2 (元)薄幸(元)少女との邂逅理由

 すべての問題をギャンブルで解決するという驚異の学園、鳥羽高校の存在を僕が知ったのは夏休みのある日のことである。

 その日というのは、タロット館での事件を終えて面倒な事情聴取も終えて、ようやく受験生らしい生活に戻るかなと思ったある日でもあり、そしてまた、やっぱり戻れなかったある日のことでもある。

 タロット館事件については散々警察から聴取されたせいで喋りたくないのだが、ここにもう一つ問題があって、それはタロット館事件と時を同じくして、上等高校でも殺人事件が発生したということである。

 上等高校の生徒が上等高校の生徒を殺したという事件が。

 そりゃ同じところで暮らしていればうらみつらみのひとつやふたつ噴出し、それが勢いあまって殺しちゃったは確率的にあり得る話だ。つまりタロット館事件同様、十分な発生率をもって起きた事件であり、僕としては聞いても「へえ、ふうん」以外の感想の洩らしようがなかった。まあ死んだのも殺したのもまったく知らない生徒ではなかったが、それは別の話だ。

 その別の話を解決したのは当然僕ではない。なにせ同時刻に「最初に名探偵が死んだ! どうすんだこれ!」とタロット館で(僕以外が)騒いでいた身なので、上等高校の方を知ったのはすべてか解決した後のことだ。

 解決した探偵役は紫崎雪垣と言う。まあ、やつのことだから「探偵役ではなく相談役」と言うに決まっているが、どっこいやっていることに違いがないなら同じこと。つまり僕がいない間に起きた事件は僕以外の探偵によって大団円を迎えたのである。そしてその相談役氏の助手を務める健気な後輩女子生徒によって『殺人恋文』事件と呼称されたこの事件は、世間を、

 さすがに、名探偵と呼ばれる男を含めた探偵作家の集う孤島の、タロットをモチーフにした別荘で起きた殺人事件の方がニュースバリュー高いって。しかも解決したのはどういう縁でいたのかさっぱりな高校生こと僕である。週刊誌に写真が載って、危うく回収騒ぎも起きたものだ。まあ、上等高校の関係者は僕が哀れな囮になって自分たちの事件があまり騒がれずにほっとしただろう。

 一人が死んで、一人が捕まって、一人が学校を去ることになったけれど、ほっとしただろう。

 ところがさすがにこのままじゃまずいと学校側も思ったらしい。なにせ世間の評判がそのまま利益に直結する私立学校である。そこでどうにかしましょうという相談の席が設けられ、そこになぜか当時いた雪垣ではなく当時いなかった僕の方が引きずり出され、二時間近い大人の議論を傍で聞かされる目に遭ったのだ。

 ほとんど寝ていたから議論の内容は覚えていない。何か重要なことが二つ決まった気がするが今は重要じゃないからいい。

 重要なのはその席に、ある男がいたことだ。

「はじめまして」

 その男は年齢六十代前半。スーツ姿がよく似合う、いかにも重鎮らしい姿だった。総白髪はむしろ年齢より老いて見えかねないが、それを自分の雰囲気づくりに活かしている節すらある。こういう時、自分を着飾りネコを被ることに関して如才ない僕の保護者なら何かを察するのかもしれない。そしてそんな保護者の下で生きている僕も、一応何かを察した。

 カリスマ。人生の成功者。決して人を殺すタイプではないが殺されるタイプで、しかも自分が殺される可能性を微塵も認識していない性格。というか、自分が失敗することとか、自分の思い通りに物事が進まないことを認識できない一種の認識障碍者だ。僕はこれでも普通の十八歳より多くの人間を見てきたが、こういうタイプを見るのは新興宗教の教祖以外では初めてだ。

「私は鳥羽高校の理事長、鳥羽始と申します。今回、上等高校で起きた件につきまして、少々イレギュラーな性質を持つ我が校の蓄積がお役に立てれば幸いなのですが……」

 イレギュラーな性質?

