3 (元)薄幸(元)少女との邂逅

 実は鳥羽理事長にある人との面会を促されてね。なんとその人は超幸運の理事長にギャンブルで勝った超不幸な人なんだとさ。友人を誘っても構わないと理事長が言うから、君もどう?

「興味がないと言えば嘘になるけれど、その日は健診があるから無理ね」

 そんな風に帳に同行を断られた時、何となく嫌な予感がした。

「………………………………その日は別の用事があります」

 長い黙考の間が気になったが、妹の哀歌にも断られた。

「なにそれ? オカルト? あんまり興味ないなあ」

 哀歌の実姉である愛珠はつれない。

「ふふん。ついにあんたもあたしを母として頼ろうってわけね」

 その態度が気に入らなかったので、二人の母である悲哀にはこちらから断った。

「それでオレにお鉢が回ってくるのか、用事があるからパスだ。本当にお前、オレ以外の友達増やした方がいいぜ」

 普段なら絶対に巻き込まない、クラスメイトで帳と同じ部活に所属する千草千里にまで声をかける始末だが、結果は芳しくない。

 まさかあの相談役、紫崎雪垣に同行を願うわけがない。あいつに頭を下げるくらいなら僕はギャングのアジトまでなら一人で乗り込める(実際台湾で乗り込んだ経験済みだ)。相談役の助手を自称する扇しゃこさんにも、声はかけまい。断られるのは目に見えている。

「わたしもその日は夜島さんと一緒で健診があるからパス」

「猫目石先輩が一人で困っているのが面白そうなので遠慮します」

 残る希望の渡利さんと六角さんにもすげなく断られた。ちなみにここまで相談役様以外は全員女性への声掛けなのは別に、僕が女性以外に交友関係のないどこぞのハーレムラノベの主人公だからではなく、相手方が女性だからという配慮もある。だから別に、僕の好き嫌いは別に相談役の出る幕じゃないのだ。

 最悪の場合、理事長とOGとの三者面談だ。いや、理事長はあれで忙しい人らしいから一対一もありえる。「夜島帳以外に興味がない」と言われて早十数年の僕だが、さすがに話題がすぐ尽きるのを心配するほど、相手は興味のない対象ではない。気にしているのは会話が途切れた時の気まずさではなく、女性との一対一という状況だ。

「彼女は比較的明るい性格だが、学校に一人という状況に緊張しているらしくてね。是非、君の方から緊張をほぐしてほしい」

 とは、再度連絡してきた理事長の言である。明るい性格と言われても……。理事長を打ち負かした相手ということでてっきり百戦錬磨の人間だと思ったので、自分の母校に一人という状況に緊張するという理事長の、彼女に対するパーソナリティ把握には困惑しきりである。

 さて、手詰まりである。実はあと三人、いや二人、心当たりがあるのだが、どちらも期待はできない。

「わたしの状況をおおよそ把握したうえでなお、お誘いとは、相当困っているご様子ですね」

 まず一人目。タロット館の幼い女主人ミストレス、ロッタちゃんである。

「それとも、その千種さんという方の言葉を意識しているのでしょうか。わたしを友達と認識していただけているなら、とても嬉しいですね」

 警察嫌いで、そのために事件を混迷化させた彼女はどうやら過去に、警察が絡む程の事件で何かに巻き込まれた様子。結果、半ばタロット館に朝山家によって軟禁されているという次第らしい。正確なところは当人にも尋ねたことがないが、タロット館にゲストを招くのはありでも、彼女が外へ出るのはなしということだ。

「どうしても人が、特に女性が入用ということでしたら呉をお送りしましょうか?」

 呉とはタロット館に常駐する三人の使用人の一人で最年少、呉舞子さんのことだ。

「いや、さすがにそこまでしてもらうわけにはいかないよ」

 彼女自身が出てくるなら、ロッタちゃんには事件で振り回されたのでおあいこになる。しかし呉さんはただの使用人。ロッタちゃんの言うことなら聞くだろうが、彼女の方に面倒を押し付けるわけにはいかない。

