太陽は罪な奴

 夜が明けた宮内庁庁舎内の会議室。昨夜は実家からここに戻るとすぐに、仮眠を取ることを言い渡された。恐らくしばらくは仮眠も取れなくなる――言外にそう断られたことに気づき、三月は全力で眠った。

 その結果、幸か不幸か一番に起きてきてみると、会議室では十塚が一人資料の整理をしており、この人は早死にしそうだと三月は何も言わずに手伝うことにした。徹夜仕事だということは一目瞭然だった。

 それからメンバーが起きてくると、誰もが十塚を気遣って行動した。慈姑ですら無言でファイル整理をやり始め、最後に起きてきた少佐が買い出ししてきたコンビニのおにぎりとペットボトルのお茶で朝食をとると、やっと十塚もひと息吐けたようだった。

 十塚は三月に厳重に確認を取ってから、昨夜の理一郎の語った話を、一部分だけ全員に伝えた。

 具体的には、三月がアンゴルモアの求めていた「投影機」だというところ――それ以外は一切口外しなかった。

「恐らくは鬼島さんの投影機としての力は、現行のアンゴルモアは必要としていないでしょう。彼らが投影機を必要としたのは恐怖の大王を完全に顕現させるためですから、恐怖の大王と違うアプローチをしかけている今では無用の長物だということです」

 金沢が即座に見解を述べる。十塚もその通りだろうと頷き、昨夜からずっと顔色の優れない山住に目を向ける。

「そこで私は考えました。二十年前の彼らの計画を、そのまま利用してしまえばいいのではないかと」

「ええ……」

 メイクを大部分忘れた咲が明らかに困惑した顔でオフィスチェアの背もたれに顎を乗せて伸びをする。

「一歩間違えれば国が滅びるんでしょう?」

 少佐が若干の好奇心をはらんだ声で訊ねる。

「二十年前は、日本中に広がった恐怖の大王を見鬼に規定させ、それを鬼島さんによって投影させることが目的でした。ただ、その場合の恐怖の大王は、世界の終わりという極めて限定的な扱われ方をしていました」

「恐怖の大王レベルの大災禍は現在ではそもそも規定できない――それにこちらであらかじめ投影させる存在を定めておけば、危険はないと……?」

「はい。増幅装置は、山住さんに信頼できる見鬼を集めてもらえれば安全です」

 山住は心底いやだとでも言いたげに顔を顰め、そのまま自分の中でフラストレーションがたまり切ったのか、やがて両手を挙げて勝手に降参の意を示す。

「わかった、わかりましたよ。集めろと言われりゃそれこそ全国からかき集めますって。だけど、これだけは守ってください。あんなふざけた視座とやらに、ほかの見鬼を巻き込むことだけはしないでください。俺は昨日からずっと気が触れた気分ですよ。絶対にまともな人間に聞かせていい話じゃない。それを守れないなら――」

「無論です。山住さん、私も同じです」

 十塚の言葉に山住は苦々しげに溜め息を吐く。山住が受けた衝撃は、そのまま十塚にも当てはまる。だったらもっとらしくしていろ――十塚に同情するように、山住は長々と息を吐いた。

「増幅装置と投影機を用意できるとして、なにを投影するんですか?」

 咲が至極真っ当な質問をする。

「歪んでしまった妖怪を、再規定するということを考えています」

「なるほど、現在のメインストリームを上回る、より大きな流れを人為的に生み出してしまうということですね」

「いやでも、現在進行形で妖怪は歪められて、今にもそれが現れようとしてるじゃないですか。そんな戦力の逐次投入みたいなことをしても、いたちごっこになるだけのような気がしますね」

 確かにと全員が黙る。歪められたかぶきり小僧の出現はあくまで嚆矢であり、それが原因ではない。今さらかぶきり小僧を再規定しようと、この始まってしまった流れは止まらない。それはほかの全ての妖怪に対しても言えた。

