解答編 交わらぬ者ふたり

「猫目石さん、クイズでもどうですか?」

「どうした藪から棒に」

 タロット館滞在二日目の夜。それは僕にとって、ちょっとした厄日である。

 社会派の重鎮作家。新進気鋭のライトミステリ作家。翻訳中心の海外ミステリ専門家に、遅筆の、半タレント化してしまった作家。そして名探偵と名高い作家。

 そんな中に放り込まれただけでも一大事だというのに、名探偵は最初に殺され、館の主は警察を呼ばず。

 加えて僕は最大の容疑者として軟禁された。まあ即リンチにならなかっただけマシと考えよう。奈落村の時といい、どういうわけかそうなってもおかしくない状況でリンチだけは避ける僕なのだ。結局奈落村ではリンチみたいな目に遭うんだけど、それは別の話。

 軟禁の理由はシンプルで、一番容疑のかかった僕が軟禁されている間に次の殺人が起きれば、そこに連続性が見いだされる限りにおいては僕は犯人ではなくなるからだ。まあ、そうは言ってもどうせ「何かトリックを…………」と考えてしまうので、単なる気晴らしと保身の意味合いが強い。つまりあまり意味のない行為だ。事実、僕は犯人ではないわけだし。

 そんな軟禁中の僕を訪れたのが館の主、ロッタちゃんである。車椅子に乗った、愛らしいビスクドールのような外見の少女。金髪にエメラルドグリーンの瞳という日本人離れした外見は、なるほどタロット館を本格ミステリっぽくするに足る要素である。

 彼女はまだ十四歳と幼く、それゆえの純真さで軟禁中の僕のところにすら来てしまう…………というわけでもないだろう。どうやら彼女自身、朝山家によってタロット館に軟禁されている身であり、ゆえに僕に同情があったというのがひとつ。もうひとつは軟禁生活ゆえに刺激に飢えていて、僕という珍客を逃す選択肢などなかったというだけのこと。

「ほら、このタロット館はそれぞれ大アルカナを部屋にあてているじゃないですか。ですから、アルカナをモチーフにした謎かけのようなものを作ろうかと考えたこともあったのですが…………いかんせん知恵がなくて。精々できた問題が、猫目石さんに割り振ったアルカナの『戦車』くらい、しかもそれもモチーフと言うより発想にした程度のお粗末なものでして。それでもよろしければ、聞いてもらえませんか」

「まあ、いいけど」

 今何時だ。

 夜中なのは分かる。

 手元の腕時計が壊れているんだ。

 すごく眠い。

 しかしお嬢様の猛攻は止まらなかった。



「質問」

 すぐに反応したのは渡利さんだ。

「男が嘘を吐いていて、そんなことはありませんでしたか。つまり与太だった?」

「ノー。それじゃあ問題にならない。男の言ったことは正しく、雪の上に足跡をつけない方法は存在する」

「正しいと言っても」

 今度は六角さんだ。さすがに何度か同じような問題を解いて、彼らも慣れてペースアップしている。

「男はすべての情報を開示していませんね」

 断定口調かよ。まあ正解だが。

「イエス。男はこれを問題にするにあたり、意図的にいくつかの情報を隠している。ただし嘘はついていない」

「その情報は男の見たという、雪に残る跡のことですね」

「それもイエスだ」

 これは、六角さんはもうアタリをつけているみたいだな。当人も自分の推測に自信があるのか、そこで一度引込んだ。自分でさっさと答えを言っても他の人が楽しくないと気を使ったのだろう。本当、どこかの馬鹿の後輩なのに、その馬鹿とは大違いだよ。