 そこで本当の最後の希望、蜘蛛の糸より細い可能性にかけてもう一本の電話。

「なんだ、お前か」

 正直、こっちは電話してすぐに出ただけで奇跡的ですらある。

「やあ花音かのん、元気してたか?」

「お前らしくもない時候の挨拶はやめておけ。本題に入れ」

 橘花音たちばなかのん

 SEASON1にすら登場しない人間をここで出すのもどうかと思ったが、そういうメタ視点のプロットの話など無視である。千里の言い分のせいというのもある。友達がいないといわれてムキになっているのかもしれなかった。

 鳥羽理事長が僕の経歴に関してぽろっと漏らしたタチバナドームランド事件。文字通りその現場であるタチバナドームを経営していたタチバナ観光の社長令嬢が彼女である。彼女とは一緒に死にかけの目に遭った――正確には傭兵部隊×2に狙われた――仲なので、友達といってもいいだろう。

 社長令嬢という肩書だった彼女は現在でも社長令嬢だが、内実は事件の頃と違い、ほぼ社長に近い。愛珠が現役女子高生プロボクサーなら、こっちは現役女子高生社長である。しかもタチバナ観光は事業を拡大する中でタチバナグループという総合企業になっていた。彼女はそれだけの敏腕であり辣腕である。

 まあだから、絶対忙しいはずだ。鳥羽理事長より忙しい身だと賭けてもいい。

「なるほどな。そのクラスメイトの言葉に触発されることも、地獄への道連れを探すのもお前らしくないな。やはりタロット館以降、お前は少し変わったな」

「そうかな」

「ああ。悪いが地獄へのペアチケットは遠慮する。わたしは忙しい。その鳥羽始とかいうクズには興味があるがな」

「クズ…………」

 言い切ったな。

「話を聞く限りクズだろう。校内でのもめ事全般を生徒同士の賭博で解決させるなど、およそ大人の対応ではないな。当人は奇抜な教育方針で教導しているつもりかもしれないが、ただの責任放棄、ネグレクトだ。特に、生徒とその親どもから得た金で身を立てている私立学校の所業ではないな」

 彼女はなので(それこそがタチバナドームランド事件だ)、大人の駄目なところにとことん厳しい。

 自分ももう十八歳で、そろそろ子どもと名乗るには厳しい年頃だが。いや、だからこそかもしれないが。

「賭けとはゲームによって資産を両者から、そのどちらかに偏重させるものだ。そこに一度、一時的という名目で資産を巻き上げる胴元ブックメーカーを加えてカジノは成立する。まあ、聞く限りその高校の賭けに胴元はいないはずだが……。その偏重とは、未熟な子どもの通う学校においては大人が調整し避けるべきものだろう。下手をすればその賭けは教育の機会の均等性すら奪うぞ。同じ授業料を払ってそれは、なしだろう」

 ふむ。まあ普通になしだとは思っていたが、花音に整理されると分かりやすい。

「悪いが地獄には一人で行ってくれ。ああ、ただ」

 と、ここで一言付け足すのを忘れない。

「わたしが地獄への道連れを探すなら、真っ先にお前に声をかけていたがな」

 僕が何かを言う前に電話は切れた。相手が多忙の花音でなければ何者かに襲撃されて電話に出られなくなった可能性を真面目に考えなければならない唐突な切れ方である。

 しかし彼女の最後の一言はなんだったのだろう。自分は道連れにはならないけど、道連れにするならお前がいいって。

 恨まれてるのかな、僕は。友達だと思ってたのに。

「いやそれ、けっこう妬いてますって、橘さん」

 と、まあ、前章に引き続き僕の人間関係をSEASON1とそれ以前から総ざらいという感すらあった道連れ探しも、行き詰まりようやくこいつの登場である。

 誰だって? そう、こいつ。

「わたしだぁって妬いてますとも! 猫目石先輩が夜島先輩の次に声をかける相手は、先輩にとって唯一の後輩たるこのわたし、笹原色以外にいませんよ! それをまあ随分横恋慕してくれたものですねっ!」

