夏は少女たちを成長させる

 夏休みの最終日。春と小百合は海へ来ていた。

 告白の次の日から、夏休みの宿題を溜め込んでいた春の為に二人は毎日小百合の部屋で宿題をした。小百合は残していた宿題の量に呆れつつも、根気よく寄り添った。春も春で一日も早く小百合と恋人としての時間を作ろうと頑張ってはいたが、結局終わったのは夏休み最終日前日。

 小百合の母は毎日娘の部屋を訪ねてくる見慣れない友人に、驚きながらも嬉しそうに双眸を崩した。顔を合わせるにつれ愛想の良い春を気に入ったようで、お茶だのお菓子だのを持って何かと部屋に入ってこようとする。

 二人とも一緒に居るだけで満足感を覚えてはいたものの、どうにか二人っきりになる時間は欲しかった。模索した結果、最終日に海に行こうという話になったのだ。


 今日は風も強く、盆を過ぎた海はまばらにしか人が居ない。意識を海から広げれば、そこは綺麗な青空だ。風に煽られた雲がゆっくりと空を泳ぎ、交わりそうな二つの青さは己の色を保ったまま静かに寄添っている。

 海沿いの道路に立つ二人は、しばらく黙ったまま静かな海岸を眺めた。小百合は小花があしらわれた白いワンピースの裾を抑え、肩にかけた日傘をくるりと回す。


「……私、海来るの何年ぶりだろう」

「私も久しぶり。いつもクラゲが出る時期まで部活あるしなぁ」


 水平線を見る小百合は小さなポシェットからハンカチを取り出すと汗を拭った。春も隣に立ち、同じ方向に目を向ける。潮風の匂いと強い日差しに照らされて光る水面に目を細めると、春は小百合の手をとった。


「ね、ちょっと砂浜まで降りてみない?」

「大きいタオル持ってきてない」

「水には入らないから大丈夫だよ」

「えぇ……」

「海見るとさ、なんかテンション上がらない?」

「上がらない事もないけど……えー……」


 渋る小百合を手を引き、結局二人は砂浜へ降りた。不安定な足元によろける小百合を支え、放置されたままのサンチェアに腰掛ける。

 春は履いていたサンダルを脱ぐと、そうっと砂浜に足を下ろした。


「あっつー!」


 体育座りのように下ろした足をきゅっと縮こませ、小百合に向って笑う。それを見て思わず小百合も笑みを零した。小百合もサンダルを脱ぎ、サンチェアの上に足をそろえて座った。ここに来るまでにサンダルの隙間に入った細かい砂の粒を払う。

 春はデニム生地のショートパンツから伸びた足をぶらぶらさせ、暑いねと言った。短い髪を無理やり一つ結びにした春の首筋を、汗が流れていく。夏も終わりとは言え炎天下の下にいるのだ。小百合は春の近くによると、自分が入っていた日傘を春の方へ傾けた。


「なんで海だったの?」


 小百合がそう聞くと、春は「うーん」と言って情けなく眉を下げた。


「夏だし、もうこれしか思いつかなくて」


 言われた小百合は真面目な顔で考える素振りをすると、もっともらしく「確かに」と言った。真剣な表情で海を見る小百合の横顔を見て、春は一瞬身を乗り出そうとした。しかし「綺麗だね」と呟いた小百合の声に動きを止めると、海へ視線を送る。


「私ね、家族以外と海に来たの初めてなんだ」


 小百合はぽつりと零すと、春の方を見た。風で靡く髪を手で抑え、ふわりと笑う。


「だから春と来れて嬉しい」


 春は下唇を噛むと、小百合の手を上から握った。


「今年の夏は、なんか早かったな」

「そうだね。なんていうか、あっという間だったかも」


 小百合と春がただのクラスメイトから関係性を変えて、まだ三か月程しか経っていない。そう思えばあっという間なのも当然だが、二人が感じている「あっという間」とはまた別のものだ。