「鳥羽高校はな……」

 僕の疑問そうな顔を機敏に察したのか、隣にいた担任の鷲羽先生が補足してくれた。

 そして知った。

「すべての問題を、ギャンブルで解決するそうだ」

 それはそれは。

 へえ、ふうんでは感想が足りないだろうな。

 まあ、そういうことで鳥羽高校の性質を知り、ただ聞き役に徹するだけの二時間を終わらせて、さあ帰ろうと言うところで捕まったのだ。

 その認識障碍者に。

「猫目石瓦礫くん、ちょっといいかな」

 はい終わり。

 何がって?

 SEASON1と、それ以前の事態のすべての復習が。

 これがBBC制作ならハイライトを数分流して本題に入れるのだから映像作品は羨ましい。僕も観察した対象から得た事実とか空間に表示してみたい。いや、僕の場合象徴的な黙考時のポーズの製作からか。前髪を弄ってみるのもあまり落ち着かないし、これじゃ小市民じゃない方の日常ミステリだ。

 と、柄にないメタを挟む程に動揺したわけである。僕が動揺! クラスメイトから面と向かって「お前、夜島さん以外の物質と概念に興味ないだろ」と言われた僕が動揺! 

 まあなにせ相手が新興宗教の教祖級の認識障碍者なら動揺もする。実際、そういう輩に捕まって四苦八苦したこともある。奈落村事件という、巻き込まれた百余名のうち生存者が僕含め四名の事件なのだけど、これもSEASON1で概要は話したからそっちを読んでくれ。ただでさえここまでで二千字近い文章量を費やしているんだから! 本当に映像でハイライトしたいよ!

 SEASON2の始まりは不穏だなあ、まったく。BBCの方はラスボスが消えて一安心したところからスタートしたのに。

 まあ、僕の人生に不穏じゃなかった瞬間は少ないんだけどさ。

「噂はかねがね聞いているよ、猫目石くん」

「…………それはどうも」

「かねがねは言い過ぎなんじゃないかという顔をしているね」

 ばれたか。

「ええ、そりゃ。僕の名前なんてタロット館事件で初めて出たようなもんですから…………」

「いやいや」

 鳥羽理事長は首を横に振った。

「奈落村事件の数少ない生存者。タチバナドームランドでの首魁との直接対決。台湾ではヤクザともしのぎを削ったそうじゃないか。それだけのことをしていることを私は聞き及んでいたから、かねがねなんだよ」

「…………………………情報通ですね」

 実際、驚いた。僕の名前が公的に出たのはタロット館を除けば奈落村事件が初だ。もちろん僕は多くの事件に巻き込まれたし、その過程で自身の存在の痕跡を消しながら動けるほど器用ではないから調べればすぐに分かることではあるのだけど。

 この人は僕をタロット館事件から知って調べたのか? それともタロット館事件以前から知っていたのか? どちらにせよ、面倒なことになりそうだ。

「学校では少し話しづらいね。どこか、別のところに移動しようか」

 会議室を出て行くその他大勢を見送りながら、理事長は言う。

「あ、あの…………」

 いかにも小心者らしく下手したてに出たのは鷲羽先生である。僕が理事長に絡まれているのを知ってまだ残っていてくれたのか。小心者だが悪い人じゃないのだ。小心者であることのマイナスが大きすぎるだけで。

「うちの生徒が、何か理事長に失礼でも……?」

「いえ、そうではなく」

 鳥羽理事長はやんわりとほほ笑んだ。

「個人的にお話がしたいのです。私と彼とで。しかし学校では、ここが鳥羽高校ではなくても、私は理事長として、責任ある大人としてしか振舞えない。もう少し砕けた調子で彼とは接したいので、場所を移そうと考えただけです」

「はあ、それなら…………」

 ちらりと僕をみた先生は、「くれぐれも失礼のないようにな」という無理難題を押し付けてから退出した。

「さて、それでは移動したいのだが、私はこの辺りの地理に疎くてね。君はどうだい? 素敵な喫茶店でも知っていると嬉しいのだが」

「では、一軒だけ」

 面倒のおすそ分けと行こう。やつがいるかは知らないが。


 結果から言えば、おすそ分けには失敗した。思えば今はお昼時。午後の補習に向けてか、あるいは中止間際に追い込まれた文化祭の準備のためかでやつはいないのだろう。

 やつ、紫崎雪垣は。

 というわけで、僕と鳥羽理事長がやって来たのは紫崎雪垣の現住所であり愛の巣でもある喫茶『パラダイスの針』である。いかにも定年あるいは脱サラ男性が切り盛りしていそうなシックで瀟洒な外観を持つこの喫茶店は、意外にも若い女性マスターと相談役様の二名で切り盛りしている。

