第2話 自分が好きな魔女

・子供


 農村の子供が都会に売られることはよくあること。私もその一人。

 私の価値はなけなしの金貨3枚。口減らし、だった。

 でも、私はまだいい方なのかもしれない。とても綺麗な貴族様の家でメイドさんをしていた。

 最初はこんな立派で美しい屋敷があるんだなと夢を見たけど、中身はそれを維持するためにメイドや下働きたちが忙しなく働いていた。

 仕事が慣れ始め、余裕ができた。お駄賃で買ったクマのぬいぐるみが私のお友達。

 メイド仲間の子は優しいけれど、私は都会で買った可愛らしいクマのぬいぐるみにどっぷりとハマっていく。

 農村から売られた田舎娘にとって、こんなに綺麗に作られたぬいぐるみはまず手に入らない物だったから。

 

「ねえ、テディ。私、いつか素敵な人を見つけて幸せに暮らしたいわ」


 ベッドで一緒に寝てくれるクマのテディの頭を撫でる。

 代わり映えのない激務の仕事をやめて、いつか頼りがいのある男の人と一緒に暮らしたい。そうじゃないと、この苦痛が死ぬまで続きそうだったから。

 テディはなにも話してくれない。でも、聞いてはくれる。私にはそれだけで生きる理由になったのだから。

 


「ちょっと!! それ、主さまの食器よ!!」

「ごめんなさい!!」



 一瞬の油断。私は主さまの大事な食器を割ってしまった。

 とても綺麗な、顔が映るくらいに磨き上げられた白い陶磁器。

 金貨3枚の私なんかよりもずっっと、高いものだ。

 

「あ、あの、私……きゃっ!?」


 容赦なく降り注ぐメイド長のムチ。

 頭から血を出しても、守った手の皮膚が剥げようとも、私はムチで叩かれた。

 このままじゃ、私死んじゃう。でも、私は許されないことをした。

 金貨3枚の私じゃ、死んでも足りないんだ。

 

「痛い、痛いよぉ……」

「さっさと出てお行き!! あんたはクビだ!!」


 恐怖心に苛まれながら、私は自分の部屋に行き荷物をまとめる。

 涙で汚れ、髪もぐじゃぐじゃ。傷だらけの私をメイド仲間が黙って見つめる。

 明日は我が身かと思えば、私に慰めの言葉をかける子もいない。

 血に濡れた手で与えられた下着と服を詰める。

 ぬいぐるみのテディをバッグの中に入れて、私は恐る恐るメイド長の前に立った。

 

「ごめんなさい……二度と、このようなことはしないので、働かせてください!」


 どんなに嫌なことがあったって、私は生きたい。

 このまま追い出されてしまったら、私はどうすればいいんだろう。

 再就職することも難しい。乞食になるか、体を売らなきゃいけないかも。

 だから、どうしてもメイドをやめるわけにはいかなかった。

 

「お願いします!!」

「そのお皿をすぐにでも直せるというのなら考えてあげましょう」


 私は目の前に差し出された、真っ二つに割れた皿を持ち上げる。

 なんどもなんども、くっつけようとしたけど無理。

 カチカチと皿の欠片がなるだけ。

 心臓がバクバクして、私はうめきながらなんども繋げようとした。

 

「ほら、さっさと出てお行きよ!! 二度と、この屋敷の敷居をまたぐな!」


 ちいちゃな茶色のバッグと、割れたお皿を持たされて追い出される。

 絶望感よりも、恐怖のほうが強かった。戻ったら殺される。

 でも、どこにも行く宛はないし、私はどうすればいいんだろう?

 傷ついた体で雪の町を歩いて行く。薄汚れた空気と、真っ暗闇に混ざるガス灯。そのなかで意識がどんどんとおかしくなって。

 橋の下で私は自分の体を抱きしめて座り込んだ。声を殺して泣いた。

 

「うう、うぁ……ぐぅ。私、私どうすればいいの」


 どこから間違いだったのかな。私は記憶を何度も遡る。

 お皿を割ってしまったこと? 私がどんくさいから? 親に売られたから? この世に生まれた事自体が不幸だったの?