 笹原色。心当たりに数えようとして、やっぱりやめた後輩。僕が部長を務める弁論部の、唯一の部員である。そして。

 コアなファン層を獲得する深夜ラジオ『DJササハラの血みどろニュースチャンネル』のメインパーソナリティ、DJササハラその人である。

 なんで僕が頼みにできるのは胡散臭いやつとつれないやつだけなんだ。

「妬いてる? あの花音が?」

「鈍いくせに勘違いしやすい先輩のために言っておきますけど、友達として、ですよ。自分はもしピンチになったら真っ先に頼ろうと決めているほど信頼している親友が、自分に頼るのは後回しなんですから。その温度差が嫌なんですよ! 友達の少ない先輩には分からない感覚かもしれませんが」

 そんなものだろうか。僕は友人に頼られたことないから分からないな。ああ、うん、だから友達が少ないと分からないのか。

「例えばですよ、夜島先輩が何か事件に巻き込まれて、猫目石先輩より先に紫崎先輩を頼ったらどう思います?」

「それはあり得ない」

「即答!?」

「仮にあったとしても、それは帳にとってそうする必然性があったということだ。探偵ではなく、相談役を自称する馬鹿の方が都合のいい時ってのもあるからな」

「夜島先輩に対する信頼と紫崎先輩に対する非難の度合いがすさまじいですね」

 実際、『殺人恋文』事件の前哨戦とも言える『暗号恋文』事件で帳は僕ではなく雪垣を頼った。帳いわく「そうしないと、彼は『殺人恋文』事件を解決できなかったから」とのこと。僕もタロット館で事件に巻き込まれてからさらに上等高校の事件を解決するのは嫌だったので、そうやってやつに経験値を積ませて解決できるように図ったのは正解だと思っている。

「しかし先輩、変に人脈が広いと思ったら現役女子高生プロボクサーの次は現役女子高生社長ですか。まさかあの橘花音氏と知り合いとは」

 そういうこいつは現役女子高生パーソナリティである。だから、僕は最後の最後までこいつに頼るのは我慢していた。

 確かにこいつなら二つ返事で地獄めぐりどころか輪廻転生三十週くらいは付き合ってくれそうだが、それでも駄目なのだ。

 鳥羽理事長の思惑通りっぽい気がして。

「ははあ、なるほど。理事長がそんなことを」

 理事長は僕とこいつが出会う可能性をほのめかしていた。そして実際に出会い、先輩と後輩、部長と副部長の関係を構築している。その状態でこいつを連れて理事長に会いに行ったら、それこそ「ほらみろ」という顔で笑われそうだ。

 なんか、それは、嫌だ。

「珍しく先輩がムキになっている気がしますが、そういう事情ならこの笹原、理解のある後輩として怒りを収めましょう。実際、最後には頼ってもらえたわけですし」

 こうして地獄の道連れとなった笹原と、鳥羽高校最寄りの駅で降りる。上等高校といい、駅の傍にある学校は通学が楽でいいな。朱雀女学院など、人によっては駅からさらにバスを乗り継ぐくらい距離がある。

 電車だと移動時間の計算も面倒がない。予定時刻通り、現在時刻は昼を過ぎたところ。天高く太陽が昇り、暑いことこの上ない。

「それで」

 首に掛けたトレードマークの赤いヘッドフォンを弄りながら、後輩は喋る。

「これから会う人はどういう人なんですか?」

「そもそもお前は、鳥羽高校については知ってたのか?」

「そりゃあもう。理事長も高校も、あれだけ奇抜なら知ってますって。『その人の持つ意志の強さが、運を引き寄せる』という理事長の理念がそのまま高校の教育方針になってますから。でも理事長自身がギャンブルに強いとは知りませんでした」

