2 新入部員は……

「先輩、小話をひとつ」

「却下」

 夏の暑さに蒸した弁論部の部室。しかし、北向きに窓のあるこの部屋は、冷房がない部室の中では比較的マシな方だろう。僕が言葉を発してから声の主を見ると、緩やかなウェーブのかかった茶色い髪の塊が、机にべちゃっと伏していた。

「なんでですかあ。暇なんでおしゃべりしましょうよという提案ですよ」

「僕は暇じゃない」

 言うだけ言って、読書に戻る。最近なにかと話題だという道明寺桜の新刊『白紙のラブレター』だ。道明寺さんはタロット館にいたゲストの一人であり、ミステリ界では新進気鋭の女性作家として知られている。代表作は少女探偵白猫の活躍するシリーズだが、これはそのシリーズとはあまり関係のない短編集だった。

 しかしこれ、話題性のわりにあまり面白くないな。本来ならもっとブラッシュアップするところを、話題に乗じて無理に出版したせいかもしれない。

「猫目石先輩のいじわる! 鬼畜! 人でなし!」

「突然部室に来たやつの対応なんてしてられるか」

 声の主は顔を上げる。好奇心と活発さを秘めた太陽みたいに輝く瞳は、今は若干雲がかかっている。暑さに参っているようだった。

「ひどいですよ先輩。せえっかくこの超絶美少女女子高生DJササハラが来たというのに、お茶のひとつも出さないなんて!」

 ………………そう。

 彼女こそが、その超絶以下略DJササハラこと、笹原色なのだ。まあ、昨日のラジオで悲哀が僕のことを彼女にしゃべってしまったので、遅かれ早かれこうなるだろうとは思っていたが……。

 まさか翌日に来るとは。

 笹原は立ち上がって伸びをすると、首元に掛けた赤いヘッドフォンを弄った。活動的なスラックスすら(彼女は女子生徒だがスラックス履きだ)華麗に着こなす彼女にしてはどうにも、そのヘッドフォンだけは浮いて見えた。まるで別のキャラクターの外見を、シールみたいに彼女へ貼り付けたように。

 DJなんだからヘッドフォンはむしろ似合いのはずなのに、どうしてだか。

「それにどうしてわたしのこと『笹原』なんて呼び捨てなんですか!? 先輩って年下の女子のこと呼び捨てにするタイプじゃないですよね」

「どうかな?」

「わたし知ってますからねー。猫目石先輩のお母さんから聞いちゃいました。先輩って、8歳の女の子相手にも『さん』づけだったんですよねー」

「あいつ………………」

 なんてこと喋りやがるんだ。

 まあ、しかし彼女の言う通りでもあるのだ。14歳のロッタちゃんも、出会った当初はロッタさんと呼んでいた。紆余曲折あってそうなっているし、笹原が言う8歳の女の子も、現在は『ちゃん』付けで呼んでいる。

 だからどうして、笹原だけは呼び捨てなのか僕にも正確な理由は分からない。なんなら妹の哀歌も恋人の帳も最初は「哀歌さん」「帳さん」だった男だ僕は。

「なんかお前は、初めて会った気がしないんだよ。今もこうしてお前が部室にいるのを特に疑問に思っていない自分がいる」

「実はわたしもなんですよ。お互い前情報ゼロってわけじゃないんでしょうけど、それにしても変な気分ですね」

「案外、お前が4月の段階で弁論部に入っているって世界線もあったのかもな」

「まるで一昔前の同人ゲームみたいな解釈ですねえ」

 笹原は再び座る。

「それにしたって、先輩もそう邪険に扱わなくたっていいじゃないですか。これも聞いた話ですけど、この弁論部、三年生の先輩一人だけしか部員がいないんですよね」

「そうだな」

 結局、ついぞ誰も入らなかったな。

「ふふん。だったら先輩としても、この時期に訪れた珍しい入部希望者を足蹴にするなんてできませんよねえ?」

「別に僕は、弁論部が潰れようがどうでもいいぞ」

「あれれー?」

 もとより、入らざるを得なくて入った部活だ。上等高校では一年時に部活の加入を義務付けられている。私立の上等高校としては「生徒は勉強も部活も頑張っています」というイメージ戦略のために必要なことなのだろうが、こちらからすればいい迷惑だ。まあ、折よく誰も部員がいなかった弁論部を見つけて入部し、現在に至るのだ。むしろ僕としては、来年度に訪れる僕のような新入生のために、弁論部をガラガラの状態で置いておくことが責務とさえ思えてきている。顧問に言ったら怒るだろうけど。

