イエローマン~星の王子様~

 そこにいるのはかぶきり小僧なのだが、それまでずっと固定されていた困惑の表情ではなく、黒沢の襲撃時に見せたのと同じ、余裕か、あるいは性格の悪さを滲ませる穏やかな笑みを浮かべている。

「やあ、思ったより早く話がすんだようだね。しかし、やっぱりアバターにするのは妖怪に限るね。思考アルゴリズムもこちらの思った通りに設定できるし、姿は無理だけど、声程度なら好みで変えられる。君がアバターになった時は本当に大変だったんだよ? おかげで鬼島三月に教えなくてもいいことを教えて、こうして混乱させてしまっている」

 全員がまた、わけがわからずにかぶきり小僧を見つめる。

「しかしどうにも君の人格を使わせてもらった影響は大きかった。今の口調にしてもそうだし、君たちの前にこうして出てくることも、本当はあんまりしたくなかったんだ。まあそれだけ君たちに協力的なんだと思ってくれると嬉しいな」

「お前は」

 慈姑が疲れたように質問すると、別段間を溜めることもせず、声は答えた。

「僕はミームファージ――その表層化した意識だ」

 全員が身構えると、声はからかうように笑った。

「それと、鬼島三月はミームファージに感染している」

 まだ煽る。全員がぎょっとしたように三月を見つめ、三月はいやいやと手を振る。

「全く自覚ないです」

「僕の知っている、ミームファージに感染した人間の特徴は三月には全く見られない」

「ほうほう。いいね。実にいい。だがまあ、いい加減腹の探り合いも疲れてきたね。樹木慈姑、君の率直な意見を聞かせてくれないかい?」

「お前は、〈モノ〉じゃない。三月の身体を妖怪に変換し、それをより分けた。その結果現れた妖怪はどれも、至って正常、かつわかりやすく実在化していた。これも、日本妖怪愛護協会にメタ視点を与えるため、加えて僕に裏に潜んでいるのが〈モノ〉だけではないと気づかせるために取り計らったんだろう。お前が〈モノ〉なら、自分だけの優位を崩すような真似をする理由がない」

 確かに、と金沢たちが頷く。彼らは皆、三月の肉体を構築する妖怪との接触を経てからメタ視点への道を登攀し始めた。現在日本中で起こっている妖怪の実在化と、三月のパーツとなった妖怪たちとの差異に、みな違和感や疑問を抱いていたのは間違いない。三月の身体を取り戻すのと同時に、彼らに新たな視座を与えるために企てられた全国行脚だったというわけか。

「素晴らしい。いい理解力だね。ミームファージという面では同じだが、僕は〈モノ〉じゃない。連中は僕を〈妖怪ばけもの〉と呼ぶ」

 ばけもの――黒沢が慈姑をその手先だと呼んでいた。慈姑が――三月たちが敵対するであろうミームファージ〈モノ〉と、敵対していることは確かなはずだ。

「そもそも、僕とあいつは元々同じようなものだったんだよ。まあ言葉を考えてもらえればわかるように、〈モノ〉よりは〈ばけもの〉のほうが新しい。要はあっちのほうが先輩ということなんだけど、一度できてしまった概念に古いも新しいもないだろう。そんなこんなでくっついたり離れたりを繰り返しながら、今は完全に離れてる。袂を分かったと言ってもいい。なぜって、あいつは、ミームファージの成すべきことを成そうとしているからね」

「ミームを、食らい尽くす」

「その通り。それこそがミームファージの本質だ。それまで乗っかっていたミームが円熟したと判断したなら、それを食らい、破壊し、乗っ取ってしまう。〈モノ〉はそのフェーズに移行した」

「なら、あなたも?」

「鬼と妖怪の違いというかな。〈モノ〉は凄まじく複雑なんだけど、結局は単純なんだ。つまらないと言ってもいい。対して〈妖怪ばけもの〉は――馬鹿だ」

 少佐と咲が小さく笑いながら頷く。話がわかる――そう納得しているように。

「鬼が人間まで食う存在なら、妖怪は人間に馬鹿にされる――そして自らそれを受け入れる存在だ。妖怪に寄生しているとあって、僕もそうした考えに至った。ミームファージとしての本質を見失ったと言ってもいい。それにもし、僕が妖怪というミームを食らい尽くそうと思っても、今はまだその時じゃないと判断する。この国が本当に滅ぶのは、妖怪が消えた時――誰かがそう言った通り、その時がくるまでは大人しくしているよ」

