5 瞳術

 夜島帳の命令は絶対である。

 たとえ彼女がかつて支配下に置いていたグルメサイエンス部の外であっても、それは変わらない。カリスマ性なんて生易しいものではなく、帳はその気になればどんなお願いも突き通して実現させることができる。それこそ全校生徒の前で「全員、わたしのために死になさい」と宣言すればそれで大量殺人の完了だ。

 そんな彼女が「ゲームをしましょう」と宣言したらするのだ。たとえどんなに険悪なムードでも。「悪魔である」となじられた愛珠を仲間に加えても。

 こうして、僕たちは冒頭の場面に到着するのだった。こうして経緯を整理すると、リンチまがいのゲーム設定は必然とさえ思えてくる。なんで僕も巻き込まれているんだという話だが。

「ゲームのルールは簡単」

 手配のためと断って何本か電話を入れた後、体育館にいた全員に帳は告げる。

「要するにドッジボールよ」

「いや帳、ドッジボールやったことのないお前に要約されてもな……」

「誰がなんと言おうとドッジボールなのよ」

 僕のツッコミは無理に押し込まれた。

「ボールを持った大勢が、愛珠ちゃんと瓦礫くんを取り囲む。ボールを持っている側は合図とともにゲームがスタートしたら、その場からボールを好きなタイミングで投げる。そのボールが1球でも瓦礫くんに当たればボールを持ったチームの勝ち。愛珠ちゃんがすべてをガードするか瓦礫くんが避けるかして、すべての球をさばけば瓦礫くんたちの勝ち。ただし、チャンスはひとり1球。一度手を離れたボールを、再び誰かが取って投げることはできない」

「なるほど」

 雪垣は腕を組んでじっと考えながら相槌を打つ。

「質問、いいですか?」

 再び質問の先陣を切ったのは六角さん。

「ふたつ。まずはボールを持つ側の人数の問題です。まさか猫目石先輩と切槍さん以外の全員というわけではないでしょう? わたしたちはそれでも構いませんが」

「そうね。今、グルメサイエンス部の子にボールを取りに行かせているわ。あなたたち実行委員会のガラクタからね。そのボールの数次第でしょう。どのみち、わたしと笹原さんはゲームに参加しない。もうひとつは?」

「当てても無効になる部位はありますか? ありていに言えば、顔面はアリですか?」

「面倒だしどこに当たってもいいわ」

 おいちょっと待て。帳の言葉を聞いた瞬間、扇さんと渡利さんの方から殺気が漏れ始めてきたぞ。

「顔はともかく僕の頭をもう少し大事にしてくれ」

「あなたの頭がどんなになっても、わたしの愛は変わらないもの」

「喜ぶべきか、なお怒るべきか悩むなこれは」

 しばらくして、帳が手配したグルメサイエンス部の部員たちがやってきた。実行委員会はかなりいろいろな備品を持っていて、ボールもかなりの数がある。百円ショップで売ってそうなプラスチックの野球ボールからピンポン玉、バレーボールとよりどりみどりだ。しかし、使うボールの種類がバラバラではどうしようもないので、もっとも数が揃っている、バレーボールほどのサイズのゴムボールを十個選び出した。

「ありがとう。じゃあ、もう戻っていいわ。籠目くんにはもう説明してあるけど、くれぐれもよろしくね」

 どうも、帳はまだ何かを籠目くんに指示していたらしいが……。ともかく、目的をはたして部員たちは帰っていった。

「よし、作戦を練るぞ」

 こういう、頭を使うゲームとなると実行委員で音頭を取れるのは雪垣くらいのものだった。リーダーシップという意味では、渡利さんや金山さんの方が上だろうけれど……。雪垣は実行委員の連中を集めて、僕たちの傍から離れた。ボールの散乱したその場に留まったのは、だから僕と帳、笹原と愛珠、そして神園刑事と町井先生だけだった。

「なんか変なことになったわね」

 神園刑事は軽く肩をすくめて、脱いだジャケットを肩からぶら下げた。

「渡利さんも紫崎君も思ったよりショックは受けていないみたいですが、実際のところどうなのでしょうね……」

 町井先生は息を吐いて、ちらりと実行委員の群れの方を見た。

「すいません。面倒なことをしてしまって」

「いえ、猫目石君と切槍さんのせいではないでしょう。それに素人考えで、責任ある大人が私たちの治療に首を突っ込むなんて日常茶飯事ですから、大丈夫ですよ」

 おそらく実際には全然大丈夫ではないだろうけれど、さすがにそれをそのまま口にする先生ではなかった。

「それで猫目石先輩、このゲーム、どうするんですか?」

 笹原は不安げに、首からかけたヘッドフォンを弄った。

「ルールを聞く限り、すごく先輩たちが不利そうに見えるんですけど……」

「実際不利だろうな。プレイヤーが僕と愛珠じゃなかったら」

「うへいっ」

 愛珠が変な声を上げた。見ると、靴下を脱ごうとしていた彼女はバランスを崩して背中からころりと床に転がっている。

「…………言ったそばから心配になるようなことするなよ。というかなんで靴下脱いでいるんだ?」

「だって滑って動きにくいじゃん。体育館用のシューズ、持ってきてないし」

 まあ、彼女はボクサーだから裸足の方が本領を発揮できるだろうけど。

「でも考えてみれば…………」

 そんな愛珠の様子を見ながら、神園刑事は思いついたように言う。

「この子、一瞬とはいえ天井を歩けるのよね……。それだけの身体能力があるなら、確かに不利とは言い難いのかも」

「しかも――――」

 と、帳が付け加える。

「紫崎くんは、愛珠ちゃんが天井を歩いていた時に気絶していた。これがアドバンテージになる。紫崎くんは愛珠ちゃんをボクサーだと説明されているから、当然運動能力は高いと見積もってくる。でも、その見積もりを愛珠ちゃんは簡単に超えられる」