「第一、本当にどうしてこの時期に入部希望なんだ? 百歩譲って、悲哀から話を聞いたから僕に会いに来たというところまでは分かる。でも入部希望はやりすぎだろう?」

「あんまりに寂しい部活を可哀そうに思ったんですよ。それにわたしとしても、半年とはいえ名探偵である先輩の傍にいればいいネタ収集になりますからね」

 と、笹原はあっけらかんと言ってみせる。

「お前、もともとはどの部に所属していたんだ? 一年生なんだろう?」

「メディア情報部です。ですから実行委員だったんですけど、ぶっちゃっけ幽霊ですよ。どろどろー」

「雪垣案件か………………」

 例のいけ好かないやつ、紫崎雪垣はメディア情報部の部長をしている。実行委員会とは上等高校の行事を運営する組織なのだが、既に述べた通り一年生には部活動強制加入の呪いがある。そこで形式上の入部先としてのメディア情報部というわけである。この高校ではメディア情報部=実行委員会で、さらに=生徒会でもある。

「あそこ、変な部員が多すぎるんだよ。雪垣シンパの扇さんに、電動ドリルが動かないだけで校舎を上から下へ大騒ぎする金山さんに、六角さんは六角さんだし、渡利さんの視線は辛いし…………」

 そして現役女子高生DJか。大抵の人材揃ってんじゃないのか?

「揚げ句、雪垣は相談役とか変な呼び名でちやほやされてるしな。あいつを甘やかすのもたいがいにしとけよ」

「ふうん。先輩ってどうも紫崎先輩のこと嫌いみたいですねえ」

「まあな」

「意外ですね。先輩ってあんまり人に好き嫌いって評価する性格には思えないんですけど」

「ろくでなしは経験上いっぱい見てるけど、ひとでなしだと思ったのはあいつくらいだからな」

 あいつと違って、忘れもしないことがある。

 5年前、奈落村のこと。例によって例のごとく、地名ひとつで事件を想起させるに至った一連の事件のことを。

 そこで、あいつが演じた役割のことを。

「よく分かりませんが、分かりました」

「どっちなんだ?」

「少なくとも紫崎先輩が相談役として学校の事件を解決してしまうのを、お株を奪われたと思って恨んでいるわけではないことは、分かりました」

「ああ、そういうこと」

 僕は実のところ、相談役と呼ばれるあいつの活動の内実を知らない。タロット館と並行して起きた上等高校での殺人事件――扇さん曰く『殺人恋文』事件――の話を聞いて、初めて具体的に知ったくらいだ。グルメサイエンス部の新部長を決めるごたごたにも仲裁役として出張ってきたが、ああいうのはむしろ例外的なのかもしれない。

 まあ、だから僕があいつに「職分を奪われた」ことで怒りを覚えることはない。そもそも、僕はタロット館を出るまでは「探偵の代理」だったのだ。補欠が正選手に出番を奪われて怒る道理もない。

 じゃあ今は、僕はどうなんだろう。世間的にはどうやら「名探偵が死んだ事件を解決した」ことによって新しい名探偵と祭り上げられているらしいけれど、そんな世間の評価は意味がない。

 僕が、そして帳が僕自身をどう評価するか。大事なのはそれだけだ。

 いや、実際は、重要なのか? 外からの評価は。少なくとも、自分が他人からどう見られているか、自分たちが外の集団からどう見られているかは、把握しておいて損はない、のだろうか。

