4 ゲームをしましょう、仲良くなるために
どうして僕が愛珠を、人を3人殺した彼女という劇薬を実行委員会に投入したのか。その経緯を話すためには、時計の針を巻き戻さなければならない。
町井先生や神園刑事と出会った日まで。
タロット館から帰還してすぐ、僕は日常を取り戻そうと補習に出席するために登校した。しかしそこで、僕は呼び出しをくらって応接室に通されることとなった。
その応接室にいたのは、北里大学臨床心理センターのカウンセラー、町井涼香。名前は忘れたが、京都鹿鳴館大学の犯罪学者。鳥羽学園の理事長、鳥羽始。そして上等高校の校長という面々。さらに京都府警捜査一課の神園薫刑事をはじめ、愛知県警の男性刑事1名、さらに東京から来たという男女二人組の刑事までいた。上等高校の中だというのに、肝心の学校側は僕を除けば校長と、僕の担任の鷲羽先生だけというアウェーっぷりだ。
長身の神園刑事のそれは当然として、鳥羽理事長の悠然さも、町井先生の鷹揚さもこの時ばかりは威圧感にしか感じられなかった。そもそも呼び出しを食らう理由もさっぱり分からない僕だったが、表面上の温和で友好的な会場の様相に反して、空気がピリピリしているのは察した。
ここで話し合われたことは長くなるので概略だけまとめると、まず町井先生と京都の犯罪学者が上等高校にしばらく常駐するということ。もっとも、これは話し合いがもたれる以前に、既にあらかた決まっていたことのようだった。
議題の二つ目は、事件に関すること。上等高校で起きた殺人事件は、大抵の恐怖感がそうであるように、じわりと、しかし確実に県内の他の高校に伝播しているということを、鳥羽理事長は静かに告げた。上等高校と経営母体を異とする鳥羽学園の関係者がこの場にいるのは、そのためだった。
鳥羽理事長、ひいては県内のその他多くの学校側の共通見解としては、すみやかにこの事件が沈静化することを望むというものだ。そのための手段ならば、正攻法から奇手奇策までなんでもござれ――というのは鳥羽理事長の個人的な見解が多分に含まれているだろうけれど、打てる手段ならば多少外道であっても打ちたいというのは多くの学校関係者にとっても本音だろう。
「それで、みっつ、いやふたつほど提案があるのだが」
だいたい、この話し合いが長くなった原因のほとんどは鳥羽理事長の提案がことごとく奇策すぎるというところにある。それをカウンセラーの側から町井先生がまっとうに批判して、しかし時折、上等高校側の人間が安易に乗っかっちゃったりするものだから議論が混迷する。
「猫目石君。君はタロット館事件の報道を、引き伸ばすことは可能かな?」
鳥羽理事長の奇策その1。上等高校で起きた殺人事件と、僕が巻き込まれたタロット館事件が同時期なのをいいことに、タロット館事件の報道量を増すことで上等高校の事件を報道の俎上に載せないようにするというもの。
ふざけてんのか。
確かにタロット館事件は、ニュースバリューという面では上等高校の事件に負けていない。国内唯一の警視庁黙認の名探偵と言われたミステリ作家の死からはじまり、タロットをモチーフとする奇矯な形の館、そこに幽閉されたらしき名家のお嬢様。そして解決したのは高校生。こうして並べてみると、「高校生が奇妙なトリックで高校生を殺した」という上等高校の事件のインパクトさえ薄くなる。
「それはちょっと、無理なんじゃないですかね……」
どうやら現在、タロット館事件と上等高校の事件の報道は、結果として鳥羽理事長の思惑に近いものとなっている。しかし話し合いがもたれた当時の僕の意見としては、以上のようなものになる。
