6 あっ

「じゃあ、準備はいいな?」

 輪から外れた女性陣から、さらに少し遠ざかったところで雪垣が声を出す。いよいよ場面は冒頭に戻って、ゲームスタート。

「俺の言った通りやってくれれば必ず勝てる。じゃあ、構えて」

 雪垣の言葉を合図に、僕たちを囲む十人が一斉に構えた。

 雪垣が選出した十人、その内訳は扇さん、六角さん、石原、渡利さん、金山さん、そして残りの5人は実行委員の後輩たち。そして雪垣の有力な手駒である5人は、残る5人を間に挟むよう満遍なく僕たちを囲んでいる。

 やはりというかなんというか、特に雪垣と親しい面子で半分を固めるのも、その面子がバランスよく散らばって僕たちを固めるのも推測の通りだった。この時点で、僕たちは読み合いにほとんど勝利している。

「ふわあーぁ」

 僕の後ろで愛珠があくびをする。

「おい妹、頼むからやる気出してくれ」

「あいあい弟。万事万端心得た」

「その割にはやる気が感じられないんだよなあ。こんな絶望的な状況で」

「絶望的なんて今に始まったことじゃないからね。でもやる気出せってのはこっちのセリフ。あなたの作戦、本当にあのいけ好かない野郎の手の内読めてるんだよね?」

「任せとけ。このゲームの合理的必勝法はひとつしかない」

「おーきーどーきー。じゃあ、一泡吹かせますか」

 じろりと、愛珠は雪垣をねめつけてから、意地悪く笑った。

「はじめっ!」

 鋭く、雪垣は叫ぶ。瞬間、ボールが生徒たちの手から離れてこちらに迫ってくる。

「え?」

「あれ?」

 神園刑事と笹原の声。彼女たちは、しばらくにらみ合いが続くと思ったのだろうか。僕が推測した雪垣の手の内は愛珠にしか教えていないから、彼女たちが驚くのは無理もないが。

「え? 合図の瞬間に投げてくるの?」

 僕の考えを伝えた時、愛珠も同じように驚いていた。

「まず考えてみろ。せっかく僕たちを囲んでいるんだ。全方位からの同時攻撃を仕掛けない手はない」

「そうだね。そんな攻撃かわせないもんね。読み合いもへったくれもない」

「すると、問題はいつ攻撃を仕掛けるかというタイミングの問題になる。まさか実行委員の連中が心を読み合って無言のうちにタイミングを計るわけがない。結局、合図と同時に全員で投げるのが一番確実なんだよ」

 では、僕たちはどうするか。その答えを今から実践する。

 雪垣の合図と同時に、僕と愛珠は動いた。僕は床を蹴って、後ろに跳ぶ。背中合わせになっていた愛珠はもういないから、ぶつかる恐れもない。僕なんかより反射能力も高い愛珠は、僕より先にもう動き出している。

 ちらりと後ろを見る。愛珠は、全力で前方へ移動すると、右足で踏み込む。乾いた、大太鼓でも鳴らされたかのような重低音が体育館中に響く。そのまま、愛珠は左足を振りぬいた。その一薙ぎで、みっつのボールは弾かれた。

 そう、みっつ。ざっくり言って、僕たちを取り囲んでいる十人を、正面を向いた状態で僕は5人、愛珠は5人視認できていた。愛珠が視認していたのは渡利さん、金山さんを含む5人だったが、ボールを投げなかったのはその2人だ。

 これもある程度、推測通り。

 左足を振りぬいた勢いで、愛珠はこちらに向き直る。回転の勢いはそのままに、僕の腰のベルトを左手でひっつかんだ彼女は、無理やり僕ごとぶん回して、体の位置を入れ替える。再び僕たちは背中合わせになって、さっきまでとは違う5人とそれぞれ対峙する。

 さっきと違って、今度は余裕がある。僕が後方に跳んだ距離の分。次に控えた動作もないから、彼女は急いで叩き落とすこともない。わざわざ愛珠の側から近づく必要はなく、投げられたボールをただ弾けばいい。僕は愛珠の方を向かなかった。ただ音で、予定通り愛珠がボールをさばいたのを確認した。

 僕の視線は、雪垣の方を向いていた。僕の作戦が、どれくらい確認するためだ。雪垣のやつは露骨に驚いていて、目を飛び出さんばかりにひん剥いていた。あいつの視点からでは、どす黒いうねりが僕の周りを駆け巡った間にボールが叩き落とされたようにしか見えなかっただろう。

 読み合いもへったくれもない同時攻撃が、まさか普通にさばかれるとは思わなかっただろうな。残念ながら愛珠は、冗談抜きで他人の1,5倍は早く動ける。

「じゃあ、そうやってボールをさばけばいいんだ。でも、だったらさっきの未来視のくだりは何だったの?」

 再び、愛珠とのやりとりを思い出す。

「雪垣の作戦は作戦として、じゃあ10人全員がその通り動くとは限らないってことだ」

 重要なのは、むしろここから。

「雪垣は別に、帳のようにカリスマ性があって支持されているわけじゃない。他のみんなが従うのは、やつの思考に合理性があるからだ。裏返せばこのゲーム、あいつの立てた作戦以上の合理性を自分の行動に認められるなら、なにもあいつの言うとおりに彼らが行動する義理もない」

