1-1国立指揮官学校

 マスニア共和国、国立指揮官学校。それは、総人口五〇万を超す都市を中心とし、多数の同盟国、植民国を持つ大国、マスニア共和国の唯一の公立学校であった。名家の出身か、金持ちの家でない限り入学できない全寮制の学校である。長らく国の軍事と政治を選挙にて選ばれた人間に任せていたマスニアだったが、国の規模が大きくなるにつれ、指揮官不足に悩むようになっていた。多くの名門は優秀な家庭教師を呼ぶことで、勉学や戦、魔法を学ばせているが、それではどうしても輩出される人材に偏りが出てしまう為、建設されたのがこの国立指揮官学校であった。


 設立されて五〇年、未だに一部の名門は独自に勉学を学ばせているところも多いが、卒業した者の実績も多く、評価は年々増していくばかりであった。

 修学期間は約一〇年。大体一〇歳から二〇歳までの間である。『約』とか『大体』という言葉がつくのは、お金さえ払えば途中入学が可能で、家庭の事情から二〇歳を待たずして卒業する者も多いからだ。

 レスティヌ・マグナの指揮官学校の一員であった。一〇歳から入学して、今年で三年が経つ。

 今は週初めの授業が終わり、友人と寮に戻るところであった。

 隣を歩く少年はエネアス・アッサロイと言い、レスティヌと同い年であったが、彼の方が縦も横も一回り大きかった。魔力はエネアスの方が入学当初から高かったが、彼は普段からレスティヌをライバル視している。ライバル視はしていたが、お互いの実力は認めており、小競り合いはするが、良い友人という間柄であった。

 歩いていると、初老の男性がこちらに向かって来る。

 レスティヌと友人はすれ違う前に脇に退き、頭を下げる。教師とすれ違うときの礼儀であった。

 頭を下げ、教師の足元を見ていると、その足が目の前で止まる。

「レスティヌ」

 呼ばれ、頭を上げる。

 目の前にいたのは、デキウス・ロメスト――この学校で、ともすればマスニア共和国内で最も強い男であった。年齢は六〇に近く、髪と髭の両方が白い。背が高く、背筋がピンと伸びており、老人とは思えない威圧感を感じた。

「君はまた街に出て決闘をしたそうだね?」

「誰からその話を?」

「アグニ先生だよ。君が決闘していた場に居合わせたらしい。大儲けできたと喜んでいたよ」

 笑顔を見せるが、目元は笑っていない。

「そ、それは良かった……」

 怒られるのは覚悟の上だったが、デキウスの威圧感は半端ではない。昨日闘ったラスタなど一捻りであろう実力も兼ね備えている。背中に嫌な汗をかきながら、レスティヌは次の言葉を待った。

「学生の決闘は控えるように言ったはずだがね?」

「しかし、教師だって私の試合を観戦して賭けを行っています。それを私だけが非難されるのはいささか理不尽かと」

「彼はマスニア市民として当然の権利を履行しているまでだ。しかし君は、マスニア市民であると同時に将来有望な指揮官候補だ。個人的な娯楽で命を落とす危険を冒すものではない」

「軍を指揮する者として、危険はつきものです。それを恐れていては大成はできないかと思います」

「無用な危険を避けることも指揮官として重要なことだ。人を助ける為に火事に飛び込むことは勇者のすることだが、そのために自ら火をつけるような者を勇者とは言わない」

「ごもっともです」

「そもそも、君程勤勉な学生が何故決闘などという娯楽に現を抜かすのか、甚だ疑問だ。君は将来大軍を指揮する立場になり、一対一での戦闘に特化するべきではないことは――」

「まあまあまあ! ロメスト先生! お説教はそのくらいで」

 デキウスの勢いを殺すように、横槍が入る。いつの間にかデキウスの隣に立っていたのは、件のアグニだった。体育担当の教師で、身長はデキウスと同じくらいだったが、骨太の体格もあって一回り大きく見える。レスティヌよりも大きな体格の男性が三人も並び、彼はひと際小さく見えた。

「決闘を行ったのも、彼の場合娯楽というよりはその勤勉さ故でしょう。負けていれば死ぬ危険もあったでしょうが、何にせよ彼は勝った! 今回はそれでいいじゃあありませんか!」

「アグニ先生、何一つよくありませんよ」

「まあまあまあ、ここは私に免じて」

 グイグイと押してくる性格に、これ以上は無理と悟ったのかデキウスはため息を吐き、言った。

「わかりました。ただ、少しだけ付け加えさせてください、アグニ先生」

「わかりました」

 アグニはスッと一歩身を引く。再度デキウスはレスティヌの前に立ち、言葉を続けた。

「君もわかっているだろう、マスニアの住民全員が苛立っていることを。戦争が始まって既に二年が経過しているのだ」

「それは……わかっています」

「こういう時こそ息抜きの娯楽は必要ではある。しかし、決闘の数が減っているにも関わらず、決闘による死者は増すばかりだ。しかもほとんどが結果が気に入らなかった観衆の暴動によってだ。今は本当に危険なのだ、レスティヌ。それがわかったなら少なくとも戦争が終わるまでは大人しくしなさい」