「先輩、せんぱーい!」

「うん?」

「どうしたんですか? ぼーっとして」

「いや…………」

「こらー、猫目石くん!!」

 突如、部室の扉が大きく開かれた。僕と笹原は驚いて大きく後ろに後退した。

 入ってきたのは、古典担当の中藤先生だった。実年齢不明、精神年齢永遠の17歳という怒涛のパーソナリティを持つこの教師は、僕の天敵だった。

 笹原は僕を、人に好き嫌いの評価をするような人間ではないだろうと言ったが、僕にも人間の得意不得意くらいはある。アブラムシに対するテントウムシ、ハブに対するマングースのごとく僕はこの教師と相性が悪い。

「また補習さぼって! ていうか、どうしてあたしが担当の時だけさぼるの?」

 今は夏休み。僕は補習のために登校していたのだ。僕自身の名誉のために言っておくと、別に僕は前回のテストで赤点を取ったのではない。この補習は進学校を自称したくて仕方のない上等高校側のエゴで、別に成績の悪くない僕としてはどうでもいいものだった。ここ最近、帳との関係性が進展する中でどうも真面目に出席しないと落ち着きが悪い、神様に不純なやつだと思われるんじゃないかと危惧していたのだが、さらに帳との関係が進展する中でまあいっか、どうせ神様だって名探偵に比べれば目が節穴だろうと思い始めた。よってここ数日はさぼりがちだったのだ。

 僕個人としてはその日の気分でさぼるかどうか決めていたのだけど、どうやら見事に中藤先生の担当していた補習だけさぼっていたらしい。無意識で彼女を避けていたのか。よっぽど苦手なんだな。

「さっきまでの三時間はちゃんと補習受けてたんだから、もう一時間くらい我慢できないかな? そんなにあたしの補習受けるのいや?」

「そもそも補習が嫌なんですけどね」

「言い訳無用! ほら、ちゃっちゃと教室に戻る。そこのあなたも!」

 と、中藤先生は笹原も指さした。

「えー。わたしは補習ないんですけど。10組なんで」

 補習は13組から15組のいわゆる特進クラスだけだ。

「そう。じゃあ逃げられないよう猫目石くんを押さえておいて」

「あいさー!」

 笹原は僕の後ろに回って羽交い絞めにした。いやおい!

 僕は振りほどこうともがいたが、効果は薄い。僕の馬力が男子の平均を大きく下回るというのもあるけれど、案外笹原の腕力も強いのだ。

 体が自由ならがあるのに………………!

「くそ、後輩まで使うとは…………」

 この腐れ外道! 永遠の17歳がそんなにいいならネバーランドに旅たて!

「なんか言った?」

「いえ何も」

 内心を読むのはやめてください。

「……………………せんぱい」

 ぼそりと、笹原が僕の耳元で呟いた。

「おなかが空きましたねー…………」

「はい?」

 そりゃあ、今は昼頃だからおなかも空くだろうけれど(補習は午前に行っているのだ)。しかしそれを笹原が今、僕に言ってどうする? しかもなんでわざわざ、中藤先生に聞こえないような小声で?

「今、マックでロコモコバーガーというのがやっているらしいですよ。おいしいんだろうなー」

「………………?」

「食べたいなー」

「………………!」

 そういうことか。

「分かった笹原、それで手を打とう」

「ポテトはLで」

「ああ。ポテトもドリンクも好きなサイズでいけ」

「じゃあそれで…………!」

「交渉せいり――――」

 拘束を解除してもらえるかと思いきや、むしろ力が強くなった。振り向くと、笹原がニタニタ笑っている。

「そういえば今、わたしのカバンに入部届けが入っているんですよね」

「くっ…………」

 ふっかけやがったな!

 正面を見ると、中藤先生との距離はもうだいぶ詰まっている。このままでは、笹原が手を放しても僕が逃げられる隙がなくなる。

「分かった。好きにしろ!」

「本当に中藤先生が苦手なんですねー」

 ぱっと、笹原の手が離れた。突然彼女が反旗を翻したのに中藤先生は驚いて、一瞬だけ動きが止まる。

 今しかない。僕はするりと中藤先生の脇を通り抜けて部室を逃げ出した。後ろを軽く振り向くと、言わなくてもきちんと笹原は僕のカバンも掴んで後を追ってきた。

「ま、待ちなさーい!!」

 先生の大声を背中に浴びながら、僕たちは学校から退散した。

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