たべちゃおっか
靴下もつい色々と買い込んでしまった。膨れ上がった紙袋を抱えて、女二人はとことことメイン通路を歩く。特に目的が無くても良いのだ。ふらふらするのが楽しいのだ。
と、そんな二人の鼻腔を直撃する香ばしい匂い。二人の歩みが徐々に遅くなり、顔だけが匂いの元へと固定され、最終的には止まってしまう。
「……鯛焼きだ」
「……鯛焼きですね」
移動の時は何故か毎回繋ぐ手。互いの手に力がこもる。
「焼き立て、ですね。いい匂いが……」
「そんなに沢山食べなければ、大丈夫だよね」
「ですよね。何個も食べすぎなければ、問題ありませんよね」
「ね、そうだよね。お夕飯に響かなければ……」
そしてそのままふらふらと、鯛焼き屋の方へ吸い込まれるように近付いてゆく。気が付けば焼きたての暖かい鯛焼きを手に、広い通路の真ん中にある休憩用ソファーに腰掛けていた。しかも、抹茶ラテまで用意して。
もふもふと笑顔で鯛焼きを頬張る女の子二人が、よもや片方は復讐の炎を燃やし悪鬼の如き男と共に修羅の道を行く人物とは思うまいし、もう片方は冷徹極まりない女帝の如く金も人の命もゴミクズのように扱う人物とは信じられまい。
「エマさんは、あんこは大丈夫なのですか? 欧米の方はあんこが苦手な方が多いような印象があるのです」
「最初はボクもビックリしだけど、あんこ大好きだよ。豆を甘く煮るっていうの、初めてだったから」
「ですよね。それで忌避する方が多々いらっしゃったので、ちょっと驚きました」
「カイトがね、美味しいから食べてごらんって勧めてくれたんだ。ボクが初めて食べたのはどら焼きだったけど……」
「ふふ、戒斗さんがそう仰るのなら、確実ですね?」
「うん。カイトが勧めてくれるものが、美味しくない訳がないもの!」
少し頬を赤らめて、エマは嬉しそうに話す。
「それからね、あんこ大好きになったんだ。だからつい、鯛焼きとかどら焼きとか食べちゃうんだよね。食べ過ぎに気を付けないと」
「う、食べ過ぎ……私も気を付けないと。甘いものが好きなので、どうしてもつい、手が……。先日も忠仁さんに注意されてしまいました」
「忠仁さん、ってあの執事さんだよね?」
「はい。取引先との会食があるのに、あんまんを買い食いしてしまいまして……忠仁さんと半分こして、共犯者になってもらいましたが」
ふわふわ微笑みながら話す葉月だったが、じっと見つめてくるエマの視線に気付き、「どうしました?」と首を傾げた。
「葉月さん……執事さんのこと、好き?」
ぼっ、という音が聞こえるのではなかろうかという勢いで葉月の顔が赤くなる。耳まで赤くなる。ごく控えめな声で「……はい」と返事。
だが、すぐにその表情は悲しげな色に染まってしまった。
「側に、いてもらえるだけで、私は幸せ者なのです。それがたとえ、どんな形であっても。酷い女だということは、誰よりも自分が分かっておりますから……」
視線が食べかけの鯛焼きへ落ちて、暖かさは失われてゆく。沈んだ視界の隅に、エマの白く細い手が入り込んできた。葉月の膝の上にそっと乗せられた掌は暖かく、柔らかい。
「あのね。ボクは……葉月さんのその『好き』って気持ちだけは、そのままで良いと、思う」
ぽんぽんと、まるで幼子をあやすように。恐る恐る葉月が手を伸ばせば、エマの柔らかい手がそっと包み込んだ。
「ボクには想像もつかないような、沢山の、色んな壁があるんだと思う。ボク達にも沢山の壁があるように。その壁が行く手を阻むのか、それとも二人の間を阻むのか、それも分からないけれど……でも、何があっても、好きっていう気持ちはそこにあるんだ。その暖かい気持ちだけは、どうか、大切にして」
ぎゅうっと手を握り返す。二人の細く白い手は、きっと誰よりも力強い。
そんな二名であったので、彼女達をじろじろと見つめる視線には気付かなかった。悪意がこもったものではなかったからだろうか。だが、善意でもなかった。いや、限りなく悪意に近いものだったかもしれない。
「どうする?」
「イケるんじゃね」
「だよな。連れの男とかいねぇよな」
「いねーだろ女二人なんて組み合わせにさあ。いつものパターンでいけるべ」
「ユースケさんの店? 何時から開いてたっけ」
「いや、言えば開けてくれる。その方が都合いいっしょ」
「ハハ、確かにな。また二階の部屋借りればいいか」
「いや、もう店ん中でいいんじゃねぇの? みんなで楽しく」
下卑た笑いを浮かべてから、若い二人組の男はエマと葉月の座るソファーへと接近した、いや、しようとしたのだが。
「あの二人に用があるのなら、こちらを通してからにしてくれないか」
突如、見知らぬ男が立ち塞がった。いつの間にそこに居たのか全く分からなかった。気が付いた時には既にそこに居て、何とも形容し難い空気が周囲を支配していた。
「ンだテメ、ワケ分かんねぇコト言ってんじゃ……」
適度に恫喝すればいいだろう、程度に思い言葉を発したまでは良かった。しかし目の前の男が掛けていたサングラスを外し、その視線が真正面からぶつかってきた瞬間に、言葉は全て失われてしまった。恐怖に体が竦み上がってしまったからだ。
赤子が見ても分かるであろう、殺意。酷く明確な、あからさまな程の。しかもそれは比喩や感情の方向性などという生易しいものではなく、実効性を伴った意識の流れであった。突進してくる車を目にしたときのような、落ちてくる岩の音を聞いたときのような、すぐ側にある死の実感。
こいつは一体誰だ、化け物か……
「私にも話を通してもらわなければ困ります。アポイントメントもなしに面会など、予定が大幅に狂ってしまいますので」
背後にも一人。こちらは少し老けた声だ。丁寧な口調だが、声色には一切の感情が含まれていなかった。多少の抑揚くらいはありそうなものだが、とにかく言葉のひとつひとつがまるで心のこもらない、虫けらを踏み潰す時の気軽さにも似た酷薄さ。
「さあ、どこか落ち着いた所でアポの調整をしましょう。大丈夫、すぐに終わります」
軽く肩を叩かれる。それはただの、死刑宣告であった。
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