「雪の跡、ですか?」

 唸る笹原。ここで六角さんに水をあけられると業界人として辛いぞ。どの業界かは知らんが。

「質問です!」

 と、ここからは実行委員のその他面々から。

「出題者の男は薬物中毒者でしたか?」

「ノー。男は正常な認識能力を持っていた」

「じゃあ、走っていた男は幽霊だった!」

「それもノー。走って行った男は実在する」

「雪の日であることに関係がありますか」

「ノー、とは言い難いな。足跡がつく状態ならいい。ただし、この問題の状況下なら、出題者の男がこの怪現象を見たのは雪の日に限られるだろう」

「問題の状況下…………」

 そう、大事なのはそこだ。

 前半はただの導入部じゃない。

「じゃあ、瓦礫が言ってた最初の話も意味がある? わたし、なんか言ってるなあってぼうっと聞いてただけだったけど」

 愛珠がとんでもないことを宣う。

「イエス。散々人に出題をせがんでおいてその態度なのは後で問いただすとしてイエスだ。十九世紀ロンドン。これは重要だ。あとは業界人の領分だぞ、笹原」

「え、わたしですか?」

 油断していた笹原が飛び上がる。

「全然分からないんですけど」

「DJササハラの名が泣くぞ」

「それは嫌だっ! えっと、十九世紀…………ロンドン…………ああ、えっと、男たちのたむろするバーはアヘン窟だった!」

「ノー。ただし発想はいい」

「発想、ですか」

「笹原が普通、十九世紀のロンドンとアヘン窟の関係を即座につなげて考えられはしないだろう」

「わたし、馬鹿にされてます?」

「いや、普通のことだ。僕だってそうだから。じゃあ、どうしてそれをつなげられたのか。それがヒントになる」

 十九世紀のロンドン。アヘン窟。アパルトマン。業界人じゃなくたって、僕たちの結構な数は、過去に一度、そういう世界に馴染んでいるはずだ。

「重要なのは」

 段々行き詰って来たと判断したのか、再び六角さんが口を挟む。

「男が残さなかったのはという点ですか?」

「つまり?」

?」

「イエス」

「え、じゃあなんでもありじゃん」

 しらけたように愛珠が言う。

「その男、竹馬にでも乗ってたんじゃないの?」

「十九世紀のロンドンに竹馬があると思うのか?」

「似た何かはある!」

 ねえよ。

「そう、じゃあ……」

「それは十九世紀ロンドンにあって当然のものだった?」

 愛珠の言葉を引き継いで、渡利さんが質問する。

「イエス。怪盗キッドのカイトになるマントとか、二十面相の一人用ヘリコプターのような冒険探偵小説みたいなガジェットは一切登場しない」

「だったら…………」

「自転車!」

 今度は渡利さんの言葉を愛珠が引き継ぐ。

「自転車だ! 自転車なら男の足跡はつかない! それに出題者の男が意図的に隠したっていう情報もある。足跡じゃなくて車輪の跡を残したんだよ」

「おしいな」

 結構ギリギリなんだけどな、この問題。それが正解って線もある。だからこの問題の製作者であるロッタちゃんはお粗末だと言ったんだ。

 だがそこはまあ、切り抜けるさ。

「二十一世紀の日本でも雪の日に自転車に乗るのは危険なのに、十九世紀のロンドンで自転車に乗るか? そもそも自転車なんてまだ普及してないだろ」

「ダンロップが空気タイヤを開発したのが十九世紀だから可能性としてあるんだよ」

「なっ………………」

 こいつ、なんでそんな知識を。ああバイク乗りだからか。ボクサーを引退したらレーサーになるのも選択肢の一つに入れていたな。だからバイクを普段から乗り回しているわけだし、自分で毎日整備もする。知識もいろいろ仕入れていたわけだ。

「まさか弟、想定外の答えが出ちゃったとか?」

 ニヤニヤ、というよりニコニコとして愛珠がからかってくる。うっざい。言っておくが、そういう時のお前は実兄のあの人にそっくりなんだよ。

 悲哀に子を為した相手の家に捨てられ、そこで虐待され、家族を殺してもなお、血のつながりから逃れられないのはこいつのさがか。

 それとも子を捨てた悲哀と、実の両親の死さえ軽んじる僕に対する警告と罰の顕現か。帳なら、彼女に『The TOWER』のアルカナでもあてたかな。

 崩壊と厄災の暗示。『星』とは真逆の兆しを示す、神々の怒りのアルカナ。星にも月にも届こうとする塔に轟く雷は、警告か、それとも既に崩壊が訪れた後か。

「開発されただけで実用化はまだだろう。そうだな、十九世紀後半は正確には1886年に変更だ」

「そもそもダンロップはスコットランド人だからロンドン関係ないけどね」

 こいつ、そこまで知ってて言いやがったのか。

「1886年……あっ!」

 笹原が何か気づいたらしい。くそ、愛珠のせいで変なヒントを与えてしまった。

「自転車でないとなると答えはひとつだけですね、先輩方」

 最初から分かっていたらしい六角さんが、その雰囲気をおくびにも出さず渡利さんに水を向ける。

「そう、ああうん、分かった!」

「わたしもっ!」

 愛珠が合わせるように言って、今度は屈託なく渡利さんに向かってほほ笑んだ。一方の渡利さんも、曖昧にだが微笑み返した。

 険は少し和らいだか。ならば、兄として弟として道化師ジェスターになったのも骨折り損ばかりではないな。

「もっちろんこの笹原も準備オッケーですとも!」

 四人は、誰が合図を出すともなく合わせて答えを言った。

「男は、馬車に乗っていた!」



 まあ、その通りなのだ。

 出題者の男が見たのは、一応設定上では御者の男が馬車を走らせていく光景だ。それを問題にするために、意図的に男はいくつかの情報を隠していた。御者は確かに自身の足跡は残さないが、馬の蹄の跡と、二本の轍は残していた。

