YARLEN SHUFFLE ~子羊達へのレクイエム~
翌日、三月は十塚を問い詰めてやろうと応接室に向かったが、その目的は果たせそうになかった。
応接室では、大嶽が十塚の胸倉を掴んで壁に叩きつけていた。
「大嶽さん! 何やって――」
止めようとした三月だったが、大嶽の顔を見て言葉を失った。
大嶽の顔は怖い。凄まじく怖い。それは常日頃からそうであるのだが、今は全く違う。
怒っている。
憤怒に染まったその表情は、普段の大嶽の顔が可能な限り柔和に緩められていたのだと三月に気づかさせた。同時に、大嶽をそこまで怒り狂わせた相手が、壁に叩きつけられてもなお穏やかな笑みを失わない十塚だということに戦慄を覚える。
「言え」
大嶽はドスの利いた声とともに、十塚の首を襟を掴む拳で押し上げる。
「あんたがやったんだろう」
「――大嶽さん、鬼島さんがきています。それと、その質問に対する私の解答は変わりません。何を言わんとしているのかわからない――ですね」
大嶽はそこでやっと三月のほうを見て、十塚を機械的に解放した。
「失礼しました。我を失いました。お怪我は?」
礼儀正しく頭を垂れ、大嶽は十塚に謝罪する。その言葉に先ほどまでの激昂のあとは微塵もない。
「いえ、大丈夫です。私は大嶽さんを信頼していますから、ご心配なく」
とても今まで胸倉を掴んでていた相手に対するとは思えない言葉と口調だ。三月がこのタイミングで部屋に入ってきていたら、何かあったのだと感づくことすらなかっただろう。
「捜査会議を始めましょうか」
十塚はそう言ってソファーに腰を下ろす。
無言で向かい側のソファーに座った大嶽を見て、未だ狼狽したままの三月もそれに倣う。
「今朝、安藤勇作の死体が発見されました」
大嶽は淡々と、そう告げた。
「は? ――死んだ?」
三月の言葉は無視された。
「死因は溺死。鍵のかかった自宅内、風呂場で発見されたことから、自殺と考えられます」
「ちょっと待ってくださいよ! 死んだって――どういうことですか?」
三月は立ち上がって大嶽と十塚に問いかけるが、二人とも答える様子はない。
「座ってください、鬼島さん」
大嶽が優しく諫める。
「いや、だって、普通に考えてみすみす連続殺人されちゃったってことでしょう! 安藤勇作は『牛の首に殺される』と言っていました。調布と神保町の事件が連続していると判断したから、十塚さんはこのチームを組んだんじゃないんですか?」
「鬼島さん、座ってください。順番に話します」
十塚に言われ、三月は釈然としないまま大嶽の顔を見た。
そうだ――三月が部屋に入った時、大嶽が怒り狂っていたことと、安藤の死。絶対に何か関係がある。だが、大嶽は今、冷静に三月に座るように促している。あれだけの憤激を見せながら、今こうして落ち着いて――あるいは必死に自分を落ち着かせている大嶽の心中は一体どうなっているのか。それを思うと、三月如きではもう口を出しにはいけない。
大人しく座った三月を見て、十塚は微笑すると、大嶽に続きを促す。
「次に、調布市マンション内殺人事件の被害者、中田恵子、神保町ファミリーレストラン内殺人事件の被害者、遠藤佳穂は、二人とも過去に安藤勇作の証言していたインターネットコミュニティに所属していました。このコミュニティはフィーチャーフォン――ガラケーですね――向けのSNS内のサークル機能を使って作成され、現在は削除されており、両者ともフィーチャーフォンからスマートフォンに機種変更する際に前の機種を破棄していたため、捜査が及ばなかったことを捜査本部に代わって弁明します。また、安藤勇作が証言していた投稿が途絶えたアカウントの持ち主、
やっぱり繋がっているじゃないか――喉元まで出かかった言葉を、三月はぐっと飲み込んだ。
「それで――」
大嶽が鋭い眼光で十塚に目をやる。
「今後の捜査方針はどうするおつもりですか?」
「お二人には今後もリスト上の人物に聞き込みを続けてもらいます。それで何も出てこなければ――解決です」
三月は流石にこれには待ったをかける。
「おかしいでしょ! 人が殺されてるのに、その犯人を捜さずに終わりですか」
「でははっきり言いましょう。この事件は殺人事件ではありません。言うなれば、災害です」
三月は何も言えなかった。絶句――いや、放心か。
「お二人にお願いしたのは、次に起こり得る災害への備え――防災です。それがたまさか刑事事件の捜査と重なったので、私はこちらへ出向いたのです」
無茶苦茶だ。災害と言っておきながら、二人が自殺し、二人が殺害されている。これのどこが災害だというのか。どこからどう見ても刑事事件ではないか。
「目下の懸念は解消しました。あとはお二人の捜査上で何もなければ完全な防災ができあがります」
