3-5-02
空港に着くころには、雨はもうすっかり上がっていた。
国際線のターミナルビルの前に車を停めて、俺達はスーツケースを車から降ろした。
「ほんまにええんか、カレヴァ」
大吾がバックドアを閉めて、隣に立つカレヴァにいった。
「何がダ」
「何がって……お前も行かんでええんか」
「構わなイ」
「まあ、本人がそういうんなら別にええねんけどな」
大吾の視線に、俺はうなずいた。
「で、休み中はずっと大吾のところにいるのか」
「そうダ」
今度は、大吾が俺にうなずいた。
「大丈夫や。おもいっきりうちの寺で使い倒したる。それに、向こうでも意外とうまいことやってるみたいやったし」
「いきなりシェアハウスに放り込むとか、アイノさんも相変わらず大胆なことするよね」ほたるが笑った。
「あなたはとりあえず他人と一緒に生活してみなさい、ってな」
「狙い通りやったわけやな。とにかく、アイノさんには心配せんでええっていっといてくれ」
「わかった。伝えておく」
当のカレヴァは相変わらず他人事のように俺達の会話を聞いている。
「じゃあ、そろそろ」
俺とほたるはスーツケースの持ち手を握った。
「ほな、右京、ほたるちゃん」大吾が手を振った。「気ぃ付けてな。皆さんによろしく」
「ああ。行ってくる」
カレヴァは無言でこくり、とうなずいた。
エスカレーターでチェックインカウンターのある出発ロビーに着くと、レッドとブルーが待ってくれていた。
黒のチェスターコートに黒のスラックス、黒のナイキのスニーカーという、おそろいの格好をしたふたりは、赤と青の色違いのマフラーを巻いている。この違いがなければ、未だに俺はふたりの見分けがつかない。
「すみません、お待たせして」
「いえ。時間通りですよ」レッドが俺のスーツケースに手を伸ばした。
「あ。大丈夫です」
俺が慌ててスーツケースの持ち手を握ろうとするのを、レッドがやんわりと押しとどめた。
「これくらいさせてください」
「じゃあ、お願いします」
レッドはにっこりと微笑んだ。「チェックインしましょう」
レッドとブルーは慣れた手つきで俺とほたるのスーツケースを転がしながら、チェックインカウンターの方へ歩き出した。
「本当に、エコノミーでいいんですか? 今からでも変更はできますよ」
並んで歩く俺に、レッドが尋ねた。
「大丈夫です。今からファーストクラスなんて乗ったら勘違いする、自分で稼げるようになってから乗れって、親父にさんざん説教されました」
俺の言葉にレッドがうなずく。「ウキョウさんのお父様は、CIOから聞いていた通りの人みたいですね」
「ええ、まあ。おかげさまで」
レッドがくすくすと笑った。
レッドとブルーに手伝ってもらって、チェックインも無事に済ませ、彼女たちに見送られながら、俺とほたるは保安検査場に入っていった。
それから約一時間後、俺たちを乗せたフィンエアーの直行便は定刻通りに成田空港を飛び立った。そして、十時間半のフライトを経て、真冬のヘルシンキ、ヴァンター国際空港に降り立った。
親父が昔、よく俺にいっていた。
ほかの国の空港に降り立つと、その国独特の匂いがするものだ、と。その匂いは国によってさまざまで、食べ物や香辛料の匂いもあれば、人間の発する匂い、説明できないどこか懐かしいような匂いもある。そんな外の匂いをたくさん嗅いで来い、と親父はいった。
その言葉の意味がようやく俺にもわかった。
ヘルシンキの空港は、独特の匂いがしていた。
どこかで嗅いだことのある匂いだ。さわやかな、鼻にスーッと抜ける匂い。
「なんか、いい匂いしない?」
入国審査の列に並びながら、ほたるがいった。どうやら俺と同じことを感じているみたいだ。うなずく俺の隣でほたるは大きく息を吸った。
「なんだろ。なんか、ピクルスの匂いに似てる」
なるほど、と俺は再びうなずいた。たぶん、ハーブの匂いだろう。でも、俺にはその種類まで特定することはできなかった。
空港から外に出ると、すぐにタクシー乗り場やバスターミナルがあった。日本の空港に似ている。たぶん、空港はどこも同じような作りなんだろう。
「ウキョウ!」
声のした方を見ると、フィフィとアイノさんが手を振っている。彼女たちの背後には、ごつごつとした、ジープの親玉のようなオリーブグリーンの車が停まっていた。
スーツケースを後部スペースに乗せ、俺とほたるは後部座席に乗り込んだ。車内はやたらと広い。座席の間、ちょうど座ったときに肩の位置にくるスペースに金属製の板が張られている。どう見ても軍用車両にしか見えない。
「なんか……すごい車ですね」
「ハンヴィーだ」フィフィが運転席に収まり、ハンドルを握る。「High Mobility Multipurpose Wheeled Vehicle。米軍が汎用輸送車両として採用している。まさかこんなものを運転できるとは思わなかったよ」
「これね、米軍払い下げなの。リーリンのつてで、ただ同然で譲ってもらっちゃった」助手席のアイノさんが俺たちを振り返って、日本語で尋ねた。「大丈夫? ほたるちゃん、寒くない?」
「大丈夫です」ほたるがうなずき、英語でいった。「あと、英語でかまいません」
「あら。すごいじゃない」
「まだ下手くそですけど。ヨシカさんに特訓されました」
「うふふ。ヨシカを鍛えておいてよかったわ」
「外、思ったより寒くなかったです」
「今日は比較的暖かいわね。たぶん一℃くらいかな」
フィフィが俺たちを振り返った。
「寒冷地仕様だから大丈夫だと思うけど、寒かったらいってくれ」
「わかった」
俺たちにうなずくと、フィフィは正面を向き、車をスタートさせた。ゴウン、という大きな音と振動とともに車は車寄せを離れ、うっすらと雪が残る道を走り出した。
「いったんヘルシンキに寄って買い物をしてから、ラウマに向かいます」アイノさんがいった。
「それで、メサは――ライトノベルは大丈夫なんですか」
「今のところは安定してるわ。ダオくんとリエンちゃんが見てくれてる。やっぱり実際に実物を目にして書かれたものは説得力が違うみたい」アイノさんがフィフィの方を見た。「フィフィちゃんたち三人が来てくれて、メサの物語を書いてくれるようになってからは、こちらの世界に固定化されているわ」
「でも」ほたるがいった。「ずっとこのままというわけには……」
「そうね」アイノさんがうなずく。「たぶん、次はないかもしれない。今度、反地平面に飛ばされたら、おそらく戻っては来れないでしょう」
「ほかに方法はないんですか」
「残念ながら」俺の言葉に、アイノさんは首を振った。「『向こう』の世界が新しく作った世界に転移する。それしか、メサの――ライトノベルの生き延びる道はない」
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