。理事長を石崎さんにメンバーチェンジして、再び四人となったパーティで僕たちは目的地を遊戯室に変更する。

「それにしても、理事長は急に真面目くさりましたね」

 ヘッドフォンを弄りながら笹原が言う。

「この鳥羽高校ではギャンブルは日常では? それこそ探偵にとっての事件みたいに」

「探偵にとっても事件は日常じゃないぞ。でもまあ、確かに妙な変化だったな」

 コインを返そうとした時とはまた別種の変化だ。あの粗忽者のクズ人間、新興宗教の教祖とどっこいの彼が普通の理事長っぽくなっていた。

「間島くんは元々、この高校の噂を聞きつけて入学した口でして」

 石崎さんが先導しながら話す。

「昔から幸運体質だという自覚はあったらしいです。しかし入学していざギャンブルをするとその能力がさらに強くなったらしく全戦全勝。百戦錬磨の三年生でも手に負えない有様でして」

「ふむ」

「彼は野球部なんですけど、そのせいで野球部が学内でのさばり始めたんです。もともと数が多く問題行動が目立ちがちでしたけど、彼が入部してからは酷いもので。どんな問題を起こしてももめ事はギャンブルで解決、しかもそのギャンブルに代理として間島くんが出てくる、という具合で歯止めがきかなくて」

「当然の結果だな」

 そして花音の推測通りか。ギャンブルですべてのもめ事を解決するなら、当然ギャンブルに強い人間が幅を利かせる。さすがに組織単位で幅を利かせているのは想像の外だったが、考えを少し先へ伸ばせば分かることだ。

「ハッチーは『すぐに収まる』といって問題の解決に乗り出してくれませんし。とにかく、そうやって野球部とギャンブルを繰り返すじゃないですか。負けると賭けていたものを奪われる、それを取り返すためにより大きな賭けをする、負けてまた取られるの繰り返しで負債は大きくなるばかり。弱小部活動の部室はほとんど野球部の倉庫として取り上げられてしまって。生き残ってるのは生物部くらいですよ。野球部は昔、ハッチーに負けているのでさすがに警戒しているみたいで」

 それだけハッチーとやらの威光が強いのも驚きだが、真に厄介なのは野球部にその程度の警戒心があるということだろう。増長しまくった相手なら油断を突けるのだが……。

「ダメもとで言ってみるけど、例えばチェスや将棋みたいな運の要素がないギャンブルを仕掛けたりはできなかったのか?」

「無理ですよ。あくまで野球部が頼っているのは幸運体質ですから。その場合は勝負不成立でもめ事が長引きます。結局、しびれを切らしてこちらから分の悪い運任せのギャンブルをするしかなくて」

「だろうね」

 仮にその間島くん以外の部員だけを上手く釣りだして勝負しても、得られる物は少ないだろう。掛け金を吊り上げれば上げるほど相手は警戒心を強くして、間島くんが活かせない勝負は受けない。しかし奪われたものを取り返すためには、自然と掛け金を上げる必要がある。

「そうなるとむしろ気になってくるな。その間島くんに勝負を挑むという生徒が。よっぽど勝つ算段があるのか?」

「木石のごとき先輩でも興味持つんですね」

「そりゃあね」

 そもそも、その興味のために今ここにいるのだ。

 石崎さんはこちらをくるりと振り返る。カメラはストラップで首から吊り下げて、腕を組んで後ろ歩きである。

「その生徒についてなんですが、私はほとんど知らないんですよ」

「知らない?」

「はい。三年生の何人かがこの手の問題を解決する当てがあると話し合っているのは聞きましたが、私はどういうわけか会議に混ぜてもらえなくて」

 まあ喋りそうだからな。ハッチーを除けば彼らにとっての最終手段である。できるだけ情報の外部流出は避けたいだろう。

「でも仮に算段がなくても、チャンスは今しかないと思うんですよ私は」

「その心は?」

「実は今、野球部は合宿中でして」

 そうくるか。

「鳥羽高校の野球部単体ではなく、いくつかの学校の野球部、それから外部の野球チームとの合同合宿らしいですよ。ですから合宿の参加人数も限られます。今、野球部の有力な選手、つまりイコール部活の有力な発言者は出払っているんです。残っているのは一年生と、上級生がちらほら。そして実は間島くん、ここしばらくの勝ちでけっこう油断気味で」

「なるほど。警戒心が強いのは野球部という組織であって、間島くん自身ではないわけだ。それならば、今ならこちらに有利な勝負を持ち込みやすいか」

「ですです。さすがにチェスとかは受けてくれないですけどね。それでも今ならば、大きな賭けも簡単に成立するんです。そこで『間島くんがこれまでギャンブルで得たもの』と何かを賭けた大勝負をすることで、一気に取り戻そうと」

 そうか。組織としては野球部の一員で、彼はそこで代理として多くの勝負を行った。通常なら一年生の彼の一存で野球部のものを賭ける勝負は受けにくいが……。彼がギャンブルで得たものを賭けの対象とすることで、彼個人の賭けで得た資産ごとそっくり奪うわけだ。増長している今なら、そういう言い回しでちょっと心理的なハードルを下げてやれば、簡単に受けそうではある。