「何か、とんでもないものを生み出して、全部ちゃらにできたら楽なんですけどね……」

 咲が泣き笑いのような顔でそう漏らす。

空亡そらなき――」

 慈姑が、思案顔をしてそう呟いた。

「それだッ」

 少佐が勢いよく、本当に膝を打った。

 咲は慈姑の言葉を理解したのか本当に泣き出しそうな顔になっているが、ほかの面々はなんのことやらわからずに慈姑を見つめる。慈姑が居心地が悪そうに目を伏せるのを見て、少佐が説明を始めた。

「空亡を生み出しましょう」

「ソラナキって……?」

 少佐はにやりと笑い、

「最強の妖怪です」

 と言った。

 少佐は何者かを嘲るように、だが興奮気味に笑う。

「百鬼夜行絵巻の最後に登場する火の玉――太陽、あるいは尊勝陀羅尼の炎を妖怪視した際の名前が空亡――そう説明されることもありますが、言ってしまえば、間違い、誤解が伝播され続け生まれた、極めて特殊な妖怪です。アカデミックな場ではそもそも妖怪として認められないような代物ですよ」

 少佐の熱弁は続く。ひょっとしたら黒沢との対決を慈姑に横取りされた鬱憤が溜まっていたのかもしれない。

空亡くうぼうというのは四柱推命で十干十二支の組み合わせの余りのことで、よく知られた呼び名は天中殺ですが、最初に空亡と妖怪を組み合わせたのは荒俣宏先生だと言われています。世界で唯一の妖怪マガジンでおなじみ『怪』公認で作られた妖怪フィギュア『陰陽妖怪絵巻』に同梱されたトランプ『陰陽妖怪絵札』の中で、火の玉を空亡と名付けているんです。これは作者による解説のない真珠庵本――『百鬼夜行絵巻』の妖怪に、荒俣先生が名前と設定を与えてキャラクター化させるという企画でした。ただこの時は別に空亡は妖怪としては扱われていませんでした。読みも『くうぼう』です」

 立て板に水――元々話の上手いことを普段から窺わせていた少佐は、水を得た魚のように続ける。

「事態が変わったのは、ゲーム『大神』のラスボス、常闇ノ皇が、設定資料集で初期案での名前が空亡だったと書かれたことです。この設定資料集では、空亡は実在する、全ての妖怪を踏み潰す最強の妖怪だと書かれています。これは先ほどの『陰陽妖怪絵札』からの情報であることは明らかですが、樹木さんの言うところの拡張層はこれで納得します。これにより、妖怪としての空亡が定義されます。ただしこの時はまだ『くうぼう』です」

「荒俣先生だからこそですね……」

 咲が少佐が間を作ったのを見計らって自分の見解を述べる。

「妖怪をポップカルチャーとして見た場合、影響力のトップに立つのは水木しげる先生ですけど、荒俣先生は水木先生に直接弟子入りを志願した実質のナンバーツーと言ってもいいと思います。荒俣先生は博物学といったアカデミックな分野の方であるのと同時に、団精二名義での翻訳に始まり、小説のようなフィクションも書かれる方です。『陰陽妖怪絵札』も当然荒俣先生の創作なんですけど、そうした流れによって『荒俣先生の解説』というだけで、真実と受け取られてしまうだけのパワーがあるんですよね……。いや、荒俣先生に否があるわけでは絶対なくて、フィクションをフィクションと受け取れないことが問題なんだとは思いますけど……」

 咲の言葉にうんうんと頷き、少佐は自分の許に話を引き戻す。

「そうして妖怪化され、最強という設定を持った空亡はインターネット上の創作で使用されていきます。その中で読みは『くうぼう』から、訓読みにした『そらなき』へと変わっていった。それがさらに広まり、いつの間にかインターネット上だけで、最強の妖怪は? という質問への返答の常套句になっていったのです」