 愛の巣と言うのは、まあ、そういうことだ。どう傍目に見ても「非行の目立つ精神不安定な少年を年上の女性が性的にたぶらかすの図」だが、聞いた話じゃ彼らを知る警察官は見て見ぬふりなのだという。持つべきものは警官の知り合いだよなあとたびたび思う。僕は事件に散々巻き込まれているけど、そこまで頼りになる警官の知り合いはいない。

 むしろ毎回「またお前か」という目で見られて辛い。事件に巻き込まれた人間に対する同情と温情とが僕には一切ないからな。

 じゃあさて、この理事長と仲良くなっておくというのがアリかナシか。

 個人的にはナシの部類だが、どうやら理事長は『パラダイスの針』の外観も内装も気に入ったらしく上機嫌である。店内にかかるBGMも優雅で彼の好むところなのか、不本意なことにポイントを稼いでいる。

 やはりお昼時だけあって店内は混雑していた。

「あら、あなたは…………」

「どうも」

 一度しか来たことがないのだが、どうやらその女性マスターは僕を覚えていたらしい。

「今日は補習じゃなかったかしら。それとも午前で終わり?」

「あいにくサボりの身でして、その辺はさっぱり」

「そう。今、ちょうどカウンター席しか空いていないのだけど……」

「構いません」

 理事長との会話には向かないが仕方ない。席に案内され、メニューを渡される。

「私が招いた身であり最年長だ。当然ここは私が奢るよ。何でも頼みなさい」

「……………………」

 あまりそういう借りは作りたくない相手だが、完全に理事長の正論だから仕方ない。

「そうだな、私はこのオムライスを頂こう。あとオリジナルブレンドとパンケーキを。ああ、コーヒーはホットで。この年になると体を冷やすのが辛くてね」

 年齢の心配する食いっぷりじゃないぞ。

「…………サンドウィッチのセット。コーヒーはオリジナルのアイスで」

 僕は無難にカフェらしいメニューを頼んで終わらせる。マスターが引き下がったところで、タイミングを見計らったように理事長が話を切り出す。

「ところで君は、疑問に思わなかったかね」

「…………何を、ですか?」

「どうして今回の件で、紫崎くんではなく君が呼ばれたのかということを、だよ」

 その話か。しまったな。ちょうど目と鼻の先でそのロクデナシを心配する唯一の人間がマスターをやっている。雪垣に迷惑を押し付けるのは無問題だが、やつの周りとなると事情が違う。

 ちらりと彼女の方へ目を向ける。彼女は厨房の奥に入ったらしく、こちらの話は聞こえていないだろうと思われた。まあ、他の客の対応にも追われるだろうから、よほど大声で話さない限りは大丈夫だろうが。

「確かに、それは少し気になりましたね。話題自体は、あいつのことも含んでいたのに」

 思い出す。そうそう、あの会議で決まったことのひとつとして、僕と雪垣の両名に担当の警察官をつけるという話があったな。もっともやつの場合は知り合いの刑事がそのままその役職に就くだけだが。僕の場合、大仰なことに東京から刑事がやってきた。その刑事ももちろん、その会議の場にいた。

「ひとつには彼の主治医の意見でね。まだあまり、事件のことを思い出させるような場に出すべきではないということだった。そこで残る君が生徒代表として呼ばれたわけだ」

「ろくでもない話ですね」

 主治医というキーワードでもうひとつも思い出す。上等高校で起きた事件の対応策として、カウンセラーと犯罪心理学者の二名が常駐することになったのだ。そのカウンセラーこそ雪垣の主治医である。

 なんだよなんだよ、あいつの周りばかり強固に防壁が張られていないか? しかも僕だって結構な難事件に見舞われたのにこっちは大丈夫と思われて引っ張り出されたとは。僕が精神に何の傷も負わない無感動人間みたいな扱いであまりいい気はしないな。