「ははあ、独断専行しちゃうんだ」

 もっとも、それができる人間は限られていて、それが雪垣の腹心である5人なわけだ。愛珠にその5人を教えてから、話を続ける。

「雪垣は必ず、その5人をプレイヤーに加えるはずだ。まあ、単にゲームをやりたがる人間を集めたら、あの面子ではその5人は入りそうってだけかもしれないけど。で、この5人だが、しかしうち3人はあまり警戒しなくていい」

 雪垣を単純に支持している扇さんなら、まず雪垣の作戦通り動く。軽率な行動などしない石原なら、たとえ何か考えがあっても全体として雪垣の作戦通り行くと決まったならそれに従うはずだ。それは六角さんも同じ。雪垣は彼女のことを「不思議ちゃん」なんて無礼極まりない表現で説明したことがあったが、僕からすれば彼女は石原と同じように思える。深謀遠慮なところがある。

 もっとも、彼らも木偶人形ではないから、案外外れた行動をしてくる危険はあった。少なくとも、残る5人の後輩たちより自由な行動の取りやすい人間だ。警戒はしておく。

 問題は残る渡利さんと金山さん。渡利さんは実行委員のメンバーの中では、おそらく一番雪垣の言葉を鵜呑みにしない人間だ。それはつまり、彼女が雪垣と対等であるということでもある。渡利さんに雪垣の考えを尊重する義理もないし、雪垣の指針通り動く道理もない。

 一方の金山さんは、単に天然だ。彼女は何を考えていたにしても、きっと雪垣の計算を外してくる。たぶん、そういう偶然の要素を今回は雪垣もあてにしているだろう。読み合いに負けても、彼女の一刺しが勝ちの目を作るかもしれないという保険として。

 高確率で雪垣の作戦を無視するのは、この2人。

 予想通り、2人はボールを雪垣の合図で投げなかった。僕の左手で金山さんが、右手で渡利さんがボールを構えてこちらをじっと見ている。

面倒があるとすれば、二人とも、現在僕と向かい合っているという点だ。どちらか片方なら、もう少し簡単なのに。

 一旦動作がすべて完了して、このような状況になった時、愛珠にはもう一度体を入れ替えるよう指示してある。愛珠なら2人のボールをさばくのも苦ではない。ただ、それはたぶん、向こうも分かっている。愛珠がボールをさばき終わって、次の動作に移るまでの空白の今が、一番の攻撃のチャンスで、ここが一番の隙。

 さっきまでの愛珠の動作が高速で行えた要因のひとつは、あらかじめ動作を決めていたということにある。だが、ここから次の動作――ボールを投げていない人間が僕の側に固まったら、もう一度体を入れ替えるという動作はまず、愛珠の判断待ちになる。愛珠が自分の側の5人を視認して、確かに5人全員がボールを投げ終わっているのを確認し、それからようやく動ける。だからこの隙は、永遠のように長い。

 一方で渡利さんと金山さんもまた、状況判断に時間がかかって硬直するのを内心では期待していたのだが……。渡利さんはこうなるのを予想していたからボールを投げなかったのだろうし、金山さんはマイペースだから状況判断なんてしない。硬直してくれるなんて甘い期待はしない方がいい。

「さて………………」

 未来視は、もう発動している。2人の動作を同時に観察するのは経験がないのだが……。僕の不安は杞憂で、2人がボールを投げてくるタイミングは分かった。が……これは……。

 2人同時だ。しかも猶予はほとんどない。

「まじか」

 ある程度この事態を見越していただろう渡利さんはともかく、金山さんが合わせてくるか。それはちょっと予想外。

 僕は足元に転がっていたボールを両手でひとつずつ引っ掴んで、それぞれ2人に向かって投げた。さっき、僕の背後で愛珠が弾き落としたものだ。

 僕と愛珠がボールを投げてはいけないというルールはない。そして一度落ちたボールは無効だから、僕が触っても負けにはならない。

「うわわっ」

 利き手の左で投げたボールは、投擲動作に入っていた金山さんの肩に当たる。やはり僕がボールを投げるのは想定外だったらしく、慌てた彼女は自分のボールを手から落としてしまう。

 しかし、渡利さんへ投げたボールはあらぬ方向へ飛んだ。そうなるよなあ。

 渡利さんの手から、ボールが放たれる。愛珠に言った通り、僕は未来視でコースを見てはいない。仮に見ようにも、今からでは間に合わない。運動能力の低い僕では、投げられた後でボールの動きに合わせて回避するなんて芸当はできない。

 僕の防御策はもうない。僕のは、だが。

 もう一度、僕の周囲で黒いうねりが巻き起こった。長い髪を振り乱した愛珠が、僕の前に躍り出たのだ。そして、その長い脚で――――。

「これで、終わりっ!」

 ボールを蹴り飛ばす。蹴りはボールの芯を甘く捉え、ゴムの弾性もあってかあらぬ方向に飛んだボールは……。

「あっ」

「ふぶっ!」

 あろうことか、雪垣の顔面に激突した。

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