「まあ、あれだけ支離滅裂な言い分だからな。せめて自分は体現しているという体裁でないと誰も話には乗らないさ」

「実は体現していないとでも言いたげですね」

 どうにも暑いのか、観念して笹原はヘッドフォンを外して夏服のポロシャツのボタンを外す。一見はしたないような行為だが、笹原がすると自然と様になるのである。

「そりゃあな」

 僕はスラックスのポケットからコインを取り出す。外部の学校に赴くわけだから、当然僕たちは制服着用である。まあ、僕としては制服だろうが私服だろうがこれ以上涼しい格好はできないから構わないが、笹原はどうなんだろうか。帳や哀歌の私服を見る感じいくらでもやりようはありそうだが、彼女は男子生徒と同じポロシャツとスラックスといういでたちである。アスリートの愛珠でさえ夏場のスラックスは暑苦しいと嫌がっていたが。

「でも先輩、ギャンブルで負けたじゃないですか。しかもぼろ負け」

「負けないと話が先に進まないからな、ああいう連中は」

「まるで本気を出せば勝てるみたいな言い草ですね。先輩らしいですけど」

「その気になれば勝てたし、少なくとも負けることはなかったからな」

 理事長があの時言った通り、引き分けにする手はあった。あの男が厳密にルールを定めなかったのは、引き分けに持ち込んでから朗々と「君には勝とうという意志がないね」と一席ぶつつもりだったからだろう。引き分けだが意志薄弱による実質的な負け。試合には引き分けたが勝負に負けるという流れで結局同じ展開に持ち込まれていたような気がする。

 だから彼の、ひねくれているという僕への評価はある程度正当である。

「じゃあ笹原、このコインについては知ってるか?」

「なんです?」

 僕が取り出したコインは、先日そのギャンブル、コイントス対決で使用されたものだった。金色の、五百円玉よりやや大振りのもので、片面に『天』の漢字、もう片面に燃える炎のような翼が刻印されているものである。実はあの後、理事長が置き忘れていったのを『パラダイスの針』のマスターが見つけたのだ。

「いかにも意味ありげなデザインですね。まさか先輩、このコインの刻印がトリックになっていて、トスした際に表裏のどちらを向くか偏りがあるって言うんじゃないですよね?」

「違う」

 コイントスで表裏を当てる成否は五十パーセント。命を賭けるには厳しい数字だが、命以外の何かを賭けるには十分な数字だろう。わざわざイカサマを仕掛ける旨味は薄い。そもそも、コインがどちらの面を向くかは、トスした時の力の加え方、回転数、手の甲でキャッチする高さとタイミングに左右される。常に平面に振られるサイコロとはわけが違う。重さを偏らせても結果は偏らないだろう。

「どうもあの理事長が持ち出すコインが、ただの玩具とは思えなくてな。何か由来があるんじゃないかと思ったんだ。実際はどうでもいい話なんだろうけど」

「うーん。わたしは見たことも聞いたこともないですね。…………ってそれ、先輩がその勝負で勝つこととどう関係するんですか」

「よし、そろそろ見えてきたな」

「まさかの無視!? 先輩本当は勝てなかったんじゃないですか?」

 いや実際、勝てたって。まあ、今更何を言っても負け惜しみ。相手の筋書きに乗ると決めた以上は、それこそコインの出典より無意味なことだ。



「……………………道に迷った、か」

「みたいですねえ」

 よく考えてみれば、僕たちは鳥羽高校を訪れるのは初めてなのだ。いや、よく考えるまでもない話だが、ゆえに警戒していたし、警戒を怠っていた。

 鳥羽高校にたどり着く道行きで迷子になることは警戒していたが、鳥羽高校の校内で迷子になることはまるで警戒していなかった。目的の理事長室なんて適当にそれらしいところを歩いていれば着くだろう、だいたいお偉いさんの部屋は高いところにあると相場が決まっている。なんて考えが浅はかだった。

