1-5-05

 ざざざざざーっという音が、突如、俺の部屋を満たしていった。

 外がどんどん暗くなっていく。

 俺は窓の方を振り返った。

 目の前に、異様な光景があった。

 部屋の窓をめがけて、無数の黒い鳥たちがぶつかっていた。

 カラスだ。

 無数のカラスが俺の部屋の窓に体当たりしている。

 窓に当たったカラスはそのままベランダに落ちて、あっという間に、ベランダを埋め尽くしていく。

 窓に当たって気絶しているのか、それとも死んでいるのか。

 動かなくなったカラスの体が、まるで水槽の中に黒い水が溜まっていくように、ベランダにどんどんのその量を増していった。

 やがて、ミシミシとガラスが音を立て始め、ビシッという音とともに大きなひびが入ったと思った瞬間、窓ガラスが割れた。

 俺はガラスの破片が当たらないように、とっさにメサの体に覆いかぶさった。

 幸い、細かなガラスの破片は飛んでこなかった。

 でも、割れた窓から、大量のカラスが流れ込んできた。

 カラスたちはどれも体の一部が傷ついていて、血を流しながら、部屋の床をのたうち回っている。

 そして、カラスたちに交じって、大きな黒い影が、俺の部屋の中に入ってきた。

 そいつは、人の形をした大きな黒い影だった。

 体を折りたたむようにして、割れた窓からのっそりと入ってくる。

 見ていると、そいつは人の形をとり始めた。

 黒いフードの付いた服をまとっているように見える。フードを目深にかぶり、分厚い底の重そうなブーツを履いている。

 床の上のカラスをブーツが踏むたびに、ぐちゃっという肉のつぶれる音がする。

 黒づくめの巨人は、体を伸ばそうとして、天井に頭をごつん、と打ち付けた。

「いてっ」

 巨人はうめき、舌打ちすると、足元のカラスを一羽、手でつかみ、まだ生きているそいつの首を引きちぎった。

 肉の裂ける音とともに、血が飛び散る。

 巨人は何やらぶつぶつとつぶやくと、カラスの首を無造作に放り投げた。

 首は、床の上数十センチの空間に、ぴたりと静止した。

 メサが昨日、駐車場で見せた、時間を遅らせたのと同じ能力だ。

 カラスたちの動きは止まず、相変わらず傷ついた体をのたうち回らせている。

 再び巨人がなにかをつぶやき、その体が徐々に縮んでいった。

 身長百七十センチくらいの大きさで止まった。

 そこには、黒いフード付きパーカを目深にかぶり、黒いスキニージーンズとエンジニアブーツを履いた少年が立っていた。

 少年の目の周りは黒く縁どられ、唇には紫色のルージュが引かれている。それはまるで、ゴシックホラーの登場人物のようないで立ちだった。

 よく見ると、少年の顔は、メサに似ていた。

 少年の右手がすっと上げられて、細い人差し指が俺を指した。爪にも黒いマニキュアが塗られている。

「待って!」

 メサが叫びながらベッドから飛び降りると、俺をかばうように両手を広げて、俺の前に立った。

「待ってください、兄さん」メサがいった。

 この少年がメサの兄か。確かアイノさんは、カレヴァといってたな。

「待たないヨ」

 カレヴァが指先をすっと動かすと、メサの体が右方向に吹き飛んだ。

「ふぎゃっ」

 どしん、という音とともにメサは壁に体を打ち付けて、その場にうずくまった。

「メサ!」俺は叫んで、走り寄ろうとしたが、体が動かない。

「ううう」うめきながら、メサが俺を見上げた。「だ、大丈夫です、ウキョウさん。エルフの体は丈夫なのです」

 よろよろと、メサは立ち上がった。

 あまり大丈夫そうには見えない。

「もう、だめじゃないカ、メサ。キミまでが負の感情を取り込んでしまってどうすル。あっという間に劣化してしまうゾ」

「劣化じゃありません」メサは立ち上がった。「劣化なんかじゃありません。ウキョウさんたちは、ちゃんと生きてるんですよ。一生懸命生きているんです」

