5 小話のオチ

 夜島錦と夜島帳は、よく似た従姉妹同士だった。ただ、似ているというのは外見上の話だけであって、それ以外は似ても似つかない。活動的で社交的だった錦に対し、病弱で人生の総時間において家にいる時間より病院にいる時間の方が長いという帳は、人見知りが激しかった。

 錦と出会ったのは、小学校に上がった時。同じクラスだった。それからいろいろあって、二年生に上がった時、帳を紹介された。

 帳の目を見た時、僕の中の何かが組み変わった。星空を押し込めたような輝く瞳を見ていると、心の底にこびりついていた何かが浮き出してくる。

 でも、それが何かは分からなかった。つい先日、その正体にはようやく行き着いたところだけれど、その当時は錦と帳が仲良くしているのを、一歩下がったところで見ているだけだった。それだけでよかった。

「がれきくんは、どう思う?」

 あの事件からしばらくして、どういう風の吹き回しだったのか、僕はひとりで帳のお見舞いに向かった。そこで言われた言葉が、僕の背中を押した。

 ……………………いや、そう言ってしまうと帳に責任を負わせてしまう。これはあくまで僕がやったことだ。

 名探偵を追い落とした。

 登場人物一覧に、二人の名探偵はいらない。少なくとも、僕たちの物語においては。

 同時に、夜島帳の隣も二つは空いていない。僕は錦を押しのけて、帳の隣に居座った。事件の後、失踪した錦の代わり――名探偵の代わりを務めて帳を慰めようなんて言い訳をして。

 それがタロット館を経る前までの物語。

 タロット館を経て、僕は探偵の代理ではなくなった。帳が求めていたのは、代理としての僕じゃないことを知った。

 そしてもうひとつ。

 本当にひとつしか空いていなかったのは、帳の隣ではなく僕の隣だったことも、その時に知った。

「あ、着きましたよ先輩」

「そうか」

 問題の交差点は、そこまで大きいものではなかった。片側一車線の道路が東西南北に走っている。車の通行量はそこそこ多いようだが、大通りから外れていることもあって車の騒音はそうやかましくない。

「さて、それじゃあ小話のオチといこう」

「解決編のはじまりー」

「茶化すな」

 しかし、笹原に自分の言葉を遮られているのになぜかペースを乱されているという気分にはならない。ラジオパーソナリティとしての経験がなせる技なのか、それとも天性のものなのか……。

「いいか笹原、まずあの小話には前提となる条件があったはずだ」

「社長の失敗談である、ということですね」

「ああ。そこから導き出されることとは何だ?」

 この質問には六角さんが答える。

「信号無視をしたのは運転手ではなく社長ということですか?」

「そう。社長の失敗談であり、かつ笹原の語った情報でオチまで分かるというのなら、そう考えるほかはない。そして重要となるのはもうひとつ――――」

「社長が信号を確認したとき、確かに青だったという点」

 これも素早く六角さんが答える。

「この二点から小話の骨子が見える。結論を言えば、社長は信号が青だということを確認した上で、しかし信号無視をしたんだ」

「え、ええ? どういうことですかっ!」

 笹原が僕の胸倉をつかんで揺する。

「信号をちゃんと見てたのに信号無視? 意味わからないですよ!」

「それを今から説明す――苦しい……!」

 なんとか振りほどいて、それから笹原の顔をひっつかんで視線を動かした。

「ぐえっ」

 笹原はカエルの潰れたような声を出したが無視する。

「いいか、よく見ろ笹原。そして思い出せ。社長の見ていた信号は交差点の上のやつだった? つまりあれだ」

 交差点の上にある信号機は、横長のものだった。丸が三つあり、左の青いランプが点灯している。

「ここからはもう知識問題だが、あの信号は車が参照するものだ。歩行者はこっち」

「ひぐっ」

 視線を動かす。笹原に見せたのは、交差点の隅に立っている電柱に取り付けられたもの。縦長で、四角いランプが上下についているもの。

「もう分かるだろう? 社長は見る信号を間違えていたんだ。本来ならこの歩行者用の信号機を見るところを、あちらの自動車用のものを見ていたんだ」

 社長の失敗とは、つまりこの見間違えだったのだ。

「しかし猫目石先輩」

 六角さんが僕の顔を覗き込む。

「見るべき信号を間違えていたというのは分かりましたが、結局同じことなのでは? 社長と車は同じ南からやってきたんですよ。自動車用も歩行者用も、同じ青信号だったはずでは?」