「妖怪に強いも弱いもないでしょう」

 金沢がきょとんとした顔で呟く。

「そもそも妖怪は戦いません。何かを起こすだけです。戦うとしてもそれは、一方的に退治されるだけでしかありません」

 三月などはバトル漫画で活躍する妖怪を見知っているので、最強は何かなどという与太話に興じる人の気持ちもわからないではないが、金沢の立場から見れば、妖怪がバトルを繰り広げるほうがどうかしているのだろう。

「ええ、だからこそですよ。だからこそ、空亡を生み出すんです」

 少佐は凄まじく悪い顔をして含み笑いをする。

「空亡はほぼ、拡張層だけの間で生まれた存在です。保全層で空亡を認めている人間はまずいないと言っていいでしょう。それはつまり、空亡が自然な実在化を果たすことが不可能である――違いますか?」

「あっ、そうか。保全層は言わば、実在化の最終チェック役ということですね。その妖怪の存在を保全する人間が一定数いなければ、逆説的に妖怪は実在化できない。因果の逆流が妖怪の都合の悪いほうに働くわけですね。あれ? でもそうなると……」

 納得しかけた途中で疑問に襲われる咲に、金沢が助け船を出す。

「現行の妖怪騒ぎは、保全層によって保全されているすでに存在する妖怪の情報を、拡張層と基底層の想念の勢いが上回り、上書きされている状態ということでしょう。世間の認識が完全に傾いてしまえば、それはもう新しい妖怪像と同義です」

「重要なのは、空亡が今まで一度でも実在化を果たしていないということです。規定の前例がない――つまり規定することが可能ならば、かなり自由な要素を組み込める。そもそもが間違いだらけの出鱈目妖怪です。ある程度の無茶は許容できるでしょう。まず基本の要素だけでも強力無比です」

 そもそもは百鬼夜行絵巻ラストの火の玉――百鬼夜行を終わらせる象徴。それが妖怪を退散させる太陽になり、妖怪扱いされれば最強の妖怪と化す。

「組み込む要素は――間違った妖怪を正す妖怪とかでどうでしょう」

 少佐が邪悪な笑みを浮かべると、真顔の金沢がさらに提案する。

「もう少し複雑化させて、ミームファージ〈モノ〉の天敵というのは」

「それは駄目だ。増幅装置っていうのは見鬼を使うんだろ。そんないかれたことを伝えられるか」

 完全に蚊帳の外だった山住に言われ、それもそうだと唸る。

 ミームファージという存在を直接盛り込まずに、〈モノ〉を打倒し得るだけの設定を盛っていく。少佐は嬉々として、金沢は淡々と事務的に、咲は力なく笑いながら案を出し、その都度十塚や山住に確認を取りながら、最強の妖怪――空亡をでっち上げていく。

「慈姑は何か言わなくていいの?」

 空亡の名前を最初に出して以降、ずっと黙って椅子の上で縮こまっている慈姑に、三月はそれとなく声をかける。

「いや、これでいいよ。僕もこうなることを見越して空亡の名前を出したんだから。というより、ここまでスムーズに話が運んでちょっと驚いてる。やっぱり――僕は一人だけであの視座に至ったことで、いい気になってたんだと思う」

 慈姑は話し合う三人を眺めながら、頬を緩める。自嘲気味だが、どこか優しい笑みだった。

「やっぱりさ、すごい人なんていくらでもいるんだよ。僕はただ、たまさか気づいてしまっただけなんだ。同じ視座に上がってこられたら、誰にも敵わないんじゃないか――そんなことをどこかで恐れてたんだと思う。馬鹿な話だけど」

 そう呟く慈姑の見つめる三人――自らの力で慈姑と同じ視座まで上がり、慈姑よりも雄弁にその視座に拠って議論を交わす者たち。慈姑はどこか安心したような目で彼らを見ていた。

 慈姑は、彼らが自分と同じ地獄を味わうことはないと安心している。妖怪の存在と非存在を同時に認めるという二律背反は、それを受け入れようとする者を地獄へと引きずり落としかねない。

