4 小話:いわゆる密教室事件

 百聞は一見にしかず。問題の交差点が近いなら、実際に見ればいい。僕の推理が合っているのなら、その交差点を見るだけで答えは明らかになる。

 そういうわけで、僕と笹原、そして六角さんは三人連れ立って交差点を目指した。太陽は天高く昇っていて、アスファルトの照り返しが厳しい。

 というか、なんで六角さんまでついてきたんだ。

「そういえば六角さん」

「瑪瑙ちゃん」

「まだ諦めてなかったのか…………」

 道案内を買って出て先行する笹原の後ろを、僕と六角さんはとぼとぼ歩いていた。

「六角さんは、本当に偶然、あのフードコートにいたのか?」

「どういう意味ですか?」

「君の持っていた本だよ」

「ばれましたか」

「わざとだろう」

 先ほど、彼女がフードコートのテーブルに置いていた本。詳細なタイトルは不明だったが、『奈落村』と書かれているのは目に留まった。

「偶然なのは本当です。先輩を見つけたので、嫌がらせを敢行しました」

「ふうん」

「……………………」

 今までまるで表情を変えなかった彼女が、この時だけ、わずかに眉を歪めた。それは不快感から来るものというより、疑義が頭に浮かんだ時のそれのように思われた。

「紫崎先輩は奈落村の件を忘れているようなのでそんな反応をしても理解できますが、猫目石先輩はどうしてそんな穏やかな反応なんですかね」

「…………………………」

「覚えているはずなのに」

 それは言外に、「奈落村事件に巻き込まれたのなら、事件の名前を引き合いに出されただけでパニックを起こすくらいになっていないとおかしいのに」と語っているようなものだった。

 5年前の奈落村事件は、それだけのものだったのだ。陰惨さで比べるなら、わずか2人が死んだに過ぎないタロット館事件など、足元には及ばない。

 そして六角さんの言葉は、同時にどうやら雪垣やその他の事件生還者に対して、同じように反応を探っているらしいことも示唆していた。もっとも、奈落村事件の生還者は4名で、六角さんが接触できる人間は僕を含めて3人だから、探ると言ったって大したことじゃない。僕にやったように、本をそっと見える位置に置けばいい。

「その本、どういうものなんだ? 奈落村事件に関する本は5年前に結構出たんだけど、僕はあいにく一冊も読んでいなくてさ」

「当事者の先輩からすれば、部外者の語る事件なんて聞く価値もないから当然です。でもこの本は、つい最近出版されたんです」

「つい最近……?」

 聞いてないな。まあ、奈落村の本を出すのにわざわざ僕の許可なんていらないんだけどさ。

「どんなことが書いてあったんだ?」

「さあ」

「さあって」

「難しすぎて私にはよくわかりませんでした」

 なんじゃそりゃ。

「でも分かったこともあります。少なくとも、紫崎先輩が相談役になった理由は分かりました」

「ふうん」

 と、僕はまた同じ返事をする。ただ、これは彼女に「穏やかだ」と言われた反応を意識的になぞったのだった。

 相談役。探偵を言い換えたに過ぎないその存在は、奈落村と絡んでどういう意味を持つ?

 事件のことを何も覚えていないやつが、そこから何を学べるというのだ。

「私があんな事件に巻き込まれたら、誰かが問題を何とかしてくれるなんて一生信じれなくなるでしょう」

 と、六角さんは言った。

「そうか」

 そういう評価もあったか。まあ、確かに、奈落村はそういうところだった。

 360度を崖に囲まれて、落ちくぼんだ所に作られた村。まさに奈落であり、その村を外界とつなぐ唯一のトンネルは、土砂崩れで閉じられた。外からの救援は期待できず、村は怪しい新興宗教に汚染されている。問題を解決できる人間がいるとすれば、自分を置いて他にはいない。

 ただ、雪垣が学んだと(少なくとも六角さんが評価する)それは、別に奈落村なんて極限状態に置かれなくたって学習できることだ。

 その程度のことに過ぎない。

「最初は、猫目石先輩も同じかと思いました。でも違うんですよね。聞くところによると、先輩は奈落村を生き延びる前から探偵だった」

「…………………………」

 トラックが、通り抜けていく。地鳴りのようなエンジン音を響かせる。トラックが遠くへ走り抜けて、音がやむまで待ってから僕は口を開いた。

「奈落村がきっかけというのは、間違いじゃない。ただ、奈落村を生き延びた僕は、探偵であることの意味を考え直した、それだけだ」

 本当は探偵代理――の代わりなのだけど、今は話をややこしくしないようにした。

「僕が探偵になったのは、もっと前だ」

「それは――――」

 ちらりと、僕は前を歩く笹原を見た。

「ひとつ、小話をしようか」



「僕が小学生の頃の話だ。僕はいつも、あるひとりの友達と一緒にいた。違う、帳じゃない。帳以外に友達がいるように見えない? いたんだよ、少なくとも小学生の頃は!

「いいよ、現在でこそ友達がいないことは認めよう。でも、小学生の頃、あいつとは親友同士だった。間違いなくそう言い切ることができる。そう、親友という言葉を鼻で笑いそうな僕でさえ――――ってやかましいわ!