「普通の交差点だったらな」

「あ、あれ、おかしいですよ!」

 僕と六角さんの会話に、笹原が入り込んだ。

「おかしいのはあなたの顔」

「じゃなくて、六角先輩、この信号変です」

「変?」

 言われて、六角さんも交差点を見る。

「ほら、北から南に通っている車道の信号は青じゃないですか。で、東から西に通っている車道の信号は赤。! 同じく北から南に通っている歩道の信号も青じゃないとおかしいのに!」

「…………そう」

 さすがに彼女は、笹原ほどテンションは上げなかった。ただ、静かに納得しただけだった。

 北から南に通っている車道の信号が赤になる。東から西へ通る車道の信号は赤のまま。そして、すべての歩行者用信号機は青になった。

「歩車分離式」

 六角さんが言う通り、この交差点は歩車分離式だったのだ。これが、社長の行為を失敗にしてしまった大元。

 歩車分離式は、文字通り車と歩行者を別々に通してしまうという信号の方式だ。通常であれば笹原の言った通り、青信号になった車道と同じ方向に通っている歩道も青信号になる。しかし歩車分離式では、赤のまま。まず南北に通る車道を青にして、次に東西を通る車道を青にする。そうして最後にすべての車道を赤、歩道を青にして、交差点を通る車の流れを完全に遮断した状態で歩行者を通行させる。これが歩車分離式のシステムだ。

 だから社長は、車用の信号を見て信号無視をしてしまったのだ。

「そういうことだったんですねー」

 一通りの説明を聞いて、笹原は納得したらしい。

「でも、社長が田舎者だってどうして分かったんですか? 確かに社長は田舎者で、都会へのコンプレックスが強くて社内じゃ悪評だったんです」

「まあ、半分はあてずっぽうだったんだよ。でも、田舎だと歩行者用の信号はない場合が多くてさ。僕の家の周りも、つい最近までなかったんだ。だから焦った社長が信号機を見間違えたとして、そういうバックホーンはあるんじゃないかと思ってさ」

「なるほどー」

「社長の失敗談と、名探偵の失敗談ですか。前者はともかく、後者は寄り道の甲斐があったかもしれません」

 六角さんはそう言うと、持っていたカバンを背負いなおした。

「猫目石先輩、今何時ですか?」

「時間…………?」

 とっさに僕は、右腕に巻いていた腕時計を見る。文字盤を見てから、それが壊れているのを思い出した。

「ああ、時計、壊れてるのにまた着けてきちゃった」

「今、13時47分です」

 代わりに笹原が、スマホを見て答えた。

「いい時間ですね。実行委員の仕事があるので、これで失礼します」

「やっぱり忙しいんじゃないか……」

 スタコラと、六角さんはその場を去ってしまう。僕と笹原はやることもなくなって、その場にぽつんと残された。

「帰るか」

「そうですね」

「笹原はどこに住んでるんだ?」

「わたし、額縁中学の出身なんですよ。ですから先輩と同じ学区内に住んでたんです」

「あ、そうなの?」

「昨日は木野さん――猫目石先輩のお母さんの車に乗せてもらって帰りました」

「言っとくけど、あいつは僕の母じゃないからな?」

「え、そうだったんですか? 苗字が違うなあとは思ってましたけど……。じゃあどういう関係なんですか?」

「さあ」

「さあって……」

 そういえば、初めてかもしれないな。後輩と帰るっていうのは。

「なあ、笹原」

「なんですか? 愛の告白なら猶予を一週間ください」

「しねえよ。そうじゃなくて…………いや、別にいいや」

「なんですか!? 気になるじゃないですか」

 本当に大したことではないのだ。でも、帳を恋人と呼ぶのに抵抗がなくなった今、必死に探偵のふりをして食いつかなくても帳の隣にいられるようになった今だから思うことがある。

 失ったとは思わないまでも、ないがしろにしていた日常をあと半年だけでも、ちょっとは大切にしてみようとか、そんな感じのことを。

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