夜のブランコ/春
待ち合わせ時間三十分前。
公園の入口で小百合がまだ来ていない事を確認すると、春はほっと胸を撫でおろした。
ベンチに座ってみるも落ち着かず、目についたブランコに腰を下ろす。足だけで揺らすと、ブランコはキィキィと音を立てて鳴った。子供の頃座った時より狭い。少しだけ反動をつけてみるも、折りたたまないとすぐに足が地面についてしまいそうだ。踵でブレーキをかけて、また小さく揺らす。
バイトの後、すぐに家に帰ってシャワーを浴びた。その間もずっと告白のシュミレーションを繰り返したが、繰り返せば繰り返す程に緊張は高まっていく。
あの勢いでの告白から、確実に小百合との関係は近付いたと思う。小百合から好意も感じる。しかしそれが自分と同じものなのかというと、いまいち自信が持てなかった。一緒に居る時は自分の事を好きでいてくれてるんじゃないかと思うのに、夏休みのような時は連絡すら来ない。
学校にいる時だけの恋愛ごっこのつもりだったら。
夏希先輩の話を思い出して、春は喉が詰まるような感覚を覚えた。
もしそうだとして、その時自分はどうするのだろう。それでもいいから一緒に居てほしいと言うのか、そんなのは嫌だと諦めるのか。自分の事なのにどうするのか、どうしたらいいのか分からない。
Tシャツの裾で垂れてきた汗を拭う。昼間よりマシだとは言え、夏の夜は蒸し暑い。なんだか口の中がやたらと乾いている気がした。まだ時間があるし自販機にジュースを買いに行こう。
そう思って春がブランコから立ち上がると、公園の入口、そのずっと先で、小百合がこちらに向かってくるのが見えた。
目が合った小百合が、春に向かってぎこちなく手を振る。
今、自分がどんな顔をしているのか分からない。小百合が近付けば近付く程に、これ以上激しくならないと思っていた春の鼓動は更にうるさくなっていく。
春は喉の渇きも忘れ、ブランコの横で小百合が歩いてくるのをただ見ていた。
「早かったんだね。結構待った?」
小百合はいつも通りの様子で、春の隣のブランコに座った。小百合の履いている紺色のミュールが地面を蹴る。
ブランコを漕ぐ度に揺れるスカートにハラハラしながら、風に靡く髪の毛を見ていた。
小百合の髪は猫っ毛なのに、絡まっているところを見た事がない。真っ黒な髪はいつもツヤツヤとまっすぐ降りていて、春はずっとそれに触れてみたいと思っていた。
「春?」
はっと我に返ると、小百合が横眼で春を見ていた。
「あっ、ごめん、なに?」
「もう」
小百合は漕ぐ力を少しづつ弱めていくと「ひさしぶり」と言ってブランコを降りた。
「ひさしぶりだね」
「大会はどうだったの?」
「えっと、二週間前には終わっちゃって。そっからはバイトしてる」
「なんの?」
「プールの監視員」
小百合は「ふーん」と言って黙りこんだ。沈黙が気まずい。
春は再びブランコに座り、地面を蹴った。向き合ったままでいるより、何かしながらの方がスムーズに話せる気がする。しばらくブランコを漕いでいると、小百合もまたブランコに座った。横目で見る小百合の頬が、公園の街灯で縁どられている。
「小百合は? 何してたの?」
あんなに話したいと思っていたのに、夏休み前に小百合とどう話していたのか思い出せない。すごろくで三回休みになったあとふりだしにもどされた気分だ。
「特に何も」
「あー……えっと、そっか。今日は何してたの?」
「美月とウインドウショッピングして……あ、スタバ行った。春スタバ行った事ある?」
「あんまりないけど、たまに部活のメンバーと行くかな。高いじゃん?」
「高いね。でも美味しかったよ、なんかあの、桃のフラペチーノ」
「限定のやつ?」
「そうそう」
ウインドウショッピングをしたり、フラペチーノを飲んだり、美月は春の知らない小百合を、きっと沢山知っている。一番の友達なんだから仕方ないのは分かっていても、嫉妬しないというのは無理だった。
「花火大会も美月と来てたね」
「……あれは、美月に誘われたから」
そう言うと小百合はまた黙ってしまった。
なんだか噛み合っていない気がする。久しぶりに会えたのに、そう思って春は拳をぎゅっと握りこんだ。
もし自分が誘っても、小百合は同じように花火大会に来てくれたのだろうか。その可能性を考えて、誘う事すらしなかった事を後悔した。別に夏希先輩と一緒に行くのが楽しくなかった訳ではない。ただ小百合と行けたら凄く楽しかっただろう。良い思い出にもなった筈だ。
でも一緒に行く事が出来なかったから今日がある。あの時後悔したから、小百合にもう一度告白しようと思ったのだ。今日までは仕方ない。でもこれから先の後悔はしたくない。
春が口を開こうとすると、小百合が「でもさぁ」と言った。
「春も夏希先輩と来てたじゃん。仲良いよね」
急に小百合の口から夏希先輩の名前が出てきて、春は少しの違和感を感じた。夏希先輩は有名人だし、小百合が知っていてもおかしくない。でもこのタイミングで出された夏希先輩の名前は、春にはどうも不自然に感じる。しかしどれだけ考えても、違和感の正体が見つけられない。
「あー、まぁバイトも同じだからね。暇なら行こうって話になって」
「……そうなんだ。バイトも、一緒なんだ」
ブランコの鎖をぎゅっと握った小百合が、つま先で砂を蹴る。
「バイト、楽しい?」
「楽しいよ。最初はきつかったけど慣れたし。おかげで少し焼けちゃったけどね」
春の一人分の笑い声が公園に響く。
こんな話をしていても仕方ない。こんな話をしに来たんじゃない。でも小百合は何も言わない。
気まずい空気が嫌で、空白を埋めようとバイトの話を沢山した。バイト先の先輩がすごく筋肉ムキムキな事。小学生の無尽蔵にも見える体力。人の居なくなったプールに飛び込む気持ちよさ。監視台から見た景色。
しかしどれだけ言葉を重ねても、小百合は黙ったままだった。
「夏休みでバイトも終わりだけど、すっごい楽しいよ。割引券あるから、今度小百合も来る?」
「っ、いかない!」
急に小百合が大きい声を出したことに驚いて、春は口を噤んだ。
どうしたんだろう。小百合の様子が変だ。花火大会の話をして、バイトの話をして、それだけだった筈だ。何か変な事を言ったか考えても、何も浮かんでこない。
小百合は「ごめん」と小さく声に出すと、また黙り込んでしまった。
さっきまで目を合わせようともしなかった小百合が、苦しそうに眉根を寄せて春を見る。なんだか小百合が泣きそうに見えて、春は小百合に手を伸ばした。しかし小百合はその手をさっと避ける。
ぎゅっと唇を噛んだ小百合が、まるで睨むように春を見た。その視線の強さにたじろぐ。
小百合はそれからふっと表情を和らげると、笑みを作って口を開いた。
「春さ、夏希先輩と付き合ったら?」
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