 それが事実かどうかはこの場合置くとして。

「もうひとつは私の助言なんだよ」

 鳥羽理事長はいたずらっぽく微笑む。

「今回の上等高校の事件は確かに、君のいない間に起きた。しかし今後、同様の事件が発生するのを回避するための対策を練るなら最重要人物は君だと、上等高校側にあらかじめ助言を呈しておいたのだ」

「ろくでもない話ですね」

 本当にろくでもねえよ。今回の二時間大人会議巻き込まれ事件の首謀者はこいつだったのか。

「上等高校の事件は、実行委員会内の人間関係が原因だったでしょう。被害者、加害者両名こそまるで知らない人ではありませんでしたが、少なくとも組織や集団としては無関係です。ついでに言えば、タロット館に関しても同様ですよ。僕はただ巻き込まれただけで、事件そのものは彼らの人間関係が原因でしたから」

「そうだろうね。それは事実だし、かなり正確に実情を分析している。さすがは名探偵というだけのことはある」

「本気で言ってます?」

「無論、本気だとも」

 本気かよ。

「君が名探偵だった。。そう考えたことはないかな?」

「いやないですけど」

 即答である。さすがにこれには。

「よく、金田一少年とコナンが一緒の宿にいたら何人死ぬか分からないって冗談は聞きますけど、あくまで冗談ですよ」

「実際にクロスオーバーしたゲームもあったらしいね。ああ、もちろんそれは冗談だが、時に冗談は真理をつくものだ」

「風刺でもない限り、そうそう図星を突くジョークなんてありそうもないですがね」

 と、自棄気味にそう言ったところでマスターが注文の品を運んでくる。早いな。それとも僕たちの会話はそんなにのんびりしていただろうか。

「パンケーキは食後にお持ちしますね」

「ありがとうございます」

 実に大人な対応でマスターとやり取りし、そのまま話は逸れることなく進んでいく。

「名探偵には事件を誘引する能力があると言ったら、君は信じるかね」

「信じるわけないでしょう」

 これも即答である。別に、サンドウィッチにすぐかぶりつきたいという理由からではなく。

 そんなことはありえないから。

「念のため言っておきますけど、『彼は名探偵だ』という名声によって事件の依頼が舞い込むみたいな、そういうことを言っているんじゃないですよね?」

「もちろん。能力が認められ、それによって多くの依頼を受けるということは探偵に限らずごく一般的な話だ。ここで話題にすることではないね」

 理事長はスプーンを取り、オムライスをすくう。よく見ると、そのオムライスはケチャップが使っていないらしく赤みがない。どういうレシピだ?

「つまり、君が『僕は名探偵だ』と強く認識することによって、事件を誘引しているのではないかという話だ」

「とんでもない濡れ衣を着せられている気がしますが」

 多くの事件に巻き込まれる中で、そりゃあまあ、容疑者扱いされた経験は少なくない。つい最近のタロット館事件だって第一級の容疑者扱いで軟禁されたし。奈落村事件では「お前が死ねば仲間は村から解放してやろう」と言われたこともあった。事件に一緒に巻き込まれた、その剣道部の『仲間』たちからは「ぜひ死んでくれ」くらいのニュアンスで迫られた覚えがあるが、今、鳥羽理事長が話しているのはそれよりなお酷いレベルの責任の押し付けだ。

「私はよく入学したての生徒に、こういう話をしている」

 理事長はスプーンを置き、ポケットから一枚の金色に輝くコインを取り出した。日本通貨ではない。五百円玉よりさらに一回り大きい、片面に『天』の漢字が刻印されたものである。どこかのスロットマシンのコインかとも思ったが、どうも違うように見える。まあ、コインの出典などどうでもいいか。

