SEASON2:She is my FOOLish sister

CASE:The WHEEL OF FORTUNE 㐂島奈々とルーレット・サドンデス

1 プロローグ

 運命を何か、歯車か車輪のごとくたとえ循環するものとする思想は数多くある。まあ、「数多くある」なんて見栄を切って早々に悪いけど、僕はこの手の思想や宗教、論理には疎いのであまり多くの例を提示できないんだけどさ。

 しかし例えば、強固に、それこそ(皮肉なことに)狂信的なまでに無宗教的であると信じられているこの日本において、仏教の輪廻転生概念を知らない人間はそういないだろう。生きて、死に、生きた時の業によってまた生まれ変わる。本来はその輪廻からの解脱こそを目指すべきところ、人間としての転生が何か無上のもののように扱われるあたり、運命を輪とする感覚はやはり強い。

 タロットの大アルカナ十番目『運命の輪』。英語でThe WHEEL OF FORTUNE。これもまた、直截に運命を循環する輪のごとく捉えたものの象徴だろう。僕が名探偵と呼ばれるきっかけとなった七月末から八月上旬の事件、『タロット館事件』の名が露骨に示す舞台、タロット館はこの『運命の輪』をデザインに取り込んでいた。タロット館をデザインした建築家、朝山大九あさやまだいくは自身のアルカナを逆位置の『運命の輪』と捉え、入り口の鉄門扉にも『運命の輪』を逆位置に彫り込んだ。一方、孫娘でありタロット館の主であるロッタちゃんは正位置の『運命の輪』を自身のアルカナにしていたが、そこにどういう思惑があるのかは聞いていない。

 そもそも、僕はタロットに詳しくない。まあ、あそこでの事件解決にタロットの知識が多少必要だったのは確かだが、それも館内に大九氏が残した資料のタロット図鑑で事足りる。そして僕は大抵のタロットの知識は忘却した。

「タロットで重要なのは――――」

 だから覚えているのは、タロットの知識ではなく恋人の声。

「正位置が良い意味で、逆位置が悪い意味という単純なものではないということ。例えば『戦車』は基本的に闘争と勝利を意味するアルカナと言われているけれど、正位置でも自己葛藤といった意味をはらむ場合がある」

 あれで案外偏見的女子像のごとく占いが好きなのか、それとも一般的知識のつもりなのか、僕の恋人である夜島帳はタロットについてある程度の造詣があり、夏休み前の期末試験の折などは、一緒に勉強しながらたまにそんな無駄話をした。

 まさかあれが、タロット館で起きる事件のための事前学習だとはな。

「『塔』や『月』のように、正位置での意味合いが基本的に良くない場合もある。あるいは『死神』のように、一般的には正位置では悪い意味と言われているけれど、実は正位置で本来は良い意味を持っているものもある」

「へえ。じゃあ『死神』のアルカナの意味って何なんだ? 僕はてっきり、文字通りだと思ったけれど」

「実のところ文字通りなのだけどね。死。それは生の再来、再スタートを意味するの。逆位置ならば死は訪れず、ゆえに停滞を意味する」

「ああ、輪廻転生みたいな」

「あれは解脱が最終目標でしょう。でも、そうね、死が新たな生を連れてくるという意識は洋の東西を問わないのかも」

 帳が僕を見つめる。僕はさっきから帳を見ていた。その作り物めいて細い手足とか、折れそうな喉元とか、天空の星々を詰め込んだような輝く瞳とかを。

 彼女の視線が落ちる。そしてシャープペンシルで、僕が問題集に書き込んだ字を示した。

「ここ、スペルミスしてる」

 彼女がさっきまで見ていたのは僕の英語の問題集で、僕のミスを指摘するために一度顔を上げたらしかった。ロマンもへったくれもないが、当時の僕たちはまだ恋人同士ではなかったから当然のことだ。

「『fortune』。最後のeが抜けてる」

「読めるからいいんだよ」

「その調子だからこの前の試験、理科でも数学でも単位を書き忘れて減点されるんじゃない?」

「……………………」

 それはまあ、そうだろう。

 探偵なのに注意力散漫とはこれ如何に。

「そういえば」

 視線を窓に移しながら、帳がこんなことを言った。

「『運命の輪』のようにあまり正位置も逆位置も関係がないアルカナもあったわ」

「そんなのもあるのか?」

「あくまでわたしの解釈だけど――」

 窓の外は暗闇だった。

「大抵の大アルカナは占われた人間に関わりあるものを示す。将来、気質や性格とかね。でも、『運命の輪』は占われた人間と、正位置逆位置の間に関連はない」

 運命は、当人の意志に関わりなく循環するものだから。

 あるいは、神がその輪を回すものだから、か。


 くるくると、運命が回る。

 赤と黒の縁のついた車輪が、互いの賭けたものを載せて。

 僕が帳とのあの会話を思い出したのは、今まさに目の前にルーレットがあって、それが回っているからだ。

 ルーレット。

 側面に数字の示されたポケットがついた台を回転させ、その回転と逆方向にボールを投げ入れ、どこにボールが入るかを掛け合うカジノの定番ゲーム。ゆえに『カジノの女王』とも通称されるこのゲームが、僕の前で繰り広げられている。