 さらりと不穏なことを言ってのける〈妖怪ばけもの〉だが、とにかく今は〈モノ〉と敵対する――こちら側についてくれると見ていいだろう。

「というわけで、〈モノ〉は慈姑の話した通りの手順で妖怪というミームを食らい始めた。今は妖怪を変質させて人間に危害を加えるだけだが、やがて人間が完全に妖怪を敵視するようになれば、今の妖怪というミームの基盤は崩れるだろう。大切なのは受け容れることだよ。気持ち悪かろうが不気味だろうが馬鹿だろうがアホだろうが、妖怪だしいいか、で受け容れること。それをできなくさせようとしているんだよ、〈モノ〉は」

 この国が本当に滅ぶのは、妖怪が消えた時――それを進んでやろうとしているということか。

「日本妖怪愛護協会――この場にいる君たちを信頼してわざわざ表に出てきたわけだけど、僕が何かをすると期待はしないでくれ。三月に感染したので、正直精一杯なんだよ。僕は〈妖怪ばけもの〉だから、馬鹿だし弱いんだよね。〈モノ〉のようにほいほい人間に感染はできないんだよ。あいつは単純だからいいけど、僕は複雑化しすぎて圧縮させようにもきちんと手順を踏まないとならない」

 慈姑が気色ばむ。三月は本当に久しぶりに見た怒りを面に出す慈姑を、まあまあと宥めた。

「私はこうして無事なんだからさ。〈妖怪ばけもの〉も、それだけ私が必要だったってことでしょ?」

「いや、最初はそれほど必要だとは思ってなかったよ。一度目を潰されていて、僕の手持ちで治すことで見鬼に戻れる人間に君が当てはまっただけで、僕がリンクを張れる人間なら誰でもよかった。最初はね」

 照れるように笑って、〈妖怪ばけもの〉は慈姑を見つめる。

「でも、三月の中でアバターとして君を使ったことで、考えが変わった。三月の意識の中の樹木慈姑という人間のデータを再現しただけだったのに、この人間が実に面白いと思えた。君がメタ視点に至っているだろうこともわかったし、ミームファージにまで辿り着いている、あるいは今後辿り着くだろうとも判断した。当たっていただろう? 君は三月に対して無防備に過ぎるよ」

 慈姑は音がするほど歯を軋ませる。

「〈モノ〉は感染した人間を自分の意識の流れの中に取り込んでしまうけど、僕はそんな上等なことはできないから安心してほしい。三月は僕にとって人間の視線での情報収集役と、媒介役といったところかな」

「妖怪には、感染できるのか」

 慈姑の言葉に〈妖怪ばけもの〉は楽しげに頷いた。

「お察しの通りだよ。三月を媒介に妖怪と接触することで、僕は妖怪に感染できる。このかぶきり小僧がそういうことだ。感染するといっても、妖怪のメインストリームに干渉できるわけじゃない。サブストリーム化させてローカルに一時保存するのがやっとなんだよ。かぶきり小僧の場合は〈モノ〉の汚染から隔離するためにメタ化させたけど、本来はこんな面倒な手間は取らない。僕を感染させておいて、あとはそのまま。場合によって使い分ける程度だ」

 三月の状態が、その『あとはそのまま』ということなのだろう。

「そうやって乗っ取っておいてよく言うよ。三月にそんなことをしてみろ――」

「ああ、それは大丈夫。僕がいま三月の口で喋っていないのは、人間だと僕を展開するだけの容量が足りないからなんだ。妖怪と人間じゃ、流れの長さが全く違う。妖怪は基本的に『個』ではない。名前とはすなわち種族名で、それがそのまま妖怪そのものを現している。固有の名前を持つ妖怪もいるけど、それだって今に至るまでの膨大な流れがある。バックボーンの広大さと言ってもいいかな。対して人間は個人を尊重するし、個人個人が意思を持っている。だからその人間の人生の分だけしか流れがないんだ。僕はとてもそこに収まるようなサイズじゃない。三月に感染しているのは限界まで圧縮、行動を制限した状態ではあるんだけど、三月の中で僕が動こうとすればそれだけで三月の容量は限界に近くなる。というわけでこの前はごめんね。いきなり〈モノ〉と遭遇して、不安定な三月の身体で対処しようとしたんだけど、〈モノ〉のほうから予想以上の負荷をかけられてね。三月の人間性を保ったまま一時的に避難させるためにはああするしかなかったんだ。まあその分、こちらからも分離した妖怪に働きかけて、できる限りわかりやすくしてあげたつもりだけど」

 黒沢を吹き飛ばしたあと、バラバラになった三月の身体。それを構築する妖怪をかき集め、三月はこうして人間の形を取り戻している。〈妖怪ばけもの〉はそれを二段階目のイニシエーションと呼んでいた。それによって〈モノ〉の負荷にも耐えられるとも。