「運は、人を選んでやってくる」

 コインのもう片面を見せられる。燃え上がる炎のようにも見えたが、それは翼の意匠らしい。

「その人の持つ意志の強さが、運を引き寄せる。そして私の運を引き寄せる意志の強さは、断言してもいいが世界中の人間の誰よりも強い」

 断言しやがった。

 ほとんどオカルトなことを。

「賭けをしよう。猫目石瓦礫くん」

「唐突ですね。それが探偵の話とどう繋がるんですか?」

「繋がるさ。焦りは禁物だよ。それに唐突でもない。わたしの経営する高校はそういうところでね」

 そういえばそうだった。

「それで、賭けの内容だが、今から私がこのコインを十回投げる。その表裏を互いに当てるというものだ。単純だろう」

 なるほど単純である。ルール的にも、確率的にも。

「いいでしょう。何を賭けます。まさか理事長ともあろう人が互いの破滅を賭けたりはしませんよね?」

「そんな真剣師ギャンブラーまがいのことはしないさ。そうだね、賭けの敗者は、勝者の言うことを何でもひとつ聞く、というのはどうだろう」

「やっぱり破滅が賭けられていませんかそれ」

 くすくすと、鳥羽理事長は忍び笑いをした。僕の言葉を面白がったというふうではない。

「失礼。実は少し思い出してね。安心のために言うと、私が勝った場合は君をある人物と引き合わせようと考えている。大丈夫、その人もきちんとこうしてアポを取ったから」

「せめてもぎ取ったと言うべきでしょう」

 災難だなその人も。

「その勝負を思い出して笑ったんですか? だとしたら趣味が悪いですね」

「いやそうではなく。その人――私の学校のOGなのだが、彼女のある逸話にまつわる最初のギャンブルで賭けた内容も、確か今の我々と同じだったと思い出したのだよ。賭けの相手は男子生徒だというのに何でもとは彼女らしくない剛毅さだ」

 そりゃ剛毅だな。まあ、この理事長が逸話として覚えているということは、その彼女とやらも相当腕が立つのだろうけど。

 まあいいか、その程度の賭けなら。最悪の場合は「季節外れのインフルエンザ」でばっくれてやる。実際は六月に罹患したばかりだから、こんな真夏にまた罹患するはずもないが。

「さてそれでは勝負と行こう。準備はいいかい?」

「ええ、どうとでも」

 それから理事長はコインを十回投げ、僕たちはその表裏を当てるという単純なゲームが始まった。そう、とても単純。

 前半五回は理事長がすべて当て、僕がすべて外すという単純な結果に終わった。

「君は思いのほかひねくれているね」

 それが理事長の感想だった。

「ルールはさして厳密ではない。私が表裏を当てるのを聞き、私と同じ答えを回答すれば少なくとも負けることはないだろうに。君は、私の後に私と違う答えを言っていないかい?」

「さあ、どうでしょうね」

 六回目。理事長はコインを親指で弾いた。

 ふむ。

「表」

 僕はコインが宙を舞う間に、そう言った。

「私は裏だと思うが?」

 右手の甲にコインをキャッチした理事長が不思議そうに聞く。

「表です。これだけは間違いない」

「ほう………………驚いたな」

 開かれた手の甲で、コインが「天」の字を表に向けている。

「ようやく正解とは思いやられますね」

「君は…………なるほど」

 何がなるほどなのか。

 その後の四回は、理事長が五回当てる中、僕は三回当てた。すべて、理事長が表裏を宣言するより先に僕が宣言するという格好を取った。

 結果は九対四。理事長の思惑通りの勝利といったところか。

「分かりました。理事長のおっしゃる通り、その人と会いましょう。で、具体的な日取りはどうなります?」

「君は本当にせっかちだね。というより、基本的に目の前の事象にしか興味がないのか……。この賭けがそもそも、どうして探偵の話と繋がるのかと疑問を投げかけてきたのは君の方じゃないか」

「ああ」

 そうだった。

 本題はむしろ今はそこだ。

「先ほども言った通り、運はその人の意志の強さに引き寄せられる。この賭けはあくまでその実演に過ぎない――ところだったのだが、どうも君は私が想像する以上のひねくれ者で困るね」

 構わないがねと言いながら、理事長はまたオムライスに手を付ける。味には満足しているのが、ゆっくり噛みしめつつ、話を展開していく。こうなると僕がせっかちというより、この人がマイペースな気がするが。

「ならば、事件についても同じことが言えないだろうかと私は考えている」

 コーヒーカップの横に置かれたコインを、彼は指でなぞる。

「実は当初、私は持論に引きつけて考えていた。君が事件に巻き込まれるのは、運――幸運を引き寄せる意志があまりに弱いからだと。実際、君は大した内容が賭けられていないギャンブルとはいえ、私との勝負をほとんど最初から負ける気でいたようだしね。しかし名探偵と呼ばれ、多くの修羅場を潜り抜けた君の意志が薄弱というのは妙な話だ」