そもそもタロット館事件の報道を、僕の方からどうにかするというのは難しい。なるほど僕はタロット館事件を解決したキーパーソンであり、その僕が積極的に表立ってインタビューなどに答えれば事件の報道を大きくすることはできるかもしれない。しかし僕がタロット館から帰ってすぐ、悲哀が「いつものこと」と言わんばかりに根回しを始めている。あいつは以前にも奈落村事件などで報道が大きくなりすぎないよう八方手を尽くしたことがあるので、こういうのは得意なのだった。
さらにロッタちゃんの――問題の幽閉されているお嬢様の実家も同時に動いていた。東海地方の不動産王・朝山家の政治力は、同じく名家であり、それこそ東海地方の四名家などと朝山家と並んで称されている雅王・夜島家さえ超越している。ここには彼らの生業とする業務が政治に与える影響力の違いもあるだろうが…………。ともかく、ちょっと暗躍が得意なおばさまである悲哀が動くのなんて比ではないくらいの圧力と威力で朝山家がタロット館事件の報道を潰しにかかっている。
さすがに人の口に戸板は立てられないとはいえ、朝山家の働きによってタロット館事件はそのセンセーショナルさとは裏腹に、現在では報道もだいぶ沈静化している。
まあ、タロット館事件も上等高校の事件も発生は8月上旬。祖先の霊を迎え入れるお盆に、広島と長崎の原爆とか、人の死を悼む話題に事欠かない時期でもある。そこから人の死を面白半分に報道することになんとなく不謹慎なイメージが生まれて、報道の鎮静化に影響しているというのもあるだろう。
そういえば奈落村事件も、この時期だったし。
「ではふたつ目の提案なのだけど――――」
ひとつ目の提案が却下されても、鳥羽理事長は別段なんともないという風で、さっさと次の話に移ってしまった。
「君は多くの事件に巻き込まれているだろう。だとしたら、今回、実行委員会の面々が経験したのと同じような経験をした人を、紹介できないかな?」
奇策は奇策だが、ひとつ目に比べれば穏健な提案だった。あるいは、こちらが本題だったのかもしれないが……。
「ちょっと待って」
しかし、その提案に対し僕が口を開くより先に、町井先生が割って入った。
「カウンセリングなら私がやります。なにも、他の事件の被害関係者を呼び寄せる必要はないでしょう。それに、被害の経験を語るというのは、それだけでも大きな負担になります。何の配慮もなしに行うべきではありません。とにかく、今は時期が早すぎます」
町井先生の言い分の方が、正しいのだろう。それにどのみち、僕に鳥羽理事長が期待するような人材との関係はない。NPOのスタッフにはあるいはいるかもしれないが、町井先生の言う通りその人自身の負担になることは僕も理解できた。
以上のことがあって、結局鳥羽理事長の提案ふたつはお流れとなった。しかし上等高校側からすれば、ひとつ目はともかくふたつ目の提案は少々魅力的にさえ感じられたらしい。
「町井先生はああ言われたが、実際お前、心当たりはないか?」
と、日を改めて僕に聞いてきたのは生徒会顧問の森山先生である。
「まあ、心当たりと言えば、そもそも僕と雪垣がそうなんですけどね。奈落村に限らず、いろいろ巻き込まれてますから」
「雪垣はともかく、お前じゃ誰も参考にならないだろう」
おっと心外。まるで僕が慣れているみたいな言い分だな。
まあその通りなんだろうけど。しかし自分でそう自認するのと、他人から「お前は慣れているからいいだろう」と言われるのでは意味合いが違う。
「ともかく頼むよ。文化祭に向けて、あいつらの心の傷を少しでも軽くしたいんだ」
それは先生の本音だったのだろうけれど、だったら町井先生の言うとおりにするのが一番だろう。
そういうわけで、僕は一時、その話題を完全に頭から失念していた。しかし問題の事件の影響から逃れるため横浜へ移住した実行委員のひとりのバックアップに、愛珠と関わった時、にわかにその話題は思い出された。
「いいよ」
断られること前提で話したが、愛珠は二つ返事で快諾した。そこには、横浜で会った彼女の影響も、あったのかもしれない。
そして現在に至る。