「答えは、走って行った男が御者Charioteerだったから、です」

 ロッタちゃんはそう優雅に答えていた。後で調べたところによると辻馬車の場合、正確には御者Cabmanらしいけど、英語に疎い僕はそんなものかと受け流した。

 それにこれは『戦車The CHARIOT』のアルカナに端を発する問題だ。それを意識するために、あえてそんな英単語で御者を表現したのだろう。

「十九世紀ロンドンは石畳だからな。まあ、ホームズはズボンに跳ねた泥の跡でいろいろ推理するんだけど、少なくとも出題者の男の家の前は石畳だろう。薄く雪の積もった日にしか、この怪現象を男は見られなかった。少なくとも、問題の設定では」

「『緋色の研究』の執筆が1886年ですからねえ。切槍先輩に引っ張られて猫目石先輩、とんでもない大ヒントをこぼしましたね」

 まあ、そんなミステリのターニングポイントを知っている人間など、この中では僕と笹原しかいないだろう。ひょっとしたら六角さんは知っているかもしれないが。

「六角さんが言い当てた通り、この問題を解く上で重要なのは男が意図的に隠した情報だ。『さっき走って行った男が、雪の上に一切の足跡をつけていない』と出題者は言ったが、では他の跡はどうなのか? 厳密さと緻密さをもってひとつずつ事実を確認していくのは、謎解きの基本だ」

 たとえ確認するまでもない常識だと思っても、確認は大事だ。

 個人の常識が時に世間の非常識であるように、世間の常識は時に個人の非常識であり、探偵の領分は多くの場合個人的な犯罪だ。

 探偵の推理に必要な合理性、論理性は常に「犯人にとっての」という修飾がつく。そう考えると、僕は帳以外に興味のない人間だと言われることが多いものの、『謎』を通して多くの人間に関わってきたわけだ。それは興味ではなく、帳の興を満たすためと、探偵代理としての責務だったが。

 今は、どうだろう。世間から名探偵と呼ばれるようになった僕は、『謎』に対し興味をもって解決に走るのか。それとも人と関わるために? 以前と同様に、帳のために?

 今のところは、惰性で続けているような気がしないでもない。なにせ探偵歴九年だ。子役が芸能界しか知らないみたいなもので、僕は探偵であることしか知らない。

 というより、知らないふりをしていたのか。

 猫目石瓦礫の配役が『探偵役』だけでないことくらい、とっくの昔に承知で。

 タロット館での一件があるまで、それを知らないふりでやりすごしていただけだ。

 だから思い出す必要がある。

 過去を検分するのではなく、思い出す必要が。

 木野悲哀に手をさし伸ばされ、夜島帳から愛しいと言われ、木野哀歌から兄と呼ばれ、切槍愛珠を妹と呼び、弟と呼ばれ、笹原色の先輩となる。

 猫目石瓦礫が謎めく舞台で演じた探偵役以外の、日常での配役を。過去から現在に至るまで。

 それがきっと僕の高校生活最後の夏休みにおける、宿題のようなものだから。

「さて、僕は部室に戻るよ」

「あ、じゃあわたしも行きますね、先輩!」

 実行委員会の詰め所を出て、笹原と一緒に部室に戻る。そういえば、こいつと初めて会った時、お互いに初めて会ったような気がしないみたいなことを言いあった気がする。正直なところ、僕のこいつに対する扱いは悪い方というか酷い方だが、ひょっとするとこいつが夏休み以前から僕の後輩だった世界線があって、その経験値がまるまる僕の方に入ってきているのかもしれない。

 だとしたら僕、その世界線でどれだけ酷いことをこいつにしているんだよ。

 とか、そんな馬鹿なことを考えていたら、するりと二人の生徒が横を抜けていく。僕たちと同じ男女二人組。

 僕は彼らをちらりと見て、何も言わずに通り過ぎた。笹原は挨拶ぐらいするのかと思いきや、何か別のことでも考えているふうで彼女も何も言わなかった。

 その男女二人組というのは、女子生徒の方が二年生の扇しゃこ。例の『殺人恋文』事件の名付け親で、つまり件の相談役様の助手を名乗る奇特な少女である。

 そして男子生徒の方が言うまでもなく、その相談役。

 紫崎雪垣。

 やつの方も僕をちらりと見て、それだけで挨拶もなしに通り過ぎていく。扇さんもそれにならったが、彼女なら一人でも同じ態度を取っただろう。僕は基本的に彼女に嫌われているから。

 すれ違う。まるで当然のように。残るのは僕たちの歩いたという事実の一本線が互いに一本ずつだけ。

 轍のように交わらない。そもそも互いの進む方向が違うけど、前に進む限りはどんなに歪もうと決して交わらないという意味では、まさしく轍だ。

 仮に並行世界なんてものがあったとして。

 今の僕とは違う僕がいたとして、今のあいつとは違うあいつがいたとして。

 どんなに強固に今に至ると、帳の傍に至ると思っていてもひょっとすると別の世界があるんじゃないかとふとした拍子に思ってしまうのとは違って。

 こいつと交わる世界線はない。それは推測でも希望でもなく、厳然たる事実のように思えたのだ。

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