 依然としてどうやって勝つか、そして間島くんのものに釣り合うだけの額をこちらが提示できるかという問題は残るが、勝負に出るタイミングは今しかない。

 現にスクープに鼻の効きそうな石崎さんですら不意打ち気味のタイミングだ。野球部はさすがにこのタイミングでの勝負を予期してはいないだろう。その辺の機微はきちんと探っているはずだ。

「だが、チャンスは文字通り一度きりだな。こういうことがあったら、今回のギャンブルの結果に限らず野球部は本格的に警戒を強める」

「そうだよね、ほんとに!」

 僕の隣で㐂島さんが首をブンブン振って頷く。

「それなのにハッチーじゃないなんて。よっぽどその生徒って強いのかな? でも私、間島くん以外の話はハッチーから聞いたことないよ?」

「ですよね。ハッチー亡き後、ギャンブルの強い人として話題に初めて上がったのが間島くん、くらいのところありますからね」

 やっぱり死んでるのか? そのハッチーとやら。

 たびたび死んでいることになっているが、あるいはいじめられているのか。また輪郭がぼやけてきたな。

「噂によると外部の生徒という話も」

「外部? それはありなのか?」

「さあ。あ、でも、だから理事長が急いでたのかもしれませんね。風紀委員会の裁量ではどうにもなりませんから」

 ああ、理事長の言葉と辻褄は合うのか。

「見えてきましたよ。あそこが遊戯室です」

 石崎さんが小走りになる。さっきまで後ろ向きで歩いていたのによく分かるな。さすがに三年生だけあってそれだけ校内を知り尽くしているということか。

 遊戯室と、まるで普通の教室のようにプレートの掲げられた扉が石崎さんによって開かれる。するとそこには、驚きの光景が広がっていた。

 あるいは予定調和か。

「これは…………」

「カジノ!?」

 笹原が声を上げる。

 そう、カジノである。絨毯敷きの広い空間に、カジノホールが広がっている。扉から見える範囲だけでもルーレットにバカラ台、ポーカーテーブルにスロットマシンと選り取りみどりである。地下カジノはこんなところに、ではなく、ギャンブルを推奨する高校としてはむしろ当然の設備と言うべきか。

 だが今のところ問題にすべきは、頓珍漢な教育論のためにここまでやってしまう鳥羽理事長の奇天烈ぶりではない。部屋の中央、ルーレット台の周囲に集まっている人たちである。その中に勿論理事長もいる。

「そうか、君が私の教育論を受け容れてくれたようで嬉しいよ」

「別に受け入れたわけではありません」

 理事長は誰かと会話をしているらしい。声から察するに女子生徒だが、幼い中に老成した雰囲気を秘めた不思議な声色である。しかしその幼い中に苛立ちが混じり、とにかく彼女が不機嫌らしいということだけが伝わってくる。

 ……………………いや、ちょっと待て。

「郷に入りては郷に従えというまでのこと。それに目的を達成するためには、これが一番分かりがいいでしょう」

「なるほど、では認めよう」

「理事長!」

 男子生徒の一人が詰め寄る。

「本当にいいんですか? 彼女はこの学校の生徒ではないんですよ?」

「特別に認めよう。間島くんも、そして彼女もギャンブルに乗り気だ。そしてここは鳥羽高校。外部の人間である彼女が郷に従うというのなら、郷の規則を適用するまで」

 話がのっぴきならないところまで煮詰まっているらしい。様子を探っていた笹原、㐂島さん、石崎さんとともども、僕は部屋の中に入る。

「しかし意外に剛毅だね、君は」

 理事長が肩をすくめる。人の山が少し乱れて、ちらりと、問題の女子生徒の姿が見える。外部の人間ということだったが、着ているのは事実鳥羽高校の制服ではない。

 半袖のセーラー服はくれない色、襟とセーラーカラー、プリーツスカートの裾を飾るラインはさらに鮮やかな猩々緋しょうじょうひ。小さな足に履かれた靴は生血を吸ったような真紅。すべて、色に疎ければ『赤色』と言い切って相違ない色合いを組み合わせ、見事に調和した一着の服としているのは芸術というほかなく、この日本でそんな制服を着ているのは朱雀女学院の生徒のみ。

 そして僕は、その声を知っている。その立ち姿を知っている。

「まさか自分の貞操を賭けるとは。間島くんの賭けるものに比するものといえば、確かにそれしかないとは思うのだが」

 僕は三人を追い越して人の山に駆け寄る。

「貞操というほど大げさではありません。デート一回。そこに彼が過大な価値を見いだしているというだけ。こちらとしてはありがたい限りです。それに…………」

 その女子生徒は宣う。平然と、落ち着き払って。

 「パンがないならケーキを食べればいいじゃない」と言ったマリー・アントワネットの声色は、たぶんこんな感じだっただろうなと思わせる何気なさで。

「勝てば問題ありません」

「問題なら、あるだろっ!」

 思わず人垣を掻き分ける前に叫んだ。結果的にその一声が、人の列を割り僕を導く。

 問題の核心へ。

 最悪のケースのもとへ。

 すなわち木野哀歌のもとへ。

 用事があると僕の誘いを断り、今僕の眼前でその用事を済ませているらしい彼女のもとへ。

「彼女は、だ!!」

 まさか僕が、十把一絡げの兄らしいことを口にするとは思いもよらなかったが。

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