「と、いうわけで、今日からしばらく上等高校に出入りすることになった切槍愛珠といいます。みんなよろしく」
ほとんどの実行委員は、今日は体育館にいた。まあ、もともと随分ゆるい連中だから、豪雨が昼から降ると言われていた今日はあまり登校してきていないのだが。体育館を練習に使っている運動部員たちも、湿度が高くなるうえに窓を開けて涼をとれないとなると熱中症の危険度が増すといって休みにしたらしく、体育館は実行委員会の貸し切り状態だ。
今は集まった実行委員の前で、愛珠が自己紹介を済ませたところだった。僕や帳たちは、それを少し遠巻きで眺めていた。
「猫目石君、だったっけ?」
「はい」
僕の隣にいた神園刑事が聞いてくる。
「あんなことまで喋ってよかったの? その、切槍さんが人を殺したことがあるってことまで」
愛珠の「と、いうわけで」の中には、簡単な彼女の経歴も含まれている。詳述こそしなかったが、人を殺した過去も彼女はあっけらかんと喋っている。
「まあ、調べれば分かることですからね」
調べれば分かるというよりは、知っている人は知っていることだ。切槍家は関東圏では政治家を排出し続けている家系だし、彼女が人を殺したという事件は当時もセンセーショナルに報道されたらしい。その中には、低俗な週刊誌が彼女の実名と顔写真を公表したものもある。愛珠のボクサーとしての名声の裏には、そういう過去を根拠に誹謗する声も一定数あっただろう。
それこそネットで検索すれば出てくるくらいの話題だ。だからといって、そう軽々に話していいものでもないが。
「………………………………」
しばらく沈黙が続いた。それも当然で、今、実行委員会の面々たちの眼前にいる愛珠は、元殺人犯である。つまり、彼らの仲間を殺した人間と、ある意味では同類ということである。
しかし彼らは、向き合わなければならないだろう。彼らの仲間を殺した人間もまた、彼らの仲間であるのならば。
決して、愛珠と自分たちを別物として処理することはできない。
ちらりと、神園刑事の隣を見る。刑事の隣にいた町井先生は、憮然と腕を組んで様子を見ていた。そうして沈黙に耐えかねたのか、あるいは何かフォローを入れるつもりだったのか口を開きかけたところで、実行委員の中から声が上がった。
「質問いいですか?」
それは、実行委員の2年生――扇さんの友達でもある六角瑪瑙さんだった。彼女の声は平坦なもので感情のうねりはどこにも感じられない。表情も、そこに感情の色などないフラットなものだった。これは六角さんが努めてそうしているのではなく、彼女の元来の性質なのだ。
「どんとこい」
「切槍さんは――――」
体育館の空気が張り詰めた。
「防衛戦の後、ボクシングを引退するというような話をインタビューでしていましたけど、本当ですか?」
がくっと、その場にいた人間の半数以上は心の膝を折った。
「え、それ? 今それ聞くの!?」
隣にいた扇さんが呆れたように六角さんへ聞き返すが、相変わらず彼女は真顔だった。
「うん。今のところ引退するつもりかな」
聞かれた方の愛珠は、特に意外そうな気配も見せなかった。
「実はさ、その前の試合でちょっと顔にケガしたんだよね。大した怪我じゃなかったんだけど、あと数ミリずれてたら目がやられてたって医者に言われてさ。そのときに、まー防衛戦もやったら満足だしやめようかなって思ったんだよね。他にやりたいこともあるし、変に怪我して面倒なことになるのも嫌だし」
「やりたいこと?」
「モータースポーツ!」
だからライダースジャケットを着ていたわけだ。その辺の事情は、僕も知っている。引退も確定しているわけではないし、卒業後のことも未定なので、まずは趣味的にバイクを乗り回すところから始めているらしい。
「今日はバイクで来てないんだけどね。雨降るって予報があったし」
「どんなバイク乗ってるんですか?」