「だからわたしをプレイヤーにしたの?」

「そう。そして瓦礫くんを巻き込んだのは、あなたがボールに触れても失格にならないため。いくらあなたでも触れずにすべてを回避するのは難しいでしょう? ボールを弾いてガードできる方が有利のはず」

「そうだね。瓦礫を守るってことを考えても、全部かわすよりは楽だよ。うーん、でも実際けっこうきつくない? 周囲をぐるりと囲まれちゃうと、背中が死角になっちゃうし。ボールを投げてくるタイミングがばっちり分かれば話は別なんだけど」

 タイミング、ね。

「大きく出たな妹。ならボールが投げられるタイミングが分かれば全部防いでくれるんだな?」

「ほほう。この弟はそんな未来予知みたいなことができるって?」

「僕には少し先の未来が見える」

「……………………え?」

 おっと。愛珠がついてこれなくなって目を丸くした。見ると、笹原はともかく、神園刑事や町井先生まできょとんとしてこっちを見ていた。これじゃ僕が変人みたいだ。

「5年前、僕は奈落村に迷い込んだだろう。その村を支配していた新興宗教組織『心眼会』は特殊な力を持った人間の量産を目的としていたんだ。その力というのを彼らは瞳術と呼んでいて、その瞳術を使う人間を巫女として祀っていたんだ」

「いや初耳なんですけど先輩」

 笹原はポケットからスマホを取り出すと、猛烈な勢いで検索をかけ始めた。

「一応、先輩と知り合うときに、先輩が絡んだ事件は全部さらいましたよ? このササハラネットワークを先輩が凌駕したなんて……!!」

「そんなにすごいのか、そのネットワーク」

「その気になれば先輩が一日に夜島先輩とキスした回数も分かります」

「プライバシーの侵害じゃないか?」

「先輩たちが場所もわきまえずイチャコラするからでしょうが!」

 そんな僕と笹原の会話をよそに、町井先生は思案気な顔をする。

「私は聞いたことがあります。私の知り合いが心眼会について調べていて、その中で瞳術の話は出ていました。しかし、それこそオカルトみたいな話なのに……」

「オカルトでもないですよ。連中が未来視と呼んでいたこの瞳術は、単に相手の挙動から次の動きを推理するっていう、観察力と推理力の合わせ技ですからね。訓練すれば誰でもできます」

 心眼会の連中はこんな意味のない技術のために生涯を無駄にしていたわけだが。

「まあ、これは僕の秘中の秘なんですけどね。それにこんな技術、ドンパチする趣味のない僕には基本的に無用の長物ですから」

 事実、奈落村を出てから使った回数は5回にも満たない。タロット館でもついぞ使わなかったし。

「でもそんな技術があったら最強じゃん。瓦礫だけでよくない?」

 と、愛珠はさっそく自分の意味がなくなったのを不満に思ったのかむくれた。

「それがそうでもなくってね。まずこの瞳術、すごく疲れるから基本的に使いたくない」

「それは瓦礫の都合じゃん」

「いや、今回は使うんだけどね。伝家の宝刀だけど、だからこそ今使うよ。問題はそっちじゃなくて、今回のゲームでは使いにくいってことなんだ」

「使いにくい?」

「ああ。言ってしまえば、投擲っていうのは本人の意志とは無関係のところにボールが飛んでいく可能性があるだろう? いくら僕が未来視で完璧にコースを読み切っても、そのコース通りにボールが飛ぶわけじゃない。僕が未来視で見ることができるのは相手がいつ、どこにボールを投げようとしているかってところだけだ」

 プロ野球選手でもコントロールを欠いて暴投をするのだ。ましてや投げるのは全員ど素人の実行委員。ボールが狙い通り飛んでいくとは考えにくい。実はこれが雪垣たちに有利な要素で、つまりいくら読み合いに僕たちが勝っても、偶然ボールが変な方向に飛んで負けるという可能性が常に残るのだ。

「だからひょっとすると、今回は未来視を使わない方がいいかもしれないくらいだ。変に先入観を持って相手のボールを避けるよりは、ぶっつけのほうがいいかもしれない。でも、相手がボールを投げるタイミングは正確に見えるから、今回はそれの確認だけに未来視を使う」

「ふーん。なんかややこしいんだね、そのドージュツってやつ」

 そう、ややこしい。心眼会の巫女たちは、このややこしい技を生まれつき、呼吸をするように使えるという化け物ぞろいだったな。

 本当によく、奈落村から生きて帰れたよなあ。瞳術なんてものまでお土産にしてさ。

「あ、じゃあ瓦礫が未来視で相手のボールを投げるタイミングを見て、わたしが防げばいいんだ」

「そういうこと。最も、十人全員を見る必要もないがな」

 雪垣の作戦なら、既におおよそ読めている。注意するべきはほんの数人だ。

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