まよっちゃうね

 エマと葉月は手を繋いだまま、店内を歩いていた。


「まずは、何から見よっか」

「えっと、お洋服を探そうかなと思うのです。お着物はそれなりに持っているのですが、お洋服はほとんど無いので……」


 なるほど確かに、持ってないなら着ないだろう。


「今着ているものも、随分昔に買ったもので。なんとなく自分の好きなものを適当に選んだだけですので、これで良いのかも分からなくて」

「よしっ、じゃあボクが見繕ってあげよう! ボクもちょっとした羽織りもの欲しいし」

「コートではなく?」

「うん、カーディガンとかそういう感じの……」


 ふらりと手近な洋服店に入る。エマがまず手に取ったのは、ピンストライプのスカートだ。裾がふわりと広がるタイプで、幅広のリボンベルトが可愛らしい。


「こういうのとかどうかな」

「えっ、えっ、私、足をあまり出さないものですから、大丈夫でしょうか」


 そう、そのスカートは膝丈だ。普段着が着物であるが故に、そうそう膝から下を出す機会などあるはずもなく、だがエマは敢えて膝丈を選んだのだ。


「大丈夫だよ、絶対似合う! うーんでも、カラバリあって迷うね。無地もあるし、葉月さんは何色が好き?」

「淡い色とか、でも紺色ですとか、そういう濃い目の色も……うう、どうしましょう、迷ってしまいます、うう」

「よぅし試着だ、試着しよっ。迷った時は試着するに限るよ! さあさあ、その間にボクがトップス選んでおくからっ」


 とまあ、試着室に葉月を押し込んで、エマは鼻息も荒く「葉月に似合うコーディネート」を練り始めた。




 その店舗を臨む通路。休憩用のソファーが置いてある。そこに、二人の男が座っていた。


「……何なんだこの状況は」


 恐ろしく低い声が、若い男の口から漏れる。若い男はサングラスを掛けていて、いまいち表情が分からない。


「先程申し上げた通りです。葉月様が、エマ・アジャーニ様を誘って買い物に」

「なんでエマなんだよ」

「図りかねます、と言うより私の方が聞きたい!」

「貴様が分からないなら俺に分かるわけがないだろう!」


 低く、しかし小声で、二人は酷く静かに言い争う。壮年の男の方はスーツ姿だが、ネクタイを外してポケットに捩じ込んだ。少しでもバレるのを防ごうというなけなしの努力だ。

 若い方は鉄男、いや、戦部戒斗。壮年の方は当然のことながら松代忠仁だ。葉月の脱走に気付いた松代が戒斗に連絡し、こうして現場にて落ち合うことと相成ったのだが。


「そもそも、どうしてあの女の脱走を許した。セキュリティどうなってんだアンタらは」

「それに関してはもう、頭を下げるしか……ただひとつ、言い訳をさせて下さい」

「聞くだけ聞いておいてやる」

「葉月様はああ見えて、運転がお好きなのです」

「……まさか」

「千切られました」

「おいおい……」


 思わず頭を抱える戒斗。だが、葉月の私物だという車を思い出して納得もする。「そういう趣味」を持つような相手だ、然らずんば、さもありなん。


「にしても、どうして阻止できなかった? もっと早い段階でなんとかできただろう?」

「逆にお尋ねしますが戦部様、あのお二方の顔を見て、貴方は止めることができますか?」


 ソファーからぎりぎり、店舗内の二人の様子が見える。試着を終えた葉月に、エマが「かわいい!」なんて言いながら抱きついている。葉月は顔を赤らめているが、二人ともニコニコと笑っていた。


「……あー……すまん、さっきの言葉は忘れてくれ」

「かしこまりました。戦部様のお気持ちも十分に分かります」


 そんな言葉を交わしながら、戒斗と松代はじっと彼女達を見つめている。ごく普通の、そこら辺にいる女の子のような彼女達。あれがいい、これがいいだのと言いながら、服をとっかえひっかえ。

 二人の視線は、まるで遠い光を見つめているような、遠い悔恨を薄目で眺めているような、そんな色だ。口から漏れる溜息は酷く重い。


「なあ、松代さんよ」

「はい」

「……笑ってるな」

「……ええ、笑ってますね」


 その気になれば、葉月の資金でこの店ごと買い取ることだってできる。それなのに、「どれがいいか」なんてエマと相談しながら迷い、選んでいる。


「あれが本来の『安藤葉月』なのか?」

「……本来、というのは、少し違う」


 松代の顔を一瞬だけちらりと見て、戒斗はまたエマ達へと顔を向ける。


「全てを含めて葉月なんだ。それが出る『機会』に恵まれないだけで、隠したり抑えたりしている訳じゃない。お前さんも知ってるだろう? 平気な顔してコンビニ寄ったりするからな」

