願い/小百合

 春の顔から表情が消えた。しかし小百合の口は止まらない。


「凄いお似合いだと思うんだよね。人気者同士でビックカップルになるしさ。夏希先輩なら一緒にバスケも出来るし……」


 私と居るより楽しそうだったよ。

 そう口にするのを、小百合はすんでのところで踏みとどまった。それを言うのはあまりにも。

 小百合は小さく息を吸い込み、気持ちを落ち着けようとした。


「なんで? どうして……そんな事いうの?」


 春が傷付いた顔で小百合を見ている。その表情に胸を痛めながら、小百合は嬉しさを感じずにはいられなかった。

 まだ春は自分の事を好きなのだ。

 しかし同時に、やはりこれ以上一緒に居てはいけないとも思う。振り回す事でしか、傷付ける事でしか愛情を確かめる事の出来ない自分は、春に相応しくない。

 だって春の事を本当に考えて、慈しんでくれる人が他にいるのだ。それを知ってしまったら、今までのようには居られない。


「ダメなの。私じゃダメなんだよ、春」

「何が? 小百合が何言ってるか分かんないよ」

「私じゃダメなの!!」


 そう言いながら、小百合は母親の事を思い出していた。きっと結婚した時は愛し合っていたんだろう。しかし父が、小百合が居ながら、別の男と恋をした母親。愛には有効期限がある事を、小百合は知ってしまった。それを知るにはあまりに早かったせいか、小百合には母の姿は裏切りに映った。

 許せなかった。悔しかった。信じたくなかった。

 そして小百合は人を好きになる事を、誰かが自分の心を搔き乱す事を恐れるようになった。

 そしてはたと思い至る。

 春の事を考えているような事を思いながら、結局こんな時まで自分の保身に走ってるのか。

 そう思い、小百合は自嘲気味に笑った。


「前の事は、忘れる」


 ひぐらしの鳴く中で、小百合の声が空虚に響く。

 春の事が好きだ。

 面倒見が良いところも、まっすぐなところも、小百合の一挙一動でくるくる変わる表情も、全部。

 でもそのせいで、小百合は自分の嫌なところを沢山知った。春の良いところを見つければ見つける程、自分の嫌なところを見つけた。こんな自分ではいつか嫌われてしまうかもしれない。取返しがつかなくなってからもう要らないと言われたら、小百合はどうすればいいのだろう。

 裏切ったり裏切られたり、傷付いたり傷付けられたり、もうたくさんだ。誰にも心を許したりしなければ、こんな気持ちにならない。


「だから、春は春の事を大事にしてくれる人と付き合いなよ。本当に春の近くに居てくれて、考えてくれる人。……夏希先輩、いい人じゃん。春の事、サポートして、素直に頼って、大事にしてくれるでしょ? だからもう……」


 黙って話を聞いていた春が、ブランコから立ち上がった。その拍子にカシャンと金属の音がして、小百合はびくりと身をこわばらせる。


「もしかして、夏希先輩にヤキモチ妬いてるの?」


 小百合の顔がカッと赤くなる。


「わ、私は別に」


 視線を避けるように顔をそむける。ざり、と音がして、春が足を踏み出したのがわかった。


「ねぇ、小百合。言ってくれなきゃ分かんないよ」


 春が小百合の顔を覗き込む。更に顔を真横に向けるも、春から逃げる事が出来ない。

 ぎゅ、っとスカートを握る小百合の手の上から、そっと春の手が重ねられた。


「私は……小百合が好きだよ」


 小百合の手に、力がこもった。

 きゅうっと縮こまった心臓は、藻掻くようにバクバクとその音を大きくしていく。呼吸が浅くなって息苦しい。なのに何故か嫌な感じはしなかった。前回聞いた時とは、違う形で言葉が響いていく。


「部活が違う事とか、趣味が違うとか、考えた事もない。同じじゃないところも沢山あるだろうし、気が合う訳じゃないかもしれない。でも、それでも小百合の事好きになったんだよ。」


 小百合は泣きそうになりながらも、なんとか口を開いた。


「……気が合わないならすぐ冷めちゃうかもしれないよ。今好きでも、明日は好きじゃないかもしれない。私は春が思ってるような……」

「確かに私は小百合の悪いところは知らないかもしれない。でも同じ位、良いところも沢山あると思うよ。もしその悪いところが許せなかったら喧嘩したらいいじゃん」

「で、でもっ! け、喧嘩して嫌なやつだって思ったら、やっぱり嫌いになるかも」


 そういうと、春は楽し気に笑い声を漏らした。


「そんなにずっと好きでいてほしいって、思ってくれてるんだ?」

「っ、ち、ちがっ」


 視線を向けると、春と視線が交わった。まっすぐ小百合を見る春の目が、水分を含んできらきらしている。

 そんな目は、ずるい。

 小百合は続きを言う事が出来ずに口籠った。


「それに、私だって小百合が思ってる程いいやつじゃないよ」

「うそ」

「うそじゃない」

「じゃあどういうところが悪いやつなの?」


 小百合が聞くと、春は「んー」と声を漏らした後


「美月とばっかり遊びやがってー! って思ってる」


 と言って、照れくさそうに笑った。


「……え?」

「私には連絡するなーみたいな事言ったくせに、美月とは遊ぶんだなぁ、とか」


 春が拗ねた素振りで、小百合から視線を外す。

 小百合の口端が自然と持ち上がる。どうしよう、喜んではだめだ。でも嬉しい気持ちが止まらない。そしてそんな風に思っていた春を、小百合は可愛いと思った。

 春は空いた手で頭を掻くと、ふっと射貫くような目で小百合を見た。落ち着きを取り戻していた小百合の心臓が、また大きく鼓動を打ちだす。


「ずっと好きだよ、なんて曖昧な約束は出来ないけど、小百合が好きなのは本当だよ」


 重ねるだけだった春の指先が、小百合の指の間に入り込む。

 息が詰まりそうだ。


「私は小百合と居て楽しいけど、小百合は私と居て……楽しくない?」

「たの、しい」


 よかった、と言って春が息を吐き出す。


「私と、付き合ってくれる?」




 小百合はきゅっと唇を噛んだ後、小さく頷いた。

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