「RF400」
「スズキか」
「スズキかー」
「なんでよかっこいいじゃん。ハーレーなんてでかい以外に脳のないやつよりは」
「ちょっと!!」
神園刑事が叫んだ。あ、この人の愛車ハーレーなんだな。というか格好の通り、バイカーだったのか。愛珠といいこの人といい、バイカーはそれらしい格好を常時するきまりでもあるのか。
「高校生のあなたにあれの良さのどこが分かるっていうの?」
「たまーに隣を駆け抜けてくんだけど、すっごい邪魔なんだよね。でかいからって他の車やバイクをすーぐ威圧するし」
「それは乗り手の問題じゃない?」
「いーや絶対、バイクの大きさが態度の横柄さに出てるよあれは」
ちなみに愛珠の誕生日は3月で、まだ18歳になっていない。だから彼女は大型には乗れないのだ。
「神園さんのバイクは前に見たことありますけど…………」
と扇さん。
「確かにすごい大きかったですよね、紫崎先輩」
「そうだな…………」
この二人は以前から、神園刑事を知っていたのか。
「そのRF、なんでしたっけ? どういうバイクなんですか?」
「ふふん。そりゃもう赤くてギュインギュインのズドドドドドよ」
「はあ……」
生返事。雪垣は赤いと聞いて若干顔が青ざめた。
「ほらー、瓦礫も説明してあげてよ。あなた、あれの後ろに乗せたじゃん、つい最近」
愛珠が遠くから、僕に呼び掛けた。僕の両隣にいた帳と笹原が顔を覗き込んでくる。
「瓦礫くん、そうだったの?」
「ああ……。横浜にいた間と、横浜からこっちに戻ってくるときに、な」
正直あれにはもう二度と乗りたくない。タロット館と奈落村にいた時より命の危機を感じたぞ。そもそも、あんなむき出しで車並みの速度なんて正気じゃない。
「今度晴れたら見せてあげるよ。太陽を浴びて輝くボディが、もうかっくいいんだから」
「いいですね。現役女子高生ボクサー、次の目標はモータースポーツ。次の番組のゲストに呼びたいくらいですよ!」
笹原は自分の番組のことを気にし始める。愛珠は笹原の言葉で、悲哀が出ていた『血みどろニュース』のことを思い出したらしく柏手を打つ。
「番組? ああ、母さんがでてたやつ。聞いた聞いた。じゃああなたが?」
「はいっ! 現役女子高生DJササハラこと、笹原色でーす! 割と本気でどうです、番組出演」
「いいねえ。わたし、夏休み中はこっちにいる予定なんだ」
「だったらぜひ。猫目石先輩もどうですか? 高校生探偵として。これは視聴率取れますよー」
「僕はいいよ。というかお前、ゲストなんて決められる立場なのか?」
「ええ。ふふふ、あの番組を作っている会社は現在、わたしでもっているようなものですからね。あの番組は結構わたしの裁量で遊べるんですよ」
「えー、いいじゃん瓦礫。あなたも出れば?」
「マジで嫌だ」
「…………ちょっと!」
僕たちが無駄話で盛り上がっていると、遠くの方で声がした。それは神園刑事が愛珠に対して発した、ふざけ半分の「ちょっと」とは違う深刻さを帯びたものだった。
見ると、体育館の入り口に、渡利真冬が立っていた。彼女は、髪から滴る水滴を気にも留めず、僕たちを睨みつけていた。
そして彼女の後から、男子生徒と女子生徒がひとりずつ、後を追うように入ってきた。渡利さんを含めて全員僕や雪垣と同じ3年生で、男子が石原大樹、女子が金山かのえという。3人とも、雪垣と合わせて実行委員会の有力な生徒である。
「渡利さん、どうしたの?」
僕たちの様子を黙ってみていた町井先生は、ここでようやく口を開く。ただならぬ渡利さんの様子に驚いた様子で先生は近づくと、ポケットから取り出したハンカチで渡利さんの髪を拭う。しかし、渡利さんはそれをほとんど振り払うようにして、僕たちに近づいた。
「瓦礫」
愛珠が、僕の後ろに来ていた。声に反応して、僕と帳は振り返る。
「あの子って、もしかして……」
「そう、あなた、やっぱり勘がいいのね」