「ああ、みどりさんにそそのかされて飴玉買ったりしてたな、話は聞いたことがある」

「まあ、出す機会は滅多にない。そういう生き方を、葉月は選んだ。だから……線は決して交わらない。どこまでも真っ直ぐな、平行線」


 言葉の中に含まれる水銀のような重さを、戒斗は視線を向けないまま感じ取った。重みに耐えきれず、零れ落ちた心情。


「アンタは、それで良いのか」

「当然だ。そうでなければここには居ないよ」


 松代の言葉には特に後悔や哀しみはなく、寧ろ何かを振り切ったように。男達の目が合う。


「もしその時が来たら、迷わず攫って逃げるさ」




 結局、葉月は迷いに迷ってスカートを二色買ってしまった。エマもちゃっかりロング丈のカーディガンを見つけていた。さて、こうなると一つの懸念が浮かび上がってくる。


「葉月さん、今はいてるの以外で靴下とかタイツとかストッキングとか、ある?」

「一応は……一応、レベルで。ああでも、足袋型の靴下は結構持ってるんですよ。お家でぼんやりしてる時は足袋ではなく、靴下で誤魔化していたりします」


 えっへへ、と笑う葉月に、エマは一切の迷いもなく飛びついた。


「うあーカワイイ、葉月さんカワイイ」

「ひゃああ」

「ぎゅうってするとすっぽり収まる! 髪の毛サラサラ! カワイイ!」


 キャスケットを取って頭を撫でてから、すぽんとまた被せて、


「じゃあ、靴下も探そ。靴下売ってるところあるから」


 と指差した。その先には確かに、靴下専門店がある。

 若い女性向けのすこぶる可愛らしい店舗、という裏側は実は「靴下職人の爺さん達が寄り集まって作った、靴下工場の連合組織」であるということを葉月は知っていた。それこそ昨今のドラマにでも出てきそうな古い古い年老いた職人達が、店舗経営に関しては全て若いお嬢ちゃん達に任せて、靴下作りにだけ心血を注いでいるのだ。「打倒・中国産の安いやつ」をモットーに掲げ、若者が要求してくる普通ならかなり無茶なデザインを技術力で捻じ伏せる、無茶苦茶な職人集団。


 で、あるからして。可愛いのがゴマンと揃っている。ストッキングかと思うほどの薄く透ける本体部分に、小花柄の刺繍が施された靴下など「かわいい」の一言で済ませられるものではないのだ。糸の細さと伸縮率の違い、一定の模様や網目ではなく「絵柄」としての展開、さらにかかと部分と爪先部分も厚みが違う。機械で編むからいいだろう、などという話でもない。多数の細かい編み針の調整をコンマ単位で施してようやく叶う、技術力の結晶。


 なんて気持ちで見つめていると、エマはふらふらとメンズ用の棚へ行くではないか。


「エマさん?」

「あ、ごめんね。ちょっと、カイト用のも探したくて」


 手に取るのはかなり厚手のものばかり。


「カイトがね、寒いのは苦手だっていうくせに、裸足でフローリングを歩き回るんだよね。冬用のスリッパ用意したんだけど、ポイってしちゃうし……だったら、ルームソックス履いてもらおうって思って」

「良いですね! 冬の板間は氷かと思うほど冷たいですし」


 戒斗用のルームソックスを選ぶエマの表情は柔らかい笑顔だ。そんな彼女を見つめて、葉月は微笑む。


「鉄男さん……いえ、戒斗さんのことが、大好きなのですね」


 エマは振り向いて、花が咲くような笑顔。


「うん! 誰よりも、何よりも、ボクはカイトが一番好きなんだ」




「大丈夫かっ、しっかりしろ!」

「うあっ……強い、いくらなんでもアレは強すぎやしないか……身が保たない……」

「同棲しているんだろう、よくそんなので生きていけるな」

「正直言うとな、毎日瀕死だ……しかも今回は、俺の預かり知らないところでの発言だからな、もう無理、無理、しんどい」

「元エージェントだろう踏ん張れ! なんとか踏ん張れ! 自宅に帰ったら、買ってきたものを渡されるんだぞ?」

「渡され……ッ……」

「しっかりしろ!」

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