 

「雪が降ってる……」


 しぃーんと冷える寒空の下。緑がかった夜。透き通った空気。

 自慢のブロンドヘアーに白い雪がぺたりと張り付く。

 じんわりと冷えていく体に身を軋ませ、私は諦めを感じていた。

 

「このまま、凍え死んじゃうのかな」


 誰かに抱いてもらうことも、温かいスープを飲むことも出来ない。毛布にくるまって眠りたい。

 うつらうつらと眠気で船を漕ぎ、私はそのまま寝てしまいたい気分になった。

 そうすれば、この悪い夢から覚めそうだから。悪い夢から覚めて、幸せな夢を見れるなら寝ちゃいたい。

 金貨3枚の私の人生にはお似合いなのかもしれない。

 

  

「そこのちっこいの。ここでなにをしているんだ?」



 誰かが声をかけてきた。私は目をこすり顔を持ち上げる。

 

「お前は捨て子かい?」


 人買いだろうか、人さらいだろうか。

 私はすぐにはっと意識を覚ました。

 逃げなきゃ……でも、体が痺れて動けない。

 

「身なりはいいみたいだが……金持ちの家から追い出されたクチかい?」


 小さく頷いてみせた。

 それにしても、眼の前にいる人はとっても綺麗な女の人だ。

 黒いコートに身を包み、贅肉一つついていない整った細身の体。

 鋭い目つきに泣きぼくろ。妖艶な微笑みに、白い銀糸のような長髪。

 ファッション雑誌のモデルみたいな人だった。

 

「あたしゃ、綺麗な子が好きだ。その点、お前は私の工房に飾っても問題ないだろう」

「わ、私をどうするつもりですか……」

「そりゃ、決まっているさ。あたしは魔女さね。魔女が人間をひっ捕まえるってことは、どうなることかわかるよねぇ?」


 捕まえて、私を剥製にでもするつもりなのだろうか……どうして、どうして私ばかりこんなめに。

 お金で売買される私には物扱いがちょうどいいって事なのかな。

 でも、私は人間だ。だから、そんなこと絶対に嫌だ。それなら凍え死ぬほうがマシ……

 

「殺すつもりはないさ。そうさね……雇うってのはどうだい? 危害は加えないが、あたしの気分を損ねたら保証はできないね」

「私を雇ってくれるの?」

「雇う条件がいくつかある。それを飲めればって話さ。魔女は契約を重んじる生き物だからねぇ。それ次第さ」


 小さな希望に目がくらみそうになる。けれど、鵜呑みにしてもいいのだろうか。私にはわからない。

 

「お前の時間を貰おうじゃないか。あたしゃ、時間を操る魔女でね。人の時間を奪わないとだめなのさ」

「私の、時間?」

「寿命みたいなもんだ。お前の命をちょいと貰えれば、お前を養ってもいいと言っているんだ」


 私の寿命が代償。それって、どのくらいの時間なんだろう。

 もしかして、すべての寿命を吸い取って、そのまま捨てられることだってあるかもしれない。

 眼の前にいるのは魔女。とても悪辣で、人を簡単に騙しちゃう悪い人。

 

「そうさね、40歳までは生かしてやる。その後は気分次第さ。時間は有限で、使い方もその日その時で変わっちまうからね。とりあえず、40歳までは生かしてやる。どうだ?」


 この魔女に拾われなければすぐに死んでしまう命。それは分かってる。

 でも、この魔女が私に酷いことをしないなんて保証はない。

 ああ、どうすればいいんだろう。私にはわからない。

 

「一つ魔法を見せてやろう。その割れた皿を貸しな」


 手に握ったままだった2つの皿の破片。私はそれを魔女に取られる。

 

「こいつを直してやろう」


 ぴたりと破片をくっつけ、そしてぐっと魔女は力を込める。

 すると、それを片手でつまみ私に渡した。

 

「直っ、てる」


 あれだけ、あれだけ私を悩ませた割れたお皿が直っていた。

 この人は本物の魔女なんだ。すごい、魔法を見るの初めて。

 

「その皿を持って金持ちの家に戻るのもいいさ。戻ったところで居場所があるかどうかだがね……それとも、ここで野垂れ死ぬかい?」


 私、このお皿のことを魔女に言ったかな。なんで、知ってるんだろう。



「自分が好き。あたしゃ、この世で一番自分が好きなのさ。だから、お前の時間をもらって長生きしたいってわけさ」



「それが、私から時間をもらいたい代償ってこと、なんですね」

「お前は自分のことが嫌いみたいだし、時間をくれたって大したことじゃないだろう? ここでくたばっちまうか、それとも時間を奪われてでも生きていたいか」


 この人は信用できるのかわからない。

 魔法を使えるってことは本物の魔女だし、契約を結んだところでなにをされるかわからない。

 とても美しい人だけど、どこか底知れぬ怖さも感じる。

 