 そもそも来客用の昇降口が見つけられないとは。

「もと来た道を戻るか?」

「適当に歩いたのでそれも難しいですね。それに、戻っても正門に校内図のようなものはありませんでしたよ。あったら迷ってません」

「それもそうか。意外と不親切な学校だな」

 まあ上等高校も構内図なんてものはないんだか。

「このまま適当に進みましょう。大きな私立大学ってわけじゃないんですから、いずれ着きますよ」

「それもそうだな」

 適当である。時間にはまだ余裕があったというのもあるが、単にあの理事長に会いたくないだけだ。地獄への突入は、遅いに越したことはない。

 しかし、この暑い日差しの中外を歩き続けるのはつらいものがある。それが意識下に出たのか、それとも無意識だったのか、僕たちの足取りは徐々に日陰へと伸びていく。すなわち校舎の裏手である。まあ、表の方を探してもそれらしいところなかったのだから、裏手を探すというのは順当でもあるのだが、とにかく涼みたかった。

 だが、僕たちが足を踏み入れたのは裏側も裏側である。倉庫のようなプレハブがいくつか建っているだけの空間。上等高校より学校の敷地が広い鳥羽高校では、こんなさびれたところもあるのか、などと感心している場合ではない。完全に迷子も極っている。

「よいしょぉ……よいしょぉ……」

 さらに問題なのは、目の前でその倉庫のひとつを開けようと四苦八苦している女性が一人いることである。

 よし、あの人に道を聞こう…………とはならない。これが鳥羽高校の制服を着ている女子生徒なら即座に道を聞けたのだが、目の前の女性は私服姿である。では教師なのかといわれると、それはまず違うだろう。彼女の年齢は比較的若く、僕とそう違わないような気配である。かといって学校の生徒が私服でうろついている……と考えるには年上にも見え…………。

 参ったな。まさか迷子以上に困った問題を抱えるとは。

「先輩、あの人……」

「ああ…………」

 これがただ私服で、ちょっと忘れ物を取りに来た学校の生徒ならいいのだが、下手すると外部の窃盗犯まであり得る。そういう思考回路になること自体、理事長に先日言われた意志の話を反芻している気がして釈然としないのだが、常に最悪のケースを想定するのは大事なことだ。

 「社長令嬢に引っ付いていくとか下手したら身代金目的の誘拐に巻き込まれるな」とか考えていたら父娘の殺し合いに巻き込まれ傭兵部隊×2とドンパチした僕である。

 「そういえば海外のショッピングモールでは試着室で誘拐される話が鉄板だよな」とか考えていたら帳が誘拐されて人身売買組織と地域を牛耳るチャイナマフィアとのドンパチに巻き込まれた僕である。

 いつだって最悪のケースは僕の真上で待機中だ。これは意志の強弱に根差す問題ではなく、経験から来る心の準備に過ぎない。

 あの女性が開こうとしている建物が実は地下カジノに繋がる通路になっていて、あそこで彼女に話しかけたがために文字通りのギャンブルに巻き込まれる展開までなら想定可能だ。

「あの、すみませーん」

 とかなんとか。

 僕がぐちゃぐちゃ考えていたら、笹原が先に女性に話しかけてしまった。

 ああそっちか。最悪のケース。僕ではなく笹原が巻き込まれて、僕が何とかしないといけないパターンか。

「手伝いましょうか?」

 しかも無警戒か。さっきの「先輩、あの人……」のくだりはなんだったのか。まだまだ阿吽の呼吸には程遠い僕らだ。

 笹原に声をかけられた女性は、周囲をきょろきょろと見て、それから「あ、私?」と聞き返す。周囲に誰もいないだろうに。

「本当!? ありがとう」

 女性はぱあっと顔を明るくさせて笑った。態度がオーバーだが、オーバーさのベクトルは笹原と違うな。などと思っていると、彼女がこちらを向いたことで首にかかっている入校証が見えた。なるほど、不法侵入者ではないのか。