 まず持論とズレが生じた存在が現れたなら、持論を引っ込めてほしいところだ。それは叶わないんだろうけど。

「だから逆に考えた。君はとても意志の強い人間であり、そして事件に巻き込まれることこそ君の幸運であると」

「それが……………………」

「そう、君が自身を『名探偵だ』と強く認識することによる事件誘引能力。方向性は違うが、私の絶対的な幸運にも匹敵する」

「もう支離滅裂の域を超えてますが、制空権は取れているんですか?」

 馬鹿らしくなって来たぞ。

「まあ、そもそも学校でギャンブルを認める人がまともな思考をするはずもないですが……」

 そこで理事長は、再びオムライスに伸ばしていたスプーンを止め、キョトンとした。まさか自覚ナシだったとかではないだろうな。

「いや驚いた。今月に入ってそれを私に面と向かって言うのは君で二人目だ」

「むしろ僕は二人しかいないのに驚きですが」

「教育系の雑誌に非難されることは多いのだが、直接は珍しいね」

 もう諦められてるんじゃないのか、この人。

「しかし私はいたって正常だよ。だからこそこの結論に行き着く」

 そして自覚ねえのか。やっぱり新興宗教の教祖級だぞこの人。

「事件に巻き込まれることこそ君の幸運。そう考えればすべて辻褄が合う」

 止まっていたスプーンが再び動く。よく見ると既にオムライスは三分の二が駆逐されている。こっちのサンドウィッチはまだ半分以上残っているのに。

「私が得ている君の情報とも合致した。君は九年前、名探偵と呼ばれたある少女を蹴落とし、その座を得た。ならば君にとって事件の発生、つまり名探偵として動く舞台の登場は都合のいいものだ」

「…………………………」

 この人、そこまで知ってたのか。

 僕が名探偵を蹴落とし、探偵代理として帳の横に収まったことを。

 ならばまあ、まったく支離滅裂な思考とは言い難いのか。

 この人が言う通り、探偵代理の僕にとって事件の発生はある意味では好都合なのだから。まあ、まさか当時の僕がそう思っていたはずもなく、結果論に過ぎない。当時の事件に巻き込まれた僕の感覚はひたすら「面倒だ」で占められている。入院した帳への土産話になるというメリット差し引いても、そのデメリットは大きい。

 なにせ文字通り命がけだ。

 

「残念ながら僕はあなたが思うほどポジティブな人間ではないんです。自分の命が危険にさらされる状況をそこまで確固たる意志で望みはしませんし、ましてやそれを幸運とは考えません」

「しかし不幸とも考えていないのではないかな?」

「………………………………」

 僕が黙ったのは、図星だったからだろうか。

 それとも別に考えることがあったからだろうか。

 とりあえずサンドウィッチを頬張って適当に沈黙を誤魔化した。理事長は僕の静止がなければ朗々と語り続ける。

「単に多くの事件に巻き込まれたために、諦念をもって事件に巻き込まれることを認めるようになったということではない。事件という非日常が君にとって日常となったというわけでもない。君がそれを幸運と考えていないと自覚するのと同程度に、不幸だとも考えていないのではないかな? それは――――」

『DJササハラの、血みどろニュースチャンネルー!! へいへいよーよー!』

「…………………………」

 理事長の言葉は、天から降ってきた言葉に邪魔された。その声は店中に響き、店内は一時凍り付いたような静寂が訪れた。冷房が要らないくらいじゃないかと思わせる体感気温の急降下具合だが、僕としてはその声が僕と理事長の二人だけに聞こえる幻聴とかではなかったことをとりあえず安心するところだった。

 声の発生源と思しき方向を探る。するとちょうど、マスターが怪訝な顔をしてカウンター奥の棚の上あたりを睨んでいるのが目に入る。いかんせんカウンター越しなので彼女の動作はよく見えないが、踏台らしきものを上り。棚の上に置いてある機械を操作する。そういえばさっきから店内に流れていた音楽が聞こえない。有線放送の機械が変に故障でもしたのだろうか。