 だが彼らはこの極めて特殊な状況下で、事態を好転させるために己の力のみでメタ視点へと登頂し、それを受け入れた。

 地獄の苦しみを味わってしまった慈姑がただ弱いだけだったなどとは絶対に言えない。慈姑は三月を信じぬいたが、同じだけ己の理性の正しさを熟知していた。何も知らずに慈姑に苦痛を与え続けた責任が、三月にはある。

 そして何より、慈姑は三月すら自分と同じ視座まで引き上げた。

 責任を取らされた形になるのか――三月は声を立てずに笑う。それで慈姑の救いになるのなら、地獄に落ちるのも悪くない。

「あと、話題に出なかったら――」

 慈姑は三月にだけ聞こえる声で、自分の見解を述べる。

「これで、どうでしょう」

 少佐が纏まった意見を整理し、文書にして印刷する。

「結構盛り込みましたね……」

「これを全て規定させるのは、見鬼の負担が多すぎるように思います。そもそもこれだけの設定を十全に理解してもらうことは難しいでしょう」

 削るべきかと相談を始めようとする三人に、三月が慈姑から頼まれた言伝をする。

「見鬼一人ずつに全ての設定を伝えるのではなく、それぞれに別々の設定を規定してもらうというのはどうですか」

 イメージはオーケストラ。それぞれの見鬼がパート分けされた設定の規定を重ね、それぞれの楽器の音色を奏でる。それだけを聞けば一つの音色だが、ほかの楽器の音色が全て同じ進行の下で重なっていけば、観客には重層的な一つの曲として届く。

「で、私が指揮者兼、録音係兼、オーディオ機器ということで――どうですか?」

「やっぱり樹木さんは視座だけでなく、そもそもの見方が違いますね。いや、だからこそその視座に至ったのでしょうけど」

 三月は慈姑の意見だとは言わなかったのだが、少佐はあっさりとそれを見破った。冷静に考えれば三月がそこまでの考えを起こせるはずがないので、唯一慈姑と自然な会話ができるという点を鑑みれば当然の帰結ではある。

「じゃあパート分けした設定を作るので、増幅装置のほうをお願いします」

「何人要る」

「二十年前のアンゴルモアは最終的に、三十人を集めました」

「多いですね――都内だけじゃまかなえない。あらゆるルートから信頼できる人間だけをかき集めるとなると、ここに揃えるのには――ああ、クソっ! どうにも俺が死ぬしかないみてぇだな!」

 悪態を吐く元気はあるようだった。信用で成り立つ社会において、無理を押し通せば必ず跳ね返りが襲う。こと常人の理解の及ばぬものを扱う業界において、それはより顕著となるだろう。山住は廃業を覚悟であらゆる手を尽くすと宣言していた。そうしなければ文字通り国が滅ぶと理解できてしまっている自分を呪うようにぶつぶつと呟きながら、携帯電話で方々への連絡を開始していた。

「特捜でも見鬼の保護は進められています。そちらからも人員は引っ張てこられるのでは? 無論山住さんが安全だと判断できる人物に限られますが」

「とにかく、急がなくてはなりません。大嶽さんは特捜で保護している見鬼を山住さんに引き合わせるように手配を。一刻も早く、ここに見鬼を集めることが必要です」

「とりあえず、俺の管轄――二十三区内の全員に半分脅しの招集はかけました。それでも十三人――ほかの地域の監視役にも連絡入れて、集めるだけ集めます」

 頭を抱えながら、山住は会議室の隅へと移動してまた携帯電話を操作する。

「一条に聞いたところでは、都内の施設で保護している都内在住ではない見鬼は全部で十人ほどだと。すぐにこちらへ送ってもらうように手配します」

 少佐が突然、あっと声を上げ、自身のスマートフォンを食い入るように眺める。

「〈モノ〉も、もう動いてます」

 少佐がそう言ってスマートフォンの画面を見せた。

 黒沢正嗣のツイッター。その最新の投稿――一分前と表示されている。

『日本妖怪愛護協会というのがこの事態の諸悪の根源だと突き止めました。警察とも繋がっている、まさに悪の組織。私は現在彼らに捕まり監禁され、隙を見てなんとかこれを投稿しています。ひょっとしたら本当に殺されるかもしれない。日本の敵を許すな。』