 まだ最悪のケースが杞憂に終わっていないのが気がかりだが。

「よかったあ。ここの扉、昔から重い上に建てつけも悪くて困ってたんだよね」

「昔…………」

「うん。私、ここの卒業生」

 なるほど、まだ最悪のケースが遠ざからない。

「実はちょっと用事で来たんだけど、思い出に浸りたくて、昔の部室に来たの。ハッチーが今日はいないのは知ってたけど、ね」

「ああここ、部室だったんですねー」

 本当に部室か?

「ほら先輩も手伝ってくださいよ。こんな扉、女の子二人の力でも開かないですって」

「僕を男子の力に数えるのは止めた方がいい。別の世界線だと女子になってるくらいだから」

「いや手伝いたくないからってその言い訳はどうなんですか。この真夏に仮病でインフルエンザになったって嘘つくのと同じくらいセンスないですよ」

「インフルエンザは年中なるぞ」

「それだけ先輩がサボり魔なのは分かりましたから、今は手伝ってください!」

 嘘じゃないんだけどな。そうか、笹原は六月に僕がインフルエンザで欠席したのを知らないんだもんな。

 しぶしぶ僕も手伝って扉を開いた。なるほど重い扉だが、僕の筋力が男子に匹敵するかという議論は置いても三人の馬力である。これで開かない扉ならとっくに修理されていないとおかしいくらいだ。当然、ゆっくりではあるが扉はきちんと開いた。力のある男子生徒なら多少難儀する程度で開くだろう。

 この中で一番馬力があるのは笹原な気がするが。

「わあ、開いた、ありがとう」

「……どうも」

 扉が開いて、倉庫の中に女性は足を踏み入れる。なんとなくその流れもあって、僕たちも室内に入った。部屋の中はまさしく倉庫で、部室という印象は受けない。雑然と、少ない荷物が置かれているだけ。たむろするのに困らない程度の机と椅子はあるが……。この部屋の様子だけでは、ここが何部なのか分からない。

「ここは何部なんですか?」

 直接聞くのが早いだろう。僕は初めてその女性に声をかけた。

「生物部だよ。ほらこれ、ハッチーの遺作」

「遺作!?」

 死んでるの?

「違う違う。生きてる! 昨日も会ったから!」

 自分で言った言葉を自分で掻き消して慌てる。落ち着きのない人だなあ。

「ほら、あの蝶の標本」

 女性の指さす方を見ると、壁にいくつかの標本がかけられている。蝶の他に小ぶりなカブトムシもいるが、どの標本も珍しい昆虫という様子ではない。普通に、僕たちが普段目にする種類の虫だ。なるほど手作りというのも嘘ではないらしい。

「実は今日、あんまり会いたくない人と会うことになっててね」

 生物部OGのその女性はさっきまでの明るさを少し暗くした。暗いというより、しょんぼりという感じだが。彼女の一動作一動作は、どことなく小動物を思わせる。こうして並んで立つと、男としては背が低い方の僕よりさらに低い。体格もかなり小柄である。

「それで昨日、ハッチーに来てもらうと思ってお願いに行ったんだけど、予定があるから無理って言われちゃったんだ。他の頼れる友達もみんな来てくれないし」

「奇遇ですね。僕もですよ。頼れる友達なんて所詮幻覚なんですね」

「さすがにそれは言い過ぎだと思う…………」

 そこは賛同されなかった。

「と、いうより、あれれ? 今気づいたけど、君たちここの生徒じゃない?」

「今気づきましたか」

 よっぽど思い出に浸るのに夢中だったのか、それとも上等高校の夏服と鳥羽高校の夏服ではあまり差が見られないのか。まあ、冬服のブレザーならともかく、夏服なんてスラックスにカッターシャツかポロシャツと、どこも大差はないからな。笹原はともかく僕はカッターシャツだったから、気づかなかったかもしれない。