 だがこの定番ゲームで、現在異様なのは三つ。

 ひとつはここが学校であるということ。にもかかわらず、目の前で回転するルーレットはカジノのそれと遜色がない立派なものだ。そもそも、そのルーレットが置かれている部屋にしたって、ほとんどカジノの一角のような様相だ。スロットマシンにバカラやポーカーのテーブルまである。しかしそれを異様と呼ぶのはむしろおかしな話か。

 なぜならここは鳥羽高校。すべての問題をギャンブルで決定する驚異の高校なのだから。

 異様の二つ目は、ゲームのルール。通常、ルーレットはボールがトスされる前と、ルーレットの回転中にベットできるシステムであり、かつプレイヤーは複数個所へのベットが可能である。しかし今回のゲーム――この高校で伝説を作り、今なお神聖視されるこのルーレット・サドンデスの前ではそれが不可能であるということ。

 プレイヤーは一度決めた数字を変えられない。自身の決めた数字か、相手の決めた数字。どちらかが出るまで延々とルーレットを回し続けなければならないのだ。

 そして異様の三つ目は、プレイヤー。

 今回の参加者はたったの二人。二人きりでの真剣勝負。ひとりは鳥羽高校の制服を着た男子生徒。その夏服の半袖カッターシャツはパリッとして皺が少ないが、これは彼の気質ではなく単に真新しいというだけのことだろう。聞いた話では彼は一年生だという。長髪をぐさぐさとヘアピンで留めた軽薄な髪形に、よく日に焼けた体。しかし体躯は全体的に細身で、スポーツをやっているようにはあまり見えない。「着飾っている」というのが第一印象で、一般的な高校生の基準で言えば不良に分類されかねないスタイルだ。しかし鳥羽高校においては、そうした外見の威圧もおそらく賭けを有利にする材料として意味のあるものになるだろう。

 この高校では僕たちの基準であまり、物事を考えてはいけない。なにせこの男、『超幸運体質』を自称し、その通り現在鳥羽高校で無敗伝説を築いているのだから。

 もう一人の生徒は女子生徒だが、異様なのはこちら。鳥羽高校において鳥羽高校の生徒がギャンブルのプレイヤーであることは当然。しかしこちらの女子生徒は、鳥羽高校の制服を着ていない。半袖のセーラー服はくれない色、襟とセーラーカラー、プリーツスカートの裾を飾るラインはさらに鮮やかな猩々緋しょうじょうひ。小さな足に履かれた靴は生血を吸ったような真紅。すべて、色に疎ければ『赤色』と言い切って相違ない色合いを組み合わせ、見事に調和した一着の服としているのは芸術というほかなく、この日本でそんな制服を着ているのは朱雀女学院の生徒のみ。つまりは部外者だ。

 鳥羽高校の生徒と部外者たる朱雀女学院の生徒とで行われるギャンブル。これが異様。

「それでは、第一投から」

 その女子生徒は、弄んでいたスカーフから左手を離す。スカーフだけが白――正確には灰梅はいうめ色なのは夏服仕様で、冬服の場合は紫――これも正確には躑躅つつじ色なのを僕は知っている。なぜなら帳が一時期、女学院の中等部に通っていたからであり………………。

「始めましょうか」

 弄んでいたスカーフから取り出したようにしか見えない鮮やかさで、女子生徒の細い指に、絡まるように銀のボールが取られている。女子生徒の声は冷たく涼やかに、張り上げずとも部屋中に響き渡る。

 異様なのは三つ。

 問題なのは一つ。

「…………大丈夫かな?」

 隣にいた女性が心配そうに僕を見た。この学校のOGであり、今回、僕がこの学校に来た理由でもあるその女性――㐂島奈々きじまななは弱気な目で僕を見つめる。彼女のこの姿を見て、まさか彼女こそが、ルーレット・サドンデスで伝説を作ったその一人であることを理解できる人間などいないだろう。

「賭けの内容もそうだけど、相手は…………」

「大丈夫ですよ」

 僕はそう返しておいた。㐂島さんを安心させる意味ではなく、事実として。

 大丈夫なのだ。問題はあるけど。

「だって…………」

「哀歌は、は勝算のない勝負はしませんから」

 問題は、参加者の女子生徒が僕の妹だという事実だ。

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