「私も、自分のことを好きになりたい」

「ほう?」


 40歳までしか生きられなくても、私が自分が好きになれなければ意味がない。じゃないと、生きていても面白くないから。

 ちっぽけな価値しかない私にも生きる意味が欲しい。

 

「私が自分のことを好きになれるのなら、あなたに寿命を上げてもいいよ」



・大人


 あれから何年が経ったんだろう。そろそろ、私は四十路になった。。

 魔女の工房で私は暮らした。意外と住み心地は良く、意地悪い人ではあるが私の面倒をよく見てくれた。

 学校にも行かせてくれなかった私に読み書きだって教えてくれたし、ご飯の作り方だって。

 それと、私には才能があったらしく、魔法も教えてくれた。

 時を操る魔法。あの時お皿を直してくれたのは、割れた皿の時を巻き戻したからだ。

 

「テディも相変わらず元気ね」


 魔法で動くようにしたテディ。小さい頃に買ってからずっと愛用しているぬいぐるみ。ちゃんと魔法で手入れしているので、あの頃のままだ。

 寂しん坊の私にはこの子が癒やし。それは今でも同じで、大人になりきれていないんだろう。もうこんな歳なのにおかしいね。

 

「それにしても、私はあの人にそっくり似てしまった」


 ちっとも歳を取らない魔女。他の人とも契約して時間を吸い取っているから老いることはないらしい。そう、寿命を賭してでも叶えてほしい魔法をみんな求めているから。

 魔女の美貌は衰えることなく、そして大人になった私はあの人とそっくりの容姿をしていた。私はブロンドのボブカット。魔女の髪は白く、髪型を変えてごまかしているけど、私には分かってしまう。

 

「そろそろ、あたしの正体が分かってきた頃じゃないか?」


 今なら私は答えられる。魔女はーーー

 

「私なんだよね」

「そうさね、お前は私だ」


 自分。そう、この魔女は私よりも歳を取った私なんだ。

 

「時間を巻き戻して、行き先のないお前を助けにいった。あたしもそうやって助けられたクチさ」


 どうして、私、魔女はそんな選択肢を選んだんだろう。

 最初に時を戻した私は何を考えていたのか。

 

「自分が好きだからさ。好きだから、守ってやりたかったのさ。最初の私がなぜそんなことをしたのかは分からない。もう、延々とこのループを続けているから、そう運命づけられているんだよ」


 最初なんてなくて、ただ延々と私が私を救うループ。

 それはひとえに自分が好きだからというだけの理由。

 もし、私が時を巻き戻して自分を助けに行かなかったらどうなるんだろう。

 

「助けに行くも行かないも自由だ。お前は私と同じように魔法を使える。そして、時間さえ貰えば永遠を生きられるだろう」


 私の容姿は20歳のもっとも美しい姿のまま。魔女と同じ魔法が使えるから、私も同じように生きていた。

 

「そろそろ40歳になるだろ? 契約がそろそろ執行されるところだ」

「最初に約束したことはちゃんと覚えているよ」

「過去に戻るにはいい歳じゃないか? あたしゃ、自分が好きだからさ。お前の寿命を今から貰いたいのさ」

「それって……」


「お前はこれから、自分を助けに行って欲しい。お前の寿命、生き方をどう使おうと勝手だろ? これは命令さ」

「元から選択肢はなかったのね。選択は自由だって言ってたくせに」


 魔女はくつくつと笑いながら私と顔を合わせる。

 

「あたしゃ、自分が好きだ。お前と一緒に暮らして、若い自分をみて更に好きになったのさ。お前も今の自分が好きだろ?」

「……そうね。私は自分のことが好きになれた」

「たった金貨3枚の命がこんなに幸せになれたんだ。悔いはないはずさ。だから、お前が金貨3枚じゃ買えない存在だってことを教えに行きな」


「私は本当に、私のことが好きなんだね」

「そうさね、あたしゃ自分が好きな魔女だからね」


「これから、私がいなくなったらどうやって生きていくの?」

「さあね。生きてりゃいいことがあるって分かってるんだ。長生きしてみせるさ。これから先は何が起きるか分かりゃしないが」


 あの時、凍え死ぬかもしれない私からしてみれば、とても幸せなんだろう。

 この幸せを今にも死んでしまいそうな私にも教えてあげたい。

 

「じゃあ、“あたしゃ”行くよ」


 あれから、40歳になった。魔女が見守る中、あたしは魔法陣に立ち時間を遡る呪文を唱える。

 あたしも、自分が好きな魔女だ。まったく、因果なものだねぇ。

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