「はい、わたしたち、上等高校から来ました」

「上等高校? ああ、あの事件があった」

「おやご存知ですか、ですがその話はまた今度」

 僕たち三人の中で、唯一目的地へ、会うべき人へ会うのを避けていない笹原が一番のせっかちだった。

「先輩がいやがるのも分かりますけどそろそろ行きますよ。遅刻しちゃいます」

「あんなやつ待たせておけ」

「この領域内で一番偉い人をあんなやつですか」

「ほら、巌流島戦法だ」

「戦う気ゼロでしょ先輩。あ、それでですね、OGなら聞きたいことがあるんです。実は道に迷ってしまって……」

 笹原がふざけるなら僕が真面目に、僕がふざけるなら笹原が真面目に、という感じか。まあ、笹原からすれば鳥羽理事長は会うのが億劫な相手ではなく「ヘンテコな思想で奇抜な教育法を実践するイロモノ」でしかない。自分のラジオ番組に呼ぶゲストにならないかと画策していてもおかしくない。

「道に? うん、教えてあげ――――ちょっと待って!」

「へっ?」

 自然と教えてくれる態度だった女性は、そこで声を張り上げ静止させる。おそらく静止させたのは、僕たちというより自分自身だったかもしれない。くるりと僕たちから背を向けると、うんうんと一人で何事か呟いている。たぶんこの人、何か企むのが得意なタイプじゃないのだろうと漠然と感じる。

「よし、よし、それで……うんっ」

 なにがうんっだ。

 何か企んでいるのが丸わかりだ。

「意地悪してごめんね」

 僕たちの方を向き直った彼女は、さっきまでのゆるさを隠して真顔になった。口元が緩んでいるので、ああたぶん悪いことを考えたなという想像はついた。

「実はこれから私が会う人、唐突に『ギャンブルをしようか』って言ってくるかもしれない人なの」

「奇遇ですね、僕もですよ」

「というより、突然私の通っている大学に来てまさに唐突に『ギャンブルをしようか』って言われて今ここに」

「奇遇ですね、僕もですよ」

「えへへっ、私たち、共通点多いね」

 えへへじゃないんだよ。

 

「だからせめてもう一回くらい、ギャンブルをして勘を取り戻したいというか」

「あなたの場合、まずいと思いますが」

「えっ?」

「いえなんでも。奇遇ですね、僕も同じことを考えて相手を探していましたよ」

「ちょ、先輩!!」

 ぐいっと笹原が僕の肩を掴んで、開きっぱなしの扉の傍にまで引っ張る。

「なんだよ」

「時間ないって言ってるじゃないですか! それになんでギャンブルを受けるんですか! 普通に道聞きましょうよ。あの人なんか推しが弱そうですから、二人がかりで急いでるって言えばたぶん折れますから」

「お前はもう少し推しを弱めた方がいいだろうな」

 なんで二人がかりで折る気なんだよ。怖いわ。

「郷に入りては郷に従えって言うだろ?」

「先輩は今まで郷に従ったことありましたか?」

「あったら奈落村は焼却炉になってなかったな」

「従わずに結果的に村ひとつ焼いたことあるんでしたねそういえば…………」

 あれは悲しい事件だった。

「僕は二度と悲劇を繰り返さないって決めたんだ」

「今日の先輩はちょっとボケてますね。叩いて直しましょうか」

「今日の後輩はいつもより辛辣だな。というか、気づかないのか?」

「はい?」

 あ、これ本当に気づいていないやつだ。

 それとも、ああ、そういえば僕はこいつにあまり情報を流してなかったな。笹原も奇抜な理事長の方ばかりに気を取られていて、僕が興味を持っている、本来の面会者を忘れている。

