1-5二人きりの早朝

 日課の早朝ランニング。

 東の空が淡く光り出すが、辺りはまだ暗く、景色もろくに見えなかった。これから千人近くの生徒が一同に走り始めるグラウンドであったが、まだほとんど人の気配はなかった。

 ただ、はっきりと足音が響いている。他の生徒がおらず、静寂な闇の中なのだから、嫌でも目立つ。それだけではなく、走る彼の眼前には球体が輝いていた。

 こんな時間に走る人物は一人しかいない。間違いなくレスティヌ・マグナだ。

「レスティヌ!」

 ある程度近付いてきたタイミングを見計らって、ラティーナ・アーキオは声を掛ける。そこまで大きな声を出したつもりはなかったが、思いの他声が響き、思わず口元を押さえてしまう。

 レスティヌはそれに気付き、やや走るペースを上げ、近付いてきた。

「どうしたんだ、ラティーナ。今日はやけに早いではないか」

 明かりを煌々と照らしたまま、彼は立ち止まる。

「そうね、早く来たつもりだったのだけれど、まさかこんなに早くから始めているとは思わなかったわ」

 レスティヌとメリダに負けたのが悔しく、彼女はここ最近訓練により気合が入っている。走る量も増やしてみたが、レスティヌに聞きたいこともあり、いつもより三〇分早く寮を出ていた。

「なに、こちらも始めてまだ間もない」

「その光は?」

「足元が暗いと危ないだろう? 微弱な魔法ではあるが、走りながら維持し続けることで訓練にもなり、一石二鳥というわけだ」

「へえ、面白いこと考えるのね」

 これまでの訓練で、強い魔法を撃つことは学んできたが、弱い魔法を長時間維持する訓練等は考えたこともなかった。しかし、Bランクに昇格する為の試験項目に、防御魔法の維持時間があることはわかっている。

「それで、どうしたんだ、こんな時間に?」

「ちょっと聞きたいことがあるの。まあ、折角だから走りながら話しましょう」

「君がそれでいいなら」

「ついでだし、その訓練、私にやらせてよ」

「好きにし給え」


 徐々に日が昇り始める。東の空は赤く、真上は紫、西は暗い青。魔法を使わずとも足元が朧げに見える程度の明るさの中、二人は無言で走っていた。

「それで聞きたいことというのは、何だ?」

「ちょっ、黙ってて!」

 今は彼女一人に明かりを任せ、走っているが、一向に彼女から話を切り出す気配はなかった。走りながら魔法を維持するのに必死でそれどころではないようだ。

 彼女の放つ光は細かく明滅し、徐々に弱まってきたと思えば急に強く輝いたりする。

 半周程走って、ラティーナは言う。

「こ、これ、めちゃくちゃ難しい……」

「初めてならそんなものだろう」

 魔法が消え掛けると、再び彼女は魔力を込め、必要以上に明るく照らす。走るのを維持するのが難しくなり、彼女はぜえぜえと息を切らしながら立ち止まった。

「しかも一周も走ってないのに、やたらと疲れるし」

「魔法に集中しているせいで、呼吸が安定していなかったからな。続けていくうちに徐々に慣れてくる」

説明を受けるが、彼女はほとんど話が聞こえていなかった。やがて光は徐々に萎んでいき、完全に消えてしまった。

「だいぶ明るくなってきたし、もう明かりは必要ないだろう」

「そ、そうね……でも、ちょっと落ち着かせて」

「わかった。だが、呼吸を整えるのも走りながらにしよう」

「鬼……」

 そう思ったが、ペースは落としてくれている。もう半周も走った時点で呼吸はだいぶ整ってきた。

 レスティヌの呼吸は終始乱れない。ラティーナが落ち着いてきた頃を見計らってか、少しペースを上げたが、フォームも表情も変わっていないところを見るとまだ手加減しているのだろう。ラティーナも同学年では鍛えている方である。この程度ならばついていくことは容易だ。