「一分前って――」

 黒沢はとっくに死んでいる。その投稿の意図に、すぐさま金沢が気づく。

「ミームファージに感染したほかの人間に黒沢氏の得た情報を伝えてアカウントを引き継がせたか――」

「あるいは、ミームファージがネットワーク上に自由に介入できるか」

 いずれにせよ最悪だ。現在の黒沢の支持は圧倒的。その黒沢が名指しで日本妖怪愛護協会を日本の敵だと情報の拡散を図ったことにされている。そしてその黒沢はすでに死んでいる。

「でも、なんで……?」

 このタイミング。三月たちが今まさに動き始めようとしている時を見計らって、こちらを的確に追い込むべく放たれた一撃。

「あ、あたしが――」

 かぶきり小僧が震える声と一緒に手を挙げる。

「――かぶきり小僧のメインストリームは依然〈モノ〉に汚染されている。〈妖怪ばけもの〉がローカルに保存したとはいえ、『かぶきり小僧が存在している』という状態自体が〈モノ〉にとってのバックドアになっているのでは」

 金沢の分析に激しく首を縦に振るかぶきり小僧。確かにこのかぶきり小僧は、自分自身が歪められていることを自覚していた。それはつまり、〈モノ〉と接続されているということ。

「〈妖怪ばけもの〉は――わかっていながら放置していったようですね」

 自身のアバターとして使えるということが、〈モノ〉に情報を流してしまうより有益と判断したのか。あるいは〈モノ〉の監視をかい潜ることなど端から無理だと割り切っていたのか。とにかくこちらにその事実を告げずに無責任に消えたあのミームファージは、やはり安易に信用できない相手であることは間違いない。

「日本妖怪愛護協会は非公式の組織です。そう簡単にここに辿り着ける者はいません――が」

「まずは黒沢氏の死の隠蔽――ですね」

 三月は自分が警察官としてあるまじき発言をしていることに苦い顔をしながら、冷静に意見を出す。

 黒沢は〈モノ〉に殺された――破棄されたが、そんなことは世間にはなんの関係もない。黒沢が死んだことが明らかになれば、それはすなわち日本妖怪愛護協会の凶行ということになる。〈モノ〉もそれを見越して、黒沢を処理したあとで黒沢のアカウントで発言をさせている。

「それが最優先でしょう。黒沢氏の死体は宮内庁病院で安置し、情報を流さないように手配してあります。より一層の徹底を」

「あ――ちょっと待ってください」

 少佐が自分のスマートフォンの画面をまた食い入るように見つめ、しきりにスクロールする素振りを見せる。

「俺の所属している妖怪好き連中のグループで――あ、メンバー以外には非公開ですよ――日本妖怪愛護協会の話題が急に――」

「少佐さん、まさか――」

「いや、俺は何も喋ってません。こちらに所属することになった際の契約はきちんと守ってます。違うんですよ。みんな、日本妖怪愛護協会を知っているんです。どうも、招聘を打診されてたみたいです」

 十塚は苦い顔をする。

「打診されたことは口外しないようにとお願いしたのですが」

「まあ、非公開のグループ、メンバーはどいつもこいつも妖怪馬鹿ですから――黒沢氏のアカウントのツイートを見て、自然に話題に上がったら、全員が知っていたという流れですから、責めることはできません」