「ああ、笹原……。いいよ、どうせ調べれば分かることだからお前も聞け。

「話を戻して、僕の年齢がまだギリギリ一桁だった頃の話だ。僕とその親友は、ひとつの死体を見つけた。しかも自分の通う小学校の、自分のクラスの教室で。

「死体はクラスメイトの男子生徒のものだった。教室の中央で倒れていて、喉元にはカッターナイフが刺さっていた。僕たちがその死体を見たのは、教室の外からだった。ほら、教室の扉は大抵、覗き窓があるだろう? そこから覗き込んだんだ。

「あれは本当に死体なのか? 倒れているだけでは? まあ、そういう疑問のわいた僕たちは、何はともあれ近づいて確認することにした。しかしここで問題が発生する。

「扉が開かなかったんだ。二か所ある教室の出入り口、その扉がどちらも。

「教室は三階で、窓から侵入することもできない。そこで僕たちは先生を呼んで、鍵で開けてもらった。果たして倒れていた男子生徒は、疑いようもなく死体となっていたことが確認された。

「警察は喉元をカッターで刺し貫かれているところなどから、他殺の線で捜査を開始した。しかしここで問題となるのが、教室の状況だった。

「そう、先ほども言ったように、教室の扉は二か所とも施錠されていた。今は立てこもり防止とかもあって、内側からでも鍵がなければ施錠できないタイプの扉もあるらしいけれど、当時は普通に内側からならレバーを操作するだけで施錠できた。

「念のため言うと、窓も施錠されていた。三階とはいえ、まあ窓が開いてさえいればそこが犯人の逃走経路と断定できたものの、これでは警察も困った。

「僕たちが死体に目を奪われている隙に、犯人がそっと教室を抜け出した? これもあり得ない。ある意味では当然の処置として、僕たちが呼びに行った先生は教室の扉を開錠後、僕たちを教室の前に待機させて死体を確認しに行った。僕たちが間近で死体を確認しないようにという処置だが、これが犯人の逃走経路を見張るという計算外の効果を生んだからだ。

「鍵はどうだったか。これは僕たちの報告を受けた先生が鍵を持ち出す際、その所在を確認している。その時ちょうど用務員がいくつかの教室を回って蛍光灯の交換を行っていた。その教室のひとつが、死体を発見したクラスの隣のクラスだったんだけど、用務員は間違えて死体のあったクラスの鍵を持ち出していたんだ。つまり鍵は、用務員が犯行推定時刻の間、常に身に着けていて誰にも使われていなかったことが明らかとなった。そして用務員は二人一組で常に行動していて、互いの身の潔白を証明できる状態だった

「そう、六角さんが言うように、これは密室だ。雪垣にいつもひっついて歩いている扇さんあたりなら、『密教室事件』とでも呼びそうだな。ああ、そんな探偵小説チックな呼び方にはしないって? そうかもしれない。

「さてここで、僕の親友についてひとつ補足をしなければならない。そいつが、名探偵だってことの補足だ。

「そいつは名探偵だった。体は子ども頭脳は大人を地で行っていて、殺人はもちろん放火窃盗誘拐略取に詐欺詐称と、おおよそ刑事事件になりそうな問題に一度くらいは噛んだことのある正真正銘の名探偵。

「さっき、警察が他殺の線で捜査をすることにしたと言ったけれど、これにもその名探偵の進言が大きく影響していた。警察の捜査方針を大きく変えるほどの発言権と信頼とがあいつにはあったんだ。

「僕はそんなあいつにくっついて歩いていた。だからまあ、扇さんのことをあまり悪くはいえないな。当時の僕は、助手なんていい感じのポジションじゃなかった。

「僕とあいつの関係はともかくとして、名探偵が乗り出したことで事件は解決するかと思われた。しかし……事件は解決しなかった」



「名探偵でも解決できなかった事件を解決! それで猫目石先輩は名探偵になったんですね」

「……………………まあ、そんな感じだ」

 実際にはいろいろ違うけれど、そういうことにしておいた。代わりに解決したというのは合っているし。

「しっかし、密室での殺人ですかー。分からないですね。犯人はどうやって密室を作って、どうやって逃走したんでしょうか」

「殺人か…………」

 六角さんは、ぼそりと呟いた。

「本当に殺人なんですかね」

「お……」

 彼女は鋭いな。

「自殺だったんですよね?」

「え、ええ?」

 六角さんの回答に、笹原は目を丸くする。

「そんなのってないですよ六角先輩! こんな謎が自殺なんて、推理小説なら放り投げるどころか破り捨ててますっ!」

 笹原は興奮していたが、実は正解なのだ。

「笹原……六角さんの答えで正解なんだよ」

「えー! そんな…………」

「人生は推理小説じゃないからな」

 推理小説の世界を生きているようなあいつには当然、解けなかった謎。その世界の一読者に過ぎなかった僕だから、気づいた。

「名探偵のあいつが三か月悩んで解決しなかったからな。だとしたら、自殺しかないと思った。それで死んだ男子生徒の部屋を調べたら、遺書が見つかった。僕はそれを警察に渡して、おしまいだ」

 何もかもが。

 事件の謎も。

 僕とあいつ――僕と夜島錦との関係も。

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