 あの瞬間の黒沢の異形と化した姿の幻視。そうだ――あれは間違いなく鬼だった。

「じゃあ〈モノ〉の場合は――」

「うん、あれは酷い。〈モノ〉に感染した人間はその時点で容量オーバーでクラッシュする。その壊れた人間を取り込み、〈モノ〉というネットワーク上で疑似的に動かしているだけなんだよね。まあ記憶や思考アルゴリズムなんかは保存しておくみたいだから、見た目も外から見た中身も以前と変わらないし日常生活に支障はないけど、あれはもう人間じゃない」

 慈姑はぐっと唇を噛んだ。同じ研究室でミームファージに感染したかつての仲間たちを思っているのか、三月にはわからない。

「黒沢氏の以前までの状態は、〈モノ〉が演算をやめていたということですか」

 金沢が呟く。廃人同然となっていた黒沢。彼が〈モノ〉に感染していたのは間違いない。

「そうだね。感染したあとで〈モノ〉が切り捨てた人間はそうなる。でも再び接続されればまた動き出すから注意はしておいたほうが――ああ、あれはこちらからのハッキングに危険を感じて端末を熱暴走させたんだったね。じゃあ大丈夫。さすがの〈モノ〉も電源の入らない端末を動かすなんて芸当はできないから」

 さて――〈妖怪ばけもの〉は他人事のように笑って、三月と慈姑、そしてこの場の全員に視線を送った。

「僕の話はここまでだ。さっきも言ったように、僕に何かができるなんて期待はしないでほしい。単純な力比べでは僕は絶対に〈モノ〉に勝てないから、正面切って戦おうという気概は端からないんだ。入れ知恵や陰口で、君たちを立ち向かうようにそそのかすことしかできない。というわけで、相手がどれだけやばいかはよくわかってもらえたと思う。僕は今から意識を手放すけど、何かあったら三月を通じてこのかぶきり小僧の上でまた表層化するんで、その時はまた楽しい話をしよう」

 誰かが待てというより早く、かぶきり小僧の表情が元へと戻った。

「あれ……? あたしは……」

「逃げやがった」

 少佐が毒づく。

「まだ信じられないんですけど、いま話しましたしね……」

 咲が呆然と呟く横で、金沢が表情を崩さずにすっと手を挙げる。

「情報の整理が必要だと判断します。ただし、文書やデータに残さない形で」

 目を向けられた十塚は、額の汗を拭っていた。山住もまだ今起こったことが信じられないように俯いている。

「そうですね――一度整理する必要がありそうです。これはこの場の人間だけしか知ってはならないことということを理解してください。それから、樹木さん」

 名前を呼ばれ、慈姑は三月の陰に隠れながら小さく頷く。

「あなたを日本妖怪愛護協会のメンバーとして正式に迎え入れます。よろしいですね」

「今さらいやとは言えないでしょ? 慈姑」

 この話をした時から、もはや降りることのできない船に乗ったという覚悟は慈姑も決めていたはずだ。

「いいけど、僕は三月以外と話せない」

「問題ありません。先ほどのような形での発言でも、我々には有益です」

「でも樹木さん、〈妖怪ばけもの〉とは話せてませんでした?」

 咲の疑問の声に、慈姑は息を詰まらせて頭を三月の背中に押しつける。穴があったら入りたいといったところか。

「〈妖怪ばけもの〉は人間じゃないですし、そこまで気になさらずとも――」

 痛いところを突いてしまったと、咲は慌てて慈姑を落ち着かせるべく苦心する。

「いや、進歩と受け取りなさいよ。私以外と話せたんだからさー。無理をする必要はないけど、自然と言葉が出たならいいことじゃない」

 かといって無理に押し退けることはせず、三月は慈姑の気がすむまで背中を貸しておいた。

 未だ衝撃から抜け出せない様子の山住は彼にしては珍しく謝罪を入れてから椅子に腰かけた。

 もう表情には出ていないが、その佇まいから衝撃の度合いがありありと見て取れる十塚も、歯を食いしばって冷静沈着に努め、会議を進めようと口を開く。

「この場の全員は、もうどうしようもない運命共同体だと理解してください。私は――できれば今の話は聞かなかったことにしたい。それでも、国家陰陽師として、この問題に取りかからなければならないという責務を果たします。皆さんは立場もばらばらですが、一つ確かに同じところがあります。知ってしまった――それだけで、我々が目的と運命を同じくするのには、残念ながら充分です」