僕の代わりに、帳がそう答えた。
帳の一言だけで、愛珠も理解したはずだ。そもそも、実は愛珠には奈落村事件のことと、雪垣と渡利さんのことは最初から説明してある。実行委員会の面々以上に愛珠の存在に削られる人間だからというのもあるし、僕が愛珠に頼んだあることに関係があるからというのもある。
渡利真冬は、雪垣や僕と同じく奈落村事件のわずかな生き残りだ。そして決定的に雪垣と違うのは、その奈落村事件を覚えているということ。村民のすべてを焼き払い、奈落村に迷い込んだ剣道部の仲間たちを大勢失った、あの事件を。
雪垣と違い、僕は彼女があの事件で負っただろう精神的なダメージについてはまるで知らない。しかし、雪垣から類推して彼女もまた、この雨に精神を削られている可能性があった。というか、たぶん彼女は今登校してきたところじゃないだろうか。彼女の濡れた髪が、それを証明しているようにみえた。
「石原から電話があった。あんたが倒れたって。で、しかも他の人から聞いたけど、あんたをぶっ飛ばした人、あの切槍愛珠なんでしょう。それで、わたし、びっくりして…………」
「別にぶっ飛ばしてはないよ」
不満げに、愛珠は僕の後ろから渡利さんの前へ飛び出した。愛珠の姿を認めて、彼女の顔はさらに険しいものとなった。
「渡利さん、愛珠ちゃんのことを知っているの?」
ぼそりと、帳は僕に対して呟く。
「まあ、愛珠の過去は知っている人なら知っているからな。雪垣のやつと違って、渡利さんは知ってたってことだろう」
「信じられない!」
その叫び声は、渡利さんのものだった。
「なんでこんなやつが、この学校にいるの? 猫目石!」
「え、僕?」
唐突に、名指しで指名された。
「どうせあんたでしょう! こんな、実行委員会のみんなに負担になるようなこと、紫崎が考えるわけないし。そもそも切槍愛珠と交流がありそうなのなんて、この中だとあんたか笹原しかいないのよ」
「随分信頼されてるな、僕たちは」
僕と笹原は目を見合わせる。笹原は少し困ったように肩をすくめた。
「待て、渡利」
意外にも、ものすごい剣幕の渡利さんを制しに入ったのは後ろにいた石原だった。
今にも食って掛かりそうだった渡利さんと、両手を挙げている愛珠の間に石原はその大柄な体を滑り込ませた。
「俺も彼女のことは知っている。だが、彼女が殺人を犯したのは12歳の時だ。しかもその経緯もいろいろ言われていて……。とにかく、6年も前の、刑事責任も問われなかった事件を軽々に持ち出すべきじゃない」
「先に持ち出してきたのはあっちでしょう」
まあ、そりゃそうなんだが。石原はまだひかない。
「それに俺も、森山先生から聞いている。猫目石に、俺たちの助けになる人を紹介してほしいと頼んだって」
「あれが私たちの何になるって!?」
「文句を言う先は、まず先生だって話だ」
雪垣以上に頭の回転が早く、調停と和平と問題の先送りを得意とする男だ。とりあえず、その場にいない教師に攻撃の矛先を向けることで事態を収拾しようとした。どのみち、責任問題を沙汰するなら先生に一番の責任があるというのは間違いのないことだ。
これにはさすがに、渡利さんも口を閉ざした。しかし――――。
「そうだよ真冬ちゃん」
と、金山さんが後ろから近づく。いかん。
ちらりと雪垣の方を見る。あいつは金山さんが言葉を発する前にそれを制しようと口を開きかけたが、もう遅い。
ちゃぶ台はひっくり返すものと信じて疑わない天性のトラブルメーカーの彼女がいる時点で、もう遅い。
「森山先生、きっと練習しろって言ってるんだよ。あの子が全部の罪を償って戻って来たとき、ちゃんと迎えられるようにって」
そうどストレートに言うものじゃない!! せっかく今まで、実行委員のみんなが思っていても口にしなかったのに!! 僕や愛珠自身でさえ「アドバイザー」とか適当に誤魔化してたのに!!