「君は、あの声の主を知っているかな?」

「いえ」

 てっきり話を再開するのかと思ったら、思わぬ方向に逸れた。ちらりと理事長の横顔を伺うが、そこからは何も読めない。

「彼女は元々、インターネットの動画投稿サイトでゲーム実況などをしていたらしい」

「はあ…………」

 何の話だ。

「現在は君と同じ、上等高校の生徒なんだよ」

「へえ、そうでしたか……」

「案外、近いうちに会うかもしれないよ」

「ご冗談を」

「いや、それが冗談ではないのだ」

 と、今までの少しおどけた様子を理事長は引き締めた。

「君自身が自覚しているかは分からないが、事件を引き寄せるということは、その事件にまつわる関係者を引き寄せるということでもある。つまり君は今まで、多くの事件に関わり、多くの謎を解決してきたが、それは多くの人と関わったという意味でもある」

「まあ、それくらいは理解できますが」

「君が理解していないのは、そのことによる影響力だ」

 理事長はコーヒーに口をつける。

「もちろん、賢い君だ。人と人との関わり合い、影響の与え合いが発生していることは認識できるだろう。しかし君はそれに興味がない。私が今回、例の会議に君を加えたのはそれを確認するためだ。普通、自分の通う高校で殺人事件が起きて、その後始末の会議に招集されて

 ずばりと。

 言われてしまった。

 自分よりまともじゃないと思っていた人間に、まともなことを。

「君が興味を抱くのは、自分と、あと精々自分に強く関係する数名くらいだろう。問題は、君は君自身がその数名以外に与えた影響に関して比較的無自覚かつ無配慮であるという点だ」

「普通の高校生なら、そういうものでしょう。そこまで大勢の面倒は見切れない」

「普通の高校生ならば、そうだろう。君は普通ではない。普通だと、思ってはいけない」

「…………………………」

 随分なことを言われるものだな僕は。ここまで責任を押し付けられることはそうないぞ。

「生憎、僕の心には帳と、あと数名くらいの余裕しか残されていないんですよ。その余裕もほとんど使い切っているので、それ以外の他人のことなど面倒は見れません。普通でなくても、十八歳の限界、人間の限界としての話です」

 心にせめて、あと二人か三人分、誰かを入れておく場所を空けておけ。

 奈落村で、不遜にもそう言ったあの人の言葉を思い出す。その時は仮に空いたとしてもその人の入るスペースはないと思っていたが、はてさて、心が広がってみると、結構早い段階であの人は入り込んでいた。まあ、スペースを空けること自体があの人の助言だから当然かもしれないが。

 それ以上をさらに開けろと?

 無理を言うな。

「そもそも――――」

 大人が解決すべき、しかも僕の無関係な事件の後始末に巻き込んでおいてその言い草はどうなのかと文句のひとつでも言ってやろうかと思ったが、僕の言葉は電話の着信音で遮られた。

「失礼。私のだ」

 理事長はジャケットの内ポケットからスマホを取り出して操作する。

「もしもし。ああ、はい。………………ああ、そうでした。すみません。今すぐ向かいます」

 電話は短く、いくつか言葉をやり取りしただけで理事長は電話を切る。

「自分勝手ですまないが、これから学校で会議があってね。いや、興が乗ってつい予定があるのを忘れてしまった」

 本当に自分勝手だな。これに付き合わされる他の理事や教員の苦労が目に浮かぶ。

「すみませんマスター、お会計を」

「あら、いいんですか? まだパンケーキが……」

「はい、急用なもので。デザートは彼に」

 僕に処理させるなよ。

「じゃあ私はこれで失礼するよ。賭けの件についてだが、具体的な日取りはまた学校を通じて連絡しよう。しかしそうだな……君が興味を持たないと私の予想を裏切る動きをしかねないから、少し気を引いておくべきかな?」

「別にすっぽかしはしませんが」

 ばっくれる気満々なのがばれていた。

「そう言わずに。君に会ってほしい私の学校のOGというのはね、ある意味でと真逆の存在、ある意味での同類だ」

 持って回ったように、理事長がほのめかす。

「彼女は、かつて私にギャンブルで勝利した人間だ」

「…………………………ほう」

 それは少し、興味がある。この超幸運を自称する男に勝てる人か。会ってみても損はなさそうに思える。

 が、さらに理事長が付け足した情報で、僕は混乱することになる。

「彼女は、いわゆるの持ち主なんだよ。私と真逆でね」

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