「はい。心得ました」

 返事を聞くと、デキウスはその場を去っていった。

 アグニもそれに続くが、去り際に暑苦しい笑顔で、グッと親指を立てていった。彼としてはこの場を上手く収めたつもりなのだろう。

 その二人の後ろ姿を眺め、ぽつりと呟いた。

「火事に飛び込む為に自ら火をつけるって、こういうことなのかな?」

 緊張から解き放たれたこともあってか、エネアスはブハッと豪快に吹き出した。

「なるほど、確かにそんな感じだ」

 彼は笑い出すと止まらない。ひとしきり笑った後に、呼吸も定まらないまま彼は言った。

「しかし、お前が普通にしゃべるの、久しぶりに聞いた気がするな」

「そうだったかな?」

「そうだよ。最近のお前、やたらと偉そうというか、やたらと声がでかくて尊大にしゃべるから、こっちも会話に入り辛いっていうか」

「エネアスよ、これは練習だ。一方的に話し、相手に反論さえ話させずこちらの意思を押し通すための」

「そうそう、そういう口調。ていうか、そんなの練習してどうするんだよ?」

「君は見たことがないのか、壇上で高らかに話す過去の執政官たちの勇姿を。彼らの声はざわめく民衆の雑踏を貫き、遥か後方にまではっきりと届く。滑らかに紡ぎだされるその声に人々は、執政官たちの才覚を感じる。天から与えられたとしか言いようのない演説の才、それを私は練習にて体得したいのだ! ならば日常より己を鍛えるしかないだろう!」

「お、おう……」

「君も私と同じく執政官を目指しているのならば、練習しておくがいい。五〇万の市民の中で、わずか二人だけの狭き門ではあるが、毎年入れ替わっているのだ。私が執政官になった暁には、君を次期執政官として推薦してやろうではないか」

「ほう……言うじゃあねえか。魔力量でも真ん中からちょっと上程度で、Cランクに上がったばかりの野郎が」

「入学当初からCランクだからと言って、調子に乗っているのは君ではないかね? 君は入学当初こそ、学年一位だったはずなのに、模擬戦勝率では既に三位にまで落ちているではないか。それに、過去はどうあれ今の私と君は完全に同格だ」

「ぐっ……、べ、別に今時分の勝率なんかに興味はねえ! 最後に学校最強になれればそれでいいんだ!」

「まあ、勝率が落ちている原因は主に私だが」

「ぐっ……」

 エネアスはこれまで何度となくレスティヌと闘ったことがあるが、勝率は二割にも満たない。魔力では圧倒的にエネアスの方が上であったが、いつも一瞬の隙を突かれ、敗北する。

「エネアスよ、私は残念でならない。魔力の才能も体格も君の方が上なのだ。まともにやれば君が勝つことは皆が認めるところだ。君がもっと考え、闘い方を学んでくれれば、私は君を追い越す楽しみが増える。そうすれば外に決闘相手を求める必要もないのだ。そう! この度叱られてしまったのは君のせいなのだ!」

「責任転嫁も甚だしいだろ!」

 そう言って、エネアスは背を向ける。言い方は少し問題があるが、レスティヌが自分の実力を高く評価していることを少し嬉しく思い、また嬉しいと思ったことが悔しかった。

「ん? あそこにいるのは……」

 エネアスが背を向けていると、レスティヌが何かに気付き、手を振っていた。

 少し離れた場所から、少女が足早に歩いてくる。

「レスティヌ、あんた相変わらず声大きいわね。あなたの声だけやたら聞こえてきたわ」

「それは嬉しい限りだ」

「ら、ラティーナ……」

 現れたのはラティーナだった。同じ学年の女子で、今日も何度も会っているはずだが、エネアスは明らかに動揺していた。

「エネアスも、こんな所で騒いでいたら先生に目を付けられるよ」

「あ、ああ、うん。そうだな」

 耳まで真っ赤にしながら、エネアスは辛うじてそう答えた。ラティーナはレスティヌに向き直り、言った。

「昨日の決闘の件、ロメスト先生にたっぷりと絞られていたみたいね」

「まさかこんなに早くばれるとは思っていなかったよ」

「言っておくけど、私は何も言っていないからね」

「アグニ先生がたまたま居合わせたらしい。儲けたらしいから今度奢ってもらおう」

「あなたの方が稼いでいるじゃない」

「お、おいおい! どういうことだよ?」

 二人の会話にエネアスが割って入る。

「まさか二人とも、昨日一緒にいたのか? 何で?」

「デートしていたからに決まっているじゃあないか」

「そんな上等なものじゃあないわよ。ソネスタの五巻、最近学校の図書館でも入荷したけど、人気が凄くて借りられなくて。レスティヌのお父さんが二冊持っているって言っていたから貸してもらったの」

 レスティヌの言葉をラティーナがすぐさま否定する。ソネスタとは、海外の書物で、ソネスタという主人公を描いた伝奇であった。翻訳するのに時間が掛かり、一冊ずつ手書きで写す為、冊数が非常に少ない。

「それなのに突然行方不明になったと思ったら、決闘なんて始めちゃって。あんなのがデートなわけないわ」

 否定の言葉にほっとするエネアスであったが、ふとあることに気付く。

「ところでラティーナ、その首飾りは? 初めて見るけど……」

「あ、これ? 似合う」

「うん。凄く似合っている。とても綺麗だ!」

「ありがとう。昨日、レスティヌに買ってもらったんだ」

「…………」

 エネアスが固まる。その横では、レスティヌが笑いを堪えていた。

「どうしたの、エネアス? もしもーし?」

「ぬ、抜け駆けで決闘を行っていただけでもイラついていたのに……か、隠れてラティーナと……」

 ぼそぼそと話すエネアスにラティーナが怪訝な顔つきになる。

「あんまりだぁあああああああっ!」

 突然叫んだと思うと、エネアスは駆け出して行った。レスティヌはついに堪え切れなくなって、声を上げて笑った。

「どうしたの?」

「さあ?」

 ひとしきり笑った後、レスティヌはそう答えた。

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