「だってそうだよね。わたしたち、テレビの中の殺人犯ってまるで悪魔みたいな人だと思っちゃうけど、わたしたちと同じ人間だってことでしょ? 先生はそれを、愛珠ちゃんで学べって言っているんだよ!」
意図の汲み取りとしては百点満点だが、それを指摘するタイミングは落第点だったな…………。
「人殺しが、悪魔じゃないわけないでしょうが…………」
誰に向けたわけでもない呟きが、渡利さんの口から漏れた。それは間違いなく、彼女の経験に裏打ちされたひとつの事実だ。
「それは認識の相違だな、渡利さん」
宛先不明の言葉に、本来は必要もなかったけれど僕は答えた。それに答えることは、僕の義務のように感じたから。
星の数、とは言わないまでも、年の数くらいは殺人を見てきた僕の義務だと。
「僕は結構人殺しを見てきた。いろいろな人がいたけど『人間である』という一点では全員が共通していた。愛珠が今ここにいるのは、それを伝えるためだ。まあ、『モルグ街』みたいなパターンはカウントしないけど」
本当なら森山先生に全部をおっ被せてもいいのだが、それはできないな。彼女を連れてきたのは僕なんだから。
「もちろん僕の見解は、だからといって渡利さんの経験を否定するものではないけれど」
「腐るほど殺人を見てきた上に、夜島にしか興味のないあんたの人物評価なんてあてにならないでしょう?」
「それを言われると辛い。だからそれも、否定しない」
後ろに控えていた、実行委員の面々を見る。彼らは向き合うだろうか。向き合ったうえで、渡利さんのように一つの結論に達することができるだろうか。
自分たちの仲間を殺した殺人犯もまた仲間という事実。悪魔であると割り切れば仲間を捨てる苦しみに苛まれ、人であり友であると受け止めれば抱え込む事実に焼けずる。上等高校で起きた殺人事件――雪垣のワトソン役である扇さんが名付けて曰く『殺人恋文』事件は、数字の上で上等高校の生徒総数を二人削っただけの事件ではない。
削られたのは、被害者と加害者を知る全員の魂だ。そういう意味では、あくまで精神的に完成された大人たちと、精神的な不感症の子どもたちを巻き込んだタロット館事件より性質が悪い。
彼らはもう知ってしまった。誰かの死が日常の一部だということを。誰かを殺した誰かが地続きの世界で生きていることも。誰かを殺そうとする誰かが自分の隣にいることも。
彼ら自身の魂は削られて、削られたままの姿が新しい彼ら自身になる。きっと僕もあの時、そうやって生まれたのだ。
僕のように、そんな新しい自分をそのまま受け入れて何事もなかったかのように過ごすこともできる。渡利さんのように、削られた自分に目を背けながらも再び誰かの魂が削られるのだけは抗おうとすることもできる。愛珠のように、誰かの魂を削った事実と共に生きることもできる。
ただし、選ぶのだけは自分の手で。
雪垣を見る。じっと、僕と渡利さんを見ている。その表情は真剣で、僕たちの会話を真摯に聞いているようには見えた。しかしきっと、こいつは僕と渡利さんの話すことの意味など一割も理解できない。
削られる魂さえ認識できないやつに、生き方は選べない。向き合うべき事実さえ、分からないのだから。
「ねえ……」
いつの間にか沈黙していた僕たちに、帳が呼び掛ける。
帳は、この湿気と熱気と、悲しい過去が発する沈痛な空気の中でも涼やかに、星空を押し込めたようなその瞳を輝かせる。
「せっかくこれだけの人数が集まって、しかも体育館はガラガラなのに険悪ムードでおしゃべりというのは芸がないんじゃない?」
「はあ…………」
石原は、帳の言葉を捉えかねたらしく生返事を返した。
「ほら、わたし、昔はあまり学校に通えなかったから話に聞くだけだったのだけど、こういう時は何かゲームをして親交を深めるものじゃないの?」
「…………レクリエーションでもしようって?」
渡利さんは何かを諦めたように、ため息をついた。そのタイミングなら振り払われないと察してか、町井先生がようやくハンカチを彼女の濡れた髪にあてた。
「ええ」
一方の帳は、鈴を転がすような澄んだ声色で、高らかに宣言する。
「ゲームをしましょう。仲良くなるために」
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