いっしょにおかいもの 〜日々谷警備保障は今日も順調です。外伝〜

榊かえる

おでかけしましょう

 玄関のチャイムが控えめに一度鳴った。思わず、びくりと体が竦んだ。一体誰だろう? 何か荷物を頼んだ覚えはない。

 一応インターホンは取る。戒斗の関係者である可能性があるからだ。だが、聞こえてきた声はエマも知る、しかし戒斗関連と言い切ってしまって良いものかどうか微妙な立ち位置の人物ものであった。


『あのぅ……安藤です。安藤葉月、です。ええと、エマさんはいらっしゃいますか?』




 時は平日午後二時。寒い季節だが風はなく、日も出ているので思ったより暖かい。着慣れたグレーのパーカーワンピースに厚手のタイツ、上にカーキグリーンの冬用ジャケットを羽織っただけだが十分だった。そもそも移動自体が車だから、あまり防寒対策にカリカリしなくても大丈夫である。


「申し訳ありません、突然……」

「そんな、大丈夫ですよっ」


 ハンドルを握って小さくなる葉月に、エマは笑って答えた。

 葉月はいつもの着物姿ではなかった。モヘアの白いセーターに若草色のシフォンスカート、髪も緩い三つ編みにしているし、ふわふわなニットのキャスケットなんて被っている。


 葉月には何度か会ったことがあるが、全て着物を着ていた。であるので、非常に珍しい。会ったと言ってもエマは基本的に戒斗の横にいるだけで、葉月とはある程度言葉を交わしただけだ。しかも、初めて会ったときなどは銃口を彼女に向けた覚えがある。葉月の方も、向けられた銃口に眉ひとつ動かさずにいた。戒斗が未だに警戒心を解かずにいる相手。何を考えているのか分からない、底の見えない女。微笑みの裏に何を隠しているのか分からないような人物。

 だと、思っていたのだが。


「たまたま、お仕事がキャンセルになって。午後が全部空いたんです。で、その、居てもたっても居られなくなって」


 ちょっと顔を赤らめて話す葉月は、年相応の女の子に見える。まあ、実年齢はさっぱり分からないのだが。


「小百合さん、えっと、日々谷の社長さんですとか、事務のみどりさんだと、お姉さんみたいに接してくださるんですね。そういうのはちょっと違って……それが嫌だというわけではないのです、とても楽しいし大好きなのですが、ううー、なんて言えば良いのでしょうか」


 言葉を探して少し首を傾げる仕草は、今まで見てきた「安藤葉月」という人間像からは想像もつかないほどに幼く見えた。


「香華さんは、その、こういう場所にお誘いするのも気が引けて……」

「ああ、うん、分かります。すごくよく分かる」


 何せ、彼女らが向かっている先は所謂ショッピングモールという所である。香華のような「お嬢様」「セレブ」「上流階級」の人間を連れてゆくような場所ではあるまい。だがそれは葉月にも言えるのではなかろうか?


「本当に申し訳ありません、エマさんもお忙しかったでしょう?」

「いえいえ、今日はもうお洗濯も全部終わったし、お夕飯の準備は大体できてるし。あとはどう過ごそうかなって悩んでたんです、ホントに」


 実際そうなのだから、そうとしか言いようがない。朝からことこと煮て作ったビーフシチューは、一旦冷まさないと味が染み込まない。戒斗が帰ってきたら再び火を入れれば良い状態にまで仕上げてある。買い物は済ませてあるから必要はない、掃除も終わった、ならば読書でもしようか、それとも昼寝でも……と、ぼんやりしていたところの来客であった。


「そういえば、いつも一緒にいる執事さんは?」

「……置き去りにしてきました」

「え?」

「と言うか、抜け出してきました!」

「ええぇ……!」

「忠仁さんには悪いことをしてしまいました」


 えへへ、と小さく笑い声を上げて、ちょっとだけ舌を出す。こんな人だったのか、彼女は。驚きが大きすぎて、エマは目をぱちくりさせるしかできない。


「お友達とお買い物に行きたい、と言っても、きっと止められてしまうでしょうから。事足りるのは分かっています、ですが、そうではなくて……」


 やはり言葉を見失い、葉月は首を傾げる。エマにも適切な言葉は見つからなかったが、葉月の言わんとしていることは分かる。なんとなくだが、分かるのだ。

 そうこうしているうちに、車は目的地に到着した。ごく普通のショッピングモール。まあまあ大きくて、まあある程度の範囲内にはあるような、そんな場所。やたら広い駐車場に車を停めて、女二人は降り立つ。


「……ああ、やっぱりご迷惑ですよね、こんな突然、とりとめもなく買い物に行きたいなんて……うう……」


 キャスケットのつばをぎゅうっと握って下げ、葉月は顔を隠してしまった。そんな葉月の真正面に回り込むと、エマは下げたキャスケットを元の位置へと強引に戻してしまう。


「ボクはね、葉月さんに誘ってもらって、とっても嬉しいよ」


 きょとんとした葉月の顔。睫毛の長いぱっちりとした瞳が、エマを見上げる。エマは葉月の手を取った。


「さあ、いつまでも外に居たら風邪引いちゃうよ! 行こっ!」


 少々強引に手を引いて、エマは駆け出す。葉月も慌てて走り出した。




 日々谷警備保障本社事務所の午後は気怠い。いや、気怠い空気を発する人間しか、事務所の中にいないと表現するべきだ。いつもガミガミとお小言を食らわせる禅が外に出ているから、というのが最大の原因である。

 何せ、社長からしてデスクにクッションを置いて突っ伏し、昼寝する気満々であるからもう駄目だ。電話が鳴ってもすぐに出ない。これでもし禅が居たなら、「3コール以内に出る! 5コール以上経ってしまったら必ず『お待たせしました』と付ける!」と怒りまくっていただろう。

 まあ、電話には出なければならない。事務員のみどりがいれば彼女が取るのだが、みどりも備品の買い出しに出ていてこれまた不在だ。渋々、社長が受話器を取った。


「はい、日々谷警備保障本社でございます……はい、はい、少々お待ち下さい」


 外面専用の声を作っただけで疲労困憊の社長は、保留ボタンを押してから気怠げな声を上げる。


「鉄男くーん、でんわー」

「えぇー、俺ェー?」

「おぬしー」


 とだけ告げて再び突っ伏す社長。仮眠室で眠ればいいものを、とも思うだろう。しかし、仮眠室では既に千鶴が惰眠を貪っている。早い者勝ちなのだ。

 こちらも渋々と受話器を取る鉄男。彼に至っては真っ当な営業用音声を作る気もない。


「はいー、お電話代わりました、黒沢ですー……」


 椅子の背もたれにだらりと寄り掛かったまま、怠そうな声で応答する鉄男であったが。


「……え?」


 怒気を孕んだ声とともに立ち上がる。


「分かった、すぐ行く。すぐに行く!」


 叩きつけるように受話器を置いて電話を切ると、背もたれに引っ掛けたままのファー付きジャケットを奪うように引っ掴んだ。


「社長、今日は半ドンで上がる!」


 是非すら問わず、鉄男は猛烈な勢いで走り去ってゆく。社長は「へーい……」とだけ返して、彼を見もせずにひらひらと手を振った。


「しゃちょー、意見具申ー」

「はーい、貴士くんどうぞー」

「鉄男ってこの後さあ、仕事入ってなかったっけー?」

「あー……じゃあ貴士くん、代打」

「うーわ、言うんじゃなかったー」

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