 神保町の古書店界隈でも、日本妖怪愛護協会は公然の秘密になっている――幸也の言葉を三月が告げると、十塚はますます苦い顔になる。

「いや――このメンバー、横の繋がりがやけに広いんです。学生時代に第一線の研究者に師事してた人とか、イベントでプロの作家と一緒に出展してた人とか」

 少佐は生唾を飲み込み、恐らくは続々と書き込みが続く画面を見つめている。

「――やっぱり。広まります、これ」

 それはまずいことなのか――そう訊ねる前に、答えは出ていた。少佐が力強くガッツポーズをしたのだ。

「ざまあみろミームファージ! あんな山師を使ったからだ! 完全に墓穴を掘りやがった!」

 どういうことなのか理解できていない者たちに気づき、少佐は一つ咳払いをして冷静さを取り戻そうとする。だがその言葉には未だに隠しきれない興奮が残っていた。

「失敬。まず、黒沢氏の立ち位置を理解していただきたい。彼は現在まさに時の人ですが、妖怪を真剣に取り扱う界隈からは全く信頼がないんです。ゼロどころかマイナスと言っていい。研究者からは全く相手にされませんし、妖怪好きからは敵視されている場合すらあります。その彼が日本妖怪愛護協会を日本の敵だと名指しした――世間一般では、その通りのイメージになるかもしれません。ですが、こと妖怪界隈――それも日本妖怪愛護協会からの招聘を打診されたような人間の間では、逆に日本妖怪愛護協会の信頼が爆発的に高まるんです」

 それは――言ってしまえば詭弁だ。信頼のない人間の発言が信頼できないというのは、全く論理的ではない。

「黒沢氏は、確かに正確な指摘をすることもあります」

 少佐も詭弁だということは理解しているようで、それを踏まえて熱弁する。

「ですが、この妖怪騒ぎが始まってからの氏の発言は、明らかに事態を悪化させている。そしてかぶきり小僧の間違った情報ソースとして氏の著書が使われている。すでにこの界隈では、黒沢正嗣こそが諸悪の根源だという疑念が、ほとんど結論となっているんですよ。つまり氏が敵視する相手は、すなわち妖怪の正道だとみなされる。それに加えて、日本妖怪愛護協会は彼らに協力を申し込んでいる。その時は懐疑的だった人も、これを知れば我々が真っ当な組織だと認識してくれます」

「でもそれって、妖怪好きの人たちが社会から切り離されてしまうだけなんじゃないですか……?」

 咲が至極真っ当な意見を述べる。確かに世間の認識が日本妖怪愛護協会こそが国賊だとなっていくのに、それに妖怪関係者が加担していけば、両者はやがて断絶されてしまう。妖怪という文化自体が完全に排斥されてしまう恐れがあるのではないか。

「我々が、先ほどまで目論んでいた計画を忘れていませんか」

 金沢がそう言うと、咲はあっと声を上げ、少佐は力強く頷く。

「妖怪は見鬼によって規定される――これが陰陽寮の見解です。そしてそれは決して間違っていない。これを利用してアンゴルモアは見鬼による増幅装置を作り、恐怖の大王を降臨させようとした。我々はその技術を流用し、全てを終わらせるために空亡を都合よく規定しようとしています」

「ですが、そのせいで我々は忘れていたんです。妖怪は、世間に溢れる想念によって、像をなす。恐怖の大王は当時の世間で充分にその下地ができあがっていた。空亡の場合はネット上に情報が錯綜していますが、その下地が世間にできているのかというと難しい。なぜなら、保全層にリーチしていないからです」

 それで三月も少佐の興奮の理由に気づく。

「保全層は黒沢正嗣のものとされるこの発言で、日本妖怪愛護協会を信頼に足る組織だと認識します。そこに――」

 少佐は協議を重ねて作り上げた空亡の設定資料を掲げる。

「これを送りつける。文面上はこれについての意見を早急に求めるだけでいいんです。なんなら正面から否定されようが構わない。重要なのは、保全層に我々の規定する空亡という妖怪を想起させるということなんです。それに加えて、こちらで見鬼の方々を使ってこの設定を規定してもらう。存在しないという前提での思考――存在するという前提での発心――この矛盾する両輪で、増幅装置を動かすんです」

 できる限り早く、〈モノ〉が動く前に――少佐がそう言うと、すぐさま全員が作業に向かった。

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