 サンダルを履きなおした春は、立ち上がると海の方へ走りだした。


「は、春?!」


 小百合も慌てて立ち上がり、不安定な砂の上を進む。春はサンダルを脱ぎ捨て、波打ち際に立った。


「ひゃー! キモチー!」


 寄せる波がふくらはぎあたりまでを隠し、また返っていく。


「やっぱ海まで来て、見てるだけとか無理だったー!!」

「濡れちゃうよ!」

「だいじょーぶだいじょーぶ! 濡れてもすぐ乾くって!」


 春は水しぶきが掛かるのも気にせず、向かってくる波を蹴り上げていた。最初、小百合は呆れた様子で波打ち際ではしゃぐ春を見ていたが、しばらくすると靴を脱ぎ、隣に日傘を置いて春の近くへ走りだす。


「小百合も来たー!」


 はしゃぐ春のもとへ行く途中、バランスを崩し転びそうなった小百合の体を春が引き寄せた。なんとか踏みとどまり転ぶのは避けられたものの、自然と抱きしめ合うような体制になる。


「は、春」

「大丈夫、はしゃいでるようにしか見えないって」

「で、でも」

「はいはいうるさーい」


 そう言って更に小百合の体を強く抱きしめる。小百合は観念したように春の肩口に顔を埋めると、目を閉じた。





 新学期がはじまった。

 学校がはじまると夏休み前と同じように、小百合は美月と、春は部員と共にいるようになった。話さない訳ではないものの特別親し気に見える訳でもなく、二人の関係に変化があった事に気付いたものは少なかっただろう。

 しかし夏希先輩にはすぐに分かったようだった。


「な、なんでわかったんですか?」

「普通過ぎるんだよ、二人とも。夏前はちらちらお互いの事気にしてたのに、今はそこまででもないじゃん?」


 花火大会のしばらく後、夏希先輩はあの特徴的な甘ったるい喋り方をやめた。夏希先輩の中でどういう変化があったのか、春には分からない。

 春はバッシュの紐を結びなおし顔を上げると、夏希先輩を見た。


「今だって小百合の事は気にしてますよ」

「違うんだってば。話したいのに話せない、触りたいのに触れない、みたいなじりじりした感じさせなくなったじゃん」

「え。私、そんなだったんですか……?」

「みんな気付いてないと思うけどね。……ほーら、練習するぞー!」


 一方小百合は小百合で、美月から夏希先輩の話を聞くようになった。しかしそれは上級生に向けての甘い憧れとかではなく、ほとんど愚痴のようなものだ。


「あの人、あんな爽やかスポーツマン~みたいな顔してるけど、すっごいヤなやつなの」

「そう? いい人だよ、夏希先輩」

「小百合は本当のあの人のこと、知らないからそんな事言えるんだよ」

「まぁ私も一度話したことあるくらいだけど……なに? なんかったの?」


 小百合がそういうと、美月は視線を落として黙り込んだ。紙パックのジュースに差したストローが噛み跡でぼろぼろになっている。どこか苦しそうに見える美月の頭を、小百合はぽんぽんと撫でた。




 

 小百合は放課後の教室で、あの日のように一人で席に座って外を眺めていた。全開にした窓からは運動部の声と吹奏楽部の合奏が風と共に流れ込んでくる。

 今年の夏は色んな事があったな、と小百合は思う。

 人と好きになって、嫌な気持ちになって、諦めようとして、でもやっぱり無理で。数学の授業のように明確な答えがある訳でもなく、全てが単純なイコールで繋がる訳でもない。

 関わらなければ知らなかった春の事を知り、そして自分の事を知った。

 クリーム色のカーテンがはためくのを見て、小百合は窓を閉めようと立ち上がった。まだまだ残暑は厳しい。窓を開けていても暑さが和らぐ事はなく、遅く出てきた蝉達が求愛の鳴き声を響かせる。

 夏が終わるまでに、何かしなければいけないと必死に叫ぶように。


「ごめん、小百合。おまたせ」


 息を切らした春が教室に駆け込んできた。今日はミーティングで終わりだから一緒に帰ろうと、二人で待ち合わせをしていたのだ。

 小百合は振り返ると口の前で人差し指を立て、手招きをした。不思議そうな顔をした春が、急ぎ足で小百合へと近づく。

 春が窓際に近付いた、その時。

 小百合はカーテンを広げると、自分と春の身体を包み込んだ。





fin

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春と小百合 星 伊香 @hoshiika

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