 全員が頷く。ある者は強く、ある者はうなだれるように――。

「我々の目的は変わっていません。歪められ、人間に危害を加えるようになった妖怪を是正し、あるべき姿に戻す。当初、この問題に対しての陰陽寮の見解は、見鬼が主として黒沢正嗣氏の著作に触れ、妖怪を歪んだ像で規定し、それが連鎖的に繰り返されているというものでした」

 十塚はそこで視線を三月のほうへと向ける。正確には三月から頭を離したものの、相変わらず後ろに隠れるようにオフィスチェアに縮こまっている慈姑へだ。

「皆さんの見解では、妖怪は世間に広まった想念によって像を成すということでした。こちらの見解のほうが、今回の事態を説明するのに適していると、私は判断します。見鬼の間で広まった認識が像を成すより、世間一般のイメージが像を成すと考えたほうが的確です。また、世間の妖怪を思う人間を三つに分類し、保全層、拡張層、基底層とする――樹木さんのこの考えは今後採用させていただきます。今回はまずインターネット検索を利用する拡張層、または暇つぶしに検索、あるいは本を購入した基底層を狙い、間違った妖怪像を固定化していくという手法であると思われます」

「保全層の人間は、拡張層や基底層にあまり影響力を持ちませんからね」

 金沢の発言に、少佐も同意する。

「大して興味を持たない人間に、わざわざ語って聞かせるような手練れはいませんよ。どこの世界でも同じです。間違ったことを言っている人を見つけても、直接訂正に行くこともまずありません。そもそも話が通じませんからね。それに保全層としても、どうしても内々で盛り上がってしまうことが多いんですよ」

「この結果、妖怪が歪められた像で現れ、人間を襲うことになりました。そして――その上がってきたデータがこちらです」

 会議室中の机に山と積まれた書類に、暗澹たる気持ちになる。

「こんなに――」

 咲が手に取った分厚いコピー用紙の束に目を通しながら絶句する。

 日本全国、全ての都道府県警に寄せられた、妖怪被害。それを全てリストアップしたこのデータは、凄まじく膨大だった。

「ぱっと見た感じ、やっぱりかぶきり小僧が一番多いみたいですね」

 三月が言うと、金沢が頷く。かぶきり小僧――及び斧を持った子供の妖怪は、特に頻出している。

「この出現回数を多い順に並び替えることは――」

「ああ、俺一応簡単なスクリプトなら組めますよ。こっちの端末にデータ送ってもらえますか」

 少佐が言って、自分用に確保してあるパソコンに向き合う。

 ものの数分で少佐はデータのソートを終え、印刷に移る。大嶽と三月で手伝って、全員に並び替えられたデータの記されたコピー用紙の束を配る。

 圧倒的に多いのはやはりかぶきり小僧だった。斧を持った子供の妖怪を加えると、これだけで全体の六割近くを占める。

 あとの妖怪は大体が横ばいだ。朧車、片輪車、輪入道の数がほかと比べて若干多い程度で、鎌鼬、おとろし、一反木綿などが続く。

「おかしい――ですね」

 咲が真剣な顔で言うのを、少佐は訝しげな顔で聞き返す。

「何がですか?」

「いや、だって、通報してるのって普通の人たちですよね。そんな人たちが、鎌鼬や一反木綿はいいとして、ほかの妖怪の名前をすらすら導き出せますか?」

 あっと少佐と金沢が思わず声を上げる。

 大抵の妖怪にはそれぞれ誰かが描き、定着していった像がある。だがそれは妖怪を知っている者の間の共通認識でしかなく、名前と像はセットになっているが、その像そのものだけには当然名前は書かれていない。

 今起きているのは、妖怪が現れ、何かを仕出かすことである。そこに現れる妖怪というのは当然像だけでしかなく、そこから名前を推察するには妖怪に対するある程度の知識が必要になる。

 ところが警察に寄せられた通報には、具体的な妖怪の名前が挙げられているのである。

 妖怪が出てきて、それが何かを仕出かし、通報する――この過程の中で、健全な一般市民が果たしてどれだけ現れた妖怪の名前を導き出せるのか。調べようにも、相手は姿を現しただけで、名乗るわけでも名札がついているわけでもない。像だけから目的の妖怪の名前を検索するのはなかなかに難しいし、通報するまでの間にそんな手間を取る人間はいない。