 カレヴァは、ふん、と鼻を鳴らした。

「これで生きてル?」カレヴァは肩をすくめて俺を見た。「あっという間に終わってしまうこいつらの不完全な生が、生きているといえるのカ」

「でも、この人たちがいなければ、私たちは……」メサは口をつぐんだ。

「メサ。もういいんだヨ。親父たちが決定を下しタ。道の分断に関与しそうなヒトたちを、すべて排除することになっタ」

「そんな」メサは首を振った。「私たちは、この人たちの命を奪うことはできないはずです」

「命は奪わないヨ。ボクはヒトにそんな価値があるとは思えないけどネ。まあ、とにかく、しばらくの間、このヒトたちには反地平面に転移してもらうことになル」

「しばらくの間って……」

「そうだなぁ、数百億年ってとこじゃないかナ」楽しそうにカレヴァはいった。「そのあと、また元に戻ってもらって、そのときにこの惑星がなくなっていたとしても、僕らにはどうしようもないことだからネ」

「ふうーっ」メサが唸り声を上げ始めた。

 ぎしぎしと部屋の壁が音を立て始めた。

「そんなことさせません。ウキョウさんがあの小説を書かなければいいだけなんです。ウキョウさんは書きません。ぜったい書きません」

 ぐぐっ、と俺の体が見えない何かに押された。カレヴァの体が徐々に背後の壁の方に押しやられていく。足元のカラスたちが断末魔の叫び声を上げながら苦し気にばたばたと翼を動かしている。

 やがてカレヴァの体は背後の壁にぴたりと張り付いた。

 どうやら、見えない力で壁に体を押し付けられているようだ。

「ぐっ」カレヴァが呻く。「あーもウ。何て不便な体なんダ」

「ふーっ、ふーっ」とメサが肩で息をしている。

「しょうがないナ。なるべく生体を損ねるなっていわれてたけど、仕方ないよネ」

 カレヴァがすっと、右手を上げた。

「あっ」メサがとっさに両腕を体の前で交差させる。

 ばきっ、と、メサの腕がいやな音を立てた。

「ぐうううっ」

 メサが右手をぎゅっとつかんでうずくまった。歯を食いしばって、痛みに堪えている。

 よくわからないけど、どうやらカレヴァの力の方がメサよりも勝っているように感じる。

 相変わらず、俺の足は動かない。

 くそっ。

 何かできることはないのか。

 とっさに俺はしゃがみ込むと、ベッドの下に手を突っ込み、そこにあるものをひっつかんでカレヴァに投げつけた。

 五キロの鉄アレイが、カレヴァの顔の十センチ手前の空間にぴたりと停止した。

 カレヴァはため息をつくと、すっと人差し指を立てた。

 それだけで俺はメサのいる壁の方に吹き飛び、体を打ち付けて床に倒れ込んだ。

「ウキョウさん!」

「カレヴァ。取引をしよう」俺はうめきながら、いった。「俺は小説家だ。だから、お前たちの世界とのつながりを強くするようなものを書くことだってできる。いや、この世界には俺なんかより、もっともっと優れた書き手がいっぱいいるんだ。そいつらに書かせれば――」

 カレヴァは首を振った。「わざわざそんなことしなくてもいいんだヨ。極端な話、ここを壊して、またいちからやり直したっていいんだかラ」

「壊す?」

「今回はかなりいいところまでいったんだけどナ。でも、もしそうすることが必要であれば、しょうがないネ」

「どういうことだ」

「どうもこうも、君たちの世界を創ったのは、僕たちなんだヨ」

 カレヴァは右手をこちらに向けた。

「兄さん、やめて!」

「おしゃべりはこれくらいにしよウ。予定通り、このヒトには反地平面に移ってもらうヨ」

「だめ!」

 メサが俺の前に体を投げ出そうとする。

「じゃあネ。こういうときに、ヒトはこういうんだロ」カレヴァは満面の笑みを浮かべた。「サヨナラ」

 カレヴァの右手が降ろされ、その瞬間、俺という存在はこの世界から消し飛んだ。

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