「ねえ、あなた最近、メリダと放課後に練習しているんですって?」

「その通りだ」

 これ以上ペースを上げられる前にとラティーナは聞いた。慌てる様子もなく、簡潔に答えるレスティヌに少しもやもやしたものを抱えながら、ラティーナは続けて尋ねる。

「で、どうなの、彼女は?」

「予想以上の才能だ。彼女は魔力的な才能だけでなく、目もいいらしい。昨日は三〇〇メートル先の的に見事命中させたぞ」

「へ、へえ……」

 悔しかった。レスティヌにそこまで言わせる彼女に対する嫉妬が一番であったが、レスティヌの評価があくまでも彼女の能力に対してであることに少し安心してしまった自分に対し、少し苛立ちが増した。

「何で突然先生の真似事なんて始めたの?」

「理由は複数ある。一つは、二対二の試合に無理やり巻き込んだ詫びだ」

 ふむふむと頷く。

「一つは、周りが彼女の才能に気付かず、また伸ばせないことへの苛立ちだ」

 これも納得できる理由だ。

 確かに、レスティヌは実力こそ学年トップレベルであるが、総合的な魔力量や一撃の威力では平均程度でしかない。入学当初は下から一、二を争う程の魔力量だったのだから、彼は才能がない部類に入るのだろう。それゆえに才能がある者を認める反面、才能があっても努力をしない人間に対して苛立ちを隠さない。

「一つは、嫉妬だ。彼女の能力は喉から手が出る程欲しいが、現在の私では逆立ちしても手に入るものではない。そこであえて、彼女を教えることで彼女の上に立ち、自分を慰めているのだ」

 凄い理由だ、ラティーナは思った。

 そして、情けないとも取れる理由を堂々と言ってのけるのもまた凄いと感じた。

「そして後一つが……」

「まだあるの?」

「その通りだ。私には今年中に試したい目的がある。その達成には彼女が必要なのだ」

「目標?」

「私はアウレリウス戦役とも言える、この戦争に参加したいのだ。そして、私が考えた戦術が通用するかを試したい。その戦術には彼女が是非とも欲しいのだよ」

「は? 戦争に参加って……あんた正気なの?」

「なに、アウレリウスと直に戦おうというわけではない。戦場の端で思い描いた戦術を試したいだけだ」

「その戦術って?」

「今は教えることができないな。まだ構想段階だ。実践できるかどうかもわからない」

「それじゃあ――」

 ――その戦略に私は必要? 尋ねようと思って足が止まる。必要ないと言われるのが怖かった。女子の学年トップの成績を誇る彼女だが、それだけだ。所詮は学生の中でも下級生であり、彼女自身は何者でもない。実際の戦場で戦術を立てるのであれば、実戦経験もなく能力も中途半端な彼女よりメリダのような未完成でも一芸に特化した人材の方が使い処があるのは明々白々だった。

「どうした?」

 立ち止まる彼女を心配し、レスティヌも足を止める。

「なんでもないわ」

 それ以上は言わず、彼女は再度走り出す。追い越す彼女に、レスティヌは後ろについて走った。不意に声が聞こえた。

「あのガキまた一番乗りだぞ」

「まあ、いつものこと――って、今日は女連れかよ」

 どうやら上級生が来たらしい。学年が上がると走る距離も長くなる為、必然と上級生の方が早くグラウンドに来ることになる。彼ら二人はその中でも早起きな方らしい。

「普段から必死になってかわいげのある後輩だと思っていたけど……」

「ちょっと調子に乗ってんな」

 走る足音だけの静かな空間に会話は響きやすい。彼らは軽く屈伸等の準備運動をするとレスティヌたちが近くに来たのを見計らって走り出す。

「どうやら会話はここまでだ」

「え?」

「今日の先輩方は本気らしい!」

 上級生二人があっさりとレスティヌたちを追い越すと張り合うようにレスティヌはペースを上げた。

 ラティーナはそれに追随することができず、一人で走ることになった。

 見る限りレスティヌがついていった人たちは最上級生だ。年齢にして六~七歳の差である。万全の状態でも勝てるはずのない相手に、既に何周も走っている状態で何故張り合うのか、ラティーナには全く理解できなかった。

 自分もついていこうか迷ったが、迷っている間に大きく差をつけられ、そんな考えも失せてしまった。

 結果としては三周程走ったところで、レスティヌのペースが一気に落ち、毎朝見る、疲れ切ったレスティヌが完成した。その間にも上級生から順々に学生たちがグラウンドに集まり、レスティヌと二人きりだった珍しい朝はあっという間に日常風景へと変わっていった。

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