「大丈夫。ここにいる限り理事長は遅刻しても怒らない。賭けてもいい」

「分かりましたよ。先輩の言う通りにします。実際、ここで汚名を晴らして後輩に『ギャンブルに強い先輩』アピールを挟みたいころでしょうし」

「その発想はなかったが、まあそういうことにしてくれ」

 別にこの勝負は勝ったって、僕の何かがアピールされるわけではないが。

 ちょうどいいのは確かだ。

「受けてくれる?それでね、勝負方法は…………」

「勝負方法は、こちらから提示しても?」

 勝手に話を進めようとする彼女を僕は制した。

「OGとはいえここはあなたのホームですから、今あなたが取り出そうとした何かにイカサマが仕掛けられていないとは考えにくい」

「う…………」

 彼女は何やら段ボール箱のひとつに向かおうとしていた。ちらりと見ると、ガラクタの類がしまい込まれているが、中に安っぽいおもちゃのルーレットやトランプが見える。ふむ、生物部には似つかわしくないが、鳥羽高校らしいとは言えるのか。

「とはいえ、こちらから提案するギャンブルはシンプルです。笹原」

「あいあい」

 僕は例のコインを取り出して、笹原に渡す。それで笹原も、女性の方も内容を理解したらしい。

「コイントス?」

「ええ。十回コインを投げ、お互いに表裏を当てるというものです。ただしこれではどちらかが宣言したものにもう片方が合わせるという方法で引き分けに持ち込めてしまうので、声で宣言せず紙に書きましょう」

 きちんとメモ帳とボールペン二本も準備済みだ。何の武装もなしにこんな高校に突入する馬鹿はいない。

「分かった。じゃあそれで!」

 メモ帳から紙十枚とボールペン一本を女性に渡し、ゲームスタート。

 結果は?

 推理するまでもない。

 七対零で僕の勝ち。僕が最初の三回以外すべてを当て、彼女がすべてを外した。

「え、ええっ?」

 この中で一番、その結果に驚いたのはコインを投げた笹原だろう。

「う、うううぅ」

 一方、OGの女性の方は驚くでもなく悔しがるでもなく、半泣きである。

 半泣き。

「なんで…………そうでもないのに……」

「運が、とても悪いですね」

 笹原が直截なことを言う。それを言うなら僕だって最初の三回は大外しなわけで十分運が悪い方だろう。後の七回は運不運のだし。実質三回やって三回外しているのだから彼女と大差ない……とは言い難いか。

 十回コイントスして十回とも表裏を外す確率、どれくらいなんだ。

 これが…………。

「おや、私のいないところで親睦を深めているとは、よほど私は嫌われているらしいね」

 さて賭けの清算であるが、その必要性はなくなった。理事長室で待っていると言っていた鳥羽理事長が、どういうわけかここにいる。僕は右手の腕時計を見て、それが壊れているのにまた着けてきてしまっていることにため息を吐いた。まあ要するに、時間はもういい感じで、理事長は僕たちが校内のどこかにはいることを承知で生物部ここに来たのだろう。

「鳥羽始理事長!!」

 やはり驚くのは笹原の役目である。僕にとっては(あるいは目の前の女性にとっても)想定内の出現に、彼女だけは大仰に驚いてみせる。

「それで猫目石君、感想を聞きたいな」

「ええ、こればかりはさすがの僕も、少し驚きましたね」

「ど、どういうことですか?」

 僕と理事長の顔を交互に見る笹原。理事長は笹原の顔を知らないと思うのだが、声で分かったのだろう。見知らぬ上等高校の女子生徒の存在は疑問にせず、笹原に説明する。

「彼女が猫目石君の面会人で、私にかつて勝利したこの学校のOGだ」

 そう、彼女こそが、噂に違わぬ超不幸体質。

 ある意味で僕と真逆であり、ある意味で同類、と理事長が言う女性。

 㐂島奈々きじまなな

 探偵ぼくの目には、彼女の不幸が何の種も仕掛けも無いようにしか見えないのだが、これはどういうことだ?

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