「朧車やら片輪車に輪入道を知っている人間がこうも存在するとは思えない――つまり」

「まず妖怪ありきでの通報ということでしょう」

 少佐は蒼褪め、金沢は真剣な面持ちで黙考する。

「人間の手による因果律の無視化――いや、これが本来の妖怪なのでしょうが」

「しかも作為的ですね。これはやはり――」

 二人で納得する金沢と少佐に待ったをかけたのは、それまでずっと沈黙していた大嶽だった。

「私はただの警察官、完全に門外漢です。これまでの話も、正直言って半分もわかっていません。ですが、これは警察が提出したデータについての話です。警察についてなら、私もまだ話せることがあります。どうか、わかるように説明してください」

 普段の穏やかな口調ではなく、どこか切迫した物言い。これに大嶽の凶相が合わさると、もはや脅しのように聞こえてしまう。現に少佐は完全に腰が引けており、発言は平気な顔で頷く金沢に任せるつもりらしい。

「先ほどの話にもありましたが、そもそもの妖怪の発生は、何かが起き、それを何者かの仕業と想定してしまうことからです。夜道で袖が引っ張られる――それは木の枝に袖が引っかかっただけかもしれない。しかしそこに強烈に働く人間の想像力が、これは妖怪の仕業だということにしてしまう。袖引き小僧の完成です。いえ、当然全ての妖怪がこれに当てはまるわけではないのですが、実際にこのパターンが多く、今の話にも相当するのでこれを前提に話を進めさせてもらいます」

 大嶽は頷く。完全に理解しているかどうかはわからないが、ひとまず話を自分の望む先に進めたいという意志が見て取れた。

「今回の騒動のメイン、かぶきり小僧による人間の殺傷は、実在化した妖怪が何かをするという、本来の状態から逆転した事態です。我々はこれと同じことが各地で起きていると判断し、その情報を収集し、行動しようとした。ですが、逆だったんです。本来の妖怪の使い方を利用している。つまり、かぶきり小僧の場合を除けば、何かが起こって、それを妖怪の仕業に仕立て上げられているのだと思います。それも、なんらかの意思の下で」

 金沢はリストアップされた妖怪の名前を指差し、説明を入れていく。

「まず朧車、片輪車、輪入道――これらは交通事故の現場で。おとろしはなんらかの落下物による事故。鎌鼬は刃物による殺傷、一反木綿は絞殺――この二つは特にいやな予感がしますが――とにかく、誰かが声高に妖怪がやったと通報し、叫べば、その場の証言はその通りになってしまう可能性が高い。なにせ今は妖怪憎しの雰囲気ができ上がっています。妖怪は本来見えないものですから、本当の目撃者はいなくてもいいんです。そして最終的には、妖怪は全ての罪を着せられ、それが常識に成り代わり、妖怪そのものが変質する」

 大嶽は戸惑いながらも、思い至った考えを口にする。

「つまり、罪を着せられた妖怪は、やがてかぶきり小僧のように、実際に人を襲うようになるということですか」

 頷く金沢。

「因果が逆転するんです。事故を妖怪のせいにしてしまうことが当たり前になれば、妖怪が事故を起こすようになる。本来ならばありえぬことですが、今はそれが可能な状態になっている」

 かぶきり小僧が肩を落としながら呟く。

「あたしが、出てきてしまったから……」

「出るように仕向けられただけですよ。かぶきりちゃんは悪くないですって」

 力なく笑いながらかぶきり小僧をなだめる咲はしかし、その目の奥に義憤の炎を燃やしていた。

「かぶきり小僧の実在化を嚆矢に、相手は一気に畳みかけてきたということでしょう。妖怪のイメージを完全に悪化させ、何もかも妖怪が悪いという空気を作ってしまえば、妖怪を想う人の圧倒的多数を歪めてしまうことができる」

「妖怪が消えることで国が滅ぶって――そういうことですか。妖怪を受け容れられなくなった人が妖怪を憎めば憎むほど、妖怪は勝手に歪められていく。やがて誰も妖怪を受け容れられなくなれば、もう妖怪は妖怪ではない。その狂った妖怪によって、国は滅ぼされる、と」

 少佐の言葉は、それまでのような語って聞かせる調子ではなく、ただ憮然とひとりごちるような物言いだった。それがかえって聞いている者たちの心を締めつけたのだが、狙ってやったわけではないということがわかり切っているのがまた悲愴感を加速させる。

「そして、それを先導している者がいます」

「ミームファージ――〈モノ〉の感染者ですかね、やっぱり」

 そこで大嶽は一度大きく息を吐き、十塚を一瞥してから口を開いた。

「二十年前、当時私が所属していた警視庁公安部に、宮内庁から捜査協力の申し出がありました。私はそこで十塚さんと組み、ある組織を捜査することになりました。その組織は文字通りの、世界の終わりを目指していたのです」

 そこで少佐と咲がはっとしたように目を見開く。

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