そこで三月は気づいた。
大嶽が激怒していたこと。三月が部屋に入った時に十塚に問い詰めていたこと。
――あんたがやったんだろう。
十塚が、安藤を殺した――少なくとも大嶽はそう断じている。
十塚の言う懸念の解消というのが、安藤の殺害だったとしたら。
疑問は多い。多すぎる。それはそもそもの十塚の参入であり、その捜査方針であり、いくつもの死だ。
それゆえ、三月には十塚を問い詰めることはできない。安藤の死と防災とやらに、三月は全く繋がりを見出せないからだ。
大嶽と並んで神田署を出て、ようやく三月はそのことを口にした。
「そうですね、ちょっと寄り道をしましょう」
大嶽は穏やかにそう言って、近場の喫茶店に向かう。
落ち着いたというよりは寂れた古い店で、知っている店なのかと訊く三月に大嶽は昨日見つけたと笑った。
コーヒーを頼んでひと口飲むと、大嶽は穏やかに、だが緊張を保ったまま口を開いた。
「十塚さんの言った通り、このまま何事もなければ、我々の追うことになった事件は解決ということになるはずです。元の特捜の捜査は続くでしょうが、犯人が挙がることはないでしょう」
三月は何も言わずにコーヒーカップを覗き込んでいた。大嶽は、少なくとも三月よりはいま起きていることを理解している。
「昨日言った通りになりました――残念ながら」
十塚は手段を選ばない。目的は三月たちとは違う。それが導くのが、安藤の死なのか。
「それは――十塚さんが陰陽師なのと関係がありますか」
下を向いたまま呟いた三月に、大嶽は若干の狼狽を見せる。
「知って――いや、気づいたんですか?」
「やっぱりそうなんですね」
慈姑の見立ては当たっていた。
「彼女は宮内庁陰陽寮所属の陰陽博士――そう、陰陽師です」
おんみょうじ。確かめるように口に出してみる。この時代に表舞台に出て陰陽師を名乗る者は百パーセント偽物だという。その裏に、まさか本物が生きているとは。
「大嶽さんは、この事件をどう見てるんですか?」
「彼女が出てくるまでは、怪死事件として。彼女が出てきてからは、全く違う方向に進んでいるのだとわかりました」
恐らく――大嶽は至極真面目に続ける。
「人間のやったことではないのだろうと」
「本当に、牛の首に殺されたってことですか」
信じがたい。信じられる話ではない。だが、徹頭徹尾現実的な大嶽がそう考えるということは、十塚という女の登場はそれほどの大事だったということだ。
「そして、その牛の首はすでに彼女によって始末されているはずです。彼女が事件が解決に向かっているというのですから、間違いなく」
犯人は牛の首でした――なんとも馬鹿げた話だ。そして犯人は陰陽師によって見事退治されたのです――。
「安藤勇作は、牛の首をおびき出す餌だったんですね」
「――ええ。それと、私も完全に理解しているわけではないのですが、安藤勇作自身が牛の首を生み出していたのだと思われます」
「それは――」
「彼は恐らく、『視える』人間です」
そういえば――十塚と対面した時、安藤はやけに怯え、従順になっていた。その時に十塚が口にした言葉が、『式』――すなわち式神。安藤には、十塚の式神が見えていた――。
「視えてしまう人は不安定であるがゆえに、得た情報を元に、自分の視えるものを勝手に規定してしまう場合がある――というのが、以前に十塚さんと仕事をした時に教えられたことです。にわかには信じられませんが、それで宮内庁――陰陽寮と公安が動くことになりました。あのリストに載っていたのは、恐らく全て視える人でしょう。その中で牛の首の情報を得て、安藤勇作は牛の首を幻視してしまった。その結果生まれた牛の首を確実に消滅させ、今後の発生の可能性を絶つために」
「殺したんですか」
大嶽は微動だにしない――というよりは、どう反応すべきなのかわからないのだろう。
「私は――そう考えました。十塚さんは二十年前のあの時、あと一歩我々の捜査の手が早ければ、多くの人の命を奪っていたでしょうから。彼女に躊躇いはありません」
それでは三月たちはわざわざ十塚に生贄を捧げたようなものではないか。
「糾弾は――」
「無駄でしょう。現に安藤勇作の死因は溺死。自殺として処理されます。彼女が殺したという証拠は、絶対に出ないと断言できます」
滔々と語る大嶽は、だが確実に怒りを燃やしていた。そうでなければ三月などにこんなことは話さない。
「私たちにできることは、『牛の首に殺される』という言葉を知っている人がいないことを証明し、十塚さんに一刻も早く手を引かせることでしょう」
店を出て、リスト上の人物の許を矢継ぎ早に巡るために電車に乗る。
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